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第五章 ショコラを作る手、甘味店《ショコラトリエ・アルセリア》、開店!11

***

 夜明けの光が、まだ眠たげな街を金色に染めていく。市場の広場では、木の屋台を並べる人々の声があちこちから響いていた。


 果物、焼き菓子、香辛料、布――色とりどりの匂いと音が混ざり合い、街全体がゆっくりと目を覚ましていく。


「真琴、緊張してるのか?」


 隣からリオンが笑う。僕は両手に抱えた木箱を見下ろしながら、苦笑した。


「少しだけ。戦場より落ち着かないかもしれない」

「ふっ……君は本当におもしろい」


 ふたりで屋台に看板を掲げる――《スイート・センス》


 リオンが書いてくれた文字は、まるで風に揺れる草原のようにやわらかい。


 僕は箱を開け、チョコレートを並べていく。丸いトリュフ、ハート型のボンボン、そして新作の「風のショコラ」


 どれも、昨夜ふたりで試行錯誤したものだった。本当は、もっと無難な形にすることもできた。それでも昨夜、リオンと並んで味を決めた記憶が自然と手を動かしていた。


「よし、準備完了!」

「ああ。あとは――」


 言いかけたとき、どこからか小さな光がふわりと舞い降りた。うさ耳の飾りを揺らしながら、フェリシュが姿を現す。


『ふふっ、いい香り~! やっぱり来て正解だったのですぅ!』

「フェリシュ、早いね」

『だって今日は特別な日でしょう? “甘さの初陣”だもの!』


 フェリシュはチョコをひとつつまみ、頬を膨らませながら言った。


『うん、優しい味。ちゃんとふたりの心が混ざってるのですぅ』

「ありがとう。君がいてくれたからだよ」

『えへへ、わたしもちゃんと食いしん坊の精霊として、しっかり応援するのですぅ!』


 そう言って、フェリシュは屋台の上でくるくる回りながら金の粉をまいた。瞬く間にチョコの表面がほのかに光り、通りすがりの人々が足を止める。


「わあ、いい匂い!」

「これ、恋の精霊の祝福だって!」


 人々の笑顔がひとつ、またひとつ増えていく。そのたびに、胸の奥がじんわりと温かくなった。


 リオンが、手袋を外してチョコを一粒つまむ。僕の方を向いて、そっと言う。


「見ろ、真琴。君の甘さが、この世界を動かしている」


 否定する言葉はいくつも浮かんだ。けれど、そのどれも選ばずに――僕は、ただ事実を受け取った。


「僕だけの力じゃないよ。これは、ふたりで作ったチョコだから」


 その言葉に、リオンの蒼い瞳がやわらかく細められる。


 朝の風が吹き抜け、屋台の布を揺らした。フェリシュのリボンがきらめき、金の粒が空に舞う。


 人々の笑い声と、チョコの甘い香りが混ざり合い――それは、どこまでも幸福な音色に聞こえた。


 リオンがそっと僕の手を握る。


「この世界に“甘さ”を広げる旅、これからも続けよう」

「うん。どんな場所でも、リオンと一緒なら――」


 言葉の続きは、ふたりの笑みに溶けていった。


 太陽が高く昇り、街が光に満たされていく。今日もまた、新しい一日が始まる。そして、そのはじまりの中で――僕たちの“甘い物語”は、静かに息づいていた。



***

 夜の帳が降り、外では虫の声がかすかに響いていた。工房の灯りがひとつ、静かに揺れている。


 その中で真琴はチョコを溶かす手を止め、こちらを見上げた。琥珀色の光に照らされた横顔は、どこまでも穏やかで脆いほど美しかった。


「真琴、もう遅い。少し休め」

「あと少しだけ……この香りが落ち着くまで」


 真琴は笑って、鍋をかき混ぜ続ける。その仕草があまりにやわらかくて、胸の奥が不意に疼いた。


 戦場で何度も見た「決意」とも「覚悟」とも違う。ただ目の前の人を想い、誰かを幸せにしようとする“優しさ”の光。


 この世界に来た彼が、なぜこれほどまっすぐに笑えるのか。本当は、踏み込まずに見守ることもできた。それでも――その理由を、確かめずにはいられなかった。


「……真琴」


 名前を呼ぶと、彼の手がふと止まる。その指先に、チョコが一滴落ちた。反射的に手を伸ばし、掬い上げる。


 甘くて、ほろ苦くて――そこに彼の温度が溶けていた。


「リオン?」


 戸惑う声が震える。だが、もう離せなかった。触れた指先から伝わる鼓動が、あまりにも確かで。この人が遠い世界から来た奇跡であろうと、今ここにいる事実だけで胸が甘く満たされていく。


 唇が、彼の指先をなぞった。驚いたように目を見開く真琴が、息を呑む。灯りの影がゆらりと揺れ、チョコの甘い香りが濃く満ちた。


「こんなにも温かいものを、私は知らなかった」


 彼の耳元で囁くと、真琴の頬がほんのりと色づく。


「君の作る“甘味”は、人の心を癒やす。けれど私にとっては……それ以上だ」


 彼が小さく瞬きをして、そっと微笑んだ。その笑みがあまりにやさしくて、息が詰まる。まるで、夜の静寂ごと溶けていくように――私たちは、言葉もなく触れ合った。


 その瞬間、フェリシュの残した金の粉が空中でひとつ、きらりと光った。香りがふわりと広がり、世界が甘く滲む。


 それは誓いにも似た静かな瞬間だった。


 戦場で剣を取るよりもずっと怖くて、ずっと確かな決意――この手を決して離さない。この人の作る甘さを守り続けよう。


 今朝、真琴が眠たげに微笑んでいた理由を、私は知っている。彼の“やさしさ”がこの世界に根づくその日まで、何度でもこの手で包もうと思った。

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