もし、子どもができたら
夜、王都の灯りが遠くで揺れている。
リオンは寝台の背に寄り、腕の中に真琴を抱き寄せていた。結婚してからというもの、この体勢はすっかり日常になっている。
「……ねえ、リオン」
真琴がふと呟く。
「もし、僕たちに子どもができたらさ」
リオンの腕がぴたりと止まった。
「子ども?」
真琴が告げた意外な言葉に、リオンは数秒黙った後に口を開く。
「……男か女か」
急に真剣な声になる。
「うん、そこだよね」
真琴はくすっと笑う。
「どっちだと思う?」
リオンは戦術会議のときの顔で、真剣に考え始めた。
「……女の子の可能性が高い」
「なんで?」
「私の勘だ」
副団長の野生の勘は、だいたい当たるらしい。真琴は少し考えてから言う。
「僕は、男の子な気がするなあ」
「理由は?」
「リオンに似たら、絶対騎士になりたがるでしょ?」
「それはあり得る」
リオンは即答した。
「私の剣技は全て教える」
「えっ、もう決定なの?」
「当然だ」
全く迷いがない言葉で言いきったリオン。
「だが真琴に似たら――」
「似たら?」
「菓子職人になる可能性が高い」
真琴は無邪気に笑った。
「騎士団副団長の息子が菓子職人になって、店を継いでくれる感じ?」
「問題ない」
リオンは真顔で言う。
「騎士団は、毎日菓子が必要だ」
「そんな理由?」
「重要な理由だ」
リオンは本気だった。
「じゃあさ、女の子だったらどうする?」
真琴が聞くと、リオンは一瞬で答えた。
「守る」
「うん、知ってる」
「全力で守る」
「それも知ってる」
「剣も魔法も教える」
「あー、それも想像つく」
真琴は笑いながら言う。
「たぶん、過保護になるよね」
リオンは沈黙した。それは図星だったせい。
「あのね、娘に恋人ができたらどうするの?」
その質問で、リオンは固まった。
「……」
渋い表情をキープして答えられないリオンに、真琴がくすっと笑う。
「ほらほら、どうする?」
「まずは……審査する」
「審査?」
「剣技」
「え」
「人格」
「ええ」
「魔力」
「ちょっと待って!」
真琴は笑いながら言う。
「誰も通らないよ、それ」
「問題ない」
リオンは真顔で言い放った。
「通らないなら、嫁に行かせない」
「ダメだよそれ」
しばらくして、真琴がぽつりと言う。
「でもさ」
「うん?」
「どっちでもいいよね」
「……そうだな」
リオンの腕が少し強くなる。
「元気なら」
「うん、それが一番」
真琴は静かに笑う。
「僕に似たら、お菓子作りが好きになって」
「私に似たら剣を振って」
「もしかしたら、どっちもやる子かもね」
「……それは強い」
リオンが真顔で呟いたことで、真琴はくすっと笑った。
「でもさ」
「なんだ」
「絶対、甘いものが好きになるよ」
「なぜ」
「僕とリオンの子だから」
「……」
リオンは少し考えた。そして頷く。
「では」
「うん?」
「騎士団専属菓子職人兼騎士だな」
「新しい職業だね、それ」
二人は声を立てて笑った。
しばらくして、真琴がぽつりと呟く。
「リオン」
「うん」
「僕たち、幸せだね」
リオンは答えない。代わりに真琴の額に口づけた。
「……当然だ」
小さな声で言う。
「君がいる」
窓の外で、夜風が揺れていた。ありえない未来を二人は静かに想像して、笑い合ったのだった。
***
昼。騎士団本部の廊下で、リオンと団長ラディスは並んで歩いていた。特に深い意味のない雑談だった。
「……団長」
珍しくリオンから口を開く。
「なんだ」
「子どもができたら」
ラディスは、眉間にシワを寄せて足を止めた。
「は?」
「名前をどうするか考えていた」
数秒の沈黙、副団長の表情は真剣そのものだった。
「男なら剣を教える。女なら身を守るために魔法も教える」
ラディスはゆっくり振り向いた。
「……誰の子だ?」
「私と真琴の」
ラディスは天井を見上げながら、深呼吸を繰り返す。そして一言。
「ちょっと、考えさせてくれ」
その五分後。団長室で、ラディスは机を叩いた。
「副団長に、子どもができる可能性がある」
ありえないことを言い出した団長のセリフで、副官が固まる。
「え?」
「可能性だ」
「え??」
「まだ確定ではない」
副官の顔が青くなる。
「だ、団長……大丈夫ですか?」
「なんだ」
「副団長と真琴殿は」
「男同士だ」
「ですよね!?」
ラディスは黙った。
確かにそうだ。だが副団長は真顔で言った。「子どもができたら」と。つまり――。
「……リオンが持つ大量の魔力を使って、2人の子供を作るとか?」
団長は本気で考え始めた。
「それとも、王宮魔術師に頼むとか?」
副官が震える。
「副団長の子どもって、魔力量はどうなるんですか」
「……考えるな」
団長は言った。
「間違いなく王都が消える」
その頃、騎士団食堂。噂は光速で広がっていた。
「聞いたか?」
「副団長に子ども」
「え?」
「真琴殿との」
「え???」
団員Aが震える。
「どうやって?」
団員Bが真顔で言う。
「愛だ」
「絶対違う」
団員Cが呟く。
「でもあの副団長なら、何が起きてもおかしくない」
「それはそう」
全員頷いたそこへ、リオンが入ってくる。無言の威圧感に、食堂が静まり返ったが次の瞬間、団員たちが一斉に立ち上がる。
「お、おめでとうございます!」
副団長が立ち止まる。
「?」
「副団長の御子息!」
「いや娘かもしれない!」
「剣の稽古なら任せてください!」
「魔力測定も!」
リオンは数秒黙った。
「……何の話だ」
団員たちは顔を見合わせる。
「え?」
「団長が」
「副団長に子どもが」
沈黙。そして、副団長の眉がぴくりと動いた。
その夜、団長室。
「団長」
低い声で呼びかけられたことに、ラディスは顔を上げた。
「リオン……説明しろ」
副団長が腕を組んで立っている。その面持ちは完全に怒っていた。
「お前が“子どもができたら”と言った」
「夢の話だ」
「そう言え」
「言った」
「言ってない」
団長はため息をつく。
「お前、真顔で未来設計を語るな」
「普通の夫婦の会話だ」
「普通じゃない」
ラディスは胸を張って言う。
「おかげで、騎士団が大騒ぎだ」
リオンは少し考えた。
「……真琴が知ったら笑うな」
「笑うだろうな」
「あとで話す」
団長は机に突っ伏した。
「頼むから」
「なんだ」
「次から夢の話するときは、前置きをつけろ」
リオンは真顔で答える。
「善処する」
善処――つまりまた起きるというのを、ラディスは確信した。
(副団長という国難……)
胃薬を飲みながら、団長は遠くを見た。
***
それを見つけたのは、完全に偶然だった。団長ラディスは副団長室で書類を探していた。国境警備の報告書が見当たらない。机の端に、妙に分厚い封筒が置いてあった。
表題《副団長家・育児計画書》
ラディスは固まった。
「……は?」
副団長家。つまりリオンと真琴の。
団長はゆっくり椅子に座った。
「いや待て」
男同士だ。子どもはできない。わかっている。だが――あの副団長が書いた書類だ。嫌な予感しかしない。
ラディスは、迷うことなく封を開けた。
【第一章 基本方針】
子どもが生まれた場合、何より優先すべきは安全である。
団長は頷いた。普通だ、安心する。
続き。
王都防衛結界を常時二重展開。自宅にも同等の結界を設置する。
団長は眉をひそめた。
「王都レベル?」
次。
誘拐対策として、護衛騎士を最低三名配置。
「最低?」
次。
私が在宅時は不要。
ラディスは天井を見た。
「そうだろうな」
王国最強騎士の副団長本人がいるなら、王都より安全だ。
【第二章 教育方針】
真琴の影響を受ける可能性が高いため、菓子作りに興味を示す確率が高い。
団長は吹き出しかけた。
「リオンのヤツ、分析してる」
次。
よって工房の安全対策を強化する。
普通。だがその下が問題だった。
包丁の使用は七歳から。ただし副団長監督下。
団長は首を傾げる。
「あれ、剣は?」
ページをめくる。
【第三章 戦闘訓練】
団長は目を閉じた。嫌な予感がしたが迷わず読む。
剣術訓練開始年齢:五歳。
「早い」
次。
魔力測定:三歳。
「早い」
次。
上級魔法の基礎理論:八歳。
ラディスは額を押さえた。
「待てって……」
ただし本人の意思を尊重する。
安心しかけた、次の一行が問題だった。
拒否した場合、説得を試みる。
「それ、強制だろうよ……」
【第四章 対外交友】
子どもが友人を作ることは望ましい。
団長は安心した。普通の父親だ。しかし次の文章。
ただし、接触する人物の身元調査は必要。
「……」
剣技試験を行う。
「……」
魔力検査を行う。
「……」
人格評価を行う。
団長は机に突っ伏した。
「これじゃあ、誰も友達になれん」
【第五章 恋愛問題】
ラディスは読まないつもりだった。だが気になった。
子どもに恋人ができた場合――団長は深呼吸した。そして続きに目を通す。
まず私が面談する。
予想通りの内容に、顔がニヤけかけた。
次、剣を交える。
ラディスは書類を閉じた。
「ダメだ」
だが気になって開く。
勝った場合のみ交際許可。
「王国最強騎士に、誰が勝てるというんだ」
【最終章】
やっと最後のページ。なぜかそこだけ、文字が少し乱れていた。
真琴は、きっと優しい親になる。
団長は目を止める。
私は厳しくなるかもしれない。だから、できるだけ隣にいる。
ラディスはゆっくり息を吐いた。
次の行。
家族は守るものだ。
そして最後。
私は、それが得意だ。
団長は、やっと書類を閉じた。
数秒後、副団長が部屋に入ってきた。
「団長」
「……リオン」
「私の机を見ましたか」
ラディスは封筒を掲げる。
「見た」
副団長が止まる。珍しく、ほんの少しだけ気まずそうだった。
「夢の話だ」
「知ってる」
団長は言った。
「だが」
放るように机に封筒を置く。
「重い」
リオンは真顔で答えた。
「家族だからです」
団長は笑った。
「そうだな」
そして呟く。
「……王国より重いな」
副団長は否定しなかった。
***
昼下がり。真琴は騎士団本部の食堂に菓子の差し入れを届けに来ていた。焼きたてのタルトを置いた瞬間、団員の一人が言った。
「真琴殿、おめでとうございます!」
真琴はきょとんとする。
「え?」
別の団員も続く。
「副団長の御子息!」
「いや娘かもしれない!」
「騎士団一同で守ります!」
真琴は数秒、固まった。そして――。
「……え?」
沈黙したことで、団員たちは顔を見合わせる。
「副団長が言ったんです」
「子どもができたらって」
「団長も知ってるって」
そこまで聞いた瞬間、真琴は口を押さえた。肩が震える。
「ぷっ」
一瞬、次の瞬間――。
「っはははははは!」
食堂に響く爆笑。団員たちは完全に固まった。真琴は机に手をついて、ケラケラ笑い続ける。
「ちょ、ちょっと待って……!」
息が整わない。
「僕とリオン、男同士だよ!?」
団員たちが静かに顔を見合わせる。
「……ですよね」
「やっぱり」
「団長も同じこと言ってました」
その瞬間、真琴はさらに笑った。
「団長まで!?」
お腹を抱える。
「リオン、絶対真顔で言ったでしょそれ!」
団員たちは頷く。
「はい」
「戦術会議みたいな顔でした」
「名前まで考えてたそうです」
真琴は椅子に座り込んだ。涙が出るほど笑っている。
「ほんとあの人……」
やっと息を整える。
「夢の話だよ、それ」
団員たちは安堵した。
「ですよね」
「副団長の魔力量の子どもとか」
「王都が壊れます」
真琴はまた吹き出した、そのとき。団長ラディスが食堂に入ってきた。真琴と目が合う。
「……聞いたか」
「聞きました」
真琴はまだ笑っている。団長はため息をついた。
「副団長の夢だ」
「知ってます」
真琴は肩を震わせながら言い、団長はどこかウンザリ気味に口を開く。
「さっき、すごいものを見たんだ」
「何を?」
団長は静かに答える。
「育児計画書」
真琴がゆっくり顔を上げた。
「……え?」
団長は遠い目をしながら呟く。
「見てしまった……」
真琴の目が丸くなる。
「え」
団長は机に突っ伏すように言った。
「しかも分厚い」
「え」
「五章構成」
「ええ」
「恋人審査制度まである」
その瞬間、真琴の呼吸が止まった。
「……ぶっ、ははははははは!!」
さっきより大きな爆笑。食堂の団員たちが驚く。真琴は涙を流して笑っている。
「リオン、何してるの!?」
団長は疲れた顔で言う。
「国家計画だそうだ」
真琴は机に突っ伏した。
「恋人審査って何!」
「剣技試験」
「はははは!」
「魔力検査」
「だめだ、もう!」
真琴は涙を拭きながら言う。
「僕、それ読みたい」
団長は静かに言った。
「やめておけ」
「なんで?」
「読んだら」
ラディスは遠くを見る。
「副団長が父親になる未来が、現実味を帯びるからだ」
真琴はまた笑った。
「見たい!」
そのとき、食堂の入口に影が立つ。リオンだった。静まり返る騎士団。副団長は真琴を見る。
真琴は涙目で笑っている。
「……真琴」
「なに」
「なぜ笑っている」
真琴は言った。
「リオン」
「うん」
「育児計画書って何?」
騎士団全員が息を止める。副団長の耳が、ほんの少し赤くなった。そして低い声で言う。
「……団長」
ラディスは空を見た。
(――ああ、終わった)
食堂の空気は凍っていた。真琴は椅子から立ち上がり、リオンに近づく。
「あるんでしょ?」
「……」
「あるんだ」
真琴の笑みが深くなる。
「見せて」
数秒後、リオンは静かに言った。
「夢の記録だ」
「うん」
「笑うな」
「それは無理」
副団長は観念して、懐から小さな鍵を出す。
「副団長室の机だ」
ラディスが即座に言う。
「待て」
遅かった。真琴はもう団長室へ向かっている。
数分後、副団長室。机の上に置かれた分厚い封筒。
表紙《副団長家・育児計画書》
真琴の肩が震える。
「……リオン」
「なんだ」
「表紙から面白い」
副団長は腕を組んで立っている。団長は椅子に沈んでいる。
「読むね」
ページがめくられる。
第一章 安全対策
真琴が読む。
「王都防衛結界を常時二重展開」
真琴の手が止まる。
「え」
ページを見る。
「自宅にも同等の結界を設置」
真琴がゆっくり振り向く。
「家が王都と同レベルの防御?」
副団長は真顔だった。
「当然だ」
団長が机に突っ伏した。
第二章 教育
真琴が笑いをこらえて読む。
「菓子作りの才能がある可能性」
真琴がにやにやする。
「ここ好き」
次の行。
「包丁使用:七歳から」
「普通だね」
ページをめくる。
第三章 戦闘訓練
真琴の声が止まった。
「……五歳から剣術」
団長が呟く。
「言っただろ」
次。
「三歳:魔力測定」
真琴が震え始める。
「八歳:上級魔法理論」
「っはははは! 早すぎる!」
リオンはえらく真面目な顔を決め込む。
「基礎は早い方がいい」
真琴は笑いすぎて椅子に座り込んだ。
第四章 交友関係
真琴が読み上げる。
「友人の身元調査」
笑いを噛み殺しながら、何とか読み込む。
「剣技試験」
笑い声がどんどん大きくなる。
「魔力検査」
真琴は机に突っ伏した。
「これじゃあ、友達できないよ!」
副団長は真剣に答える。
「安全のためだ」
団長が呟く。
「国賓レベルだ」
第五章 恋愛問題
涙目の真琴が読む。
「恋人ができた場合」
食堂の団員たちが扉の隙間から見ているのが分かったが、真琴は続ける。
「まず私が面談」
うんうんと頷く。
次。
「剣を交える」
真琴の肩が震える。
「勝った場合のみ交際許可」
「ははははははは!!」
騎士団に響く大爆笑。真琴は涙を拭きながら言った。
「誰も勝てない!」
団員たちが小声で言う。
「無理ですね」
「副団長ですし」
真琴は最後のページをめくった。声が少し静かになる。
「真琴はきっと優しい親になる」
笑いが止まる。副団長は黙っている。
「私は厳しくなるかもしれない」
真琴が少しだけ目を細めた。
次の行。
「だからできるだけ隣にいる」
沈黙。
「家族は守るものだ」
真琴はゆっくりページを閉じた。そして、また笑った。
「重いよリオン!」
副団長は真顔で言う。
「家族だからだ」
真琴は立ち上がり、リオンの腕に抱きつく。
「でもさ」
「うん?」
「僕は好き」
副団長の耳が赤くなる。
「こんな真面目な計画書を書く人」
真琴は笑いながら言った。
「絶対、いいお父さんになる」
団長が小さく呟いた。
「副団長が父親になったら」
騎士団が振り向く。ラディスは遠くを見る。
「世界が守られる」
そして一言。
「代わりに恋人候補が全滅する」
騎士団は静かに頷いた。副団長は否定しなかった。
「ねえリオン」
「なんだ」
「この計画書、まだ続きあるよね?」
副団長の視線がほんの少し泳いだ。団長ラディスは、その瞬間を見逃さなかった。
「……あるな」
リオンは沈黙する。真琴の目が輝いた。
「あるんだ」
ページをめくる。
次の章。
《補遺:命名案》
真琴の肩が震えた。
「名前まで!?」
団長は天井を見た。
「やっぱりか……」
男の子案を真琴が読み上げる。
「第一候補」
一瞬、リオンが止めようとする。
「アルディオン」
部屋が静まる中、団長が呟く。
「強い」
真琴は笑う。
「英雄の名前みたい」
リオンは真顔で答える。
「意味は“守護する者”」
次。
「第二候補」
真琴が読む。
「レグナス」
団長が腕を組む。
「王族っぽい」
騎士団の団員たちが扉の隙間から頷いている。
次。
「第三候補」
真琴が読む。
「……カイル」
団長が顔を上げる。
「急に普通だな」
リオンはきっぱりと答える。
「発音が良いんだ」
真琴はまた笑った。
女の子案のページをめくり、真琴が読み上げる。
「第一候補、エルフィア」
団長が呟く。
「王女だな」
次。
「セレナ」
団員たちがざわつく。
「綺麗な名前」
「副団長に似合わない優しさ」
リオンが静かに言う。
「意味は“月”」
真琴がにやにやする。
「へぇ、ロマンチック」
副団長は無言になった。そして最後、真琴がページをめくる。そこには別の文字。しかも少し柔らかい筆跡で書かれてある。
「……あれ?」
「どうした」
「これ僕の字だ」
団長が顔を上げる。
「何だと」
真琴が読み上げる。
真琴案
「第一候補、ミルク」
沈黙。
団長がゆっくり言う。
「牛か?」
真琴は笑う。
「お菓子屋だから」
リオンは静かに言う。
「却下」
次。
「クッキー」
団長が額を押さえた。
「やめろ」
次。
「ショコラ」
食堂の団員が呟く。
「犬みたい」
真琴は笑い転げた。
「だって可愛いじゃん!」
リオンは真顔で言う。
「人の名前だ」
「だって、甘いもの好きになるし」
「却下」
その時、団長がぽつりと言った。
「一つ聞く」
二人が見る。
「本当に子どもがいたら」
真琴が笑って言う。
「たぶんさ」
「うん」
「名前決める前に」
リオンを見る。
「この人が泣くと思う」
副団長が固まり、団長が吹き出す。
「あり得る」
騎士団の団員たちも頷く。
「副団長泣きますね」
「絶対泣く」
リオンは腕を組んだ。
「……泣かない」
真琴が笑う。
「きっと泣くよ」
副団長は静かに答える。
「……少しだけ」
団長が呟いた。
「国難が増えるな」
騎士団は深く頷いた。
***
事件の発端は、騎士団食堂だった。団員Aがぽつりと言った。
「もし副団長に子どもができたら」
団員Bが頷く。
「騎士団で支えないと」
団員Cが腕を組む。
「副団長、育児経験ないですよね」
全員が沈黙した。そして、同時に頷いた。
「……訓練だな」
その翌日、騎士団訓練場。机の上に並ぶもの。毛布、人形、哺乳瓶。
そこに、副団長リオンが入ってきた。
「……何をしている」
団員たちは敬礼する。
「副団長、本日は育児訓練です!」
リオンは人形を見てから、哺乳瓶を見る。そして鋭い目で団員を見る。
「なるほど」
団員たちが固まる中、副団長は腕を組んだ。
「合理的だ」
騎士団全員が一斉に頷いた。
「ですよね!」
その頃、団長室。ラディスは報告書を読んでいた。副官が入ってくる。
「団長」
「なんだ」
「訓練場で」
副官は少し言いづらそうに言った。
「副団長が赤ん坊を抱いています」
ラディスはペンを止めた。
「それ……人形だよな」
「はい」
「よし」
団長は立ち上がった。
「止めに行く」
訓練場、リオンは真剣な顔で人形を抱いていた。腕の角度と姿勢、すべて完璧に決める。その姿に団員たちが感心した。
「安定してる」
「さすが副団長」
リオンが言う。
「首を支える」
「はい!」
「急な動きは避ける」
「了解!」
完全に指揮官だ。
次、哺乳瓶。リオンが真剣に観察する。
「温度は?」
団員が答える。
「ぬるめです」
副団長は満足げに頷く。
「火傷防止だな」
団員たちがメモを取る。そこへ団長が入ってきた。
「お前ら、何してる」
団員たちが振り向く。
「団長!」
ラディスは目の前の光景を見る。副団長と人形。手には哺乳瓶。そして、それを見守る騎士団員たち。
「戦場より意味が分からん」
その時、訓練場の入口に影。真琴だった。差し入れの箱を抱えている。
「……なにしてるの?」
全員が振り向く。
「育児訓練だ」
リオンの言葉に、真琴の肩が震えた。
「っははははは!」
爆笑しながら床にしゃがみ込む。
「騎士団で!?」
団員たちは真面目に答える。
「副団長のためです」
真琴は涙を拭く。
「リオンが人形抱いてる!」
副団長は静かに言う。
「練習だ」
真琴は笑いすぎて息ができない。
「だめだ、もう!」
団長は額を押さえる。
「止めろ」
しかし、副団長は真剣そのものだった。
「次は」
全員が注目する。
「子守歌だ」
団長が固まった。団員たちが戸惑う。
「歌うんですか?」
副団長は頷く。
「重要だ」
真琴は机に突っ伏した。
「聞きたい!」
騎士団は静まり返る。副団長は人形を抱いたまま言った。
「……」
そして低い声で、静かに子守歌を歌い始めた。騎士団が凍りつき、団長が天井を見る。真琴が涙を流して笑っている。
その日、騎士団は知った。
副団長は、剣も魔法も最強だが子守歌だけは、壊滅的に音痴だった。
おしまい
最後まで閲覧、ありがとうございました。




