砂漠での遭遇
「…………とりあえず、移動するか」
砂漠で思案すること数分、和人は力なくそう呟いた。和人には何が起こっているのかさっぱりわからない。だが、このまま何もしないでいても状況は好転しないだろう。
というわけで、非常に不本意ではあるが、この極暑の中砂漠を探索することにした和人。できるだけ早くここから出られますようにと祈りながら、和人は一歩を踏み出したのだった。
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歩き始めてから数十分ほど。未だに人影は見えない。
数十分程度歩いたところで景色も変わるわけがない。和人も当然そのあたりは予想したが、実際に経験すると思ったよりも精神的にくるものがあった。
あまり運動が得意でない和人にとっては、数十分歩き続けるということも十分に過酷だと言える。しかも、太陽が容赦なく照りつけてくるので暑いことこの上ない。
体中から汗がとめどなく噴き出し、服が体にへばりつく。和人は汗を拭きたいと切に願うが、それはできない。
彼が起きたとき、周りには砂以外なかったし、和人も何一つ使えるものを持っていなかったのだ。それはつまり、この不快感をぬぐい取れるタオルや、喉の渇きを潤せる水などを持っていないということで…………
「……先を急ごう」
和人がこうした反応になるのは、ごく自然なことなのだった。
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「………………何時間経った?」
それから歩き続けたものの、いっこうに景色が変わる気配がない。そのおかげで和人は全く進んでいる実感が持てない。
汗が滝のように溢れ、和人の着ている服はもう水分を吸えていない。ポタポタと顔から汗が滴り、砂の上に落ちていく。
「はぁ………はぁ………」
和人は息を切らしながら、体を必死に動かす。
正直なところ、和人の体力は既に底を尽きていた。それでも、ここで立ち止まることはできない。
和人は辺りを見渡してみる。そこには、誰もいなければ砂以外のものがない。
そう、ここで立ち止まっても意味がないのだ。歩き始めたときから何一つ進展がなく、ただ体力を減らしただけ。せめて、何かを見つけてから。休んでもいいのはそれからだ。
(干からびるのは嫌だからな…………)
和人は内心でそう考えながら、動かなくなりかけている脚を無理やり動かすのだった。
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更に時間が経過し、和人は精も根も尽き果てていた。
もはや声を発することもできず、背筋は曲がりきっている。両腕がぶらりと垂れ下がったまま歩き続けるその姿はまるで幽鬼のようだ。もう砂だけの景色は見たくないと言わんばかりに顔は上げていない。
和人の17年来の人生でここまで歩き続けたことは初めてだ。そもそも、起きたらいきなり砂漠が広がっているという事態が初めてなのだが……
悪い意味での人生の初体験が続き、和人の精神はもうボロボロだ。こうして歩き続けていること自体が奇跡といっても過言ではない。
そんな和人の虚ろな瞳に、とある変化が映った。
砂が赤くなっているのだ。正確には、白い砂が薄く橙に色づいている。和人はこれがどういうことかよくわからなかったが、しばらくして答えにたどり着いた。
(もう夕方なのか……)
そう、日が傾いたことで夕日が差しているのだろう。その色が辺りを染めているのだ。
歩き始めた時はだいぶ日が高かったことから、和人は少なくとも5、6時間程は歩いていることになる。休息や水分補給もなしに。
そんなことすれば誰でも疲れ切ってしまうだろうと、和人は心の中で苦笑をする。そして、夕方の砂漠でも見ようと半ば投げやりに顔を上げた。
「…………」
その目の前には今までどおりの平坦な砂漠が広がって………いなかった。
今までの白色が途端に色を変え、緑色になっていた。それは、植物の緑。あまり広くはないものの、それらは生い茂っていた。
そして、その草木はあるものを囲むように生えている。それは水をなみなみと蓄えた泉だった。和人の目の前に広がっている光景、それは間違いなくオアシスだ。
和人はそれを見た途端、それまでの疲れを忘れたかのようにかけ出していた。
オアシスであれば水分補給ができるし、休憩もとれる。しかも、運が良ければ他にも休んでいる人に会えるかもしれない。
そんな希望に満ちたことを考えながら、和人はオアシスに駆け寄る。
しかしながら、和人は失念していた。
今、和人は未知の状況下に置かれているということ。起きたら砂漠にいたという、普通でない経験をして、それはいまだに続いているのだ。
そして、オアシスの周りに人がいるかもしれないということは人以外もいるかもしれないということ。
とうとう和人が緑を踏みしめ、大きな茂みの横を通り過ぎたその時----
--ザシュッ!!
突然、何かが切り裂かれたような音がした。その直後、和人は左腕に鋭い痛みを感じる。
「うっ………!」
和人は痛みに耐えきれず膝をつく。痛みがした左腕を見ると、そこには傷ができていた。
木の枝に引っかかったとか、その程度の傷ではない。幅10cmほどの大きな傷が等間隔に3本できていた。傷口からは赤い液体がドクドクと溢れ出し、腕から滴り落ちていく。
どうしてこんな大怪我をしているのだろうか?
和人が唐突な事出来事に目を白黒させていると、
--グルルル…………
すぐ左、傷を受けた方向から獣の唸り声が聞こえた。それは、ただの動物にしては余りにも威圧感がありすぎる。
まるで心臓を握られているかの感覚に冷や汗を流しながら、和人が声のした方向を恐る恐る見る。そして、彼は化け物を目撃した。
『それ』の見た目に最も近い動物は狼だった。鋭い眼光、剥き出しになった牙、全身を覆う灰色の体毛、どれをとっても狼のものといえるだろう。しかし、和人の記憶にあるどの狼とも符合しない。
なぜなら、『それ』は巨大過ぎるのだ。全長は2m半ほどあり、和人を見下ろしている。その爪も、体に合わせてやはり巨大で、右手の爪から血が滴り落ちていることから、和人の腕はこれに切り裂かれたのだろう。
そして何より異常なのは、『それ』は二本足で立っているのだ。まるで人間のようにまっすぐに立つ、狼のような化け物。
その化け物は和人を睨みつけている。その目はまさに獲物を見つけた捕食者のそれであった。
和人はその視線に呼吸さえも上手くできない。酸欠で上手く回らない頭で考えるのは疑問。どうして、こんな恐ろしい生き物がいるのかわからない。
それでも、ただ一つわかることは……
(このままだと殺される)
和人は化け物から目を離さず、逃げようと震えながら後ずさった。だが、そうすると化け物も和人に迫ってくる。和人が動けば、化け物も動く。その様は完全に弱者をもてあそぶ強者のそれだ。
和人は頼むからいなくなってくれと、必死に祈りながら化け物から距離をとろうとする。
そうしているうちに、いつの間にか和人は後ろに下がれなくなっていた。背中に圧迫感を感じることから、木にぶつかったのだろう。それを理解した瞬間に、和人の顔からこれ以上ないほどに血の気が引き、なにも考えられなくなっていく。
和人のその状態に気づいているのかいないのか、化け物はさらに距離をつめていき…………
--ザシュッ!!
再度、凶暴な爪が何かを切り裂く音が響く。切り裂かれたのは、オアシスに生える樹。
化け物の腕が振り下ろされる瞬間、和人は悪寒を感じて右に飛びのいていたのだ。結果としては、死ぬことはなかったがその顔色が良くなることはない。
(避けるのが少しでも遅かったら……)
そんな想像をして身震いをする。化け物は和人をもう一度見つけ、再度右腕をふりあげる。
今度は、避けられる気がしない。和人は何もできないまま、大きな爪がふりおろされるのを見て----
--ガキンッ!
突如、金属音が鳴り響いた。見れば、化け物の様子もおかしい。腕を和人にふりおろすのではなく、空中で止めている--否、止められているようだった。
「大丈夫か!?」
何が起こったかわからず呆然としていた和人に、声がかけられた。声の方向を見ると、重そうな鎧を身につけ、剣と盾を持った大男が駆け寄ってくる。
化け物は大男の方を脅威とみなしたのか、そちらに向かいなおった。そして、一瞬で男との距離をつめ、爪を振り下ろす。
あまりの速さに和人は反応ができなかった。だが、男はその一撃を難なく左手の盾で受け止め、すかさず右手に持った剣をふるう。すると、化け物の左手首がずれ、そこから先が地面に落ちた。
和人はその様子を見て、目を見開いていた。そして、驚いたのは化け物も同じだろう。なくなった左手を見て動きを止めている。その隙に男が追撃を入れようとすると、化け物は咄嗟に後ろに飛び退く。距離をとった化け物は自分の左手と男を交互に見る。しばらくして、不利を悟ったのかそのまま逃げ去っていった。
(助かった………のか?)
和人は混乱する頭でそう結論づけた。その途端、体から力が抜け倒れこんでしまった。助かったと認識して、張り詰めていた緊張が解けてしまったのだろうか。次第に目蓋も重くなっていく。
男の声が遠くから聞こえるように感じるが、和人は眠気に逆らえず、急速に意識を失った。