第一章09『元気な恩返し』
四月一三日。
世界中が待ちわびる『魔法祭』まで、残り四日と迫っていた。
「祭りの日には我が校も出し物をするのだが、そのせいもあって少しばかり雰囲気が浮ついていてな。いつも以上に気を引き締めなければ」
などと言われ、今日は最初から最後まで、がっつりツクモに守ってもらったフェグルスであった。
***
そんなこんなで、仕事終わりの帰り道。
「祭り……」
小さく口に出しながら、フェグルスは道の端をトボトボ歩く。
その日の清掃業務も(主にツクモのおかげで)無事に終わったが、例によって終わった頃には日が暮れていた。
フェグルスは真っすぐ自宅へは向かわず、街の中へと向かっていく。
中心街に近付くに従って見せ始める、無駄に背の高い建築物。狭苦しそうに並ぶ鉄筋コンクリートの群れ。通行人を圧迫してくるような無機物の壁。
そんな中、フェグルスはいつもの大通りへと身を乗り出すと、
「おう……!」
目の前の光景に、思わず低く呻く。
魔導都市の大通りは、地獄のような慌ただしさを呈していた。
忙しなく行き交う人々の波。飛び交う大声。活気と熱気。そして大通り全体に施されたイルミネーションの数々。
年々華やかさを増していく『魔法祭』は、今年に来てさらなるグレードアップを遂げようとしているらしい。
「……見てるだけで疲れるなこりゃ……」
小さい頃は好きだったはずの、人間のお祭り。
森の奥で『彼女』と暮らしていた頃、自分はいつも遠くから人間達を眺めて、いつか自分もあそこに行きたい、いつか自分もあの光景の一部になりたいと、そんな事ばかり考えていた。
ある意味、今になってその願いは叶ったようなものだった。人間のフリをして、人間に紛れて、人間の街で、人間のように過ごしているのだから。
だけど、何か釈然としない。
自分が望んでいたのは、本当に『コレ』だったのだろうか?
「……やめよ」
――――らしくない。
自分に言い聞かせるみたいに、フェグルスは息を吐く。
こんな事を考えるのは、全然自分らしくない。
……自分らしく?
「分からん……」
黄昏時の変な感傷を、誤魔化すみたいに吐き捨てる。
でも、心の中ではちょっと本気。「自分らしさってなんだろう」―――真面目にそんな事を考えていた。
それは、人間らしさなのか?
それとも魔獣らしさなのか?
一体、今の自分は、どっちが『らしい』んだ?
「フェグルスさん!」
と、そんなどうでもいい事にグジグジ思い悩んでいる時だった。
「おう?」
背後から自分の名を呼ぶ声が聞こえて、フェグルスは声の方を振り向いた。
聞き慣れた声に、聞き慣れた足音、そして聞き慣れた呼び名。
振り向いてみれば彼の予想通り、そこにいたのは見知った『少女』だった。
「おう。珍しいじゃん陽菜、お前がここにいるって」
「あい! フェグルスさんの後ろ姿が見えたので、ついて来ちゃいました!」
頭頂部からひょっこり生えたアホ毛を揺らしつつ、ダボダボの白衣を引き摺りながら現れた少女―――与那嶺陽菜が元気に手を挙げて、ピョン、と跳ねてみせた。フェグルスとは頭二つ分くらい違う彼女の身長では、飛び跳ねたところでフェグルスの肩辺りが限界のようだ。
「えっへへー、フェグルスさんのお隣なのです!」
てててて、と短く走ってフェグルスの隣に陽菜が並ぶ。
全く丈の合っていない白衣が地面を擦って、薄汚れた上にボロボロにほつれてしまっている。
「お元気でしたかフェグルスさん! お元気そうですね!」
「おお、返事する暇もねえ……。まあ元気だよ、ほどほどに。そういう陽菜は超元気そうだな」
「そりゃあもう有り余っちゃってますから!」
「元気が?」
あい!! と、圧倒的な元気オーラに、フェグルスは「おぅ」と圧倒される。
眩しい。この無邪気な明るさが。
「いやいやーそれにしても、こうしてフェグルスさんの隣を歩くのも久しぶりですねー。懐かしい気もしちゃいます!」
「そうか? 割と最近まで一緒に歩いてた記憶があるけど」
「何を言ってるですかフェグルスさん! 去年から丸々半年、ヒナはフェグルスさんと全く会えてなかったのですよ! とーっても寂しかったのです!」
「おう……悪い……」
どうして怒ってるんだ。そしてなぜ自分は謝ったんだ。
陽菜が珍しくお怒りのようなので咄嗟に謝ってしまったが、思えば別に、会えていなかったのはフェグルスのせいではなく、
「会えなかったのはしゃーないだろ。陽菜、色々と忙しかったじゃん最近。研究詰めとかって」
「そうなのですよ、毎日へとへとなのです……。ヒナ、もう体力ゼロです、死んじゃいそうです。癒してくださいフェグルスさん」
「悪い、俺は誰かを癒せるほど人当たりがよくないんだ。他を当たってくれ」
「その点は心配無用です! こうしてお隣で一緒に歩いてくださるだけで燃料補給完了です! 元気一〇〇倍です! むふーっ!」
「……ならいいけど」
いまいち要領を得なかったが、しかし彼女が多忙の身である事は確かだった。
フェグルスの知り合いの中では最年少の陽菜は、魔法の実力こそ未熟ではあるものの、『他の才能』によって国家機関に重宝されている人物だった。
そのため彼女は、若くして重労働な環境に身を置いている。
「ところでところで、フェグルスさんはこんな所で何をしてるのです? おうちには帰らないのですか?」
「俺?」
フェグルスは陽菜の歩幅に合わせるように歩く速度を落とし、大通りへと視線を向ける。
「ちょっとした仕事。この大通りに、最近お世話になってる八百屋のオッサンがいてさ。その人に手伝いを頼まれて」
「お手伝いですか?」
「『魔法祭』の準備の手伝い」
フェグルスと陽菜の目の前を、大型トラック並みのデカい荷物を肩に乗せたオバサンが横切っていく。
多分、『物体の質量を変化させる』魔法使いなのだろう。
「ほほーう、頼られてるですねえ! フェグルスさんは世話焼きさんですので、頼り甲斐があるのですよ! 多分!」
「どうだろ。俺みたいな奴にも手伝ってもらわなきゃいけないぐらい人手不足ってだけだろ。ほら、てんやわんやじゃん、この大通り」
「『魔法祭』まであと四日ですからね! 皆さん楽しみなのですよ!」
お祭りの準備だけでお祭り並みに騒がしい大通りを横目に、フェグルスは、
「……まあでも良かったよ、仕事がもう一個見つかって。働きようによっちゃあ給料も出してくれるって言うし」
空から降って来た少女のせいで自宅がメチャクチャになってから、今日で三日。
未だに修理ができる目途も立たず、魔法学園の掃除だけでは給料が物足りないと思っていたところに、運良く力仕事のアルバイト。もう飛びつくしかなかった。
そんなフェグルスの貧困ぶりを察してか、陽菜は「むむっ」と顎に手を当てて、
「もしかしてフェグルスさん、またもや金欠です?」
「もしかしなくても年中無休で金欠です」
「でしたら!」
またも陽菜が、何かを提案するみたいに手を挙げてピョンピョン飛び跳ねる。
「不肖このヒナ、お困りのフェグルスさんにご奉仕しちゃうのですよ! むふ!」
「ご、ご奉仕?」
なんだろう、響きがとてつもなくいやらしいな。
何をどうご奉仕してくれるのだろうか。
「はっ! 嫌ですフェグルスさん! 何を想像しているですか! エッチぃフェグルスさんはお断りなのです!」
「何も言ってねえだろ……」
「ヒナセンサーがギュインギュインと鳴り響いてるのです。女の勘を侮ってはいかんのですよ」
彼女の言う通り、頭頂部にあるアホ毛がギュインギュインと回転している。
まさか、陽菜センサーか?
それは髪の毛ではないというのか。
「いやでも、ご奉仕ってお前、具体的にはなんだよ」
「ふっふっふ、そこなのですフェグルスさん。実はヒナ、そろそろ大っきめの収入が入りそうでして!」
「……あれか、『魔法道具』開発の」
「あい!」
与那嶺陽菜。
魔法を応用した器具、『魔法道具』の開発に携わる研究員。
元より発想の転換や思考の柔軟性に長けていた彼女は、魔法道具の開発を主とする『研究部』の一員という肩書も持つ。本格的に研究に携わったのはここ最近の話らしいのだが、その短期間の中でさえ、彼女は数々の功績を挙げているのだった。
そんな陽菜が言う『大きめの収入』とは、言葉通りの意味だとフェグルスは推測する。おそらくだが、彼女の提案した魔法道具案がまたもやヒットしたのだろう。
「これでフェグルスさんに色々『恩返し』ができちゃうのですね! ヒナ、フェグルスさんのためなら一肌も二肌も脱いじゃうですよ! ふふーん!」
「いや、悪いけど遠慮する」
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
元気があり過ぎる陽菜の「えー!!」を真横から喰らい、思わずフェグルスは片耳を押さえる。でかいんだ、声が。その小さい体のどこにそんな元気が詰まってるんだ。
「なんでですか!? どうしてです!?」
「どうしても何も……」
フェグルスは困ったみたいに眉を寄せて、
「その収入は、陽菜が頑張ったから貰えたものだろ。だったらそれは陽菜が使うべきだし、陽菜は自分のために使うべきだ。そこに俺が入るの、なんか違うだろ」
「全然違くないのですよ! フェグルスさんだって頑張ってます! ヒナは知ってます! フェグルスさんに使っても正当な対価ですよ!」
「俺が頑張ってんのは学校の掃除ぐらいだぜ? 陽菜のやってる事は国レベルだ。割に合わねえって。……陽菜は俺じゃなく、自分自身を精一杯労ってやれよ」
突き放すような言い方になってしまうのは、いつもの事だった。
もっと気の利いた言い方ができればいいのだが、それはまだ難し過ぎる。
「いや、陽菜の気持ちが邪魔だってわけじゃなくて……むしろすごい嬉しいよ、ありがと。でもその気持ちだけで俺は腹いっぱいだ。十分なご奉仕だよ」
「……さては良い感じの事を言ってやり過ごそうとしているですね?」
「そんな魂胆はない。だからそれは自分のために使ってくれ。陽菜が元気だったら、俺はそれが一番嬉しいし」
「むううううぅぅ」
良い感じの事を言ってやり過ごそうと思ったが、陽菜はその結論がお気に召さなかったらしい。ぷくーと頬を膨らませ、責め立てるような視線を向けてくる。
珍しく攻撃的な陽菜の瞳に、フェグルスも僅かな新鮮さを覚えて、
「……風船みたいだぞ」
膨らんだ陽菜の頬に、フェグルスは人差し指を突き刺してみる。ぷしゅーっという音を立てて、陽菜の口から溜まった空気が勢い良く噴き出して来た。
「む」
膨らんだ陽菜風船が萎み切ったのを合図に、彼女はフェグルスから離れ、てててーと彼から遠ざかるように走っていく。
やっと分かってくれたか―――フェグルスはそう思い、安心しかけたが、
「ではではフェグルスさん! こういうのはどうでしょう!」
陽菜は白衣の裾をなびかせつつ、クルリと一回転、フェグルスと真正面から向かい合って、
「フェグルスさんへのご奉仕ではなく、フェグルスさんとヒナが一緒に楽しんじゃうのです!」
「……ん?」
「『ご奉仕』というのが心苦しいというなら、あくまでヒナが楽しむ『ついで』なら問題なしですよね! ヒナはヒナのためにお金も時間も使います! そしてフェグルスさんはそれに巻き込まれるのです!」
何から何まで全てが元気いっぱい、陽菜は一人で「名案かもですー!」と純粋に目を輝かせ、
「何がいいですかねー! 映画を見に行くのもいいかもです! フェグルスさんとなら街をブラブラするだけでも楽しそうですし! あ! 『魔法祭』は一緒に見て回りましょうね! ヒナ、楽しそうなブースをすでにピックアップ済みです!」
「……ちょっと」
「あそうだ! 手始めに魔導都市一周グルメ巡りなんてどうです!?」
フェグルスの声なんて、陽菜の元気な声の前には風前の灯だった。
「ヒナ、この半年ずううううううううううううううううううっと研究室に缶詰だったせいで、味気のないパンしか食べてないのですよ! でもようやく解放されました! 自由の身です! お勤め上がりです! ここはドッパー!! と奮発して、楽しんじゃましょうよ! ヒナ、美味しいものをいーっぱい食べたいです! フェグルスさんとご一緒に! んふー! 幸いお金と時間には余裕があるので、心行くまで楽しみまくれます! あんなものやこんなもの! 特産品から世にも貴重な珍味まで! 中華もフレンチも和食もいいですね! 街の隅から隅まで! この街なら世界中のグルメを味わいたい放題です! 心躍りますねぇー! ね! フェグルスさん!」
「…………」
ね! も何もだ。そもそも話について行けていないのだ、コチラは。
怒涛のような勢いで展開される陽菜のグルメ計画に、フェグルスは完全に置いてけぼり。陽菜の「ね!」にどう答えればいいのか分からず、
「……誘う相手ならもっといるだろ。俺みたいなのじゃなくて」
などと、失礼な言い方をしてしまう。
自分事ながら本当に嫌になる。普段から人と話さないから、咄嗟に気の利いた言葉が出て来ず、突き放すような物言いしかできないのだ。
でも、陽菜は全く気にしてない風だった。
気にしてないというか、気にもならない様子で、
「確かに、誘いたい相手はいーっぱいいます」
素直に。
そして元気に。
「そして! いーっぱいの中の一人がフェグルスさんなのです! だからフェグルスさんを誘うんですよ!」
「……なんだってまた……」
「恩返しがしたいのです」
陽菜はハッキリとそう言った。
元気や活気とは少し違う、鋭く突き刺さるような強さを含んだ声で。
「…………」
フェグルスは、いつの間にか逸らしていた目を、再び正面の陽菜へと向けた。
陽菜の顔を見た。
陽菜はコチラを見つめたままでいた。
西日の眩しさにも負けないくらい彼女の瞳は大きく輝き、一直線にフェグルスを見据え、
「ヒナはフェグルスさんに、『あの時』の恩返しがしたいのですよ」
何の迷いも衒いも無く、そんな事を言ってみせる。
彼女のその、真っすぐ過ぎる言葉に当てられて。
フェグルスは、
「……俺、お前の家を掃除した覚えはねえぞ」
「掃除の恩ではないですよ」
掃除屋根性が板についてきたフェグルスを、陽菜は優しく否定しながら、
「ヒナは、フェグルスさんに救われました」
確信に満ちた声で。
「ヒナの命も、ヒナの心も、『あの時』フェグルスさんに救われました。なので、救ってもらったこの命を、この心を、救ってくれたフェグルスさんに精一杯使いたいのですよ。つまり恩返しなのです」
「俺は」
その真っすぐさを、その瞳の輝きを、フェグルスは受け止め切れなかった。
軽く首を振って、陽菜の言葉に食い気味に、
「何もしてない」
「フェグルスさんはいつもそう言うのです。自分は何もしてない、それは自分じゃないって。……なので、それでいいのですよ」
返って来たのは肯定だった。
「フェグルスさんは何もしてないつもりでも、ヒナにとってフェグルスさんは恩人なのです。つまりヒナのわがままですね。『フェグルスさんに恩人でいてもらいたい』っていう。……だからいいじゃないですか。何もしてなくても、恩返しされたって」
そう簡単に、割り切れそうにはない。
難しくたって割り切れない。
相手がそう言ってるんだからいいじゃないか……とは、どうしても思えない。
やっぱり苦手だ。誰かから、何かをしてもらうのは。
ハンカチだろうが、優しさだろうが、気遣いだろうが、恩返しだろうが、誰かが自分のために何かをしようとして、向けて来るその優しさや心の温かさが、どうにもずっと……自分は苦手だ。
……苦手どころじゃない。
怖いのだ。
誰かから向けられる優しさが、暖かさが、輝く瞳が、柔らかい言葉が、怖くて怖くて仕方がないのだ、自分は。
「…………」
恐怖心をそのままに、フェグルスは視線を上げる。
目を逸らした少女へと、もう一度、目を向ける。
そして見る。
彼女を。
自分を真正面から見つめてくる少女を。
与那嶺陽菜―――
フェグルスの知り合いの一人で―――
魔導都市一番の発明家で―――
いつも白衣を着ていて―――
いつも元気で―――
いつもやる気に満ち溢れていて―――
背が小さく―――
アホ毛が特徴的で―――
天真爛漫な性格で―――
こうも真っすぐに気持ちを伝えてくれて―――
そして―――
―――複数人の知らない誰かの皮膚で出来た、ツギハギだらけの顔の少女を。
フェグルスは、じっと見つめていた。




