表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

懺悔の終幕






逆らえない、必然なのか


それとも、運命だったというのか


坂本には、それが自分の選択によって起きてしまったことを、わかってはいない


懺悔は、気づかぬからこそ、起こるものであり、懺悔しても気づくのは自分の罪だけ


懺悔の終幕



         懺悔の終幕


「坂本さん、どうしたんですか?」


 水原家から仕事場に戻って来てから、私は一言も口を聞いていなかった。

 私の手が震えた。カタカタと…。この震えがずっと止まらない。

 口も聞かず、泥に汚れている制服を着て、うち震える姿を見れば誰でも心配に思うだろう。


「……わ、私は」


 自分の頭に震えた両手を持っていき、髪のセットがくずれるほど強く掴む。

 目を瞑り、私は今までの事を思い返した。


「何て事を…… ――ッ私は!!」


「坂本さん?」


 山本拓が私を心配するように声を出した。


「私はあの人の辛さを思って!! ――だからッ!!」


 強く自分の机を両手で叩く。部屋中に鈍い音が響いた。

 だから、私は……勿忘草を。


「山本……お前なら、信じられるか! ずっと待ち望んでいた人が死んでいたなんてッ」


「? !!もしかして……み、水原さんの事ですか?」


 そうだ! 水原綾芽の事だ!!


「私は……あの人の、水原さんの恋人が死んだという手紙を!! 私は彼女を傷つけまいと思って!! ……その手紙の内容を私がすりかえて読んだんだ!!」


 死んでない!!と。

 どうしてもあの人の悲しむ姿だけは見たくなかった!!

 数滴、私の瞳から涙がポツポツと机に落涙した。


「手紙の内容を……すりかえて読んだ?」


「そうだっ、私は…目が見えないのを良い事に彼女にッ、嘘をついて!」


 でも、私はやってはいけない事をしてしまったのだ!


「私は!その後も彼女に偽の手紙を読み続けたっ!!」


 彼女の恋人は殉職したのに。

 手紙はもうどうやっても来ないはずなのに。

 それなのに手紙は、信じられない事に、彼女の手元に来た。

 そして、手紙の中では彼女の体調を厚く心配した。

 その矛盾。

 私の涙はもう止まらない。


「?」


「それは私が書いた、偽の手紙なんだぁッ!!」


「えッ!!?」


「私が、死んだ恋人の代わりになって!水原さんのために! ううあッ……!」


 出る言葉出る言葉が、私の頭の中で混乱して、うまく伝えられない。

 悲しみと罪悪感とが、私の内心を揺さぶり、言葉の代わりに涙だけを溢れさせた。


「黒達命令が出て、私の地区はたったの四枚だった……。その時はまさか、あの人の黒紙があったなんて!!」


 あの時の、一斉黒達命令。この郵便局に来た黒紙は全部で二十数枚……

 そのうちのたった四枚が。

 家を回る度に、一枚一枚……無くなっていく。

 そして黒紙が配達された家族には、何度も野次られ、罵倒された。

 大声で「万歳!!」と、「本国万歳!!!」と言って、無理な笑顔で泣き叫ぶ家族を私は見ていた。

 その地獄を見て、私は。

 正直、ほっとしていた。

 その度に私は安堵していた!


「私は、黒紙の住所は見なかった。配達するその時まで、見る事が出来なかった」


 水原綾芽の配達場所は最後。


「それまでに……無くなれば良いと思っていた……」


 だけど、残ってしまった。

 一枚だけ、薄く冷たい、悪夢の三行半状が。


「その時だけは、私はどのようにして水原さんの所へ行ったか、覚えていない……。呆然としていて、これがいつもの日常だなんて……」


 信じたくなかった。


「フネさんの表情が凍りついたのだけは覚えている」


 その震える黒紙を前にして、私はフネさんに顔向けする事が出来なかった。


「坂本さん……」


「フネさんが、酷く辛そうに見えたから。壊れそうに見えたから、私は言ったんだ。『辛いのならば(・・・・・・)、貴方の代わりに。私が水原さんに伝えましょう』と」


 自分の震える両の手の平を凝視して、思い返した。

 馬鹿だった、と。

 あの人の引導を渡す役目を自ら背負ってしまって、普通なら、そんな過酷な運命を背負わなくても良かったはず。

 だが誰がこの現実についていけるのだろうか…

 日常が崩壊するほどの絶望と変化を持つ黒い紙。そこにもう彼女の恋人が生きているという奇跡など望めるはずが無かった。

 話す言葉すら、周りの時間ですらが、微動画のように遅く感じた。

 水原さんを前にした時。


「あの人を前にして、私は……泣き出しそうになった」


 なぜなら、水原綾芽は。

 ――笑っていた。

 黒紙が私の手にあるのを知らずに。

 その私を目の前にして、彼女はいつものように笑っていた。

 ただ、恋人からの手紙が来たと思って。

 私は何か言葉に詰まって、必死に涙を我慢した。

 彼女の笑顔が自分の心を酷く揺さぶって、苦しませた。

 そして私は決断した。

 私は、フネさんと水原さんの前で、その黒紙を読み聞かせた。

 その手紙を、普通の手紙として。

 ありふれた、日常の手紙として。

 元気にしていますか、と。

 書かれてもいない、文章を私は読んだ。


「フネさんにも事情を判ってもらって、この事は後で伝えよう、と決めた」


 しかしそれでは欠点が残ってしまう。

 手紙がもう二度と来ないという欠点が。

 それだけはどうしても、早急にどうにかしなくてはいけなかった。

 あの人だけには絶対に勘繰られてはいけないのだから。


「だから、私があの恋人の代わりになって、幽霊作家となった」


 あの人の為だけの、専用作家。

 言葉は汚いかもしれないが、それでも一生懸命書いて、彼女にその手紙を読み聞かせ続けた。

 いつもと変わらない日常を守る為に。

 手紙さえ着続ければ、彼女はいつものように笑っていられる。


「そう思っていた……だが」


 ――違った。

 それでも彼女は泣いた。夢の中で、あの恋人の幻想を必死に追い続けて。

 もがき苦しみ、言葉にならない葛藤を吐き、ただただ涙を零した。

 手紙だけでは、彼女の心を繋ぎ止めてはいられないのだ、とその時気付いた。

 必要なのは恋人という実体、存在なのだと。

 いつか帰ってくると、彼女はその日を信じて、夢の中で苦しみ続けた。

 日常では笑い、夢の中では今にも死にそうに、もがき苦しむ。

 それを彼女は繰り返していた。

 ――地獄だった。

 見ている私も、それ以上に苦しむ彼女自身が。

 だから、私は決めた。

 その苦しみ、悪夢を見続ける薄命のような彼女の姿を見て。

 私は信じられない事を、実行した。


「忘れさせた」


「は?」


 その黒紙が届いた十五日後に。

 全てを忘れさせる草、勿忘草を使って。


「私はあの人の思い出を忘れさせた!」


「あ……な、何言ってるんですか? 忘れ、させるって、そんなの……」


 無理。だが、


「……出来たんだ」


「!!」


「今でも信じられない。あの草が、人の思いを忘れさせたなんて……」


「く、さ……?」


 あの青紫の小さな花をつけた綺麗な草。普通に見れば、可憐でとても美しいものだったはず。

 だがその清麗さとは違い、それは忘却の草だった。


「友人が言ったんだ。全てを忘れさせる草があると。私も半信半疑だった。だけど、なぜかそれに心が強く惹かれてしまって。他の方法も探した。何か彼女を助けるような方法を悩みぬいた!でも、そんな奇跡なんてなかった。だからッ! 私はあれを、使ってしまったんだ……」


 その時の私はどうかしていたのかもしれない。

 そんな得体の知れないものを使うと決断してしまったのだから。


「飲ませた後、私は彼女に確かめた」


 祐介君(・・・)の手紙です、と。

 まだ疑心が振り払えず、ただの確認として彼女に聞いた言葉だった。

 本当に彼女は忘れてしまっているのだろうか?

 恋人。

 そう彼女が応えてくれたら、嘘くさい話に騙されたのだ、と納得もできただろう。

 だが、そこで述べた言葉は。


『誰ですか、その人?』


 簡単にはっきりと彼女は言い捨てた。氷のように冷たく、無関心な態度で。

 自ら最愛の恋人の名を、遍く否定した。

 その余りにも素っ気ない態度が、私には演技には見えなかった。

 嘘でも偽っているわけでも無かった。

 いや、演技でさえも在りえなかった。


「本当に彼女は、自分の恋人(かもがわゆうすけ)に関する事、全て忘れていた……」


「そ、そんな……」


「フネさんと私は共に魂が抜けたように、立ち尽くしていた。今、起こっている事が現実なのか、分からないまま……。その後、彼女が言ったんだ」


 私がした質問の真意も分からずに、腑に落ちないような表情をして、彼女はこう述べた。

 その言葉は、鴨川祐介(・・・・)に対する最後の思い出のカケラ。その片鱗。


『でも、私。なんで、手紙を心待ちにしていたのかしら……』


「その言葉を聴いて、私は無我夢中で家を飛び出した」


 一目散に。

 自転車を乗ることすら、忘れて。ただひたすら、ひたすら走って逃げた。

 彼女が全て忘れさったという、現実を前にして。

 あの人の恋人の事、全て忘れてしまったというのに、妙にすっきりした水原綾芽の表情。

 私は、それに畏怖した。

 まるで巨大な闇から逃げるように、気付いた時には郵便局の前にいた。

 そして魂が消えたように、地面に力なく倒れこんだ。

 それが今までに起こった真実。

 現実に引き戻されたように、蝉が絞り出すような声がはっきり聞こえた。

 机にある、無機質な書類を見つけ、憎む。

 そして薄汚れた木の机にあった書類を、手の平でぶち撒けて、私は叫んだ。


「ただ私は!!」


 書類が花びらのように、ハラハラと舞った。

 そのまま床に崩れ落ち、苦渋に満ちた山本の顔を見た。


「あの人の!」


 痛いほど、ぎゅっと、自分の拳を握り締めて、床を強く叩く。


「あの人の……辛い思い出を、忘れさせてやりたかったッ」


「……」


 いつのまにか、蜩の鳴き声が止んでいた。


「それだけなんだ、あの人が苦しむ姿なんてッ!悲しむ姿なんて……」


 見たくなかった。

 瞼の裏に焼きつく、あの人の笑顔。

 あの笑顔だけは奪われたくなかった。


「だか――」


「だから、忘れさせた。ですか?」


 山本が私の言葉をそのまま引き継いでいた。

 だが、その言葉には明らかに怒りが込められている。


「山、本……?」


「坂本さん。信じられません。例え本当に、人の思いを忘れさせるものがあったとしても……」


 山本の顔は苦悶に満ちて、唇を噛んでいた。そして、体が小刻みに震えていた。

 山本は数秒溜めて、思い切り声を張って叫んだ。


「それを使っては、いけないはずでしょう!?」


「――――」


 ―――図星だった。

 判っているつもりだった。

 本来ならありえない出来事なのだ。

 人の思いを忘れさせる事が出来るなんて、普通はありえない。

 そんな事は私自身、よく判っていた。

 それが、人の悲しみも苦しみも、例え全ての思い出を忘れさせられたとしても。

 私はその現実に在り得ないものに頼ってはいけなかったのだ。

 でも、私は信じてしまった。

 そんな異質たる存在を信じてしまっていた。

 それでも私には、それを使いうる理由があった。

 ―――どうしても、あの人に苦しんで欲しくなかった。

 というその理由が。


「だが、彼女も思っているはずだ……恋人が死んだ真実なんて聞きたくなかったって、そう思っているはずだ。だって、そうじゃないか、真実を聞いてしまったら、絶望どころか彼女は……」


 生きてゆく理由すら無くなってしまう。


 口火を切って出た紛い事は、苦しみを全て吐き出すように、止まらなかった。ただ、言い訳をしてでもこの苦痛から逃れたかった。これ以上苦しむ事が震えるほど怖かった。


「……」


「だから、彼女は幸せなんだ。辛いことで苦しまずに、忘れられて幸せなんだ……」


 頬を微妙に引き攣らせて私は笑った。本心からか、それとも嘘として貫き通したいからか、自分でもよく分からない。

 もう自分の心は滅茶苦茶に打ち拉がれていた。


「……ふ、ふざけるなッ!!」


 瞬間、大声と共に大きく振りかぶった山本の拳が、鈍い音とともに頭に響き、私の右頬に直撃した。

 近くにあった椅子を巻き込んで地べたに不様に倒れこむ。


「ぐッ、な、何を!山本ッ……」


「坂本さん!!どんなに辛い事が在ったって、人の思いをそう簡単に忘れさせてしまう事が許されるわけがない!!」


 それが例え出来るのだとしても。

 口の中で鉄臭い味を味わい、山本の怒声に私の体は固まっていた。あの気弱い性格の山本が ここまで激怒するなんて、私自身今までに見たことがなかった。

 山本が私のシャツの襟元を強く掴む。


「辛い事だって!人間の思い出の一つなんだ!! ――辛い思い出だって!人間の幸せなんだ!!」


 心の奥底から山本が叫んだのが分かった。

 呆然と私は山本の苦しみ、歪むその顔を直視した。


「それに忘れる事が幸せかどうかなんて、勝手に決めないで下さい!! ――思い出はその人

のものなんだ!!勝手に不幸か幸せか、本人じゃないあんたが決めていいはずがないんだッ!」


「ち、違う。私は、そんな」


「坂本さん。貴方は最低だ。人の思いを踏み躙って、何が幸せなんですかッ!!?」


 私の心の根幹が揺れる。絶対に壊されたくない、信じたくないその最後の砦が。

 山本がまるで自分が苦しんでいるかのように、思いを吐き出す。


「何より思い出は、忘れる為にあるわけじゃ、ないんだ……」


「!!」


「思い出は、ずっと忘れない為にあるんだッ!!」


 思い出とは、楽しいことだけを指すのではない。辛い思い出を含んでこそ、思い出といえるのだ。人間だからこそ、辛い事や悲しい事、そして楽しい事が分かるのだから。思い出は人間が生きてきた歴史と同じものなのだから。

 何よりも、人間は思い出と共存する事が出来るのだから。

 体中の力が全て抜け出てしまうのが分かった。もう重力にすら逆らえないほど、心が死んでしまった。出来るならこのまま、泣き叫び、一生苦しんで…死にたかった。

 でも、もう起こってしまったのだ。私が彼女の人生を変えてしまったのだ。

 もう変えられない不変たる事実にさせてしまった。

 それをまた変える事にも無かった事にも出来ない。

 忘れさせても、何も変わらなかった。


「なあ……山本。私は……どうすれば、いいんだ?」


 責任があっても、私にはその取り方がわからない。

 それほど弱い自分に、今更ながら気付いた。

 そんな自分に馬鹿馬鹿しくて、私は小さく笑った。

 思わぬほど弱々しい声で、山本に聞こえたのすら分からないほどの声で。


「……」


「なあッ!! 私は、どうしたらいいんだッ!!」


 山本の襟首を千切れるかと思うぐらい、強く掴んだ。

 泣きながら。

 苦しみながら。

 私の言い知れない感情をぶつけ、縋った。山本に縋る事自体間違っているのかもしれない。

 それでも私は一層強く、山本の襟首を掴み離さなかった。

 離せなかった。

 何かで償って、起こった事全てを帳消しにしてしまいたいと切に思った。

 全てが幻のように、掴むことのできない水月のように。

 ただ私は。

 ――自分だけが大切だった。


「苦しめよ」


「  うぁ?  」


「ずっと、死ぬまで。人間の大切なものを奪ったんだ。その咎、落とし続けろよ」


 存在理由に等しいものを奪ってしまったのだから。


「あ、ああっ、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!」


 ただ、その場で崩れて、泣くにも似つかない、苦しみの声を上げるしかなかった……

 山本の冷酷な言葉が、私の存在意義全てを否定した。

 人の思い出がここまで、重いものだとは気付かなかった。

 人の思いを踏み躙る事が、こんなにも痛いものだとは知らなかった。

 それが、私の業だった。




 その後、私は自宅で数日間自主謹慎をしていた。

 あの出来事以来、どうしても郵便局へは行く気がしなかった。

 この数日間、やる気がなくなったようにずっと引きこもっていた。

 いつもの日課のように郵便入れを確かめると、私のところに二通の手紙が来ていた。

 茶色の封筒と紫色の封筒。

 その一つ、茶色の封筒は水原綾芽からの手紙だった。私は驚きを隠せず手紙を確かめる。

 その茶色い封筒の日付は……


(勿忘草を飲む前……!?)


 つまり、私があの人の記憶を忘れさせる前、という事だった。

 私はおそるおそる封筒を破り、中にある純白の紙を出した。

 そこには――

『拝啓、坂本様。近頃の御調子は如何ですか。先日、私はあなたがいつ来るのかと思慮してい ました。貴方に話しておきたいことがあります。

 ごめんなさい……

 私は知っていました。あの人が殉死した事を知っていました。

 あの時、私は貴方たちの話を不意にも聞いてしまって、あの人が死んだことを知りました。 正直、その夜は辛くて悲しくて眠れませんでした。このまま…深い眠りに就きたいとも思いました。

 しかし、絶望にかられて泣いていたとき、貴方が来てくれました。

 覚えていますか?

 あの人が死んだことを知っているとは知らない貴方が、あの手紙を持って。そしていつものようにフネさんが読み聞かせてくれました。あの人を装って書いた無骨で稚拙な文章でしたけど。

 でも、嬉しかった。

 貴方の思いがとてもこめられていましたから。

 どれだけ私のことを思いやってくれたのかが分かりましたから。

 最初は恨みました。貴方が、持ってきたあの忌々しい黒紙に。

 最初から貴方には罪なんてない事を承知でした。誰かを恨んでいなくては生きていけなかったのです。

 貴方の……手紙は嬉しかったです。例え、あの人からでは無いのだとしても。

 お願いです。もう一度、貴方の声であの手紙を読み聞かせてください。

 貴方の声をもう一度……聞かせてください。            敬具、水原綾芽。』




 私は意味もなく叫んだ。


 彼女は知っていた。知っていたのだ。

 あの手紙が、私が書いたものであって、その中に書かれた言葉は全て偽物である事を。

 手紙の持つ手が小刻みに震え、文面が揺れる。

 恋人じゃない、私からの手紙だと。

 なにより、恋人が戦場で死んだという現実を。

 彼女は知っていたのだ。

 文面にはっきりと書かれている。

 全ての事情を知っていた、と。

 その事から分かるのは……

 彼女自身、悲しみから絶望から立ち上がろうとしていた事。

 心の傷から一生懸命、這い上がろうとしていた事。

 そして生きようとした事。

 彼女は苦しくても生きる道を選んだ(・・・)のだ。

 だとしたら、忘れさせた意味がない(・・・・・・・・・・)……のか?

 そうだとしたら、私のした事全てが無駄だったという事。

 ただの私の独り善がりだったという事。

 勿忘草はいらなかったという事。

 つまり――私が彼女を殺したのだ。

 彼女の生きる意味を勿忘草という凶器を使って。

 絶望だった。

 知っていましたという文面が涙によってもはや見えない。


「…………………………!!」


 声すら出なかった。

 言いたい事が沢山ある。

 だけど、唇が震えて、頭が混乱して、言葉が無い。

 ただ、ガタガタ震えるだけ。壊れた玩具のように。

 その白い手紙を力いっぱい握りつぶして。

 そして今にも泣き出しそうな声で、やっと弱弱しく声を搾り出した。



「う、そだ……」


 もう一枚の手紙、紫色の封筒を見据えながら、彼の物語は終わった。










なぜ、生きようとしていたのか


どうして、絶望に彼女は立ち向かえたのか


どうして、大事な彼を待っていたのか


それは、二人の誓いが何よりも強かったからに他ならない


最初から物語は決まっていた


必然の幕引きへ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ