十歳の公爵令嬢と私
憂鬱な表情を浮かべながら馬車に揺られているセレティーナ。
今日から王弟セルノプスの娘シボレットへの淑女教育を始める……。
伯母ジョセフィーヌの話では、シボレットは今年で十歳になる。
しかしあまりにも利発すぎるシボレットは、経験豊富な教育係だった八人もの伯爵・侯爵夫人達を理詰めで追い返してしまったのだ……。
その噂は社交界に広まり、教養の高い貴婦人達は彼女の教育係を懸念した……。
しかし公爵令嬢である彼女を指導するには、指導側もそれなりの身分が必要だ。
そんな中、宰相の娘であり、少し前まで王太子の婚約者だったセレティーナは、最高の適任者だった。
しかしセレティーナの方では別の理由で、不安を抱いていた。
王弟殿下の娘という事は、すなわちシボレットはユリオプスの従兄妹となる。
少し前まで自身の従兄妹の婚約者だった人間から、教育を受ける事は気分のいいものではない……。その事がセレティーナには、大きく引っかかっていた。
そんな不安とは裏腹に馬車は容赦なくディプラデニア家に到着してしまう……。
ベテラン御者のトムズが、馬車から降りやすい様にと手を差し出してくれたが、あまりにもセレティーナが青い顔をしているので心配そうに声を掛けた。
「お嬢様……お加減でもお悪いのでございますか……?」
「いいえ。大丈夫よ。トムズ、心配してくれてありがとう」
御者として二十年間、ロベレニー家に仕えてくれているトムズにとって、セレティーナは、実の娘の様な大切な存在だ。
今後セレティーナは、この公爵家の敷地内にある小さな別宅に滞在する。
その間、トムズはセレティーナの専属御者として、ここで仕えるよう言われた。
セレティーナが実家のロベレニー家に戻るその日まで……。
トムズの手を借り、馬車を降りると執事とメイド長らしき二人が優しい笑みでセレティーナを出迎える。よく見ると何人かの使用人達も数人ズラリと入り口のところに並んでいた。流石、公爵家だけあって使用人達のレベルも高い。
「セレティーナ様。ようこそお出でくださいました。閣下がお待ちでございますので、これからご案内致しますね?」
そう言って初老の執事がセレティーナを屋敷内へと案内する。
その後ろをメイド長らしき気品と貫禄のある女性が付いてきた。
残りの使用人達は、トムズと話し合いながらセレティーナの身の周り品を屋敷の中へと運び込もうとしている。
執事に労いの言葉を掛けられながら、王弟セルノプスの執務室へと向かう。
正直、セルノプスには幼少期に二回程しか会った事が無い。
だが、とても整った顔立ちの爽やかな男性だった事だけは覚えている。
執事が扉をノックすると、よく通る聞きやすい声で入室の許可が下りる。
部屋に入ると、十年前よりかは少し老けた端整な顔立ちの中年男性が笑顔で出迎えてくれた。
「セレティーナ、よく来てくれたね。最後にお会いした時は、まだこんな小さなレディだったのに……今ではすっかり素晴らしい淑女になられたようだ」
セルノプスが昔を懐かしむ様に目を細めながらセレティーナに向ける優しい眼差しは、たまに父フェンネルから向けられる物とよく似ていた。
「セルノプス閣下、お久しゅうございます。この度はわたくしの様な若輩者に大切なご息女シボレット様の教育係をお任せ下さり、ありがとうございます」
「礼を言わなくてはならないのは私の方だよ? 正直あのこまっしゃくれた我が娘を将来有望な君に押し付ける事は、非常に心苦しいのだが……。だがセレティーナ、良く引き受けてくれたね?」
「勿体なきお言葉でございます。わたくしの様な者でもお役に立てるのであれば、是非お力添えをさせてくださいませ」
恭しく礼をとり、そう答えたセレティーナにセルノプスが苦笑する。
「全く……甥は随分と愚かな行動を取ったものだ。君のような素晴らしい婚約者を手放すなんて……気が触れているとしか思えない」
セルノプスのその言葉にセレティーナが困った様な笑みを浮かべる。
「君には屋敷の敷地内に小さな別宅を用意してある。そこを自由に使ってくれ。とりあえず今日はここまで来るのに疲れただろう。娘には明日……」
「いえ。よろしければ本日ご挨拶させて頂けませんでしょうか?」
「構わないが……大丈夫かい? 初めから張り切り過ぎると疲れてしまうよ? なんせ私の娘は相当手強いのだから」
苦笑気味で呆れたような声音で忠告してきた公爵閣下にセレティーナは、思わず笑みをこぼしてしまう。
「手強いのであれば尚更でございます。早々に関係醸成を図らなければ……」
「君は噂通り、本当に優秀な方なのだね……。分かった。ならばこの後、娘の許に案内させよう。ジニア、彼女をシボレットの許へ」
「かしこまりました。それではセレティーナ様、ご案内いたします」
ジニアと呼ばれた40代くらいのベテランメイドらしき女性が、セレティーナを丁重に扉の方へと案内する。流石、公爵家の使用人。一つ一つの所作が美しい。
「それでは閣下、失礼いたします」
「ああ。娘をよろしく頼むよ。それと君にはそこのジニアと数人の侍女を付けるから、もし困った事あがあったら何でも言ってくれ」
「ありがとうございます」
そう言って優雅にお辞儀をして部屋を出て行くセレティーナ。
「これは楽しみだな……」
セルノプスがニヤリとしながら呟いた言葉は、セレティーナには届かなかった。
一方、ジニアに案内されながらシボレットの部屋へと向かうセレティーナ。
「ジニア、シボレット様はどのようなお方なの?」
「一言で表すならば……とてもはっきりした性格のお嬢様でございますね」
「もしかして、ご自身の考えをしっかりお持ちの方?」
「はい。納得出来ない事に関しては、とことん追求される所がございます」
それを聞いてセレティーナは、安心する。
どうやらリナリスの様に悪知恵の働くタイプではない様だ。
むしろ真っ直ぐな……真面目で曲がった事を嫌うタイプの様なので、これならばきっと上手くやっていけるとセレティーナは感じた。
ただシボレットから見たセレティーナは、やはり微妙な評価になるだろう。
なんせ自分は、従兄妹であるユリオプスの元婚約者なのだから……。
そんな話をしていると、ある部屋でジニアが止まり、扉をノックする。
「シボレットお嬢様、新しい教育係のセレティーナ様がお見えになりました」
すると中から「通して頂戴」という凛とした声が聞こえてきた。
中に入ると、綺麗に切りそろえられた長い真っ直ぐな銀髪にユリオプスと同じエメラルドの様な濃い緑の瞳をしたお人形のような美少女が、セレティーナの事を待ち構えていた。正直、これは手強そうだ。
「始めまして、セレティーナ様。シボレット・ディプラデニアと申します」
「セレティーナ・ロベレニーと申します。この度は恐れ多くもシボレット様の教育係として、こちらに参りました。若輩者であるが故、至らぬ点もあるかとは思いますが、精一杯お役に立てるよう尽力致しますので、以後どうぞよろしくお願い致します」
そう言ってセレティーナが挨拶をすると、シボレットがまるで値踏みするようにセレティーナの事を足元から頭まで見回して来た。
「本当に随分とお若いのね。失礼ですが、セレティーナ様はおいくつなの?」
「来年で二十一となります」
「まぁ……。本当にユリスお兄様とはお年が離れておいででしたのね。それなのにわたくしの教育係などなされてよろしいの? ご婚約やご結婚のお話などが舞い込んできているのではなくて?」
予想はしていたが、どうやらシボレットはセレティーナの事を事前に調べている様だ。まだ十歳だと言うのに社交界特有のギリギリの言葉の攻防を大人顔負けの巧みさで、見事なまでにぶつけてきた。
だがセレティーナの方もこういうやりとりには、ユリオプスとの婚約期間中で慣れ過ぎてしまっている。なので、あえてふわりと微笑んでみせた。
「お気遣い頂き、誠にありがとうございます。ですがその件に関しては、宰相である父フェンネルに一任しております。父の指示があるまでは、ユリオプス殿下の婚約者だった際に身に付けた王妃教育を是非活用したく、今後はこの様に教育担当としての道を歩み、他ご令嬢方のお力になれればと思っておりますので、ご心配には及びません」
シボレットにツッコまれる前にあえて先にユリオプスとの婚約破棄の件を切り出したセレティーナ。
それでシボレットが少しは怯むかと思ったのだが……。
セレティーナの予想とは違う部分でシボレットが反応した。
「あなたは……女性でありながら殿方とのご結婚よりも教育者としての道を歩まれる事を望まれるの?」
「そう……ですね。父の意向にもよりますが、そう言ったお話が無い限りは。折角十年以上も掛けて身に付けた物なので。一人でも多くの他ご令嬢の方々のお役に立てる方が今までの努力も報われると思いますので」
「でもあなたが淑女として、どんなに素晴らしい作法や教養を身に付けていたとしても未婚という部分で、周りから色々言われてしまうのではなくて?」
セレティーナが全く予想していなかった部分で、シボレットが食い付いてくる。
だがセレティーナは、自分の思っている正直な気持ちで返した。
「確かに未婚であるわたくしでは、良き淑女を育てる立場の人間としては、不適切だと感じる方は多いとは思います。ですが、ご結婚されている方が良き淑女とは限りません」
「でも……良き淑女の条件としては『良き妻であり良き夫を持つ事』と言われているでしょう?」
シボレットのその問いに彼女の中で何が引っ掛かっているのか、何となく分かって来たセレティーナ。
「それはあくまでも延長線上での結果の一つに過ぎないと思います。良き淑女であったからこそ、良き妻として評価され、良き夫に恵まれる。良き淑女とは、より良い結婚を目指すのではなく、どこまで自分自身が描いている理想の女性像に近づけるかを目指す事だと、わたくしは思います」
「で、でも! あなたは今後も周りから、ユリスお兄様から婚約破棄された事で色々と言われ……」
そう言いかけて、シボレットがとっさに口元を手で押さえた。
そんなシボレットの行動に思わず、笑みがこぼれてしまったセレティーナ。
人をあからさまに傷付けてしまうような言葉を放ってしまった自身の行動に気が付けるシボレットは、恐らく『良き淑女』の資質を十分持っている。
「それはユリオプス殿下の描く理想の淑女像と、わたくしが目指していた理想の淑女像が違っていただけでございます。ならば自分の目指している淑女像に共感してくださる殿方を見つければ良いだけの事です」
「殿方を見つける……」
「正確にはそういった殿方に見初められるという方が正しいでしょうか。選ばれるという立場は変わりませんが、それならば少しでも自分自身を理解し、自分の為に努力してくれるような殿方に選ばれたいではありませんか? 選ばれるという立場でも選ぼうとする殿方をある程度、自身の理想に近い方々になるよう世の男性をふるいにかける、その一つの方法として良き淑女を目指すのだとわたくしは考えております」
セレティーナの言葉にシボレットが茫然とする。
「あなたは……今までの教育係のご婦人方とは逆の考えをお持ちなのね……」
「オールドミスへの道に一歩踏み出しているので。この先わたくしを求めてくださる殿方には、ユリオプス殿下以上の方は現れないと思います。それどころか王太子殿下より婚約破棄された身なので、後妻や条件の悪い婚約の申入れの方が多くなるかと……。ですが、もしそうなっても相手の男性が大事にしたいという女性になれば、きっとわたくし自身は幸せに過ごせると思うのです。『良き淑女』を目指す事は、自分が生涯幸せで過ごせる為に努力する事だと思えば、頑張れる気が致しませんか?」
そうにっこり微笑むセレティーナを見つめるシボレットの表情が和らぐ。
「あなたの様に聡明で美しい方なら、たとえユリスお兄様に婚約破棄された経緯をお持ちでも、すぐに良縁のご結婚の申し入れが入ってくると思うわ!」
「そうなるようわたくしは、ユリオプス殿下の婚約者だった際、王妃教育に励んでいたのです。よろしければシボレット様もお試しになってみませんか?」
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、そう誘って来たセレティーナにシボレットは破顔する様に満面の笑みで答える。
「ええ、是非!」
こうして初日からシボレットの心を掴んだセレティーナは、翌日からシボレットの教育係を始めた。
シボレットは、ジョセフィーヌの言う通り頭の回転が早く、始めはセレティーナが教える事など何もない様に思えた。
しかし、日々教えてゆくうちに所々虫食いのように抜けている部分がある……。
恐らくコロコロと教育係が代わった所為だろう。
その所為でシボレットは、同じ内容の淑女教育の講義を何度も受けさせられた。
毎回、新しい教育係に代わる度にそれを訴えてきたのだが「復習だと思って……」と言われてしまい、聞き入れて貰えなかったそうだ。
ただでさえ飲み込みの早いシボレットにとって、すでに理解している事を何度も何度も繰り返し教えられる事は、相当の苦痛だっただろう。
いつしか彼女は自ら独学で得て行った知識を披露し、やって来る教育係をことごとく返り討ちにしだした。
その度に「知識をひけらかす様な女性は殿方に生意気だと思われ、よい結婚生活が出来ない」や「良き淑女は相手を立てる事が美徳だ」などと言われたらしく、教養を学ぶ意欲だけでなく、結婚願望も同時に失っていってしまった。
だが公爵令嬢ともなると、隣国の王族との政略結婚が殆どとなる。
先程の前教育係だった夫人達の考えを目指す事は、むしろマイナス要素だ。
ひけらかせる程の知識を持ち、自分の意見をはっきり言える女性の方が、人の上に立つ王族の男性達にとって、魅力的な女性として目に映る。
シボレットの場合、まさにその素養に恵まれた令嬢だったのだ。
幼い頃から宰相である父の仕事を手伝い、王太子であるユリオプスの婚約者としてやってきたセレティーナは、それを経験上よく知っている。
たとえ夫や婚約者の考えに意見するような形になったとしても自身が納得出来ない内容であれば、賛同せずにハッキリと自分の考えを述べる事も大切なのだ。
だがその結果、セレティーナはユリオプスに婚約を破棄されたのだが……。
しかしその婚約破棄から、父フェンネルは何も言ってこなかった。
新しい婚約の話もなければ、実家に戻れと言う指示もない。
むしろこのまま公爵家に居座り続ける事を望まれている様な扱いだ。
家族や友人に出す手紙は相変わらず到着までの時差があり、しかも現在のユリオプスの現状を質問する内容を書くと、その件についての返答が一切ない。
社交界に参加しているシボレットやセルノプスにもその事を軽く聞いてみるのだが、二人に上手く躱され、結局は何の情報も得られない。
セレティーナ自身の社交活動は、シボレットの教育係に専念して欲しいと言われ、一切参加させて貰えない状況だ。
他にもトムズと一緒に馬車で買い物に出かける際は、まるで王族の様な仰々しい護衛がつき、いつも出先では個室に案内されて商品の紹介を受けるという……まるでセレティーナを人目にさらしたくないような扱いを受けた。
だが、それが悪意からではなく、大切な存在として厳重に守られているという感覚だったのでセレティーナも抗議することが出来なかった。
そんな大切に守られながらの軽度な隔離生活を強いられていたセレティーナだったが、シボレットの目まぐるしい成長ぶりにその指導に夢中になってしまい、そのことはあまり気にならなくなっていった。
シボレットは一つの事から、たくさんの知識を勝手に身に付けていってくれる。そして更に上の事を教えると、それも軽々とマスターしていったのだ。
ただ……それはあくまで知識的部分のみであって、実践的な部分はあまり身に付いていない。立ち居振る舞いやダンス等は、かなり教え甲斐があるレベルだったので、その辺を楽しく学ばせようと工夫する事にセレティーナは尽力を注ぎ、そしてすぐに身に付けてしまうシボレットの指導は大変楽しいものだった。
そんな指導者としての日々を満喫していたセレティーナだが……。
気が付けばユリオプスの婚約破棄から、四年もの歳月が流れてしまっていた。
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