第百二十二段 御稜威
開耶からの文には瓊々杵への謝意も述べられていた。
開耶の呪能を治療する方法がないか、彼女は大山祇に連れられ、穴牟遅の参謀であった彦名からも常世の医療について訊くなど内外の天地を転々とし、人付き合いよりも治療法を探すことに集中した。
治療法が見付からなければ直ぐ次の天地に移ったので、友達が出来ることはなかった。
各地で情報を引き出すための処世術として外面は良くなった。
しかし、心から打ち解けた相手はこれまでいなかった。
そのような相手が出来たのは、皮肉にも大山祇が治療を諦めて行き着いた熊襲においてだった。
最早、開耶の呪能は磐長でも抑えられなくなっており、完全に封印する他なかった。
それ故に大山祇は開耶に最後の自由を許し、瓊々杵との出会いがもたらされた。
万が一に備えて磐長が付き添っていたが、開耶は家族でない人物と初めて深い仲を築けた。
瓊々杵とは違った意味で開耶も彼との関係を特別なものと思っていたのだ。
開耶の文は自身の症状が悪化し、封印も間近であることが記されていた。
周囲に被害が及ばぬよう開耶は結界を巡らした座敷に閉じ込められているとのことだった。
(一目だけで良い。最後に瓊々杵くんとまた会いたい)
文の末尾で開耶はそう願っていた。
そのように望まれて素知らぬ振りをするなど瓊々杵には出来なかった。
どのように開耶の居所を見付け出すか具体策もないまま大山祇の御殿に駆けていった。
「そんなに急いでどうしたのお?」
だが、その行く手に立ち塞がる者たちがいた。
大山祇と磐長の二人だった。
瓊々杵は面食らったように暫し逡巡したが、やがて決意を込めてきっぱりと告げた。
「開耶に会わせてください。オレの呪能なら何とか出来るかも知れません。殺すことしか能のないオレの呪能が役立つかも知れないんですよ?」
「あの子の親としてその可能性は考えたわあ」
大山祇が笑顔で放ったその言葉に瓊々杵は総毛立った。
そこには山の神人たちを統べる者であるからこその凄味があった。
しかしながら、瓊々杵もそれに負けてはいられなかった。
「でも、磐長の呪能は周りに岩壁を立てて封じ込めるものだけど、貴方のは開耶のに触れなければいけない。天孫に何かあれば、高天原からどんな目に遭わされるか、分かったものじゃないわあ。たとえ貴方がどれだけそんなことはないと言ってもね」
そのようなことはないと言いそうになった瓊々杵は、大山祇の指摘に口を噤んだ。
「瓊々杵くん、お願い。開耶のことは放っておいて。それが皆のためだから」
磐長も阻止せんと呪能を展開させた。
「……ごめんなさい」
瓊々杵が一枚の札を振るうと、辺り一面を煙が覆い、それが晴れた後に彼の姿はなかった。
◆
開耶からの文には三枚の札が添えられてあった。
その使い方も開耶には文に書き記していた。
一枚目はきっと行く手に立ち塞がるであろう大山祇たちから逃れるため。
二枚目は開耶が閉じ込められている場所を探し当てるため。
(ここか?)
札に書かれた字が赤く光り、瓊々杵は足を止めた。
そこは御殿の廊下で、注意していなければ通り過ぎてしまうほど何の変哲もなかった。
しかし、瓊々杵が三枚目の札を振るうと、壁にぽっかりと穴が空いた。
(三枚目は開耶の閉じ込められたところに入るため……)
その穴に入っていく瓊々杵を見守る者がいた。
(ああ、それで良い、我が愛し子よ)
塩土だった。
彼は瓊々杵のため、その周囲に近付く者がいないように空間を操作していた。
熊襲は常世であったけれども八洲の近くであるがゆえにそれが可能だった。
無論、余りやり過ぎては如来たちに気付かれかねなかった。
それ故に大山祇たちのごとく明確に阻止する意図を持つ者たちは、札によって排除させた。
文に添えられた札を用意したのも塩土だった。
(慕情という御稜威の赴くままに生み成せ)
心からの慈愛を込め、塩土に擬態した空亡は、瓊々杵の前途を祝福した。
◆
己がしていることは、天孫として間違いであるとは自覚していた。
しかし、瓊々杵は開耶を放っておけなかった。
彼女を見捨てるのが天孫として正しくとも、一人の神人としては間違っているように思えてならなかった。
一人の神人として正しくない者が天孫の任を全うできるのか。
そのことに瓊々杵は答えを出せなかった。
だが、悩みを抱えたまま何もしないでいるには瓊々杵は余りにも若かった。
たとえ何の助けにならなくても開耶が望むようにせめて最後の挨拶はしたかった。
それが未練になると判断したこともあり、大山祇たちは瓊々杵を止めようとしたのだろうが、そう簡単に諦められるものではなかった。
実際、その制止を振り切り、瓊々杵は開耶の下に向かっていた。
御殿の壁に空いた穴を潜り、そこに現れた通路を彼はひたすらに進んでいった。
やがてその先に座敷のような場所が出現した。
瓊々杵の視線がそこにいる開耶を捉えた。
「開耶!」
「瓊々杵くん!?」
開耶は臥せっていたが、瓊々杵の呼び掛けにその身を起こした。
入り口に細工を施していたから、座敷にいる開耶と瓊々杵を隔てるものはなかった。
それ故に瓊々杵は難なく開耶の手を取れた。
「助けに来てくれたんですか?」
「うん、そうだよ!」
「……ありがとう……ありがとう!」
開耶は顔を伏せ、額を瓊々杵の手へと押し当てた。
「ありがとう、他愛もなく引っ掛かってくれて!」
そして、歪んだ笑顔を浮かべて顔を上げた。
典拠は以下の通りです。
木花開耶姫に大穴牟遅神との関わりがある:『播磨国風土記』




