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ロストアンデルス  作者: 忠犬
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9.戦うのは医とて同じく

マークが咄嗟に放った一言は、ハインツを激昂させた。

倒れ伏した部下を指差しながら、彼は声を荒げる。

「どこが無事だ!また一人部下が死んだ!」

彼に向かって無事だと放った一言は、部下の命を軽んじられたと取られてしまったのだ。失言に気付いたマークが声を上げる前に、

「死んでませんぜ」

唐突の第三者の介入にハインツの肩が跳ねた。驚いたのは声の聞こえた距離だ。横。しかも耳元と言わんばかりの距離で声がしたのだ。

顔を向ければ磔刑にしていたダスクが塵になって消えていた。即座にナイフをホルスターに仕舞ったのは先程ダスクに飛び付いていた青年だ。あの時はよく見えなかったが、青年は黒い丸眼鏡をかけている。何の気配もなく真横に現れ、急所を見抜いてダスクを仕留めるなど簡単にできる芸当ではない。不気味な青年だ。

そんな彼は落胆した様子で肩を落としながら言った。

「今時小銃を使ってる部隊があるなんて。よくもまぁそんな古い武器で持ち堪えたモンっすね。アンタの能力でこのダスクに刺さってるナイフも、ホントにただの鋼で出来たナイフだ。そんなモン刺さらないの、常識っしょ」

「やかましい。そもそもワシら巡回兵はダスクとの交戦なんざ想定の外じゃ。情報機関に迎撃部隊は何してるんや!何でこの強襲を想定出来んねや!上の落ち度やぞこの事態は!」

ハインツの怒声にピクリとも眉を動かさず、青年は倒れた部下の前に跪いた。

「派手に血が出ちゃいるが骨までは砕かれてない。止血さえすりゃ助かる。」

握り拳を解かないハインツ。2人の間に流れる険悪な空気を宥めるように、マークが間に入った。

「彼は諜報機関のクガセだ。最短距離で俺をここまで案内してくれた」

「あ?なんでこんな所に諜報員が…」

クガセかぶりを振りながら言った。

「そんな話は後回しにしてくれや。この御仁が重症には違いねぇ。旦那、例の軍医サンはここにいるんだろ?」

「そ、そうだ!少尉、アラムはどこにいる?彼女なら君の部下を救えるかもしれない!」

ハインツは言い淀む。言葉に詰まっているというより、判断を躊躇っているように見えた。

やがて彼は顔を上げる。空中に固定されたように固まっていた、ダスクを磔刑にしていた数本のナイフが床にバラバラと落ちた。

「中央広場に向かっていくのが最後に見た姿や。…だか負傷者の救助が先や。俺の部下はその後で良い」

マークは狼狽する。何を言っているんだ、と喉まで出かかった言葉を飲んだ。…いや、情の無い見解をするならば、上官として正しい選択なのかもしれない。ただ苦渋の言葉であることは窺い知れる。体温を失いつつある部下の傷口を押さえ、下唇を噛んでいる。

「行ってくれ中尉。アンタがここで出来る事はない」

「だ、だが…」

俯いているため、表情まではわからない。空気を読まないクガセが顔を傾けてハインツの目を覗き込もうとしている。

甲高い叫びが空から聞こえたのはその時だ。はたとクガセが空を見上げる。追うようにマークは空を見上げた。

これまでに少なくとも2匹は仕留めた。報告では衛兵数人でも相手取れる数だと言われていた。だが、その数は減っておらず、むしろ目視できる範囲では増えているようにも感じる。

「参ったな…アグリム少将の援軍はいつ来るんだ…これだけ大きな騒ぎになっているというのに、随分と遅いじゃないか…!」

「………」

クガセは空を見上げたまま黙している。黒い丸メガネの奥で何を考えているのかまでは分からない。なのにふと彼は口角をシニカルに歪ませた。

「もーちょいなんじゃないっすか?」

思わずクガセを見る。この状況で何を笑っているんだ?

何かただならぬ事が起きようとしている。鈍いマークの第六感がそう警告を発するまでに。

彼の態度。少将の口にしていた侵入者を探せという命令。どうも引っかかるものがある気がしてならない

クガセは緊迫を感じさせない動きですくっと立ち上がった。

「じゃ、俺はこのへんで失礼しますよ。任務があるモンで」

あるいは、本当に緊迫すら感じていないのかもしれない。窮地だとも思っていないのかもしれない。場にそぐわない爽やかな口調で「チャオ」と言い残し、クガセは踵を返した。飛び上がり、建造物の壁面を蹴って高く高く登る。動きは無駄がなく、その背に声を掛ける前に姿が見えなくなってしまった。まるでアサシンの動きを連想させる。いや、実際彼はアサシンなのだろう。まるで人の生き死にも他人事のような言い草だった。いくら人がよさそうに見えても、結局彼は諜報機関の人間なのだ。

「ほっときや。アイツらには何も期待しとらん」

クガセに向いていた意識を戻す。そうだ。状況は何一つ改善していない。

才能を滾らせる。青空を覆う敵を見据える。身体が芯から熱を持ち、発火点を越えた指先から火花が爆ぜた。

それまで下を見ていたハインツがマークの挙動を見て驚きを露わにした。

「な、何してるんや!アンタはじゃじゃ馬を探しに来たんやろ!」

寄り来るダスクを焼き払う。自分に出来るものを守る。その為の才能だ。

「それは後でも良い!目の前の少尉を見捨てる事は出来ない!」

アグリム少将が迎撃部隊に援軍を要請しろと言っていた。

それが本当ならもうすぐ援軍がある。流石にこの混乱は偵察隊も看過しない筈だ。

「マーク!」

空の叫声に紛れて聞き馴染んだ声が聞こえた。

間違いない。アラムの声だ。

「アラム!」

桃色の髪がこちらに駆けてくる。間違いなくアラムだった。彼女は1人の軍人を伴っている。彼の腕章を見るに、ハインツと同じ巡回兵だと察しが付く。

「アグナス!そんな…!」

巡回兵が倒れ伏した兵に覆い被さるように駆け寄った。ハインツは制するように彼に掌を翳す。冷静になれ、という合図だったのかもしれない。

彼に倒れ伏す部下が持っていた弾入りのポーチを押し付けながら言った。

「お前の小銃、弾切れやったやろ。首尾は?」

ポーチを押しつけられた彼の瞳に焦燥は滲んだままのもの、慌てふためきはしなかった。

「屋外の負傷者は全員誘導しましたが、2人はまだ救護に向かって…」

「どいて」

アラムは巡回兵を押しのけ、ハインツの手すら払って負傷した兵の頭に触れる。

彼女は眉根を寄せ、下げていた鞄に手を突っ込んだ

「傷口が血で見えないけど、結構深くて危険ね。ここで縫うからダスクを寄せ付けないで」

「ここで!?」

意図せず全員の声が被った。アラムは意に介さずケースから医療器具を取り出す。応急セットにそんなものを入れているのも少し驚きではあるが、いや、そんなことよりも

「幾ら何でも混乱のド真ん中だぞ⁉︎」

「そんな事分かってる」

安全圏でもなければ仮設した天幕の中ですらない。

アラムは喚くマークに銅の水筒を差し出す。まるで忠告を聞いていない。

「人肌に温めて」

彼女の側に身を置くようになってから、何度も聞いたオーダー。

真っ直ぐな瞳。

人を救う事に何の躊躇もない瞳。

あの時から何一つ変わっていない。そうだ、この眼に救われたのだ。数多の人々も、マークも、

無理だ、駄目だと止めても止まらない。

彼女の決意を阻むことは出来ない。否定的なマークに対し、こんなにも彼女は、自分を信頼してくれている。

「……ッ、急いでくれ、アラム…!」

アラムから差し出された水筒を両手で握る。僅かに力を込めれば、水は体温と同じ温水に変わった。発火点以上の熱を操作出来るマークにとって、常温の水を瞬時に人肌に温める事など造作もない。

「ありがとう」

どこかでダスクが煉瓦を掠めた。轟音、そして落下物に怖気付きもしない。鞄を枕代わりにし、頭部に温水を掛け、拭き取る。消毒液を惜しげもなく垂らし、傷の状態を注視しているかと思えば彼女の手は医療用の糸を切っている。手元を見ていないのに針に糸を括り付けた。余りに早い作業に思わず目が奪われる。あぁ駄目だ。見とれていてはいけない。彼女に任されている事があるだろう。

マークが振り向いた瞬間、目の前には鋭利な鉤爪があった。

「ッ!うぉお!」

しまったと思う。咄嗟に腕を盾がわりにした。ダスクの鉤爪が食い込んだ所で腕に熱を込める。

熱に驚いたのか、ダスクが啼く。逃すまいと大きな掌で翼を掴み、そのまま押し倒す。全身を滾らせ、ダスクを焼き尽くさんと睨んだ。

アラムは既に治療に専念している。今彼女の邪魔をさせるわけにはいかない。

だが、一筋縄では塵にならない。ハインツの部下が銃剣で応じる。銃剣を突き立てようと、やはり刃が立たない。

「来るぞ!」

ハインツの警告。マークが取り押さえている内にもう1匹がこちらに飛来した。慌てて部下は小銃に弾を装填して発砲するも、彼の弾は敵に当たらない。

「や、やめろ。来るな!」

震える手で空の弾薬を外し、再び装填しようとするも、焦りのせいで手元がおぼつかない。

マークが下敷きにしていたダスクが塵となり、片腕を伸ばすも、届かない。駄目だと思ってしまった。その瞬間だった。


翡翠の光が一閃したような気がした。

突如として迫っていたダスクが一刀両断された。比喩的表現ではない。文字通りの意味での両断。

慣性の法則で地面を滑ったダスクの残骸が塵となる。そこに武器を振り切った形で佇んでいたのは、藍色の髪に甲冑と一体になったような見慣れない服を纏った人影。

彼は、アラムが連れて来た人ならざるもの。人の形をした何か。そう、名は確か

「ロハネ…⁉︎」

彼の不可思議な色を放つアイウェアの奥の目でさえ、その内側の感情を映していない。

いや、それより、それよりも

「斬ったのか…?ダスクを…」

それこそ、あのクガセが持っていたような特殊加工の施された武器でなければ、刃を通す事さえ難しいダスクを、いとも容易く、まるで紙細工を斬るかのように

彼の握る武器の形はニザンのものに似ている。刀身は太陽の光を翡翠に反射し、その光は電気や絡繰仕掛けの光というより、刀身元来の輝きに見えた。

ロハネはダスクの舞う空を見据えながら譫言のように言う。

「辿った痕跡が消えた」

翡翠の煌めきが刃の軌道を辿る。ダスクはまだ周辺を飛んでいるというのに、彼は刀を納めた。


『去れ。ここにはない』


唐突だった。

彼がそんな言葉を口にした時、空のダスク達が散り散りに空高く舞い上がり、街の外へと羽ばたき始めた。

屋根の上に留まり、獲物を今か今かと凝視していたダスクでさえも黒い翼を広げて空を舞う。

「…え?」

何が起きているのか分からなかった。

まるで空のダスクが一つの意思に従うかのように、意思の下に行動しているかのように。

いや、ダスクには意思などない筈だ。奴らにあるのは人間の感情に惹かれる性質と人を暴き、引き裂く凶暴な本能。

それだけだ。それだけの筈なのに。

一体この青年は何をした?


ロハネは振り返る。

視線はアラムではなく、彼女が応急治療している巡回兵に向けられていた。

「終わった」

アラムが糸を切り、額の汗を拭う。

ふぅ、と一息ついた後、彼女の目はぎらりとロハネを睨み付けた。

「アンタ、家から出ないでって言ったでしょ」

ロハネはそんな視線を受けて少しだけ肩を弾ませた。その眼の奥も、喋り方も思考も。人間味を全く感じさせないというのに、仕草や表情だけはやたらと人間臭い。なのに上辺だけ取り繕った動きに思えないのが、余計に気味が悪い。

「何や、お前の知り合いか…?」

「知り合いというか…」

言い淀むアラムに対してロハネが言葉を挟もうとした時、大きな発砲音が響いた。

大砲の類ではない。小銃の間延びした音でもない。

間も無くして場を震撼させるような低い声が響いた。

「1匹残らず殺せェ!」

鬨の声。後に続くのはそう呼ぶに相応の猛々しい叫び。全員の目が声のした方向に向けられた。

甲高い笑い声が谺す。屋根の上で両手のリボルバー銃を空に向けた人影。地を走る反撃の発砲音を空に打ち鳴らしているのは、アグリム少将の言っていた連隊の援軍。

着崩れたアルタマイルの制服。大尉を示す勲章。パステル調のピンクがかった髪を無造作に肩まで伸ばし、緑のゴーグルをかけている。その髪の色から温和な印象を与えがちだが、声は悍ましいまでに力強く、敵意の向けられていないこちらまで戦慄いてしまいそうになる。

迎撃部隊。銃撃戦に特化した第一連隊。15名程の団員は弾丸に特殊加工を施した拳銃の他、人によってボウガンや弓、ライフルといったものを用いた遠隔からの攻撃を得意とする。そしてそれらの団員を率いるは、誰よりも好戦的なアヤト・クサナギ連隊長。

彼の掛声を合図に、師団の銃兵が一斉発砲を始める。

空の彼方に消えようとしていたダスクは、追撃を受けて叫び声を上げた。一部の烏は翼を翻し、師団の兵に襲い掛かろうとしている。

「ここを離れましょう。マーク、彼をよろしく」

アラムは広げた道具を慣れた手つきで仕舞った。マークは慌てた様子で生返事をしつつも処置を受けた巡回兵を抱える。

「ワシは部下二人を探す。…アグナスを頼んだで。アラム」

ハインツは立ち上がると同時に銃弾が犇き始めた広場へ踵を返した走った。振り返りもしない彼の背中に、残された巡回兵は必死に声をかけた。

「俺も行きますってば!隊長ー!」

背を追って巡回兵も行ってしまった。

あのアヤト連隊長の声を聞けば、誰だって巻き込まれまいと撤退を選ぶだろうに、わざわざ赴いて無事を確かめようとする辺り、本当にハインツは部下が大事なんだろうと思う。

アラムは枕がわりにしていた鞄を襷掛けにし、空を眺めていたロハネに声をかけた。

「行くよ」

「……」

何か思うところでもあるのだろうか。彼は声をかけられてからも数秒程空を眺め続けていた。

やがて右手に持っていた武器を左手に持ち直す。この動作が武器を抜く意志がなくなったことをを示すのは彼の態度からも分かった。

3人は走り出す。ハインツの部下を抱えて、まずは負傷者達の元へ。




「目標を確認」

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