伯母の侯爵夫人と私
父である宰相の執務室前で茫然とするセレティーナ。
しかしすぐに我に返り、何かを決意するようにその扉をノックする。
「お父様、セレティーナです」
すると父フェンネルが扉を開けてきた。
「セレナ、今日は仕事を頼んでいないはずだが……どうした?」
「あの……実は大切なお話がございまして」
「分かった。中に入りなさい。座ってゆっくり聞こう」
娘の思い詰めた様な表情に気付いたフェンネルが、優しく肩を抱いて部屋の中へと促す。
「それで……大事な話とは?」
「ユリオプス殿下とのご婚約を解消して頂きたいのです」
そう真っ直ぐな瞳で告げてきたセレティーナに父フェンネルが唖然とする。
「そ、それは……お前の意志でという事か?」
「はい。わたくしの意志でもあり、ユリオプス殿下の意志でもあります」
「殿下の意志っ!?」
先程とは比べものにならない程の驚きの表情をしながら、フェンネルが叫ぶ。
「お父様?」
「あー、いや。殿下がそのようなお考えをお持ちだった事が、あまりにも予想外だったのでな……。それよりもセレナ、それは本当に殿下の意志なのか?」
するとセレティーナは、先程のユリオプスとやり取りした内容を父に話す。
「なるほど。最近頻繁に登城している男爵令嬢を殿下が気に入られていると……。しかもかなりのご執心ぶりなのだな?」
「はい。ただ……わたくしは殿下がおっしゃっていた様なリナリス様への嫌がらせ等はした覚えはございません。ですが、確かにリナリス様が殿下に相応しくない方であるとは思っていたので、もしかしたら無意識のうちにあの方を傷付ける様な振舞をしてしまっていたのかもしれません……」
自分を責めるように俯く娘に父フェンネルは、優しく頭を撫でる。
「状況は大体理解した。だがセレナ、ここで確認しなければならない事がある。本当に殿下はお前に婚約破棄を示唆するような事をおっしゃっていたのか?」
「はい。今回のわたくしの行動にかなり失望されたとおっしゃり……。わたくしとの婚約を継続する事に関して、今日一日よくお考えになると。その結果、わたくしにはある程度の事を覚悟して欲しいとおっしゃってました」
そのセレティーナの説明に何故かフェンネルは、口元をニヤリとさせた。
「お父様?」
「いやいや、すまない! つい笑みがこぼれてしまった!」
「笑みっ!?」
王太子から婚約破棄をされかけている娘の愚行に笑みを浮かべる父にセレティーナが、怪訝そうな表情を浮かべながら叫んだ。
「やっと、殿下がお前を解放してくれる事につい喜びが溢れてしまってな」
「お父様、わたくしはこの国の王太子殿下より婚約破棄をされかけているのですよ!? それなのに解放だなんて……。むしろこの愚鈍な娘をお叱りください!」
するとフェンネルは、セレティーナを慈しむ様に優しい笑みを浮かべた。
「セレナ、お前はこの10年近く本当によく耐え忍んで頑張ってくれた。六歳も年の離れた殿下の婚約者ではこの十年、周りから色々と不快な事を言われる状況も多かっただろう……。おまけにこの年になるまで未婚の状態で、その事でも嫌味を言われたりしたのではないか?」
「それは……」
「すまないな……。本当はもっと早く解放してやりたかったのだが、殿下が全く婚約解消に応じてくれず、ここまで来てしまった。だが……」
するとフェンネルは、再びニヤリとした表情を浮かべる。
「やっとお前を自由にしてやれる」
その父の態度にセレティーナが、更に怪訝な表情を深めた。
「お父様……。わたくしは別に殿下に束縛されていた訳ではございませんよ?」
「そうなのだが、父親の立場としては、殿下は物心ついた頃からお前にベッタリだったであろう? 何だかお前を殿下に取られたような気がしてしまって……」
「まぁ。お父様ったら」
父のその言葉にセレティーナは、思わず苦笑してしまった。
「それよりもセレナ。お前は殿下にその様な言葉を投げかけられ、傷ついたりはしなかったのか? 十年近くも見守っていたお前に対し、殿下の放った言葉は、あまりにも心無い仕打ちだろう」
「それは……その……」
「お前は昔から、自分が辛くてもじっと耐えてしまう……。本当は今、城内にいる事も辛いのではないか?」
「確かに明日、殿下とお話をしなければならない事は心苦しいですが……」
「そうか。そうだろうな……。セレナ、お前は今からすぐにジョセフィーヌ伯母様の所へ行きなさい」
その父の言葉にセレティーナが目を見開く。
「ええっ!? い、今からでございますか!?」
「ああ。恐らく殿下は、明日お前に婚約破棄を言い渡す。だがお前はずっと見守ってきた殿下から、その様な辛辣な言葉を聞きたくはないだろう? だが殿下は真面目なお方だ。こういった重要な話は、直接お前に伝えないと気が済まないご性格だから、もしお前が実家に戻れば押しかけてでも確実にお前へ婚約破棄の件を告げようとなさるだろう」
「お父様! わたくしはそこまで弱い人間ではございません! 殿下がそう望むのであれば、しっかりとそのお言葉を受け止められるくらいの強さは……」
「お前が良くても父である私が、お前を傷付けられるような状況を受け入れられないのだ」
「お父様……」
「殿下からの婚約破棄の申し出は、私がしっかりと対応する。だからお前はしばらく伯母様の所で心を休めなさい。お前はジョセフィーヌ伯母様のお気に入りだからな。行けば喜んでくださるだろう」
「で、ですが! こんな急にだなんて……」
「急でないと殿下が追いかけてくるぞ? 正直私は、お前が殿下に傷付けられる姿は、もう見たくないのだ……。伯母様には先に早馬で手紙を出しておく! 身の周り品も後で私が何とかするから、今すぐ伯母様の所へ行きなさい!」
そう言ってフェンネルは、何故か急かす様にセレティーナを連れ出した。
そして城の裏手の目立たない場所に自分専用の馬車を呼び、押し込む様にセレティーナを乗せ、ジョセフィーヌの屋敷に向うように御者に告げ、早々に馬車を出発させる。
「お、お父様ぁぁぁー!?」
「後で使いをやるから、何も心配しなくていい! 今はゆっくりしなさい!」
そのままセレティーナは、伯母ジョセフィーヌの屋敷まで運ばれて行く。
父の謎の素早い行動にしばらく茫然としながら馬車に揺られていたセレティーナだが……すぐに我に返り、御者のトムズに馬車を止める様に訴え始める。しかし、トムズは困り果てた表情を浮かべ、首を横に振るばかりで受け入れてはくれなかった。
「申し訳ございません……。旦那様より、目的地に着くまでお嬢様にどんなに引き返す様に言われようとも絶対に馬車を止めるなと言付かっておりまして……」
「ど、どうして!?」
「さぁ……。なんでもお嬢様を魔の手から守るとおっしゃってましたが……」
「魔の手……」
一瞬、ユリオプスの事ではとも思ったのだが。
先程リナリスの事も話したので、父の言う魔の手というのはセレティーナから嫌がらせを受けたと吹聴しているリナリスのことなのだろう。しかし一般的な男爵令嬢のリナリスを宰相の父が、ここまで警戒していることに違和感を覚える。
そもそも自分はこれからどうすればいいのか、いつまで伯母ジョセフィーヌの所にいればいいのだろうか……。
そんな事を唸りながら考えていたら、いつの間にか伯母の住む別邸の門をくぐっていた事に気が付く。 すでに目的地に到着してしまった事もあり、とりあえずセレティーナは馬車から降りる事にした。
すると、すでに空は綺麗な夕焼け色を彩られていた。
その美しい夕焼けを見上げていると屋敷の中から自分を呼ぶ声が聞こえ、そちらに視線を移す。
すると父フェンネルと同じ瞳の色をした品のある貴婦人が足早にセレティーナのもとへ駆けつけてきた。
「セレナ! いらっしゃい! フェンネルから急ぎの連絡を受けて、ずっと待っていたのよ!?」
満面の笑みで出迎えてくれたのは、父の姉でもある伯母のジョセフィーヌだ。
しかし伯母と言ってもその事を知っている人間は少ない。
ジョセフィーヌは血縁上では父フェンネルの姉だが、系図的には赤の他人である。それはジョセフィーヌが生まれて間もない頃に娘を無くしたばかりの侯爵家に養子に出されているからだ。
そんなジョセフィーヌ自身も、実は15年程前に末娘を病気で亡くしていた。
その所為で一時期ジョセフィーヌは精神的に病んでしまった事があるのだが、そんな姉を心配した血縁上の弟であるフェンネルは、自身の娘達4人を連れて頻繁にジョセフィーヌのもとを訪れていた。すると血縁上の姪達と過ごす内に少しずつジョセフィーヌは、その悲しみを乗り越えていき、今に至る。
その中で特に親身になって接していたのが、セレティーナだった。
毎年セレティーナは伯母を労うために避暑と称し、必ずこの別邸で夏を過ごす。
その間、まだ幼かった頃のユリオプスがこの世の終わりのような絶望ぶりを見せていたことを思い出し、思わず苦笑してしまう。
だがその微笑ましい思い出は、一瞬でセレティーナの表情を曇らせた。
「まぁまぁ。セレナ、そんな悲しいそうな顔をして……。フェンネルから詳細は聞いてはいるのだけれど、今回はとても辛い思いをしたそうね。大丈夫よ? ここなら安心してゆっくり過ごせるから」
「伯母様……。ありがとうございます。でもわたくし、そこまで辛いわけでは……」
すると、ジョセフィーヌはセレティーナの傍に来て、優しく頬に触れた。
「こんなに目を腫らして何を言っているの? かわいそうに……。しばらくわたくしの屋敷でゆっくりなさい?」
「あの、その事なのですが、わたくしはいつまでこちらに滞在させていただけるのでしょうか」
「そうねぇ……」
少し考える素振りをしたジョセフィーヌだが、すぐににっこりと微笑む。
「フェンネルがいいと言うまでかしら!」
「ええ!? あ、あの、それは一体どのくらい……」
「三カ月後かもしれないし、一年後かもしれないし、五年後かも!」
「お、伯母様! いくら何でもそこまで御厄介になる訳には……!!」
するとジョセフィーヌは、いたずらが成功したかの様に嬉しそうな顔をした。
「ふふっ! 冗談よ! 確かにあなたには、ここ一カ月程ゆっくりして貰うつもりだけれど、その後は少々頼みたい事があるの」
「頼みたい事?」
「実はね、王妃教育をしっかりと受けたあなたにあるご令嬢の教育係をお願いしたいのよ」
「それはまた……急なお話ですね」
「それが急でも無かったのよ。フェンネルには、ずっとその事をお願いしていたのだけれど……。何でもユリオプス殿下が、あなたの長期不在を許さなかったらしくて」
そのジョセフィーヌの返答にセレティーナが首をかしげる。
「それは……大分前の事ではありませんか?」
「大分前と言う程ではないかしら。お願いしだしたのは二年程前よ」
「そう……ですか……」
その頃ならば、ユリオプスの反抗期はすでに収まっていた時期でもあるので、幼少期の頃の様にセレティーナには執着していなかったはずだ。だが何故、セレティーナの長期不在を快く思っていなかったのかが、よく分からない。
そんな事を考えながらセレティーナが難しい表情を浮かべていると、ジョセフィーヌが苦笑する。
「セレナ。あなたはもうユリオプス殿下の婚約者ではなくなるのでしょう? ならば殿下の事でそんなに悩まなくていいのよ? それよりも……もう未来の王太子妃として気を張る必要もないのだから、ここでゆっくりする事に専念しなさいね?」
「伯母様……。本当にありがとうございます」
こうしてセレティーナは、伯母ジョセフィーヌの屋敷で一カ月程、ゆっくり過ごす事になった。
そんなジョセフィーヌには、幼くして病死した末娘の他に息子が二人いた。
しかし長男は現在家督を継いで本宅で暮らしている。
次男の方はいずれ継ぐ遠く離れた場所にある領地の開拓に力を注いでいるらしい。
そしてジョセフィーヌの夫は早々に引退したいが為に現在はその次男の指南役として、遠く離れた領地とこちらの別邸を行ったり来たりしているのだ。セレティーナが滞在するこの別邸は、引退後の夫とジョセフィーヌがのんびり余生を過ごす為に用意された屋敷だった。自然が多く、とても静かな場所にある為、保養地としては最高な場所である。
そこでセレティーナは、二週間のんびり過ごした。
しかし城に滞在していた際に使っていた身の周り品は一切届かず、代わりにジョセフィーヌの方で代用品がすべて用意して貰う状況だった。その事で父に手紙を書いたのだが……何故か返事が1日程遅れてやって来る。
更に親友のブローディアに出した手紙など、三日遅れで手元に届くのだ。
その事を不思議に思いながらも、大好きな伯母との穏やかな時間をしっかり満喫したセレティーナ。
しかし三週間目にそののんびりとした時間は、急に終りを告げる事となる。
「セレナ。一カ月前にあなたがここに来たばかりの頃、わたくしが頼み事があると言っていた事を覚えているかしら?」
気持ちのいい風の中、中庭でお茶をしていた時にジョセフィーヌがおもむろに話を切り出して来た。
「ええ。確かあるご令嬢の教育係をお願いしたいと……」
「実はね……それを明後日から行って欲しいの……」
「明後日からですか? それはまた随分と急な事ですね」
「本当は来月からお願いしようと思っていたのだけれど……今までそのご令嬢の教育係を担当されていたご夫人が、その……急にご辞退なさって……」
目を泳がせながら口ごもるジョセフィーヌの様子にセレティーナが固まった。
「お、伯母様? そのご令嬢はそんなに手強い方なのですか?」
「そうね……。手強いというか……とても頭の回転が速いご令嬢なの。だから今まで何人もの教育係が言い負かされてしまい、長続きしなかったのよ……」
「お、お待ちください! その様な指導経験が豊富な方々でも苦戦されるご令嬢をわたくしの様な若輩者が指導するなんて無理でございます! そもそもそのご令嬢にもこのような未熟な指導者では失礼です!」
「大丈夫よ! だってセレナは子供受けが凄く良いでしょう? きっとそのご令嬢ともすぐに仲良くなれると思うの! 今まで指導されていた方は、皆子育てを終了されたご婦人ばかりだったから……。若くて頭の柔らかい考え方のあなたになら、きっとそのご令嬢もすぐに心を開いてくださると思うわ!」
ジョセフィーヌのその楽観的な意見にセレティーナが、ガックリと肩を落とす。
「それでそのご令嬢のお名前は?」
「シボレット・ディプラデニア様よ」
「ディプラデニア……ディプラデニアっ!? あ、あの伯母様!」
「そうなの。あなたに教育係をお願いしたいご令嬢というのは、王弟セルノプス殿下の三番目のご息女よ」
その言葉にセレティーナが、青い顔をして更に固まった。




