第一章10『もうすぐ祭りがやって来る』
『大丈夫だよ。なんにも心配なんていらないんだから』
『いつかお姉ちゃんが、全部なんとかしてあげるからね』
『大丈夫、大丈夫だよ』
『お姉ちゃんが絶対に、フェグルスのお願い、叶えてみせるから』
『だってお姉ちゃんはとーっても強いんだから。なんでもできちゃうのよ』
『だからね、何も心配しなくていいんだよ』
『大丈夫。フェグルスはちゃーんと、人間の友達になれるよ』
『フェグルスが人間の友達になって、幸せになるまで、お姉ちゃん、ずっとそばにいるね』
『ありがと。あなたとの約束、絶対に守るからね』
『罪を罪のまま背負い続けるのは、罰を受けてる事になるの?』
***
それが罰にならない事ぐらい、本当は分かっていた。
でも、それ以外の方法が思い付かなかった。
罪を償うと言ったって、自分には何ができるんだ。
―――裁判にでもかけられて、明確な罪の証でも貰えばいいのか?
それは自己満足と何が変わらないんだ。
しかも、こんなに罰せられたがっている自分の事だ。罪のお墨付きなんて貰ってしまったら、むしろスッキリしてしまいそうだった。
―――世界中の人間から、石でも投げつけられればいいのか?
投げつけられて、それでどうなる。
世界最強の魔法すら受け止めてしまうこの体には、一切の傷は付かない。罵声も蔑みも嘲笑も受け慣れてしまった。今さら何の罰になるんだ。そもそもそれは本当に『償い』なのか?
―――死ねばいいのか?
死のうとしなかったわけがない。
そんな簡単に死ねたのなら、もうとっくに死んでいる。
―――殺してしまった人の数だけ、誰かの命を救えばいいのか?
それもとっくに考えた。
考えて、実行にまで移した。
移した結果が、
『僕は君に救われたんだよ?』
『ヒナはフェグルスさんに、「あの時」の恩返しがしたいのですよ』
恩返しを受け取る資格なんて、自分にはない。
だって自分は、「誰かを助けたい」という純粋な想いで助けたわけじゃない。誰かを助ければ、過去の罪を精算できるんじゃないか……なんて、自己中心的な打算で手を伸ばしていただけだ。
だから自分は、彼女達を助けてなんていない。
利用しただけだ。
私利私欲のために彼女達を利用して、自己満足に浸っていただけだ。
だから受け取れないのだ。相手の善意を切り捨てる事になろうとも、それだけは絶対に。
受け取ったら、罰じゃなくなる。
自分を許したくなってしまう。許された気になってしまう。
でも、許されてはいけない。奪ってしまったものは戻らない。やってしまった事は取り消せない。簡単に償えるわけがない。罪を罪のまま背負い続けて、苦しみ続けるしかない。
……自分が苦しむだけならいい。自分だけが傷付くのなら別にいい。
だけど、恩返しを受け取ってしまったら。
それを受け取ろうとしてしまったら―――
「フェグルスさん!」
「おっ……」
思ったよりもずっと近くから、自分の名を呼ぶ声がした。
考え事をして、ボーっとしていた。
気付けば陽菜がすぐ目の前に立って、こちらの顔をじっと覗き込んで、
「大丈夫ですか!? なんだか思いつめたような顔をしていたので!」
「……おう、大丈夫。ちょっと考え事してて」
陽菜の眩しい瞳から、視線を下に逸らす。彼女の目は眩し過ぎる。
その反応に何かを誤解した陽菜は、少し眉を下げながら、
「ごめんなさい、フェグルスさんを悩ませるつもりではなかったのです。恩返しの件、無理にとは言いません。ちょっとしたお誘いみたいなもので」
「や、違うんだ! 本当にそれだけは違う。絶対。迷惑なわけない。むしろすごく嬉しいんだ。……ただ」
「はい」
「まだ怖くて」
『誰かを救ったり助けたりとか、幸せになったりとか……ごめん先生、無理だ。まだ怖い』
シルフィにも言ったセリフが、再び脳裏を過る。
あの時フェグルスが「怖い」と言ったのは、本当は、自分の『力』が誰かを傷付けてしまう可能性に対してだけじゃない。
誰かが自分のために、何かをしようとする事も怖かった。
だって、自分のために何かをしようとした人を、殺してしまうかもしれないから。
……ずっとずっと考えていた。
一〇年前のあの日、どうして『彼女』は死ななければならなかったのか。
結局、当時の『彼女』が何をしようとしていたのかは、今になっても分からなかった。だから今もなお、『彼女』が死んだ理由が理解できなかった。
何が原因でああなったのか。誰のせいでああなったのか。他人のせいか。どうしようもない不幸の連鎖のせいか。あるいは『彼女』の自業自得だったのか。
分からない。分からないが……一つだけ確かな事があった。
『お姉ちゃんが絶対に、フェグルスのお願い、叶えてみせるから』
――――自分のために何かをしようとしたから、『彼女』は死んだのだ。
それが、フェグルスの見つけた理由だった。
強引な答えかもしれないが、それでよかった。強引だろうが無理やりだろうが、理由さえ見つければ満足だった。
でも、そう思った日から怖くなった。
因果の有無など関係なく、とにかく誰かが自分を想い、自分のために何かをしようとしただけで、死んでしまうんじゃないかと本気で信じてしまった。
だから、受け取るのが怖い。
誰かが差し出してくれたものを受け取った瞬間に、その『呪い』が始まってしまうんじゃないかと思えて。
「フェグルスさん?」
「…………」
今こうして目の前にいる人が、死んでしまったらどうしよう―――その想像が恐怖の根源だった。
失いたくないから。
次に何かを失ったら、今度こそ心が耐えられなくなる。
『ヒナはフェグルスさんに、「あの時」の恩返しがしたいのですよ』
恩返しがしたいという陽菜の気持ちは、本当に嬉しかった。それは嘘じゃない。
でも、恩返しはしちゃダメだ。それをしたらダメなんだ。
自分のために、何かをしようとしたら最後―――
『今までありがとう。さよなら、フェグルス』
「恩返し、受け取ったら」
言葉にすればするほど、
「なんか、悪い事が起こる気がして」
「そんな事ありません! フェグルスさんはそれを受け取るだけの事をしてくれました!」
「俺にじゃなくて」
どんどん『呪い』が強まるような気がした。
「陽菜に。っていうか、皆に」
自分の『力』が嫌いな理由を、真の意味で理解したような気がした。
「皆を殺しちゃう気がして」
かつてフェグルスは、多くの人間を殺した事がある。
一〇年前のあの日。魔獣の殲滅を目的に結成された軍隊を、フェグルスはたった一人で、『相手の命を奪う』という形で壊滅させ、その戦争に終止符を打った。
その時に思い知った。自分の『力』は、こんなにも簡単に命を壊せるのだと。
だから恐れた。恐れて、今後一生使わない事を心に誓った。
でも、それだけじゃなかった。
『フェグルスくんの「力」は、もっとずっと色んな人の役に立てる』
『その「力」があれば、色んな人を救えるんだよ?』
シルフィの言葉は、ある意味で真実なのだろう。暴力だって使い方次第だ。この『力』も正しく使えば、多くの命を救えるかもしれない。
それも怖い。
誰かを救ってしまったら、その誰かは、自分のために何かをしてしまうんじゃないかと思って。
優しくしてくれた人達まで、殺してしまうような気がして。
「フェグルスさん」
突然、正面から両手を掴まれた。
力は思いの外強かった。その小さい手のどこにこんな力が収まっているか、そう思うほどきつく、陽菜はフェグルスの両手を握り締めると、
「ヒナはここにいます」
言う。
「フェグルスさんのおかげで、ヒナはここにいます。それだけは確かです」
強い口調じゃない。元気な声音でもない。
でも、これまでのどの言葉よりもよく響く声で、少女は言う。
「覚えてますか? フェグルスさん。ヒナと初めて会った日の事」
「陽菜と? ……初めて会ったのは―――」
「二年前ですね。その日フェグルスさんは、傷だらけのヒナを助けてくれたのです。……フェグルスさんは色んな人を助けているので、もしかしたら覚えてないかもですが」
「覚えてるよ、今でも。この街のずっと東の、外れの方で」
「あい。路地裏で倒れてるヒナの所に、フェグルスさんは来てくれました」
二年前の四月。よく覚えてる。
その日フェグルスは、何か用事があって、魔導都市の東部まで遠出をしていたのだ。今となっては何の用事だったのかは思い出せないが、その帰り……道に迷ったのだ。
割と狭い路地裏に入ってしまって、どこを曲がれば元の道に戻れるのかも分からなくなって、しかも気付けば日が落ちて夜になってしまってて。
で、散々さまよっているうちに、
「道に誰か倒れてんなーって思って、近寄ったら陽菜だった」
「あい! あの時ヒナ、とっても嬉しかったですよ! フェグルスさんが助けに来てくれて!」
「あれは『助けた』って言わないだろ。偶然出くわしただけで」
「ヒナにとっては同じ事なのです。あの時助けてくれなかったら、ヒナは今、ここにはいませんから」
掴んだフェグルスの両手を、陽菜はブラブラと左右に揺らしながら、
「でも、ヒナだけではないのですよね。フェグルスさんはもっともっと、色んな人を助けているはずです」
「……それは分かんね。助けたかどうかは」
「でも、手を差し伸べてくれました」
――――差し出された手は、掴んでもいいんだよ?
「何も掴めず、溺れて消えていくしかなかったヒナに、フェグルスさんは手を伸ばしてくれました。それだけでヒナは救われたのです」
「…………」
「あなたの手に、救われたのですよ?」
――――フェグルスくんだって色んな人を助けてるし、救ってるよ。
「あなたの手に救われた人は、他にもいるはずです」
たとえば。
一族の中でも突出して強い魔法を手にしてしまったが故に、家族からも疎まれ、迫害され、異常者扱いされ、一人で生きるしかなくなった世界最強の魔法使いの少女に、傘を差し出したあの時。
たとえば。
空腹で行き倒れている少年に、食べ物を分け与えたあの時。
たとえば。
生まれた時から合理的な判断しかできず、そのせいで人間のもつ心や感情が理解できず、ひたすら非人道的な人体実験を繰り返して大量の屍を積み上げて来た幼い天才の少女に、人の優しさを伝えたあの時。
たとえば。
科学の発展のためだけに生産され、『不良品』というレッテルを貼られ、廃棄されそうになっていた人造人間の少女と、路地裏で出会ったあの時。
「ヒナは自分の顔、ずっと嫌いでした」
色んな人種の皮膚を繋ぎ合わせた、モザイク状に色とりどりな継ぎ接ぎだらけの自分の顔を、陽菜はそう評しながら、
「でも、今は少しだけ好きになりました。フェグルスさんに助けてもらった証のように思えて。自分を見てくれる誰かがいたんだって、その証明に思えて」
「陽菜……」
「でもいつか手術して普通の顔にしますけどね! お金も溜まったので!」
このままひっくり返ってコケてやろうかと思った。
「おう……なんだよ。ちょっとしんみりしちゃったじゃねえか」
「やっぱり綺麗事ばかり言っていられませんからね! この顔だってしっかり不便なのです! 通りすがる人に『え……』みたいな顔されるの、しっかり傷付くのですよ! あんまりいい思い出もないので!」
陽菜はフェグルスの手を放すと、ぴょんぴょん跳ねながら距離を取って、
「でも、嫌いじゃなくなったのはほんとです。ヒナが自分を嫌いじゃなくなったのは、あの日フェグルスさんがヒナに手を伸ばして、傍にいてくれたからです。なのでその恩返しがしたいのです」
「…………」
「不幸になんてなってません。ヒナは今、幸せです。……恩返しと言うと大袈裟かもしれませんね。これは幸せのおすそ分けです。ヒナを幸せにしてくれた分、フェグルスさんにも幸せになって欲しいのです」
『あまり、自分から不幸になろうとしないでね』
いいのだろうか。自分が幸せになっても。
こんな血に汚れた化物が、幸せになろうとしても。
『差し出された手は、掴んでもいいんだよ?』
掴んでもいいのだろうか。
それを掴んでしまったら最後、相手に不幸が降りかかってしまうとしても。
『ヒナは、フェグルスさんに救われました』
いいのだろうか。
その言葉を受け入れてしまっても。
「一人にならなくても大丈夫ですよ」
それは、少しだけ変な言い方だった。
一人にならないで、ではなく、無理に一人にならなくても大丈夫なのだと。
「何か困ってる事があるなら、ヒナに言ってください。怒っているなら、怒っていると言ってください。悲しいなら、悲しいと言ってください。寂しいなら、寂しいと言ってください。傍にいますから。フェグルスさんが安心できるまで」
心が暴れているのなら、誰かに話してみるのもいい。
怒りを、喪失感を、寂しさを、絶望を、悲しみを、無力感を、誰かに話して、誰かと少しずつ分け合って、そうやって皆で支え合って、乗り越える。
心を落ち着かせる方法は、暴力だけでは決してない。
心が叫ぶままに『力』を振るう以外にも、感情を吐き出す術がある。
コミュニケーション。
言葉と言葉で伝え合って、支え合う営み。
魔獣と人間を分け隔てる大きな違い。
『悩みがあるなら聞くよ~? お悩み相談乗っちゃうよ~? 俺っち達、大親友なんだし~?』
手なら散々、差し出されていた。
そして、差し出された手を何度も振り払った。
何度も振り払っているのに。
「なんだってそこまで」
こんなに拒絶されておいて、どうしてそれでもなお、関わろうとする?
答えは、
「全部フェグルスさんがしてくれた事だからです」
簡単だった。
陽菜はいつも通り、真っすぐな瞳で、
「ギブされたからのテイクってわけじゃないのです。フェグルスさんがしてくれた事を、ヒナもフェグルスさんにしたいのです。つまりはヒナのわがままなのです! ヒナの感じる幸せを、フェグルスさんにも味わってもらいたいって!」
わがまま。
自分がしたいからしている、ただそれだけの事。
それを言ったら、自分だって本当にわがままだ。フェグルスは心からそう思う。
わがままというか、自分勝手だ。自分は散々他人に手を伸ばして、それを掴む事を望んできたクセに、いざ自分がされたら拒絶するのか。
いくらなんでもわがまま過ぎだ。
他人を拒絶しているつもりだったが実際は、相手の優しさに付け込んで、寄り掛かって、ぶら下がって、わがまま放題で自分勝手に振る舞っているだけだった。
最初から、他人と関わらないようにするなんて無理な話だったのだ。
誰よりも他人との関わりに頼り切っていたのは、他でもなく自分だったのに。
そんな奴が―――誰よりも周りの人に恵まれた奴が、自ら不幸になろうとするなんて。
この世に生まれて一七年。
大人とも子供とも言い切れない中途半端な時期だが。
少なくとも、わがまま放題が許される時期は、もうとっくに終わっている。
「…………」
でも。
素直に相手の手を掴むには、
「やっぱりごめん、本当にごめん。……陽菜の恩返しは受け取れない」
自分の思想に囚われた時間が、長過ぎる。
今すぐここで、心変わりなんてできそうもない。
まだ一歩前へ進めない。
「分かりました」
陽菜のその言葉は、やっぱりどこか残念そうだった。
「でもでも、こうしてお久しぶりにフェグルスさんと話せて楽しかったのです! それだけでもヒナは」
「あ、いや、それなんだけど―――」
咄嗟に言葉を遮っていた。遮った直後、フェグルスは「しまった」と思った。
何かを言おうとしたわけではなかった。ただ、あんな残念そうな顔をした陽菜をそのまま帰らせるわけにはいかないと思って、咄嗟に口を動かしてしまったのだ。
口ごもるフェグルスを見て、陽菜は「?」と首を傾げる。
どうしよう。余計に何か言わなければならない雰囲気になっている。これで「なんでもない」とか言おうものなら本当に陽菜を悲しませるかもしれない。
だから。
……ああ、もう駄目だ。諦めよう。
強がったって仕方がない。
「―――祭り」
上手い言い方は見つからなかった。
「四日後、『魔法祭』。……俺、予定なくて。祭りの日に一人で何もする事ねえの、それはそれで寂しいっつうか……」
少しだけ唇が震えている。ただ言いたい事を言うだけなのに、なんでこんなに緊張しているのだろう。
多分、初めてだからだ。
自分からこんな事を言うのは、おそらく、生まれて初めてだから。
「恩返しとか……そういうなんか、特別な感じじゃなくて、もっと普通に、」
これが最初の一歩だ。
差し出された手を掴む事はまだできないけど。
それでもこれが、相手に歩み寄るための最初の一歩。
「祭り、一緒に回らない?」
「―――――――っ!」
その瞬間、陽菜の顔が、もはや太陽よりも熱く大きく輝いた。……ように見えた、フェグルスの目には。
それはそれで正しかったのかもしれない。
彼女は大きく息を吸うと、全身の太陽エネルギーを振り絞るかのように胸を膨らませ、
「はい!!!!!! 喜んでー!!!!!!」
「うっ……」
いっそ衝撃波みたいな元気な声が飛んで来て、思わずフェグルスは耳を塞ぐ。一応ここは街の中。近くを通りかかっていた住民たちもその声に驚き、「なに?」「うっさ……」―――嫌がるような視線も飛んで来る。
「……街ん中だぞ」
「あ! つい嬉しくて声を!」
慌てて両手で口を押さえ、アホ毛をひょこひょこ揺らす陽菜。
……なんだこの可愛い生き物は。
「でもフェグルスさん、言いましたからね! ヒナと一緒にお祭りに行くと!」
「おう。言ったよ」
「しっかり約束しましたからね! もう逃げられませんよ!」
「逃げないって。俺から誘ったんだから」
「んふー!」
大きな瞳を輝かせ、彼女は嬉しそうに満面の笑み。
「フェグルスさんフェグルスさん! 手を出してください! 両手をパッと!」
「え? ……あぁ」
陽菜の言う通り、両手を開いて見せてやる。
そこに、
「はい!」
陽菜は、白衣のポケットから取り出した『何か』を、そのままフェグルスの両の掌にペタリと貼った。
にっこり笑顔のマークが描かれたシールだった。
「……なにこれ」
「予約シールです!」
予約シールだった。
……なんだ予約シールって。
「約束ですよフェグルスさん! 四日後! 『魔法祭』! 絶対ヒナと一緒に見て回りましょうね! 他の用事を入れたらダメですよ! 見てください! 予約! しちゃいましたので!」
「お、おう。なるほど……?」
己の手の平に貼られたシールを眺めつつフェグルスは納得。
なんと、自分は予約されてしまったらしい。
「ん、分かった。……祭りの日はよろしくお願いします」
「そんなに気を遣わなくて大丈夫ですよ! 楽しみましょ、フェグルスさん!」
ぷくぷくに頬を膨らませて、手の平のシールよりも明るい笑顔で陽菜はクルリと背を向けた。
スキップでもするみたいに地面を跳ね、ブカブカの白衣をなびかせつつ、陽菜はフェグルスと距離を取る。そして再びコチラを振り返り、正面からフェグルスと向かい合って、
「ではでは! ヒナはこの辺で失礼するのです!」
「おう。……帰り道、気を付けろよ」
「あい!」
元気に片手をあげて、陽菜はいつも通りピョンと小さく跳ねる。
「それではフェグルスさん! お祭り! 楽しみにしてますからね!」
「おう、また四日後。俺も楽しみにしてるから」
「四日後と言わず! 明日も明後日も!」
「そうだった、もう缶詰じゃないんだもんな。……じゃあ、明日も明後日も」
「あい!」
そんな別れの言葉と共に、陽菜は短い歩幅で勢い良く大通りの中へと姿を消していく。元より体の小さい彼女だ。大通りの人混みに紛れて姿を消してしまうのも早かった。
フェグルスもフェグルスで、別に暇を持て余しているわけではない。そもそもフェグルスはアルバイトをしに大通りへ来たのだ。早いところ仕事場へ行かなくては、八百屋の主人に怒られる。
消えゆく陽菜の姿を少しだけ見送って、フェグルスは目的地へと足を向けた。
「…………」
手の平のシールを眺め、少し歩調が速くなる。
ふふ、と不気味な笑いが込み上げて来てしまう。
ダメだダメだ、らしくない。こんなの全く自分らしくない。
こんなシール一枚で、未来を楽しみにしてしまう自分なんて。
らしくない。本当に。
だけど、
「……お祭り」
今日と、明日と、明後日と……そして三日後と、四日後と、そこから四日間続く祭りの日くらいは、らしくなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。
人間でも、化物でも、どっちでもいい。どっちがらしくてもいい。
ちょっと先の未来、あの可愛い『友達』と、一緒に祭りを楽しめるのなら。
「……受け取っちまった……」
溢れる人の波の中、人じゃない少年がここに一匹。
日の沈む街を、近い未来を期待しながら、のんびり人間みたく歩いていく。




