33.売られた聖女は心を痛める
それから、私はフェリクス陛下と過ごす時間がとても増えた。
魔力が使えない私の警護をするのに、陛下とともにいるのが一番効率が良いからだそうだ。
名目上は文化交流ということで、私がこの国のことを学んだりエヴァンデル王国のやり方を伝えたりする、という体裁をトルンブロム宰相が整えてくれている。
実際に、陛下と互いの国のやり方を話したりもして、私としても勉強になる。
そうして数日過ごし、今日は陛下の執務室でフェーグレーン国の気候について聞いていた。
「では、こちらは冬もあまり雪は降らないのですね」
「エヴァンデル王国も積雪があるとは聞いていないが」
「それでも、何年かに一度はうっすらと雪が積もることがあります」
「そうなのか。あちらは、こちらより、幾分寒いのだな」
陛下も知らないことがあるようで、お互いに有意義な時間を過ごせている気がする。
ふと、窓の外で鳥が飛び立ち、心臓にひやりとしたものが走る。
フェリクス陛下と話をしていると時々襲撃があるということを忘れてしまうが、時々このように現実に引き戻される。
それがひどく心臓に悪かった。
警備についている近衛騎士たちに緊迫した空気が漂った。
騎士二人が外を見に行き、何事もないことを確認して戻ってくると、近衛騎士たちは持ち場に戻り、再び警備の任についてくれる。
「いつ来るかわからないものを待つというのは神経を消耗するだろう。疲れてはおらぬか?」
「大丈夫です。陛下にいろいろと教えていただいているので、気がつくと忘れていることの方が多いです」
「四六時中張りつめていても、つらいだけだ。可能ならずっと忘れていてよいのだぞ」
今の私には何か起きても対応する力がない。
忘れてしまうことはできなくとも、気にしすぎてもよいことはなかった。
うなずくと、陛下が心配げな顔をされる。
「あまり毎日聞くのもどうかと思って控えていたが、パルム医師の診察ではどうなのだ?」
「だいぶん魔力の乱れは元に戻ってきているとのことでした。もうすぐ以前のように戻るそうです」
パルム先生の見立てでは毒の効果は消えかけており、もう間もなく元のように回復魔法が使えるのではないかということだった。
とはいったものの、私にはあまりその実感はない。
本当に、もとに戻るのだろうか。
黙り込んだ私をどう思ったのか、フェリクス陛下はそっと私の手を包むように握ってくれた。
「私が守るゆえ、セシーは心配などせずともよい」
「……恐れ多いことでございます」
フェリクス陛下を見上げると、心配ないというように微笑んでおられる。
その笑顔に、私も微笑みを返した。
翌日のことだった。
魔力が扱えなくなってから陛下が毎朝部屋に迎えに来てくださっていたのだが、今日は朝から突然時間の変更の知らせがあった。
代わりに、陛下がいらっしゃる時と同じように護衛の騎士たちが増員されている。
知らせにきてくれたエーリク事務官によると、場合によっては今日は一日別行動になるかもしれないという。
ずっと私がそばにいたので、差しさわりのある執務が溜まっているのかもしれない。
部屋で陛下からお借りしていた本を手に取る。
数ページ中身をめくったところで、来客を告げる声があった。
マリーが見に行ってくれる。
(陛下がいらっしゃったのかしら――?)
けれど、代わりに聞こえたのは何やら言い争う声だった。
珍しくマリーが声を荒げている。
見に行った方が良いだろうか。
部屋の入り口には護衛に騎士もたっていたはずだ。
危険はないはずなのに、どうしてか胸が騒ぐ。
そうしている間に急に静かになった。
本を机に置き、立ち上がったところで、部屋の扉が開いた。
そこにいたのはマリーではなく、見たことのない男の人だ。
騎士の服はきているけれど、その目は濁っている。
「マリーはどうしたの?」
「侍女のことより自分のことを確かめた方がいいんじゃないかい?」
男が一歩踏み出し、私は一歩後ろに下がる。
部屋の中を見回すけれど、武器になるようなものはない。
この部屋には窓しかなく、庭に出ることのできる部屋は、隣だった。
そちらにも警備の騎士はいる。
声を上げれば来てくれるだろう。
どうにか逃げなければ。
けれど、声を張り上げようとしたその時、隣の部屋への入り口があちら側から無造作に開けられた。
「ちっ、まだ終わっていなかったのかよ」
入ってきたのは、どこかで見たことがある騎士だ。
発言からして、明らかに襲撃者側の人間だ。
私は、逃げ場を失ったことに絶望を覚える。
男をよく見ると、ひげが伸びているが、騎士団で治療を始めた日に食堂でヤンネさんに絡んでいた人だった。
確か、『フーゴ』という名だったか。
フーゴは抜き身の剣を手に持ったままだ。
その剣からは血が滴っている。
その血は、庭の方の警備についてくれていた騎士のものかもしれない。
……助けは、期待しない方がよいだろう。
だが、まだ諦めるのは早いと気を取り直す。
時間を稼げば、誰かが異変に気がついてくれるはずだ。
「フーゴさん、ですか……?」
「へぇ、聖女サマは俺なんかのことまで覚えててくださったんですね」
「どうして、あなたが……?」
「それは俺の事情ってやつです。あんたこそ、こんなに恨まれるなんて何をやったんです?
依頼主は、あんたをずたずたにして殺してくれっていってましたよ」
必死に話しかけるけれど、フーゴは嫌みな口調で返答し、もう一人の騎士もそれをニヤニヤと眺めている。
「何も、していません」
「ふぅん。聖女サマは少々にぶくていらっしゃるようだ」
そうして話している間にも、剣を向けられ、私はどんどん部屋の隅に追い詰められていった。
時間稼ぎはどうやら失敗のようだ。
フーゴが剣を振り上げ、もう一人も私が逃げないように私に剣を向けている。
「私の命が欲しいのですか?」
「そう。生きたまま怖い思いをするのは、俺もちょっとはかわいそうだと思うよ。
だから、おとなしくしてくれていたら、そっちは死んでからでいいかなって思うんだ」
言外に、抵抗するならばなぶり殺しにすると告げられる。
「素直に、私が殺されるとでも?」
「抵抗できるなら、やってみろ」
フーゴが振り上げた剣を私めがけて振り下ろす。
その時だった。
「ロセアン様!」
「こいつ、うごけたのかよ!」
廊下側の扉があき、マリーが飛び込んでくる。
そのままマリーはフーゴに体当たりをし、共に床に倒れこむ。
フーゴの剣が手から離れ床を滑った。
「いってぇ」
「てめぇよくも!」
「マリー!」
倒れこんだフーゴは痛みで悶絶しており、もう一人がマリーに向かって剣を振り上げる。
とっさに、私ももう一人の男に体当たりをした。
男の体を下敷きにするようにして、床へと倒れる。
マリーはというと、フーゴともつれ合いながらも起き上がり、なんとか僅差でフーゴの剣を拾い上げた。
私は起き上がろうとするが、男は私を乱暴に押しのけると立ち上がった。
倒れたままの私を、男が蹴り上げる。
「っ……」
「くっそ、この女、調子にのりやがって……!」
「ロセアン様から離れなさい! この男がどうなってもいいのですか!」
「お好きにどうぞ。聖女サマの命さえ奪えれば、俺は別に構わないからな」
荒い息を落ち着かせようとする男が、剣を構える。
「そんな、ロセアン様、お逃げください!」
「は、ちょっと判断が遅かったな」
そうして、男は剣を振り上げ、私に向かって振り下ろした。
私は、衝撃を覚悟して、思わず目を閉じた。
次の瞬間、聞こえたのは男の絶叫だった。
「……間に合ったか」
聞きなれた声に目を開けると、そこには腹から血を流しうずくまる男と、その男を剣でつらぬく陛下がいた。
「……フェリクス陛下!」
「無事でよかった」
そう私に告げる陛下の顔色は、今まで見たこともないほどに白かった。
「げ、陛下は毒で死にかけてるんじゃなかったのかよ」
フェリクス陛下を見て、フーゴが叫ぶ。
私は驚きで、陛下を見つめた。
陛下は荒い息をつきながらもフーゴを見つめている。
フェリクス陛下の血に濡れた剣の切っ先は、フーゴに向けられたままだ。
その間に、騎士たちが部屋になだれ込んできて、フーゴと血を流しうずくまる男に剣を向ける。
「聖女殺害未遂だ。二人を牢に連れていけ。できればまだ死なせるな」
二人を引きずるようにして騎士たちが連れていく。
それを見届けて、フェリクス陛下の体が傾いだ。
私は立ち上がると慌てて駆け寄り、陛下の体を支えるようにしてなんとか長椅子に寝かせる。
「大丈夫だ」
だが、そう言ったものの陛下は目を閉じたまま、荒い呼吸を立てている。
「陛下、……!」
答える声はなく、陛下は意識を失ってしまわれたようだった。






