第11話/初めてのミトハロ/Limited_NAGI.pov
///どこかのビーチ///
体の揺れ。
右頬が痛い。
顔に細かいものが付着しこそばゆい。
聞いた事のない音がする。
規則的でも不規則でもないその揺れは、
近づいたり、遠のいたりしていた。
目を開けると天国かと思うかのような太陽の光。
視覚が復帰するとアネットの顔があった。
体を起こすと〝猫〟がいる。
アネットはリサを起こしていた。
右頬が痛い。
顔に細かい砂がついている。
音の揺れの正体は、初めて見る海だった。
(こんな感じで見たくなかった・・・。)
波に目を取られていると猫が〝神秘的な音〟を発する。
「「「おまえ達、弱すぎる。」」」<ヤバイヨ!!>
リサも起きたようだ。
三人は黙って〝語尾がポップな声の猫〟を見る。
「「「もうじき〝ペアー〟が動き出す。おそらくブローチより強い。強くなっておくといい。」」」<ハハハ!>
(ペアー…?)
「「「あと、少年。」」」<ナギ!>
ナギは呼ばれたが、何も返せずにいた。
「「「私もブローチもお前の味方ではない。しかし〝こちら側〟に来たくなったら私を呼べ。
ブローチはやめておけ。その時はリンゴを忘れるな。」」」<デハネ!>
そう言い残すと〝ゴビポップ〟は生い茂る木々の中に消えた。
密林だろうか、マッチしていた。
荷物を探す〝勇者一行〟。
「今のどういう事?」
リサがナギに近寄る。
「わからない。」
リュックサックを確認しながら返事をするナギ。
リンゴはなくなっている。
ゴビポップが食べたのだろう。
セーフポイントは踏み潰されたもの以外はちゃんとあった。
アネットのエーテルカードが無くなっていて焦って三人で探したが、砂に埋もれていたようだ。
頭の中の静けさが波の音を大きくさせる。
砂から波に視線を移すが、正座から立ち上がれない。
「ナギ、ちょっと顔見せて。」
リサが右頬を覗き込んだ。
左頬に手が触れ、角度が強制される。
「〝いやすね〟」
右頬にリサの手が触れるか触れないかのところまで接近し、ぼんやりと光るのが見えた。
痛みは引かない。
心配そうなリサに伝える。
「痛みが引かない。」
「…なんで?」
「わかんない。〝魔女〟の攻撃は魔法で回復できないのかも。」
アネットの方を見るが俯いて座り込んだまま動かない。
リサが立ち上がりラグナロクを拾いながら口を開く。
「とりあえず歩こう。」
ナギとアネットは無言で立ち上がり、
ビーチ沿いを歩きだした。
初めての砂浜は足が取られて歩きにくい。
「アネット。ごめん、何回も助けてくれたのに。何もできなくて。」
ナギは左隣にいるアネットに話しかけた。
そのさらに左にはリサがいる。
「いえ。」
消え入りそうな声のアネット。
リサが口を開く。
「なんでダメージなかったんだろう?なんか知ってる?」
「おそらく魔法です。〝まぼろし〟。
でも、一斉に全員がかかるなんて。あんなに強力なのは聞いた事もないです。
いつ発動したのかもわからなかった。」
アネットの話し方はよそよそしくなっていた。
表情は解けた髪で見えない。
波の音が二往復したところでナギが口を開く。
「あの室内からは現実だったんだ。僕の怪我、残ってるし。」
「なんで殴られたの?」
「起きた時、イライラしちゃって。
魔女に無視されたからずっと騒いでた。
ババアって言ったら殴られた。
アネットは色々止めてくれていたのに。ごめん。」
右頬の痛みが引かない。
アイテムポーチから〝回復ラムネ〟を取り出し口に入れる。
リサは少し冷たい声で言う。
「ナギ、もう謝るの禁止ね。
あたし達の誰かが失敗したんじゃなくて〝あいつら〟が想定外。
あたし達は弱すぎるのかもしれないけど、それ以上に〝あいつら〟が強すぎたの。」
そう言い終わると何故かリサは不思議そうな顔をして視線を上に向けた。
突然アネットが叫び出す。
「ごめんなさい!ごめんなさい!私、何も出来なくて!本当にごめんなさい!」
すぐさま声を追うと、アネットは顔を手で覆いしゃがみ込んでしまっていた。
泣いているようだった。
「ナギ、これ持ってて。」
差し出されたバックパックを持つ。
リサは自分に〝つよくなれ〟と囁いた。
「アネット。今は動かないでいいから。進も。」
優しく声をかけるとリサはアネットの前で背を向け、膝を曲げる。
緑髪が茶髪に近づいた。
筋力アップしたとは言え、リサも海は初めてのはずだ。
人間を砂浜の上で背負うのは簡単な事ではないだろう。
慎重にバランスをとって歩き始める。
アネットの泣き声に呼応するように、たまに聞いた事のない鳥が鳴いた。
波は押して引いていた。
頬の痛みは大して引かなかった。
リサのバックパックが重く感じた。
*
少し海辺から離れるように歩くと街に着く。
アネットはあれから少しすると自分で歩いていた。
少し落ち着いたようだ。
まだ日は高いが、三人は宿で休む事にした。
街には何やら魔法を使っている人がいる。
〝滑るように〟街中を移動したり、
建物を〝つかんで〟壁を加速している人達がたまに見えた。
あれはなんなのだろうと見かける度に目で追うナギ。
とても賑やかな街だった。
宿屋に入ると、リサよりも数段明るい茶髪に焼けた肌。
パイナップルのような髪型で半袖のシャツを着た若い女性がカウンターにいた。
リサが憧れそうだ。
ナギ達を一瞥すると〝パイナップルの女性〟は顔を少し明るくさせた。
「ハロハロ~。いらっしゃ~い。見ない顔。ご新規さんじゃーん。」
声に抑揚はなく気怠そうにも見えるが顔は笑っていた。
そういう喋り方なのだろう。
「あの、ここってなんて街ですか?」
リサが真っ先に話しかける。
「ここミトハロ~。旅の人?珍し~。」
〝ミトハロ〟と言われたところでわからない。
ナギは文字だけ受け取った。
リサは続ける。
「ミトハロ…。ありがとうございます。とりあえず部屋、三人分お願いします。」
「はーい。一人一泊〝三〇〇エンテ〟でーす。エーテルはノードにどぞ~。
って、そこのキミ、顔やばくない?魔法とかアイテムは?」
「効かなくて…。」
エーテルカードを〝ノードと呼ばれた石碑〟にかざしながらナギは言う。
「うわ~。そんなのあるんだ。じゃあごゆっくり~。なんかあったら気軽に声かけてね~。」
店の人に会釈して階段を上がる。
〝パイナップルヘアの女性〟は声を張る。
「あ!荷物の管理は気を付けてね~!」
リサが返事をしていた。
アルセナでは言われなかった一言に違和感を抱く。
治安が悪いのだろうか。
*
それぞれの部屋を確認し合い、自分の部屋に入る。
きっと六〇〇エンテのアルセナが良い宿だったのだ。
半額以上に部屋は狭い。
セーフポイントを点けたら大変な事になる。
ベッドに腰かけ、しばらく放心状態の少年。
一体どこまでが現実だったのだろう。
何が〝まぼろし〟だったのか。
まったくわからない。
今もそうかもしれない。
どうしても頭に〝ブローチ〟が浮かぶ。
涙が零れてきた。
腫れで表情が突っ張る。
ナギは声を押し殺すように泣いた。
負けた事に対する悔しさでも、歯が立たなかった無力感でもない。
自分が〝勇者〟だから何故か狙われた。という理不尽さへの怒りでもない。
はたまた、〝ブローチとゴビポップ〟という存在への恐怖でもなかった。
〝願い〟を聞かれた時に、逡巡した自分への苛立ちが涙となる。
ナギが昔、忍び込んだサディナの部屋で読んだ物語の中で〝負けイベント〟なるものがあった。
話の展開上、負ける必要性があるものだ。
主人公はそこから何かを得て、あるいは負けた相手に教えを請いステップアップしていく。
今回のは〝全クリ〟イベントだった。
察する事もない。
〝そう言われた〟のだから。
涙が一層零れた。
あそこで旅が終われたのだ。
リサ、アネット、そしてナギ。
さらにはアネットの故郷とリヴェル村の人間全員の安全を確保した状態で魔王を滅ぼしてください。
そういう願いも〝アリ〟なのだ。
勇者を辞めたい。
それもいいだろう。
おそらくブローチは嘘をついていない。
嘘をつく必要がない。
好きなものを〝人の揺らぎ〟と言った。
騙して落胆させるとか、嘘をついて児戯的に惑わせるといった事ではないと直感的にナギは考える。
あの瞬間に終われたにも関わらず、言葉にする事が出来なかった。
今聞かれても同じだろう。
それが苛立ちとなった。
抑えられずに漏れていく声。
部屋の外からは陽気な声が時折聞こえた。
ブランケットで顔を強く覆う。
顔が痛む。
そのままベッドに顔を押し付けた。
なぜ涙が出てくるのかもわからなかった。
少し大きく声を出し続けると
自分の涙で濡れた布で頭が冷えてくる。
今までのナギだったらこんな感情は湧かないはずだった。
彼はあまり怒らない。
感情はあれど、怒りを〝露わにしない〟。
出来事を反芻した。
ブローチとの一戦で最も苛立った瞬間。
胸を貫かれ、室内で目が覚めた時だった。
〝あれで終わりでいいじゃないか〟
〝なんで終わらせてくれなかったんだ〟
〝まだ続くのか〟
少年はあの時たしかにそう思ってしまっていた。
ブローチに向けた今まで放った事のない罵詈雑言は、
その感情から来ているものだった。
〝そう思った癖に〟ブローチにそれすらも懇願できない自分に苛ついていた。
ナギの中で今までのほとんどの場合、〝死〟は〝し〟に変換されていた。
自分事ではなかったのかもしれない。
絵空事、物語の中の事。他人事。
ふざけてコミカルに発していたわけではないが
今思えば、コミカルだと言われても反論できない。
輪郭がクッキリとしてしまった〝死〟というものに怖さはある。
二度とあの場に行きたくはない。
思い出しただけで手が滲む。
しかしもっと怖いのは、同時に〝生〟を聞かれた事だった。
きっとブローチはそこまで考えていない。
単純に〝願い〟を聞いてきただけにすぎない。
それに答えられない事が怖かった。
これから一体どうしたらいいのだろう。
仮に強さを求めて生きるとしても、千年生きた魔女という〝最強種〟に勝ちに行く気力もない。
相対するとわかる、〝現実的ではない〟。
それよりも強いとされる〝ペアー〟という存在。
〝おそらく魔王〟だろう。
少年は考えたくもなかった。
〝勇者〟を放棄したとしても、またブローチが来たら一瞬で終わりだろう。
今までの思考が通用しなかった。
どんどん退路が絶たれていく。
感じた事のない行き止まりの感情、閉塞感に吐き気がする。
思考の休息を世界が促すかのように扉が二回鳴る。
リサだろうか、アネットかもしれない。
急いで顔をブランケットで拭き扉を開ける。
先程のパイナップルのような髪型の店の人だった。
せっかちなのか、後ろを向いて扉から離れようとしている。
「あっ、いたいた。よかった~。」
振り向いて微笑みながら近寄ってくる。
「顔大丈夫そう?ウチの親友がさ~、この街でアイテム売ってんの。
こないだ商品もらったんだけど、あたし使わないからさ。あげる~。」
店の人は小さく浅い容器を差し出した。
ネイルは白だった。
光る宝石付き。
ナギはなぜかネイルの派手さに警戒する。
「えっ、あの…。」
「いいからいいから、それ回復アイテムでもない〝ただのクリーム〟だし。
打撲とか打ち身に効くらしいよ~。知らんけど。」
ナギが口を挟む隙もなく捲し立てる〝パイナップルヘアの女性〟。
「ウチの親友〝ルント〟っていうんだけど、今度そこで買ってあげて~。あっウチは〝キュー〟。君は?」
「ナギ。…です。あの…、せめてお金払います。」
「ナギ君ね~。いい名前じゃん。お金はいらなーい。それ安物だし。
その代わり泊まるときはうちの店選んでね~。
この街なぜか宿屋の数多いらしいんだよね。じゃよろしく~。」
〝キュー〟はウインクをして去っていった。
(なんでギャルって距離感おかしいの…?)
扉を閉め、もらった容器を開けてみる。
なんてことはない〝ただのクリーム〟だ。
鼻を近づけるが無臭だった。
想定外の底抜けに明るい来訪者により
自分がどんなに悩んでいても世界は素知らぬ顔をして
勝手に流れていくのだとクリームを塗りながら考えていた。
そう考えるとなぜか一気に気が楽になり、涙は出なくなっていた。
〝生の件〟から頭が離れると、自分以外の事を考える事が出来た。
(リサが魔女じゃなくてよかった。)
今回のブローチ接敵。
一番恩恵を得たのはこの卑屈な最弱少年のナギである。
ナギ自身がそれを、アネットの落ち込み具合から薄っすらと感じていた。
リサが魔女ではない事がブローチの言い回しで確定したのだ。
同種の存在を何故か許さない〝本物の魔女〟が密告に五千万エンテも支払うと言っている。
証明にはその発言で十分だ。
リサが魔女ならその場で食い殺されているだろう。
さらに、ブローチから投げかけられた問いもナギにとって嬉しいものであった。
〝人間は何をもってして、相手を人間と断定しているのか?〟
ナギが悩んでいた〝何をもってしてリサだと断定するのか〟に通じる問いだった。
人間は相手が人間だと確定させる術を持たない。
千年生きたブローチの発言から〝疑問〟という形で突き付けられたそれを思い出し、
ナギは何故か少し気が楽になった。
(魔女は魔女を見抜けるのか…。)
そう考えた瞬間、ナギの脳みそに電撃が走る。
「うわっ!」
少年はつい声を出す。
〝同じ種族の魔女全員を食べ、千年生きた魔女〟
今この世に魔女がブローチしかいないなら〝魔女の定義〟が魔女の中で変わっている。
〝人間と仲良くやっていきたいな〟という魔女が仮にいたとしても。
ブローチに全て食べられてしまったのなら関係ない。
〝ブローチが現時点での魔女〟なのだ。
歴史の移り変わりといった観点では違った表現ができる。
〝本来の魔女〟とか〝大体ここまでの期間の魔女〟という言葉〝でも〟魔女を表す事が出来るのだ。
しかし従来までの魔女を全く知らないナギからすると〝ブローチが魔女〟だ。
本来、魔女も魔女を見抜けなかったのかもしれない。
もし同種を食らい続け、千年生きる過程でその力が発現したのなら。
〝何をもってして魔女なのか?〟なんて質問もあまり意味がない。
ブローチが問いを投げかけながら甘い声で怒っていた理由が、
ナギにはなんとなくわかった気がした。
勇者の剣を抜いても尚、
世界を拒んだ少年が出会ったたった一人の魔女は、
少年の思考を少しだけ変えたのだった。
(勇者の剣、オウ・サマに売っといて本当によかったな…持ってたら絶対に殺されてた。)
ところで、リサが魔女でないならアルセナ噴水広場でのあのドキドキはなんだったのか?
ふと過ったが、緊張のせいだろうと言い聞かせた。
ラグナロクに付着していたあの汚れはなんだったのだろう。
今度リサに聞いてみる事にする。
しかし、言いにくければそれでいいのだ。リサがリサなのであれば。
気持ちが落ち着きこれからも一応生きようと思えたが、特にやる事もない。
誰かと一緒に過ごす気にもナギにはなれなかった。
少年は目を瞑り、滲む手を衣服で拭きながらブローチと接敵した時の事を思い出していた。
脳内でブローチに二十回ほど殺された後、
〝死〟を経験して〝生〟を突き付けられる違和感について思考を巡らせたが
わかったら離れていくような、そんな感じがして心がざわついた。




