第0話/理不尽な出発の前日/NAGI.pov
風がびゅっと吹いた時に目の前の池で魚が嬉しそうに跳ねたのが見えたけれど、
とても僕はそんな気にはなれなかった。
木の幹にもたれ掛かるように座りながら水面を眺めて
どれくらいの時間が過ぎたのかもわからない。
日が落ちかけているから結構な時間なんだろうな。
ため息をついた直後、右上方向から声がした。
「よ、となり座っていい?」
見上げると茶髪の女の子が一人こちらを見下ろしていた。
太陽の光なのかやたら茶髪が明るい。
リサだ。
足音にも気が付かないなんて、僕は相当ぼうっとしてたんだと思う。
池の方に目をやりながらなんとなく頷くと、隣に腰を下ろして話しかけてきた。
「明日出発だね。」
「うん。」
魔王が復活したらしい。
剣を引き抜けた人間が勇者に選ばれるってやつに、
村から僕とリサが行くことになっていた。
占いおばばの一言で。
「僕、勇者になんかならないよ。」
リサは茶化すように言った。
「剣が抜けちゃったらどうすんの。」
僕が黙ったのは、別にリサの事が嫌いなんじゃなくて話題にうんざりしてたから。
「なんであたし達なんだろうね。」
「ちっちゃいころ僕、占いおばばの庭にある果物を盗んでた事があってさ、
それを根に持ってるから僕なのかなと思ってこないだ聞いてみたんだけど、
そもそも盗んでたのバレてなかった。」
ちらりと茶髪女子に目を向け眉一つ動かさずにそう答えると、吹き出していた。
吐息で口に入らずに、さほど日焼けをしていない頬に触れた髪の毛を耳にかけながら言う。
「なんでなりたくないの?かっこいいじゃん。勇者。」
「嫌だから。リサはなりたいの?」
「なりたくはない。」
「ほら。」
「でも、なったらモテるかも。」
何を言ってるんだ、しんだら終わりだ、ゆううつだ。
自分の伸ばした足のつま先だけを見ていると話題を変えてきた。
「ナギ、普段何してんの?」
「お昼くらいに起きて、母さんにドヤされなかったら散歩したりその辺の小さい子と遊んだりしてる。」
「つまりなんもしてないじゃん、ドヤされたら?」
「木登りとか。」
「あんた、家の手伝いとかはしてないわけ?」
〝リサお母さん〟になりかけたので話題を戻すしかなかった。
溜息がピリオドになりそう。
瞼がひくつき出したのを誤魔化すように言った。
「もし勇者になったら、ほんとに世界を救わないといけないのかな。」
リサから質問が返ってくるより先に目の前で魚が跳ねた。
「そりゃそうでしょ。パーティ組んで特訓とか、街の人の手助けとかするんじゃん?いろんなモンスターと戦ったりとかさ。」
「うわぁ…リサはモンスター見たことある?」
「普通にあるでしょ、ネズミみたいなやつとか。」
「それただのネズミじゃない?」
今度の沈黙はリサのせい。
視線を向けるといつの間にか葉っぱの茎を持ってクルクルさせていた。
その手があったかと手頃な枝を探しながら僕は話をつなぐ。
「もし勇者になったらそのまま旅に出ないといけないのかな。」
「そうなんじゃん?」
「一人で?」
「知らないよ、さすがに護衛みたいのいるんじゃない?」
「勇者が守ってもらうのおかしくない?それなら護衛が世界救えばいいじゃん。」
「たしかに」
僕の視線の端っこでピタリと葉っぱが止まった。
顔も曇っている事だろう。
年上を黙らせるのは気持ちがいい。
大人になった気分。
さっきまでのモヤモヤが逃げていき、無事に枝も手に入れた。
僕は波に乗る。
「お金はどうすんだろ。」
「くれるんじゃん?」
「誰が?」
「お城の人が。」
「それはいいね。リサはそれで何買う?」
「ネイルしてみたいんだよね、この村ないし。あっても家の手伝いでできないから。」
ははは!と僕は声を上げた。
こいつなんもわかってないぞ。ギャルめ。
葉っぱを投げつけられたけど気にならない。
続けて正解だった。僕は拾った枝を適当に投げた。
「じゃあ、あんたは何買うの?」
「大盛の果物かなあ。」
もう会話はめちゃくちゃだった。
不安になったのか仕返しなのかはわからないけど
リサが急にまじめな事を言ってきた。
「勇者って、いつ辞められるんだろうね。」
「そりゃ、魔王倒すまでじゃないの?」
「おじいちゃんおばあちゃんになっても?」
「世界がそれまであればね。」
世界滅亡を口にした途端、胃が色んな方向に回転しそうになった。
枝はどこだ。
枝を見つける動作より先に勝手に唇が動く。
「い、いや、きっと辞められるよ。無理そうなら。」
「お金返せって言われるかも。」
「しんだ事にすれば…。」
しぬとか言うんじゃなかった。
手の先が冷たくなった。
「家に帰ってこれないじゃん、きっと監視されてるよ。」
「監視とかあるの?勇者って。」
「知らないけど。」
「なんも悪いことしてないのに?」
「知らないって。っていうかしんだ事にするって悪いことでしょ。」
しぬって言わないでほしい。
「僕、おじいちゃん勇者になったらさすがにリタイヤするよ、回転切りとか放てなくない?腰とか痛いだろうし。」
「おじいちゃんになってまで回転切りが必殺技って弱くない?さすがに魔法纏いなよ。」
「回転切りって弱いの?」
「だから知らないって。」
ニヤついている事に期待したが真顔だった。
リサも不安を紛らわせようとしているのかも。
僕は新たに枝を手に入れた。
「僕、魔法使えるかな。」
「使えるんじゃない?」
「赤ちゃんの頃とかに使えないと無理なんじゃないの?」
「勇者になれば使えるでしょ。」
僕は枝を使って落ち葉をぐるぐる掻き漁っていた。
「リサは魔法見たことある?」
「あるわけないじゃん、モンスターだってそれらしいの見たことないし。」
「ないんじゃん。」
「うるさい。ナギはどんな魔法使いたいとかあるの?」
「勇者を辞められる魔法。」
「そこは魔王瞬殺の魔法でよくない?」
「いい奴かもしれないし…。」
「そんなわけないでしょ。人類全滅しか考えてないと思う。」
「じゃあ人類が全滅しない魔法…。」
「頭おかしいんじゃないの?」
僕の心を表すかのような音で枝が折れた。
これ以上、会話をする気もおきない。
少しの沈黙の後、僕から口を開く。
「明日、出発の時ジョージおじさんが送ってくれるって?」
「らしいよ、なんで?」
「いや、なんとなく。」
ジョージおじさんとの思い出が浮かんできた。
一時期、それなりに僕の話し相手になってくれた気のいい人だ。感謝してる。
奥さんの手料理を食べに家に遊びにいった事もある。
ある夜、家を抜け出して散歩をしていたら
となり村の女性とジョージおじさんが一緒に歩いているのを見かけた。
その時に絶対におじさんも僕に気づいていたんだけど
それ以来、僕を避けているようだった。
そう考えると、勇者候補がジョージおじさんでなくてよかったかもしれない。
「じゃあ、あたしそろそろ帰る。」
「うん。」
「まだいるの?」
「うん。」
「そう、じゃあまた明日ね。」
「うん、また明日。」
手を振る気はあったけど、風で揺れる草木が代わりになったので、
もうそれでいいかと僕はまっすぐ水面を眺めていた。
落ち葉が潰れる音が速いテンポで遠のいていくのを聞いていた。




