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ロストアンデルス  作者: 忠犬
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8.混乱。渦中にあるものは

空でダスクが啼いた。まるで硝子を掻き毟った音のような、耳を塞ぎたくなる不快な声。

人波を掻き分けてアラムがバザーに着いた時、人々は混乱の渦中にあった。逃げる人に紛れて足を引きずって歩く負傷者に高齢者の手を引く者、倒壊した木材の下敷きになった声、怯えて蹲る少女、倒れたまま動かない重傷者までいる。

倒れた露店、割れた瓶、潰れた食材が散乱して足場が悪い。ぼんやりと道に立っていようものなら人波に押し潰されてしまいそうだ。しかもまだ近隣の上空にダスクがいる。屋根の上を掠めるように飛んでいて、剥がれた屋根の一部がバラバラと落下した。

「撃て撃て!援軍まで持ち堪えろ!」

怒号。見れば、逃げる人を誘導する形で隊列を成している5人の軍人がいた。

彼等は襲撃があって一番にこの場に駆けつけてきた巡回兵だ。手にした小銃が空に向かって火を吹く。その中心でダスクを指し示し、彼らに指揮を与える人の姿があった。

風に靡く腰まである紫紺の長髪。制服に外套を肩掛けし、小銃を携えずに腰や腕には投擲用のナイフを数本帯びている。空に掲げた白手袋の上からはめたいくつものリングが光を反射し、一見して女性にも見える佇まいをしているが、声はとても女性のものとは思えない。野太いというより単純に低い。

あの一見奇天烈な軍人をアラムは知っている。

「ハインツ少尉!」

長髪の男が呼びかけに振り向く。整った顔立ちをした青年だが、目元は前髪と帽子に隠れて伺えない。

彼はアラムの姿を見るとシニカルに笑ってみせた。どこか道化を思わせる表情だ。

「ようジャジャ馬。良いところに来たなぁ」

男は「牽制を続けろ」と短く命じ、アラムに歩み寄った。

「ワシらじゃ誘導と奴等を近づけんようにするだけで手一杯や。他に手が回らんくてのぉ」

酷く訛った喋り方。混乱の最中だというのに、その声は呑気ささえ感じさせる。

「分かってる。その為に来た」

「話が早くて助かる。お前は負傷者を屋根のある場所に運んでくれ。あとはこっちで何とかするわ」

「でも、ダスクは…」

長髪の男---ハインツ・カディアは空を仰ぎ見る。くるりと空に向けて発砲する部下を見回し、にやりと笑った。

「お前が負傷者の応急手当てをしてくれるなら、ちっとぐらいどうにかしてみせる」

ダスクは、武装軍人が相手取るのがやっとの化物だ。ましてや彼等は巡回兵だ。それも、戦う為の手段を旧式小銃しか持っていない。巡回兵はそもそもダスクと交戦することを想定していないのだ。戦う為の隊ではないというのに、ハインツの声色はその場凌ぎのハッタリには聞こえなかった。

アラムは深く頷き、踵を返して走り出す。彼女は道の端で倒れた人に駆け寄った。

「立てる?」

負傷者の青年は俯いていた顔を上げる。埃で薄汚れた顔を苦痛に歪ませてアラムの目を見る。彼の足を見れば、右足が青く変色して腫れていた。その状態からすぐに骨折しているのだと分かる。

「と、飛んできた、煉瓦が当たって…」

アラムはキョロキョロとあたりを見回す。地面に落ちている煉瓦やガラスの破片に紛れていた手頃な木材を手に取り、彼の右足に当てて包帯で巻き始めた。青年は苦悶に満ちた声をあげたが、アラムは臆さずに添木を固定させる。脂汗を浮かべる青年の汗を拭い、真っ直ぐ目を見る。人を救う事に一切の躊躇のない視線は、どこか眩しい。

「手を貸すから頑張って歩いて」

否応無しに青年の腕を肩に回し、立ち上がらせる。青年は一回りアラムより背が高いというのに、彼女はふらつくこともなくしっかりと彼を抱えて歩き出す。青年は「すまない」と小さく呟いた。

一方のハインツは隊列に戻っていた。手をあげて発砲をやめる合図を送る。四人の部下は銃口を下ろす。ダスクは一向に減っていない。未だに来るか、来ないかの上空を飛び続けている。期待していたわけでもないが、どうせこの距離では敏腕のスナイパーでもない限り当てるのは至難の業だ。そもそも部下の使っている小銃は型の古いもので、仮に当てた所で奴等を仕留めるのは難しい。

「状況は」

「負傷者を除き、殆どの者はこの場を離脱したかと」

「そろそろ攻勢に移っても良い頃合いじゃないですか。牽制にしたって弾が勿体ないっすよ」

「俺はもうなくなりました。ゴメン」

「撃ちすぎじゃ、程度を考えろ」

「じきに師団も到着する頃合いでございます。我々に指示を」

視線がハインツに集まる。命令と号令を待つ沈黙、会話とは打って変わり、突如空気が厳かなものになる。

ハインツは一つ頷いた。

「クレア、ケビン。それから弾切れのアホは負傷者の救助に当たれ。アグナスと俺はダスクへの陽動を」

指示を受けた3名は迅速にその場を離脱した。細かい指図までは必要ない。我々巡回兵は市民の身の安全を確保すること、そして負傷した人々の応急処置に関しては慣れている。寧ろ、戦う事よりもそちらの方が本分に近い。

ハインツは空を仰ぎ見る。一人残った部下もその視線の先を追う。

「ワシが『止める』。狙撃は頼んだで」

「了解でございます」

「ええか。こんな型落ちの小銃じゃどのみち当たっても貫通せん。胴や羽根に当たっても弾かれて仕舞いや。どこを狙うか分かっとるやろうな」

「弱点のみ。眼でございます」

アグナスと呼ばれた部下は再び空に銃口を向けた。彼は部下4人の中で最も小銃の扱いが上手く、狙撃に関しては信用に足る腕をしている。生真面目と面白味がないのが玉に瑕ではあるが。

対してハインツは小銃を持たない。彼が巡回に際して持っているのは投擲用のナイフ数本だけだ。だがこのナイフは才覚者である彼にとって、時に銃より優れた武器になる。

ハインツは帯びていたナイフを両手に取った。手の内で弄び、軽く準備運動。

銃撃が止んだ事を好機と見たのか、一直線にダスクがバザーを目掛けて飛んでくる。それも3匹同時だ。

部下は小銃を構えていたが、小さく「無理ですね」とぼやいてかぶりを振った。

「知ってるわ!」

ハインツは部下と共に物陰に隠れた。瞬間、ダスクが硬い翼で砲弾のように建物に直撃した。轟音と共に煉瓦が削ぎ落とされ、ぐらりと傾く。

「少尉。貴方の才能は戦闘向きではないのでは」

部下の冷静な見解に図星を突かれた所で、ハインツの視線は振り返った先で救助に当たっていたアラムに向けられた。彼女はあろうことか物陰にも身を潜めず、その小さな体躯で負傷者に覆いかぶさっていた。落ちてくる瓦礫から弱った人を守るためだろう。瓦礫が止んだと思えば、すぐに立ち上がって人を誘導し始める。

彼女には感服させられる。戦っているわけではない。だが、いつ大きな落下物が落ちてくるかも分からない状況で身を乗り出し、迅速な応急処置を施した後に安全圏へと運ぶ迷いなき行動には、戦うと同等の勇気を感じる。

瓦礫を物陰でやり過ごした部下達がアラムに駆け寄る様が見えた所で、再び意識をダスクに戻す。

「ワシは「時読の才覚者」。生物以外の見たものを『止める』才能。嘗めてもらっちゃ困るで。一匹なら狙えるか?アグナス」

「で、あれば」

「上等。撃ったら当たっても当たらんでも物陰に隠れろ。ここの壁でダスクを標本にしたる」

にやりと笑ったかと思えば、ハインツは物陰から躍り出ると同時にナイフを投擲した。投げた得物は一匹のダスクの羽を掠め、それに気づいたダスクはけたたましい声を上げながら再び一直線にこちらに向かって飛んで来る。

部下は銃を構えた。冷静に照準を合わせ、迫り来る宵闇の使徒を捕捉する。

「引き付けて、焦るな」

まだ撃たない。まだ撃たない。まだ引き付ける。冷静に、そして照準を合わせて。

黒い翼が眼前にまで迫らんとした時、発砲音が響いた。部下の放った一発はダスクの目を穿ち、金切り声を上げながらぐらりと体軸を崩した。

ハインツたちはそのまま躱すと、舵を失ったダスクは止まる事も旋回することもままならず、壁面に叩きつけられた。

その瞬間を好機と言わんばかりに、ハインツは掌を翳した。

「止まれ!!」

彼の瞳が青く光る。髪に隠れた瞳から宝石のような輝きが放たれた刹那、突如としてダスクが動きを止めた。まるで慣性の法則が堰き止められたかのように、頭が壁に張り付いて動かない。ハインツはダスクにナイフを突き立てる。ナイフは銃弾すら弾くダスクを貫通していない。だが、ナイフはまるで時が止まったかのように空間で固定されていく。一本、二本と翼にナイフを打ちつけ、標本とも磔刑とも取れる形で、ダスクが壁面に固定された。

「先ず一匹」

これだけナイフを突き立てたというのにダスクは未だ踠いている。当然だ、この程度で塵になってくれるなら苦労はしない。翼に突き立てたどのナイフも突き刺さってすらいない。本当に恐ろしく頑丈だ。

だが、動きを封じてしまえばこちらのものだ。特にこのナイフはハインツが能力を掛けている以上、貫通していなくとも抜けたり緩んだりする所か決して動きはしないだろう。

「来ます」

小銃の弾を装填する音。もう一匹がこちらに飛来している。振り返った時にはすでに部下が空に小銃を向けていた。

ハインツはホルスターからナイフを取り出す。もう一匹なら同じ手法で止められる。同じように引きつけて集中する。

だが眼前に敵が差し迫ったその時、唐突に磔にしたダスクがけたたましく哭いた。耳を劈く叫声に思わず耳を塞ぐ。はたと不味いと顔を上げた時には、部下の帽子が吹き飛んだのが視界端から見えた。

「アグナス!」

嘘だろう、と目を見開いた時、ぐらりと部下は体の軸を失って卒倒した。怯んだ隙に鉤爪で頭をやられた。床に広がった血溜まりが致命傷を物語っている。

悪態が口をつく。ハインツは空を見渡す。新たに3匹のダスクがこちらを狙って飛んできた。ダスクは負の感情に集う性質がある。今ハインツに湧き上がった感情は、間違いなく怒りと憎しみにほかならない。

なのに心は嫌になる程冷静で、怒りに思考を狂わされていると分かっているのに。

飛来するダスクに小銃一つ、ナイフ数本じゃとても敵わないと分かっているのに。怒りが逃亡を許さない。

「よくも…!」

髪に隠れた青色の瞳に、怒りが満ちる。その時。

建物の上階から黒い影が飛び出し、飛来するダスクに飛びかかった。

影の正体は人間だった。揺れるストール。両手に持ったアーミーナイフを深々とダスクに深く突き立てている。あれだけ硬いダスクを、まるで唯の鳥を斬るように。

突如として人間が飛び移ってきたダスクはバランスを崩し、重みに耐えかねて落下した。

ハインツがその光景に放心していると、目の前に大男が躍り出た。彼はダスクを掴もうと手を伸ばす。飛来した2羽の内1匹の首を掴み、掌から火を立ち上らせた。ダスクは凄まじい火力に焼かれ、大男の掌で塵となった。

残る1匹は再び空に向かって羽ばたいていった。大男が掴み損なったダスクに振り向く。煤けたように黒い肌の色、顔面の半分を覆う傷跡。

「ま、マーク中尉…?」

「少尉、無事で良かった」

現れたのは、捲った腕から炎を立ち上らせる才覚者、マークだった。



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