000a_落ちた種が越える冬
剣と魔法の大地、ロギアクルス大陸。この大陸には古より伝わる伝説があった。封印されし魔王が蘇り世が乱れる時、勇者が現れ世界に平和をもたらすというもの。
長く平和な時代が続き、伝説も風化しようという時、世界の片隅で魔王が復活の兆しを見せようとしていた。それに呼応し、勇者の運命を背負いし青年もまた……。
……というのは、もう少し後の話である。これは勇者が勇者として目覚める前の、辺境の村の普通の青年の、青春と成長の物語である。
~~~10年前~~~
幼いウィルのそばには、プリシラとエレノアがいた。二人が声をかけても、ウィルは返事をしなかった。膝の上に置いた手が、動かない。プリシラが顔を覗き込もうと少し屈むと、エレノアも隣から身を寄せた。
プリシラは猫獣人の少女だった。頭の上の三角の耳がウィルの方へ傾き、腰の後ろでは尻尾が揺れていた。
持ってきた本は、まだ閉じられたままだった。エレノアが本を差し出しても、ウィルの目は中空をさまようばかりだった。
「ウィルくん、だいじょーぶ?」
プリシラが声をかける。しかし、ウィルは反応しなかった。目を向けることさえ、うまくできなかった。
「ウィルくん、ごほんよむ?」
エレノアも心配そうに顔を覗き込む。ウィルは依然として無反応のままだった。
「ウィルくん、びょーきなの?」
プリシラの問いに、ウィルはようやく、かすれた声を絞り出した。
「……おかーさん……おとーさん……しんじゃった」
言い終えても、次の言葉は出てこなかった。
「しぬってなぁに?」
プリシラは首を傾げる。ウィルは顔を上げず、ただ震える唇で続けた。
「……もう……あえない……」
プリシラは少し驚いたあと、悲しげな表情で彼を見つめた。伸ばしかけた手が、膝の手前で止まった。一緒にいるのに、ウィルはどこを見ているのか分からない。プリシラはもう一度そばへ寄り、彼の顔と同じ高さまで、体を低くした。
「ウィルくん……かわいそう……」
エレノアが、大人たちの方を見た。
「おとなのひとたち、なんのおはなししてるのかなぁ?」
――
通路を隔てた食堂兼会議室。
子供たちから離れたところで、大人たちはウィルに残された債務について話していた。
「お家も何もかも取られて、それでもまだ足りないのですか?」
冷ややかで毅然とした声を放つ女性はリリシラ、プリシラの母親である。
寡黙なその夫 シルトもまた、神妙な面持ちで村長の答えを待っていた。
「そうらしい。しかも、結構な額なんじゃよ……」
村長がため息をつく。エレノアの姉、ケイトは通路の方へ一度目を向けた。妹たちの声が途切れると、部屋の静けさがかえって気になった。座る位置を変え、こちらの話の間だけでも、通路の先へ大きな声が抜けないように、戸を閉める。
「如何ほどなんです?」
「ざっと百五十万Gだそうじゃ」
「それは……なかなかの額ですね」
シルトが苦渋混じりの表情で応じる。ケイトが思わず声を上げた。
「なかなかのって……そんだけあれば、家族揃って二十年は遊んで暮らせますよ!?」
リリシラが、村長へ向き直った。
「彼のご夫妻は村の発展に多大な貢献をされました。借金もその運用過程の物だった。どうなさるおつもりで?」
「そりゃ勿論、どうにかしてやりたいのはヤマヤマなんじゃが……。いかんせん額が額じゃからのぅ……」
村長の返事を聞き、シルトが口を開いた。
「真っ先に交易に関する権利を抑えられてしまったのが痛手でしたね。アレさえあれば、他の何を失っても長期的には回収可能だったはず。まぁそれを見越しての動きでしょうが……」
家を失った、と聞くだけでもケイトには息の詰まる話だった。なのにその先に、仕事をして取り戻す道まで塞がれたという話が続く。祖父の店を継いだとはいえ、年齢で言えばまだ子どもたちの側だ。彼女は手を膝へ戻し、片方の指をもう片方の掌で包んだ。
「面倒くさいわね。領主に話を付けに行きましょう?」
「ど、どういう事じゃ?」
村長の問いにリリシラが答える前に、シルトがリリシラへ声をかけた。
「リリシラ。短気は起こさない約束だよ?」
「腐敗貴族を野放しにするのはそれこそ協定違反よ。アレが本当に事故かも疑わしい……弛んでるわ。少しアルバートにもお灸を据えないと」
リリシラの言葉に、ケイトは顔を青くして「アルバートって……まさか、国王様……?」と呟いたが、シルトは笑いながら、似た名前の知り合いだと言い繕った。
「リリシラ、頼むからその話は帰ってからにしてくれ……」
「……では、結局どうされますの?」
リリシラの問いに村長が逡巡すると、今度はケイトが口を開く。
「その……村中からかき集めて、なんとかなりませんか?」
「ウチはこの間じーちゃんも亡くなっちゃって……、言い出しっぺがあんまり出せないんですけど……」
言い終えると、通路の先がまた気になった。あちらには件の少年・ウィルと妹がいる。ここにいる大人たちが話をやめてしまったら、その子たちの所へなんと言って戻ればよいのだろう。
村長は首を振った。
「開拓村としては安定してきたが、この村はまだまだ貧しい。とても百五十万Gなんて……」
「……あの、旦那様」
そばに立つノンナが、村長へ控えめに声をかけた。その場にいた全員が顔を向ける。
数日でも歩けば未踏領域に迷い込む様な最前線の寒村へ、進んで移り住む人は少ない。村長がどうにか外から人を連れてきて、住まわせ、ようやく村として安定してきた所だった。そばに立つノンナは比較的早い時期に連れてこられた孤児であり、妙齢となった今はこの村の住人として、村長の屋敷で家政婦として務めを果たしている。
「やはり私がお客様のお相手を……」
「だ、黙りなさい!」
村長の声が響いた。
村長は直後にハっとなり、少し居心地悪そうにしながらケイトへ向き直った。ノンナは驚いて瞬間的に身を引きかけたが、それでも口を開き直した。
「で、でも!」
村長はその続きを聞かず、ケイトの名前を呼んだ。
「ケイトや。子供達の面倒を見に行ってくれないかぃ? きっと不安がっているだろうからね」
「……わかりました。“大事なお話”が終わったら、呼んで下さい」
ケイトは大人たちの輪を離れ、子供たちの方へ向かった。
「村長、今のお話、詳しく伺えませんか」
シルトが身を乗り出す。
「私も、鎧を売りに出しますから。……五十万Gほどにはなるはずです」
リリシラが驚いたように彼を見る。
「それは……あの子にそこまでするの?」
「じゃじゃ馬のプリシラにはボーイフレンドが必要だろう? 娘の将来を考えれば、埃を被った鎧を手放すくらい、安いもんさ」
シルトの言葉に、リリシラは静かに頷いた。
「……そう。気の済むようにしたらいいわ」
「……わかった、事情を話そう。実は……債務の減額と引き換えに……」
ケイトが部屋を出るのを待たずに村長が話しかけたところで、閉じた戸の向こうから子供達の泣き声が響いた。
「ウィルくぅぅぅぅぅぅん!」
村長の話に後ろ髪を引かれながらも、子供たちの泣き声に誘われてケイトは部屋を出た。
近づくにつれて少しずつ大きくなる泣き声に胸を締めつけられながら、ゲストルームの扉を開くと、プリシラとエレノアが泣いていた。
「おねーちゃん……ウィルくん……げんきでない……」
仲良しのお友達で普段は元気な男の子が、虚ろに空を見つめ続けるのを目の当たりにしては不安にもなるだろう。
ケイトは子ども達の不安を拭い去る様に、努めて優しく声をかける。
「……辛いよね、わかるよ。でも、大人たちがきっとなんとかしてくれるから」
それからもう一度、今度は自分にも言い聞かせるように言葉を続けた。
「きっと……大丈夫だから……」
――数日後――
新しい家は、かつて物置として使われていた場所だった。
村長はウィルを案内し、質素ながらも整えられた部屋を見せた。
「ウィル、ここが新しいお家だよ。元は物置として使っていたから少々ガランとしているが、生活に必要な最低限の物は揃えておいたからね」
ウィルは静かに頷き、「……ありがとうございます」と呟いた。
村長は一歩前に出て、真剣な眼差しで彼を見つめた。
「本当に良いのかい? ワシの息子になってくれるなら、余計な借金など背負わずにすむんじゃよ? それなりに良い生活もさせてやれると思うが……」
ウィルは少しだけ視線を落とした。村長の言葉を聞きながら、何か答えなければいけないと思考を巡らせる。辺りを見回しても、ガランとした部屋が静かに広がるだけで、目のやり場に困ってまた床へ視線を戻す。ここには、父も母もいなかった。他の難しい話よりも先に、そのことが口から出た。
「……ワガママをいってごめんなさい。でも……ぼく、おとーさんとおかーさんの子のままがいいです」
村長は、すぐには言葉を返せなかった。
「……そうかい。決意は硬いようだね。わかった、その事についてはもう何もいわないよ」
村長は諭すように続けた。
「ただ、この前も説明した通り、お前はワシに借金をした事になる。元の額よりはかなり減らせたが、五十万Gといえば、大人からしてもかなりの大金だ。返済は成人するまで待つが、それでも大変な生活になるという事は覚悟しておくんだよ」
「はい……」
ウィルは小さく答えた。
「それじゃあ、ワシは行くよ。今は辛いじゃろうが、挫けず頑張るんだよ」
「……そんちょー」
村長は去り際、一度だけ振り返った。
「なんだい、ウィル」
「ほんとーに、ありがとうございました。そんちょーのこどもになれなくて、ごめんなさい」
村長は涙を堪えながら、ウィルを優しく抱きしめた。
「……いいんじゃ。いいんじゃよ……。強く生きておくれ、ウィル。何かあったらいつでもおいで。村の住人は、みんなワシの家族みたいなものじゃからの」
村長が去ると、ウィルは一人になった。開いていた戸が閉じ、その音が部屋の中で一度響いた。ウィルはそこを見たまま立っていた。
さっきまで肩へ触れていた手が、今はもうない。何かあったらおいでと言われても、今、何を言って引き止めればよかったかは思いつかなかった。
寝台の端まで歩き、腰を下ろす。体の横に置いた手が、板の縁に触れた。部屋は整えられていたが、聞き慣れた呼び声はしない。ウィルは両手を膝へ戻し、戸の方へ顔を向けたまま、しばらく動かなかった。




