34.売られた聖女は心を痛める2
フェリクス陛下が倒れた直後、飛び込むようにして部屋に入ってきたトルンブロム宰相は、一緒にやってきた騎士に矢継ぎ早に命令を発し、至急パルム医師を呼ぶようにと緊迫感のにじむ声で告げる。
そして、長椅子に横たわる陛下とその側についている私を見て、深く息を吐いた。
「ロセアン殿だけでもご無事で何よりです」
その声には暗い絶望がにじんでいた。
私は、陛下の血の気を無くした手を握りしめて尋ねる。
「陛下のおかげで、私はなんとか無事でした。陛下は、どうなさったのですか」
「今朝、陛下は毒を盛られました。下手人は捕らえておりますが、まだ命じた者の名はわかっておりません。
幸いパルム医師の処置が早く的確で、命は助かりましたが本来なら絶対安静です。
しかし、あなたが心配だということで、陛下は部屋を抜け出され、こちらへ来てしまわれたようです」
知らないところでそんな事態が起きていたのか。
元通りに魔力が扱えていれば、このようなことになる前に私が呼ばれていたのだろう。
何もできず、ただ守られることしかできなかったという事実がつらい。
「……セシーを、責めるな」
フェリクス陛下がうっすらと目を開く。
「起きられないくらい、陛下が無理をなさったせいです」
きつい言葉とは裏腹に、トルンブロム宰相の声には心配がにじんでいた。
陛下が意識を失わないように、ずっと宰相が話しかけておられる。
そうしていると、パルム医師が到着された。
体が限界だったのか、診察が始まるとすぐに陛下は意識を失うように眠りにつかれた。
一通り診察を行い、パルム先生は声を落として結果を告げられる。
「ご無理をなさったせいで、最初に取り込んでしまった毒が体に回っているようです。
水を多く飲んでいただき、少しでも体外に排出していただくしか対処のしようがないでしょう」
トルンブロム宰相は頷く。
「今夜、ひどく熱が上がられるかと思います。それさえ乗り切ってくだされば、ご快復も早いと思います」
「そうでない可能性もあると?」
パルム医師は目を伏せる。
それが、答えだった。
「私には、なんとも」
「そんな……」
告げられるパルム先生の言葉に、宰相は絶句する。
陛下の様子から、明らかに危ない状況だということが見て取れるのだ。
「毒に、私の治癒や浄化の魔法は効きますか?」
「ロセアン様の浄化魔法であれば、おそらくは。ですが、昨日見た限りだと、魔術を扱えるようになるには数日はかかると思いましたが、違いましたか?」
「そうですね」
――けれど、今、使えないのならば、私は何のために聖属性の魔力をもって生まれたというのだろう。
たとえ命を削ることになろうと、フェリクス陛下をこんな形で失いたくない。
「浄化が発動できず、何の役にもたたないかもしれません。ですが、試してみてもよろしいでしょうか」
「悪く作用することはないでしょう。どうぞ、お気のすむようになさってください」
パルム先生の言葉に従い、フェリクス陛下の元に戻るとその手を握る。
やはり、いつもするように、自分の中にある魔力をつかもうとしてもつかめない。
前は、ここで諦めていた。
だけど、今回はどうしても浄化の力が必要なのだ。
――絶対にフェリクス陛下を死なせたりしない。
その思いのままに、私は自分の手の中に残ったわずかな魔力を、直接陛下に送るようなイメージを持つ。
するとこぼれてしまう魔力も多いが、わずかずつ、岩の間を水が染みるように、私の魔力が陛下に伝わっていく。
魔術という形は与えられなかったが、聖属性を持つ魔力はそのままでも癒しにも似た効果を持つ。
予想通り、私の魔力は陛下を蝕むものに触れると、ほんのり光って消えていった。
その感覚は、どこか、ここに来た時の陛下の浄化の時と似ていた。
治癒できた量はあまりにもわずかで、気の遠くなるほど魔力が必要だということはわかるが、やろうと思えばできないことはないようだ。
ならば、あとはそれを成せば良い。
わずかずつしか魔力を渡せないので、ありったけの力を注いでいく。
どれだけの時間が経ったのか、名を呼ばれた気がして目を開けた。
集中しすぎたせいか、魔力を使いすぎたせいか、ぼんやりと頭が重い。
「セシーリア……、」
目を開けた陛下が私をじっと見つめていた。
その頬には血の気が戻り、もう毒の影響は見られない。
「また、あなたが助けてくれたのか」
「フェリクス陛下……。陛下が、私を救ってくださったのです」
湧き上がる思いは、言葉にならない。
気が付くと、頬を熱いものが伝っていた。
陛下は横たわったままその手を伸ばし、私の涙をぬぐうと、静かにほほ笑んでいた。