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第五章 ショコラを作る手、甘味店《ショコラトリエ・アルセリア》、開店!

 王都の片隅。陽光のよく差し込む小さな通りに、白い看板が立った。金の筆記体でこう書かれている。


《Chocolaterie Arceliaショコラトリエ・アルセリア》その看板に辿り着くまでに、失敗しなかった日は一日もなかった。


 扉を開けた瞬間、ふんわりとカカオと果実の香りが混ざり合い、胸の奥が温かくなる。店内中央のショーケースには、宝石みたいに輝くチョコレートたちが並んでる。どれも、僕がこの世界で一から作りあげたものだ。


 開店のきっかけは、ほんの数か月前のことだった。


 王都の祭典で、僕は“精霊の菓子職人アルセリア”の称号を授与された。その時に披露した新作チョコの”ショコラ・ド・アルセリア”が、思いもよらず王宮の目に留まった。そして王様が自ら新作を食べてくださり、お褒めの言葉を賜った。


 その日から、僕の扱いは一変した。職人でありながら貴人として礼を受ける立場になったことで、護衛を付けるよう王命が下された。その護衛として名乗りをあげたのが、リオン様だった。


 王命に背くことはできない。でもそれ以上に、彼自身がその役目を手放す気はなかったのだと、今ならわかる。


 彼は王国騎士団の副団長。「どうして僕なんかのために」と言ったとき、リオン様は少しだけ苦笑した。


「“僕なんか”じゃない。真琴はこの国に新しい風をもたらした。そしてその傍にいたいと思うのは、騎士として当然だろう?」


 あのときの言葉が、まだ胸の奥で静かに響いている。


 ――守るため。けれど、ただそれだけじゃない。彼の蒼い瞳には、もっと深い想いが宿っていた。


 そんな彼が今、王国騎士団の副団長をしながら僕の店の相棒になっている。“王国最強の騎士”と呼ばれた人がカウンターの隅っこでエプロンを着けている姿が、不思議なほど自然に思えた。


「真琴、こっちは完売だ」


 低く穏やかな声に顔を上げると、リオンが木箱を抱えて現れた。長い指先にチョコの粉がついているのを見て、思わず笑ってしまう。


「えっ、もう? 朝に焼いたばかりなのに……」

「君の《幸福の香気》、今日も大人気だな」


 リオンはどこか楽しそうに告げながら、持っていた木箱をカウンターに置く。


《スイートセンス》それは人を操る魔法じゃない。ただ張りつめた気持ちをほどき、前を向く力を思い出させるだけの香りだ。


「……それ、からかってません?」

「褒めてるつもりなんだが?」


 軽口を交わしながらも、視線が重なるたびに胸が甘くざわめく。騎士としての彼しか知らなかった頃には、決して見せなかったやわらかな笑み。それを見るたび、僕は“この人を信じてよかった”と思う。


 窓辺の棚では、フェリシュが花形の瓶を抱えて飛び回っている。


「真琴~、ルゼラのジャム、もう少しで固まるのだわ~!」

「ありがとう、フェリシュ。ほんと頼りになるな」

「えへへ~、だってフェリシュ、いまは正式な守護精霊ですもん!」


 その言葉に思わず笑ってしまう。リオンも隣でくすりと笑い、店内に穏やかな空気が流れた。


 ――異世界に来たばかりのころ。見知らぬ街の風や知らない人の声も、ただ怖かった。けれど今なら言える。ここが僕の居場所だ、と。



 昼下がり。店の扉が軽やかに鳴り、常連の子どもたちが駆け込んできた。


「真琴お兄ちゃん! この前の“きらきらショコラ”、またある?」

「うん、今日は特別に“春の花”バージョンを作ってみたよ」

「やったー!」


 子どもたちが手を叩いて笑い声が広がる中、トングを手に取りながら、ガラス越しのチョコをそっと見つめる。チョコの表面が滑らかに光り、かすかな空気の泡立つ音が耳に届く。ひとつひとつに込めたのは、かつての僕の願い――“誰かを幸せにしたい”という想い。


 そして今、その“誰か”は、もう傍にいる。白いエプロンを結び直す彼の背に、ふと目を奪われた。


 真面目な横顔に、騎士の面影が少し残っていて――胸の奥が熱くなる。


 閉店後。ランタンの灯りが店内を淡く照らす頃、リオンがコーヒーを注いでくれた。カカオと焙煎の香りが混ざり合って、とても心地いい。


「今日もよく頑張ったな、真琴」

「ううん。頑張れたのは……リオンがいてくれたからです」


 そう言うと、彼は少しだけ視線をそらした。目の下がほんのり赤い。


「……そう言われると、悪くない気分だ」

「でしょ?」

「ただし――」


 彼は立ち上がり、僕の背後に回り込んだ。ふわりと香るカカオの匂いの中、腰に腕がまわる。


「けして無理はするな。君の笑顔がなくなったら、店も意味を失う」

「そんなの……ずるいですよ。そんな言い方されたら」

「ずるい男は嫌いだろうか?」


 リオンの声は低く、あたたかく、すべてを包み込むように響いた。次の瞬間、唇がそっと触れ――フェリシュが小さくリボンを揺らす。


「はいはい~。お仕事モード終了なのですぅ~」


 灯りが落ち、夜風がカーテンを揺らした。チョコの香りと静けさの中で、僕はリオンの胸に頭を預ける。


(――“スイートセンス”って、ただチョコを作るための力じゃなかったのかもしれない)


 香りや甘さを通して、誰かの心に触れるための祝福。そして今、その“誰か”はちゃんとここにいる。


「ねぇ、リオン」

「なんだ?」

「ふたりのお休みの日に……一緒にチョコを作ってみませんか?」


 リオンは少し驚いたあと、やわらかく笑った。


「いいな。それは、きっと今までで一番甘い味になる」


 きっとこれからも、何度でも――互いを選び直しながら。


 窓の外。夜空には淡い光が瞬き、フェリシュがその中でくるりと舞う。


「しあわせの香り、満開なのですぅ~!」


 甘味店ショコラトリエ・アルセリア今日もまた、ひとつの恋とひとつの甘さを届ける。この世界に永遠に溶けない“愛の味”を――。

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