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番外編 王国最強騎士(既婚)の通常運転

 後日。アルセリア王国と小国ベルグラードの国境付近にて、合同警備の名目で行われた非公式会談。


 出席者は最小限――のはずだった。問題は、副団長リオン・ヴァルハートが同行したことである。


「……あの」


 ベルグラード側の使節が、恐るおそる口を開いた。


「貴国の副団長殿は……その……」


 視線がリオンの左手 → 指輪 → 胸元 → 無表情と、明らかに怯えた軌道を描く。


「何か?」


 リオンはいつも通り、落ち着いた声で返しただけ。それだけで、相手が一歩下がった。


「い、いえ!! その……既婚と伺いまして……」

「事実です」


 即答しただけで、なぜか周囲の空気が一段階冷えた。


「……伴侶を、溺愛されているとか……」

「当然です」


 ワケのわからない質問に、リオンは不思議そうに眉を寄せる。


「それが何か?」


 ベルグラード使節団の中で、誰かが喉を鳴らした。彼らが恐れていたのは、剣でも戦術でもない。


「(聞いたか……? 副団長殿は、伴侶の名を出しただけで敵将を折ったと……)」

「(あの“ショコラ職人”が? あの人を怒らせたら終わりだという噂……)」

「(しかも既婚……守るものがある騎士は、最も危険だ……)」


 完全な誤解である。だが誤解は噂を呼び、噂は恐怖を育てる。


「……副団長殿」


 使節の代表が、意を決したように言った。


「今回の国境問題ですが……我が国としては、全面的に譲歩する用意が……」

「?」


 リオンは一瞬、思考が追いつかなかった。


「なぜです?」

「え?」

「こちらは、対等な協議を――」

「い、いえ!! その……ご伴侶に、万一のことがあっては……!!」

「?」


 完全に意味がわからない。だが次の瞬間。


「……もし、副団長殿が“伴侶を悲しませた国を許さない”と判断されたら……」


 その場の全員が、同時に背筋を伸ばした。リオンは、ゆっくりと瞬きをする。


「……伴侶は、私が悲しませない」


 静かで、揺るぎない声。それが――とどめだった。


「降伏条件を文書にまとめます!!」

「早く!! 署名を!!」

「副団長殿のご機嫌を損ねるな!!」

「だから何の話だ?」


 数刻後。アルセリア側の記録官が、差し入れを持参した真琴に小声で囁いた。


「……副団長の“既婚者オーラ”が、また一国を折りました」

「えっ」

「剣、抜いてません」

「えっ」

「名前も出してません」

「えっ」


 遠くで、リオンが首を傾げている。


「……なぜ、話がまとまったのだろう」


 真琴は、額に手を当てた。


(……これ、僕のせいなの……?)


 帰路。


「リオン」

「はい」

「……最近、敵国が優しすぎない?」

「そうだろうか」

「……“伴侶”って言葉、使いすぎじゃない?」


 リオンは一瞬考え、真面目に答えた。


「事実だが、使い過ぎてる気はしない」

「抑える気は?」

「ない」


 少しだけ声を落として即答する。


「……私にとって、最も大切な抑止力だからな」


 真琴は苦笑した。


「……国防兵器みたいに言わないで」

「最上級だ」



 翌日。団長は報告書を読んで、机に突っ伏した。


「……既婚者オーラ、敵国特効は想定外だ」


 横で副官が呟く。


「副団長殿、何もしてません」

「してるんだよ……その存在が」


 団長は白目になったまま、天井を仰いだ。


「もう外交文書に書くか……“副団長を刺激しないこと”って……」


 こうしてアルセリア王国最強の抑止力は、剣でも魔法でもなく――“既婚者の幸福オーラ”であると、各国に認識されていったのだった。



***

 その国際問題は、本来なら数週間かかるはずだった。


 国境を巡る小競り合い。

 感情的な外交官。

 疑心暗鬼の敵国。


 ――そして、なぜか。


「……あの、これ……」


 会議室の端で、真琴が小さく手を挙げた。真琴は、ただ差し入れを持ってきただけだった。


 団長に頼まれて「会議が長引いているから、甘いものを」それだけ。白い箱の中身は、焼きたてのチョコレート菓子。香りがふわりと広がる。


「お仕事、お疲れさまです」


 それ以上の意味は、まったくなかった。しかし、敵国側の反応がおかしかった。


「……っ」


 使節の一人が、息を詰める。


「その菓子は……」

「え? アルセリア王国名物のチョコレート菓子ですけど……」

「ま、まさか……“あの副団長殿の伴侶が直接”」


 ざわ……。会議室の空気が、一斉に変わった。真琴は、完全に置いていかれている。


(え? え? なに……?)


「どうぞ、こちらを召し上がってください」


 真琴は、ただ正直に言った。


「甘いものを食べれば、心が安らぎますよ。国境問題とか、みんなが怖い思いをするのは嫌なので、どうか仲良くできれば……」


 その言葉が――致命傷だった。


「副団長殿の伴侶が、“嫌だ”と……」

「聞いたか……戦争を望まない、という意味だ……」

「いや、これは……“怒らせたら終わり”の逆だ……」

「“静かに止めに来た”んだ……」


 真琴の言葉は、知らないうちに“最終通告役”に昇格していた。


「え、えっと……?」


 真琴は困って、リオンを見る。リオンは、即座に真琴の隣に立った。


 剣は抜かない。

 声も荒げない。

 ただ、完全防御の距離。


「……問題は?」


 低く、静かな声。敵国側は、ほぼ反射で背筋を伸ばした。


「ありません!!」

「話は、円満に解決しております!!」

「こちらが全面的に譲歩を……!」

「えっ?」


 真琴は目を見開いた。


「えっ、まだ何も話してない……」


 団長が、そっと真琴の肩に手を置いた。


「……真琴殿」

「はい?」

「もう、終わりました」

「え?」


 後日。王宮の報告会。


「今回の国際問題は、平和的に解決しました」


 拍手。


「功労者は――」


 団長が一拍、間を置く。


「……真琴殿、です」


「えええええ?」


 真琴は、椅子から半分立ち上がった。


「ぼ、僕、チョコを渡しただけで……!」

「それが問題なんだ」


 団長は真顔だった。


 廊下に出て。


「真琴」

「リオン……」

「……無自覚なのが、一番危険だ」

「そんなこと言われても……」


 リオンは少し困った顔で、でも誇らしげに言った。


「君が『嫌だ』と言ったことを、誰も無視できない」

「……それ、リオンのせいじゃ……」

「否定しない」


 真琴は頭を抱えた。


「どんだけ……」


 リオンは、そっと真琴の手を握る。


「――どんだけでも、守る」


 その瞬間、通りすがりの外交官が無言で道を譲った。


(……まただ……)


 真琴は、遠い目をした。


 こうして真琴は今日も何もしていないのに、国際問題を解決してしまうのだった。

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