第52話 【突破】初めてバーを越えた俺が、眩しすぎるヒロインへ誓う「恩返し」。
「……よし、ラスト……! 引いて!!」
みさきさんの声が、ジムの空気を震わせる。
(ここだ……!)
俺は腹圧を限界まで固め、胸を張り、脊柱を一本の鋼の柱へと変える。
脚で大地を全力で押し込み、背中全体で重りを引ききる――。
――ドンッ。
100kgの鉄塊が床に沈み、重厚な震動が足裏から伝わった。
(……終わった……)
全身の緊張が一気に解ける。だが、二ヶ月前のように崩れ落ちるほどじゃない。
膝に手をつきながらも、まだもう一セットいけそうな手応えが体に残っている。
インターバルを挟み、さらに一セット。合計6回。
俺は今――三桁の重量を、完全にコントロール下に置いていた。
(マジかよ……俺が、100kgを……?)
じわじわと、熱い達成感が込み上げてくる。
ただ重い物を持ち上げただけ。
けれど、それは外部から与えられた一時的な強化ではない。
己の地力そのものが一段階上がった確信だった。
「素晴らしいです、八天さん。……じゃあ、次は……」
案内されたのは、――チンニングスタンド。
懸垂マシンだ。
「今日は逆手でやってみましょう。背中も使いますが、より腕の力……二頭筋を意識するスタイルです。いわゆる『力こぶ』で身体を持ち上げるイメージですね」
(逆手……か)
順手の懸垂は、未だに「0回」。
ジャンプして耐える「ネガティブ」は最初にくらべれば長い時間粘れるようになってきたが、自分の体を重力という名の鎖から解き放つことには、まだ一度も成功していない。
それでも――言われた通りに、バーを逆手で握る。
(……いけるか? )
深く息を吸い、意識を腕に集約させる。
――ぐっ。
(あれ……?)
身体が、浮いた。
今まで床に縫い付けられていたはずの「75kgの質量」が、嘘のように上へと加速する。
腕が収縮し、視界が跳ね上がり――気づけば、俺の顎はバーを軽々と越えていた。
(……え)
頂点で、一瞬だけ思考が停止する。
「……できた。できたぞ……!!」
着地と同時に、声が漏れた。
気付けば俺はみさきさんの方を振り返り、深く頭を下げていた。
「ありがとうございます……! デッドリフトの100kgも、懸垂も……全部、全部みさきさんのおかげです!」
「そんな。私はほんの少し、背中を押しただけですよ。頑張ったのは八天さんです」
彼女は少しだけ頬を染め、照れたように笑った。
(いや、その“少し”が、どれだけデカいか……)
夕陽が差し込むジムの中で、謙遜する彼女の姿は、どんな物語のヒロインよりも眩しく見えた。
(……何か、お礼がしたい)
言葉だけじゃ、足りない。
この二ヶ月。俺の「レベルアップ」を一番近くで見守り、支えてくれた人。
プロテイン? トレーニングギア? ……いや、プロを相手にそれは釈迦に説法だ。
女子受けするもの? ……ええいサッパリ分からん。
もっとこう、個人的に……彼女が、心から喜んでくれるものを――。
「八天さん?」
眉間にしわを寄せてフリーズしていた俺を、みさきさんが不思議そうに覗き込んでいた。




