06.
リーネの花は、スズランに良く似た花でした。
違う点は大きさと、色でしょうか。リーネの方がスズランよりも花弁が大きく、色は淡いクリーム色です。
大きな葉っぱの影に隠れてつつましく咲くスズランとは違い、リーネの花は威風堂々と葉っぱの上に顔を出し、風に揺れて、その香りを辺り一面にふりまいています。
群生する様は本当に見事です。そう言えば、最近は花見になんて行ってませんでした。小さい頃なら家族で何回か行きましたが、この年になると社内旅行やイベントで花を見るくらいです。
花の色と淡い緑は、目だけでなく心にまで優しい感じがします。
花畑を前に立ち止まっていると、前を歩いていたティナちゃんが振り向いて笑いました。片付けや料理を手伝ってくれる以外で、彼女が人型になってるのを見るのはこれが初めてです。
麗しい彼女が花畑に立つと、まるで完成された絵画のようで、知らずため息が漏れます。
「スミカさん、呆けてると転びますよ」
「大丈夫ですよ。ティナちゃんこそ、よそ見して歩くと大変ですよ」
「それこそ心配無用です! 私身軽ですから」
猫は確かに身軽ですが、人型でもそれは適用されるようです。羨ましいことです。日々の運動不足がたたって、お世辞にも身軽と言う言葉を使えない私としては、ティナちゃんの姿は眩しいばかりです。
「綺麗ですね。こんな綺麗な光景、久しぶりに見ました」
「今の時期だと見所はこのリーネの花ぐらいですけど、他の季節はもっと華やかな花がたくさん咲きますよ」
「この光景だけでも充分ですよ。ティナちゃんが誘ってくれてよかったです」
「リーネの花は毒性がありますけど、見る分には問題ないですからね」
そう言えばスズランにも毒性がありました。
姿かたちが似ると、そんな所まで同じになるのでしょうか。
「毒が強い所は花と根です。スミカさんは危険ですから触らないようにしてくださいね」
「そんなに強い毒なんですか?」
「個人差はあると思います。まあ激しい嘔吐と頭痛からはまず逃れられませんね。運が悪いと人は死ぬみたいです。マスターの印は獣避けにはなりますけど、毒素とかはどうにもなりませんから」
私達にはたいして効きませんけど。そう言ってティナちゃんはおもむろに手袋をはめて、群生するリーネの花を五、六本摘むと腰に下げていた布袋の中にしまいました。
「マスターに、ついでに採取するように言われたんですよ」
私が不思議そうな顔で見ていたからでしょう、ティナちゃんは手袋の花が触れた面を内側にして、元のように懐にしまいながら言いました。
「アーシャさんは、何に使うんですか?」
「薬の調合に必要だと言ってましたよ。何の薬かは聞いてませんけど」
「……毒薬でしょうか」
「薬の調合はマスターの趣味みたいなものですから、なんとも。出来上がった薬が実用された例は殆どないですね。作る過程が楽しいそうです」
「あ……それ、何となく分かります。料理と一緒ですね」
「スミカさんのはおいしいですけど、マスターのは棚の瓶が増えるだけです」
それから二人で同時に吹きだして、しばらく笑ったらお腹が好いてきたのでお弁当にする事にしました。
日陰が丁度良くできている木の下に陣取って、あらかじめ持ってきておいた敷物を敷いて準備は完了です。
ピクニックらしくバスケットの中にはサンドイッチとお茶が入ってます。
棚の中に入れておいたアーシャさん達の昼食も似たような感じですが、あちらはお茶ではなくスープを作ってきました。
本当、こんなわくわくする昼食は、小学校の遠足以来でしょうか。
童心に返ったような気分のまま、私とティナちゃんは近くの小川で手を洗って、バスケットの場所に戻ってきました。
お日様はぽかぽかでそよぐ風も心地よく、なんだか元の世界にいる時よりも幸せな気がしてしまいます。
元の世界に不満があったわけではありませんが、私にはこのぐらいのスローな生活が丁度いいのかもしれません。
来る時は散々な目にあいましたし、もう一度あれを味わえと言われたら全力で拒否しますけど。
そこまで考えて、姉の事をちらりと浮かびました。
姉もこの世界にいるのでしょうか。もしいるのだったら、一度だけで良いので会いたいです。心配をしているとかそういう感情で会いたいのではありません。ただ、聞いてみたいことがあるのです。
この森から出る事ができない私には、姉の情報を調べる事もできません。が、アーシャさんならもしかしたら、何か知ってるかもしれません。
帰ったら聞いてみようと思いつつ、私はタマゴサンドに口をつけました。
* * *
「レーイーン、お腹すいたんだけど」
「分かってますよ今スープ温めてますから! もう少し待ってくださいってさっきから言ってるでしょ」
「先にサンドイッチ食べるわよ?」
「駄目ですよ! それ僕の分も入ってんですからね!? マスターの手にかかったが最後、全部なくなるじゃないですかっ」
「やーね。あたしそんな事しないもーん」
「かわい子ぶるのは似合わないからやめてください」
スープの入った鍋の前で一人憤る使い魔を尻目に、アルシアは既にテーブルに並べられていたサンドイッチに手を伸ばす。
人一倍食べる彼のためにか、大き目の皿には所狭しとサンドイッチが並んでいる。二人分にしては充分な量に見えるが、彼にしてみれば少し足りないぐらいだ。
それを見越してかスープが入った鍋も巨大、具材も多めだ。
これに加えて朝食と弁当分を作ったのだから、スミカは一体何時に起きたのだろう。
彼女がこの館に住むようになってから、断然変わったのが食生活だ。
最初はこげていたパンも、今は焦げていない。薄すぎて味がなかったのも、一度文句を言ったら次からは丁度いい味になった。
スミカは賢い。そして順応性が高い。
水がしみこむように彼らの生活に溶け込み、今では違和感などなくこの森の住人になっている。そういえば、アルシアの口調に初対面で何か言わなかったのは彼女が初めてだ。
だから気に入った、というのもある。切り返しは早いのに内容と反応が微妙なのも面白い。けれどそれが時々不満でもある。
たまには普通の女らしい反応というのを見てみたい。
キャーキャー煩い女は嫌いだが、スミカは別だ。もう少し慌てたりとか騒いだりとか、不安そうな顔をするとか可愛らしい反応があってもいい。
だいたい、異世界に来たというのに元の世界に帰りたいというそぶりをまったく見せない人間も珍しい。希少種ものだ。
「ちょっ、マスター?!! 静かになったと思ったら何先に食べてんですか?! っていうかもう最後の一個なんてありえないですよ!!!」
「………あら?」
レインの声に我にかえれば、大皿に山のようにあったサンドイッチは残り一つ。しかもアルシアの手はそれをしっかりとつかんでいる。
考え事をしている間にも無意識に食べていたらしい。
「酷い!! 今日のサンドイッチ、せっかくスミカさんが僕の好きな具揃えてくれたのに!!!」
湯気をたてたスープを持ってきたレインが、テーブルの上の空の大皿をみて泣きそうな声をあげた。
「……そういえばタマゴサンドと鳥肉の照り焼きサンドが割合多めだった気も…」
といいつつ、最後のサンドイッチをぱくり。途端にあがった悲鳴は綺麗に無視する。この館では彼が法律。使い魔のものは主である自分のもの。
それにしても、使い魔の好みを聞いて、主であるアルシアの好みを聞かないとは無視しがたい事実である。スミカが帰ってきたら少し説教をしなければならない。彼女が気にかけるべきは使い魔たちではなく自分だ。
(………あら?)
サンドイッチを租借しつつそう思い、ふと何かがおかしい事に気がつく。けれど何もおかしなことはない。――だからこそおかしいのだ。
少し考えてみたけれど結果は変わらず、もやもやした何かを抱えたままアルシアはサンドイッチを完食した。