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【Season2】白い羽根の彼女を守るため、ただの高校生だった俺は勇者になる  作者: 東雲 明
第11章 アルカヌム島編

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第152話 失った幻の先で、俺は三人目の鼓動を聞く

 膝の骨が黒い床に触れた瞬間、冷えた大理石の感触が布越しに食い込んできた。


 迷宮の天井は見えず、頭上には夜を煮詰めたような闇が垂れ、そこから細い光の粒が灰のように落ちていた。


 左右に伸びる壁は黒い大理石で組まれ、その継ぎ目には枯れた骨が蔦みたいに絡み、指の骨、肋骨、欠けた頭蓋が、古い祭壇の装飾のように白く浮いている。


 俺の腕の中には、何もなかった。さっきまで小さな体温があった場所に、迷宮の冷気だけが入り込み、俺の指は空をつかんだまま固まっていた。


 耳の奥で、アインの靴音が遠ざかり、ジュリアの袖を引く小さな指の感触が何度も戻っては、黒い床に落ちる光の粒と一緒にほどけていく。


 ミユウの羽が、俺の肩に触れた。羽先は震え、白い軸に迷宮の青白い光が滲んでいた。


 俺は顔を上げた。壁の奥、骨で縁取られた門の向こうに、アインとジュリアが立っていた。二人とも五歳のまま、いつもの小さな背中に羽を揺らし、俺に向かって手を伸ばしていた。


「パパ! 」


 アインの声が跳ねた。


 俺は床を蹴った。黒い大理石に靴底が滑り、膝が崩れかけても、剣の鞘を腰で鳴らしながら前へ出た。 


 門の手前に並んだ骨柱が軋み、白い欠片が雨みたいに落ちる。手を伸ばせば届く。小さな指先まで、あと少しだった。


 門の内側で、床が割れた。


 音はなかった。黒い大理石の裂け目から白い霧が吹き上がり、アインの足元を飲み、ジュリアの小さな羽を隠した。


 アインは俺を見たまま手を伸ばし、ジュリアは唇を結んで、もう片方の手でアインの袖を握った。


「パパ、こっち! 」


「パパ……」


 俺の指は二人の手に触れなかった。


 霧が閉じたあと、門の中には骨の山だけが残っていた。


 小さな靴も、白い羽も、声もない。俺の爪が床を引っかき、黒い石に白い筋を残した。胸の奥で、何かが折れる音に似た衝撃が広がり、息を吸っても肺の底まで届かなかった。


「違う」


 喉から出た声は、石壁にぶつかって薄く返ってきた。


 迷宮の壁が動いた。骨の蔦がずるずると大理石の溝を這い、さっきの門を押し潰すように閉じる。


 代わりに、左側の壁が開いた。新しい通路の奥に、淡い金色の光が揺れていた。


 そこに、また二人がいた。


 アインは小さな剣の玩具を持ち、ジュリアは胸の前で両手を握っている。二人の足元には、枯れた花びらが散っていた。骨の壁から伸びた細い影が、二人の足首に絡みつき、少しずつ奥へ引いていく。


「パパ、みて! ぼく、ちゃんとできる! 」


 アインが剣を振った。軽い動きのはずなのに、影はその腕を掴み、黒い大理石の床へ叩きつけた。


「おにぃちゃん! 」


 ジュリアが駆け寄ろうとした瞬間、別の影が羽を絡め取った。白い羽根が数枚、光の中でちぎれて舞った。


 俺はアストラルフレイムを抜いた。刃が鞘から走り出し、薄い炎が迷宮の冷気を裂く。踏み込み、斬り下ろす。影は裂けた。けれど刃が届いた場所に、二人の姿はなかった。床には黒い染みが広がり、そこから小さな羽が一枚だけ浮かんだ。


 俺はその羽を掴もうとした。指先が触れる寸前、羽は灰になった。


 肩に、ミユウの手が添えられた。細い指が俺の服を握り、爪が布に食い込んでいる。俺は振り返れなかった。見れば、ミユウの瞳に映る俺の顔まで砕けてしまいそうだった。


「あなた」


 声が、羽よりも薄く背中に触れた。


「ここは、奪ったものを見せているんじゃありません」


 俺は剣を下げた。刃先が黒い床を擦り、火花が細く散った。


「じゃあ、なんだよ」


 言葉の終わりが、喉の奥で引っかかった。


 ミユウはすぐに答えなかった。俺の背中に触れた手が、服の皺を押さえ、震えをひとつずつ拾うように止まった。


「あなたが、いちばん手放せないものを、何度も差し出してくる場所です」


 壁の骨が鳴った。迷宮全体が、笑う代わりに歯を擦り合わせたみたいだった。


 次の門が開いた。


 今度は、海の匂いがした。アルカヌム島の崖で浴びた潮風とは違う。冷たく、古く、棺の中に溜まった水みたいな匂いだった。


 通路の先には、黒い水路が伸び、その上に骨で編まれた細い橋が渡っていた。


 橋の中央に、アインとジュリアが座っていた。アインは膝を抱え、ジュリアはその横で小さな足を揃えている。二人の背中の羽は濡れて、体に張りついていた。


「パパ、おそい」


 アインの声は、濡れた石に落ちる水滴みたいに小さかった。


「パパ、て、つないで」


 ジュリアが手を伸ばした。


 俺は橋へ足を乗せた。骨が軋み、足元で何本も折れた。水路の黒い水が跳ね、靴に冷たくかかる。アストラルフレイムを片手で持ち、もう片方の手を伸ばす。


 一歩。


 橋が沈んだ。


 二歩。


 水面から無数の腕が伸びた。白い骨だけの腕が俺の足首を掴み、膝を絡め、太腿に爪を立てる。蹴り払っても、折っても、次の骨が水の中から生えてくる。


「待ってろ」


 声を出した途端、胸の奥が焼けた。


「今、行く」


 アインが唇を噛んだ。ジュリアは俺のほうへ手を伸ばしたまま、肩をすくめるように小さくなっていた。橋の下から水が盛り上がり、二人の足を飲み込んだ。


 俺は叫ばなかった。叫ぶより先に、剣を水へ突き立てていた。アストラルフレイムの炎が黒い水の中で広がり、骨の腕が赤く照らされた。水路が沸き、白い湯気が顔に叩きつけられる。


 熱い。


 それでも二人は遠ざかった。橋が伸びているわけじゃない。俺の足だけが、同じ場所に縫い止められていた。水がアインの胸まで上がり、ジュリアの頬に濡れた髪が貼りついた。


「パパ」


 ジュリアの口が動いた。


 音は、水に沈んだ。


 次の瞬間、橋も、水路も、二人も消えた。


 俺は黒い大理石の床に立っていた。剣の刃から滴っていた水は、床に落ちる前に消えた。靴も濡れていない。息だけが乱れ、掌には、骨を握り潰したみたいな痛みが残っている。


「……何度、やる気だ」


 迷宮は答えなかった。


 代わりに、壁の骨がほどけ、今度は天井から白い糸のように垂れた。無数の骨片が糸に吊られ、揺れるたびに、乾いた鈴のような音を立てた。


 奥には円形の広間があった。黒い大理石の床に、薔薇の紋様が彫られている。花弁の一枚一枚が骨で縁取られ、中心には浅い窪みがあった。


 そこに、アインとジュリアが寝かされていた。


 俺の足が止まった。


 二人は目を閉じていた。胸が上下していないように見えた。アインの手はジュリアの袖を掴み、ジュリアの指はアインの親指に絡んでいた。


 いつもなら、どちらかが先に動く。アインが退屈そうに足をぶらつかせ、ジュリアが俺の服の裾をつまむ。そんな小さな動きが、どこにもなかった。


 俺は一歩ずつ近づいた。靴音が広間に響くたび、薔薇の溝に溜まった青白い光が揺れた。膝をつき、二人の顔のそばへ手を伸ばす。


 触れた。


 冷たかった。


 俺の指が、アインの頬から滑り落ちた。ジュリアの額にかかった髪を払おうとして、手が止まる。払えば、もう戻らない何かを確かめてしまう気がした。


 ミユウが俺の隣に膝をついた。白い羽が二人の体を包むように広がり、黒い床に影を落とした。ミユウの手がジュリアの小さな指に触れ、すぐに握り込んだ。


「あなた」


 その声は、今にも割れそうな硝子みたいだった。


 俺は顔を伏せた。額がアインの小さな手に近づく。息を吐くと、その指がほんの少し揺れたように見えた。見えただけだ。迷宮が見せている。わかっている。わかっているのに、指先を離せなかった。


 喉が動いた。


「俺は……何をすればいい」


 剣で斬る相手がいるなら斬る。壁が塞ぐなら砕く。海へ落ちるなら飛び込む。骨の腕が絡むなら全部折る。けれど、目の前に横たわる小さな体を前にして、俺の腕は床を掴むことしかできなかった。


 床の薔薇が光った。


 アインとジュリアの姿が、薄くなった。白い羽が粒になり、服の皺が光へほどけ、小さな指が俺の掌をすり抜ける。俺は掴もうとした。何度も掴もうとした。けれど、掌の中に残ったのは、黒い大理石の冷たさだけだった。


 広間の中央に、二人の声が落ちた。


「パパ」


「パパ」


 俺は歯を食いしばった。顎の奥が軋み、口の中に鉄の味が広がった。目の前の床に、二人の影だけが残っている。小さな影が、俺の膝に触れたまま消えずに揺れている。


 アストラルフレイムを握る手に力が戻った。


 斬るためじゃない。


 立つためだった。


 俺は剣を床に突き、柄に体重を預けて立ち上がった。膝が笑い、背中に汗が流れ、迷宮の冷気に触れてすぐ冷えた。ミユウも隣で立ち、羽を畳まずに俺の背中へ寄せている。


「見せたいなら、見せろ」


 俺は広間の奥を見た。黒い大理石の壁に、骨でできた巨大な扉が浮かび上がる。


「何度でも見せろ。俺は、そのたびに覚える。あいつらの手の小ささも、声も、羽の重さも、俺が届かなかった瞬間の床の冷たさも」


 骨の扉が開いた。


 奥に、またアインとジュリアがいた。


 今度の二人は、俺へ駆けてきた。アインが先に走り、ジュリアが少し遅れて、その後ろを小さな羽を揺らしながら追う。床に散った骨片を踏んでも、二人は止まらない。


「パパ! 」


 俺は動かなかった。


 動けば、また奪われる。手を伸ばせば、またすり抜ける。そう体が覚えてしまっていた。足の裏が床に貼りつき、剣の柄を握る指が白くなる。


 アインが俺の腰に飛びついた。ジュリアが俺の袖を両手で掴んだ。


 温かかった。


 俺の息が止まった。小さな体の重みが、腕に、腹に、服の皺に確かにかかっている。アインの髪が顎に触れ、ジュリアの指が俺の袖を強く握っている。二人の羽が俺の腕に当たり、柔らかい羽軸の感触が残った。


「パパ、だいじょうぶ? 」


 アインが見上げた。いつもの五歳の顔で、眉を少し寄せている。


「パパ、いたい? 」


 ジュリアが袖を引いた。


 俺は膝を曲げ、二人の背に腕を回した。強く抱けば壊れそうで、弱く抱けばまた消えそうだった。指の置き場を探しながら、二人の服を握る。布の下の体温が、掌に染みた。


「……いる」


 声が喉に引っかかった。


「ここに、いる」


 アインが俺の胸に額を押しつけた。ジュリアも、隣から小さく頷いた。次の瞬間、二人の体が光の粒になった。けれど俺は、腕を解かなかった。空になった腕の中へ、まだ残る温度を閉じ込めるように背中を丸めた。


 幻でも、俺の腕は二人の形を覚えた。


 幻でも、俺の指は二人の羽の重さを覚えた。


 奪われる場面だけを刻ませるための迷宮なら、こっちは抱きしめた感触まで持っていく。黒い床に膝をつかされても、骨の壁に囲まれても、それだけは渡さない。


 広間の空気が変わった。


 骨の薔薇の紋様に、細い緑の光が走った。枯れた骨の蔦がひとつずつ砕け、黒い大理石の隙間から、透き通った若芽のような光が伸びる。


 花ではない。葉でもない。けれど、枯れたものの間から上がるその光は、迷宮の冷たさにひびを入れていた。


 ミユウが胸元に手を当てた。


 俺は隣を見た。ミユウの白い羽が、さっきまでと違う角度で開いている。敵に備える広げ方じゃない。何かを包もうとして、まだその形を探しているような、丸みのある広がりだった。


「ミユウ? 」


 ミユウは唇を開きかけ、いったん閉じた。指先が胸元の布を握り、ほんの少し下へ滑る。腹の上で止まった手は、迷宮の光を受けて白く浮かんだ。


「あなた」


 俺は剣を下げた。


 ミユウの目は、俺ではなく、自分の手の下を見ていた。黒い大理石の床に落ちる光が、その横顔を青く照らしている。睫毛が揺れ、吐いた息が小さく白くなった。


「さっき、あの薔薇の広間で……アインとジュリアが消えたあと、胸の奥に、別の鼓動みたいなものが触れました」


 俺の手から、剣の重みが一瞬抜けた。


「別の……? 」


「まだ、形も声もありません。けれど、私の中で、羽を閉じた小さな光が、あなたのほうへ手を伸ばした気がしたんです」


 ミユウはそこで、俺の顔を見た。頬に迷宮の光が当たり、白い羽の影が肩に落ちている。口元は震えているのに、腹の上の手だけは動かなかった。


「三人目の命かもしれません」 


挿絵(By みてみん)



 迷宮の音が遠のいた。


 骨の軋みも、天井から落ちる光の粒の気配も、足元の大理石の冷たさも、全部が薄い膜の向こうに沈んだ。俺の視線は、ミユウの腹に置かれた手から離れなかった。


 三人目。


 その言葉が、胸の中で何度も形を変えた。


 アインとジュリアが生まれた日のことが、刃物みたいな鮮やかさで戻ってくる。


 小さすぎる指。泣き声。どう抱けばいいかわからず、腕の角度を変えるだけで汗が背中を流れたこと。二人が同時に泣き、ミユウが羽で包み、俺が水差しを倒しかけ、布を探して神殿の床を走ったこと。


 今度は、三人。


 アインが「ぼくがだっこする」と胸を張り、ジュリアが横で「おにぃちゃん、そっと」と袖を引く。その真ん中で、まだ首もすわらない小さな体が、白い羽の気配をふわりと揺らし、俺の手の届かない高さへ浮かぶ。俺は両手を広げて追いかけ、背中に冷や汗をかき、アインが笑い、ジュリアが半分泣きそうな顔で俺のズボンを掴む。


 食事の時間には、皿が三つから四つに増える。小さな椅子が足りなくなる。夜には、アインが寝返りで布団を蹴り、ジュリアが俺の腕にしがみつき、その横で新しい命が羽をぱたつかせて天井近くまで浮き、俺は寝不足の目で両手を伸ばす。ミユウは羽で灯りを遮りながら、困ったように俺を見る。


 守るものが増える。


 腕は二本しかない。


 けれど、胸の奥で折れかけていたものが、別の形に繋がっていく。さっきまで俺の指をすり抜けていた温度が、今度は前へ歩くための重さになった。


「あなた? 」


 ミユウの声で、俺は息を吸った。


 迷宮の冷気が肺に入った。痛いくらい冷たいのに、胸の奥だけは熱を持っていた。


「……三人目」


 俺は自分の掌を見た。剣の柄を握り続けたせいで、指の節が白くなっている。


「アインとジュリアだけでも、毎日、俺の両手じゃ足りないんだぞ」


 ミユウの睫毛が揺れた。


「はい」


「二人が同時に走り出して、片方が転びそうになって、もう片方が変なものを拾って口に入れようとして、それを止めた瞬間に、今度は赤ん坊が浮いたらどうする」


 言ってから、口の中が乾いた。けれど言葉は止まらなかった。


「羽があったら、絶対に浮く。アインもジュリアも小さい頃、布団から半分浮いてた。三人目が夜中に天井まで行ったら、俺は梯子を持って走るのか。いや、梯子より先に受け止める布か。アインが『ぼくもとぶ』とか言い出して、ジュリアが『おにぃちゃん、まって』って追いかけて、ミユウ、お前まで笑って見てたら、俺だけが床で腕を広げて右往左往することになる」


 ミユウの口元に、小さな吐息がこぼれた。笑い声にするには薄く、泣き声にするには温かい音だった。


「あなたなら、きっと受け止めます」


「受け止めるしかないだろ」


 俺はミユウの前に膝をつき、腹の上に置かれた手へ、自分の手を重ねた。まだ何も感じない。鼓動も、動きも、声もない。手の下にあるのは布の厚みと、ミユウの体温だけだった。


 それでも、俺はそこから手を離せなかった。


「まだ、決まったわけじゃないんだな」


「はい。迷宮が見せたものかもしれません。私の願いが形になっただけかもしれません」


 ミユウの指が、俺の手の下で少し動いた。


「でも、あの光は、死だけを見せる場所には似合わない温度でした」


 俺は目を閉じた。さっき何度も見た、アインとジュリアの消える姿が瞼の裏に残っている。床に落ちた羽、黒い水、骨の橋、薔薇の広間。どれも消えない。消すつもりもない。


 その上に、別の光が重なった。


 小さな羽を閉じた、まだ名前もない命。


 俺は立ち上がった。膝に付いた黒い埃を払う。アストラルフレイムを握り直すと、刃に赤い炎が戻った。迷宮の奥で、骨の扉が最後の音を立てて開く。


 そこには、長い階段があった。


 黒い大理石の階段は下へ続いているのに、底のほうから緑の光が上がっている。両脇には枯れた骨の樹が並び、枝の先に白い小さな灯が吊られていた。灯の中に、アインとジュリアの影が一瞬だけ映る。走る影。手を振る影。俺の膝に飛びつく影。


 俺は一段目に足を乗せた。


「行こう、ミユウ」


「はい、あなた」


 ミユウが隣に並んだ。羽が俺の腕に触れ、白い羽先が階段の光を掬う。


 背後で、声がした。


「パパ! 」


 振り返ると、階段の上にアインとジュリアがいた。アインは両手を腰に当て、ジュリアはその横で俺に向かって手を振っている。二人の輪郭は光でできていて、足元は黒い大理石に触れていない。


「ぼく、まってるから! 」


「パパ、まけないで」


 俺は剣を持っていないほうの手を上げた。声を返そうとしたら、喉が詰まった。だから、拳を握って胸に当てた。


 二人は笑ったように見えた。


 次の瞬間、光は骨の灯に戻った。


 俺は前を向いた。階段の下から、風が吹き上がる。骨の匂いに混じって、湿った土と若い葉の匂いがした。死と再生の迷宮。そう呼ばれる場所の底で、何かが芽吹こうとしている。


 俺は足を下ろした。


 一段。


 また一段。


 迷宮の冷たさが靴底から上がり、ミユウの体温が隣から伝わる。掌には、さっき重ねた手の感触が残っている。アインとジュリアの幻が残した羽の重みも、消えない。


 守れなかった場面を、忘れない。


 届かなかった指先を、忘れない。


 それでも、次に伸ばす手は止めない。


 階段の途中で、骨の樹が一斉に鳴った。枝に吊られた白い灯が割れ、緑の光が流れ落ちる。足元の黒い大理石に細い亀裂が走り、その奥から柔らかな光が覗いた。


 俺はアストラルフレイムを構えた。


 下の闇が、ゆっくり口を開けた。

お読みいただきありがとうございました。事情ありまして、この回から更新ゆっくり目になります。不定期になりますが、更新された際には引き続きお読み頂けると嬉しいです。

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