Ep.2 君が『友』と呼んでくれるよう…… (7)
クッソ久しぶりです!
どうも大変長らくお待たせいたしました!
アシュリー嬢は案の定、私の両親から話を聞かされ、私を心配してここへ来たらしい。私が体調を崩し始めた頃に母から、そして静養に出るとなった時に父から聞かされた、と。
その際に、年末までに私が城へ戻らなかった場合どうなるかを聞かされ、酷く心配になったのだ、と。
……これだけを聞き出すのに、実に三十分以上かかってしまった。
その間に食事を終え、食後に出してもらったお茶を二杯おかわりした。ファラルダに至っては、一人嬉しそうにクリームがたっぷりのったパンケーキを頬張っていた。そして食べ終えていた。
アシュリー嬢は何度も言葉に詰まり、どもり、その度に俯いて「えぇっと……」などと言いながら次の言葉を探していた。
本当に、私が今まで見てきた『アシュリー・オーチャード侯爵令嬢』とは、幻か何かだったのだろうか。
今目の前に居る彼女と、噛み合う箇所の方が少ないのではなかろうか。
それとも、今目の前に居る彼女の方が幻だろうか。
「アシュリー嬢」
私の呼びかけに、俯いていたアシュリー嬢が顔を上げる。
その表情はどこかおどおどとしており、やはり私の知る『アシュリー・オーチャード嬢』とは大きく異なっている。
「無用な心配をさせてすまない。それと、有難う」
王太子妃などという座を自ら望んだ訳ではない彼女だ。私が廃され、己がその座に就けなくなる事を心配した訳ではないだろう。
つまりは、ただ私の心身を素直に案じてくれたという事だ。
他者の好意というものの有難さや温かさなども、こちらへ来てから身に染みて理解したものの一つだ。
私が礼を告げると、アシュリー嬢は何故か真っ赤になり、再び俯いてしまった。
「いえっ、あのっ、別に、お礼など……」
どんどん小さくなる声で言い、結局言い切れぬまま口を噤んでしまう。
これが彼女の『素』なのだとしたら、彼女はこれまで、どれ程の無理をしてきたのだろう。
気付いてやれていなかった事が、何だか申し訳なくなる思いだ。
そして、私は彼女の事を殆ど何も知らないのではないだろうか、という事に気付いた。
九年という月日は決して短いものではない。
けれど、その年月で彼女としてきた交流は、『私的なもの』とは言い難い。
城の開けた場所で、ティーテーブルを挟んで、互いに当たり障りのない会話を交わして……。
それらは、『節度ある交際』というよりも、『課された義務を果たす』と言った方がしっくりきそうだ。
九年もあったのに、目の前の彼女の事を呆れる程に何も知らない。
……私は何をしてきたのだろうか。
そんな事を考えていた私に、コーヒーを飲み終えたエルードが、カップをソーサーに戻しながら言った。
「さて! じゃあ、食事も終えたし、腹ごなしに散歩でもしようか!」
その言葉に、ファラルダは「あら、素敵~」などと言いながら、さっさと席を立つ。
アシュリー嬢はというと、そんな二人を戸惑っているような表情で見ている。
「ほら、さっさとしないか」
既に歩き出しながら言うエルードの声に、私は椅子に座ったままのアシュリー嬢に手を差し出した。
「行こうか。エルードが怒り出す前に」
恐らく、エルードはそう簡単に怒ったりはしないだろうが。
私のその少しおどけた言葉に、アシュリー嬢は軽く瞳を伏せるようにしてくすっと笑った。
「……はい、カール様」
差し出していた手にそっと添えられた細い手を、細心の注意を払って引く。
これまで彼女をエスコートする機会は何度もあった。公的なパーティなどの場では、彼女はいつも私の隣に居るからだ。
けれど。
こうして『手を繋ぐ』というのは、初めてかもしれない。
アシュリー嬢の細い柔らかい手を引きながら、そんな事を思った。
そして、ついさっき彼女が見せた笑顔が何だかとても可愛らしくて、私は初めて彼女を「一人の少女」として意識してしまった。
では今までは何だと思っていたのか、と言われると、返す言葉もないのだが。
……しかし、『手を繋ぐ』というのは、何だか気恥ずかしいものだな。エスコートと大差ないような気がするのだが、何が違うのだろう。
何故か、すぐ隣に居るアシュリー嬢の顔を見るのが、どことなく気まずいような気分になってしまう。
離してしまってもいいものかな……。いや、アシュリー嬢が私の手をしっかり握っているな。これを振り解いたら、そこそこ人でなしに見えてしまうな……。
そんな事を考えながら、先を歩いているエルードとファラルダを追いかける。
二人は何処へ向かっているのかは定かでないが、目的地はあるようだ。迷いのない足取りで、そこそこ速い歩調でスタスタと先へ行ってしまう。
私は構わないのだが、アシュリー嬢には速過ぎないだろうか……。きちんとついて行けているだろうか。
そんな風に思い、手を繋いだままのアシュリー嬢を振り向いてみた。
……歩き出してからほんの一分か二分かそこらしか経過していないのだが、すぐ隣に居た筈のアシュリー嬢は私から一歩と少し程度遅れている。手を繋いでいて良かったかもしれない、と思ってしまった。
「アシュリー嬢、大丈夫だろうか? 少し歩調を緩めるように、エルードたちに言った方が……」
振り向き、声をかけ、思わず途中で言葉を飲み込んでしまった。
私の後ろを歩く彼女は、繋いだ手に視線を落とし、僅かに頬を染め微笑んでいたからだ。
私に気付いたアシュリー嬢は、視線をぱっと上げると、ぎこちない笑みを浮かべた。
「いえっ! 大丈夫です! あの、少し、遅れてしまうかもしれませんが……」
『かもしれない』というより、既に少し遅れがちではあるが。普段『淑女として』速足で歩く事などないのだ。それも当然だろう。
「では……」
視線を元に戻すと、エルードとファラルダはこちらを気にした風もなく、さっさと先へと歩いて行ってしまっている。
「少し急ごうか。……不快でないのであれば、こうして手を引いていても構わないだろうか?」
その方が、彼女一人を取り残す事がなさそうで、効率的だ。
そんな色も素っ気もない理由からの発言だったのだが。
私の言葉に、アシュリー嬢が握った手に少しだけ力を込めたのが分かった。
「……不快などではございません。……宜しく、お願いいたします……」
「ならば、行こうか」
「はい。カール様」
その声に含まれる僅かな喜色を不思議に思いつつ、私は先を行く二人を追いかけるのだった。
楽し気に先を行く二人は、全く歩調を緩める気配もない。
貴族とは鷹揚に構えているもの、という頭でいたので、先を行く二人のペースが速すぎて驚くばかりだ。
そして驚いたのは、私の一方後ろを歩くアシュリー嬢にもだ。
私に並ぶ事はしないながら、一言も弱音を吐く事なく、また辛そうな素振りもなく、私たちについてくる。
……しかし、それはそうか。
彼女は相当にきついであろう『王妃教育』を、音を上げる事無く、手を抜く事なく修めてきているのだ。その根性があるのだから、速足で歩くくらい訳ないか。
領都の中央を、縦断するように歩いて行く。一体、何処へ行くつもりなのか。
歩いていると、意外なくらいに街の人々からアシュリー嬢が声を掛けられる。中には彼女を「アシュリー」と呼び捨てにする人も居り、その親し気な様子に驚いてしまう。
「君は、ここへは良く来るのかい……?」
この街の人々は特別に人懐こい性質ではあるが、それでも彼女への対応は昨日・今日の間柄ではなさそうだ。
訊ねた私に、アシュリー嬢が小さく笑った。
「はい。……と言いましても、幼い頃の話ですけれど」
ちらりと振り返ってみると、アシュリー嬢は微笑んで周囲を見回していた。
とても愛し気な目をしていて、彼女にとってもまた、この『マクナガン公爵領』という場所は特別なのだろうな……というのが見て取れた。
「わたくしのオーチャード侯爵家の領地は、マクナガン公爵領の隣でございましょう?」
「そうだね」
アシュリー嬢の生家であるオーチャード侯爵家の領地は、王都と隣接している。王都の北東付近にオーチャード侯爵領があり、そのオーチャード侯爵領の東側を飲み込むようにマクナガン公爵領がある。
数十年前までは、オーチャード侯爵領とマクナガン公爵領の間には、小さな領地が幾つかあったのだ。けれどそれら領地の主たちがマクナガン公爵領への編入を自ら望み、公爵家もそれを了承し、現在に至っている。
それら小領地であった土地には、『管理官』としてかつての領主一族が立っている。ただ彼らは爵位などはとうの昔に返上してしまっているので、今はただの平民だ。……つくづく、不思議な土地だ。
そんな経緯で、オーチャード侯爵領とマクナガン公爵領は、今では隣り合っている。
「我がオーチャード侯爵領は、主要産業が産鉄と武具製造でございますので、少々荒っぽい土地柄でございます」
「ああ……、そうだね」
オーチャード侯爵領は、非常に埋蔵量の豊富な鉄鉱山を有している。そこから採れた鉱石を精錬し、主に武具に加工する。
オーチャード侯爵領と言えば、良質な武具で有名なのだ。
けれど確かに、鉱山の作業員も製鉄場の作業員も鍛冶師も、『上品な』人々ではあり得ないだろう。
「良からぬ連中に武具類を販売しないよう目を光らせてはおりますが、網の目をすり抜けて来ようとする輩は後を絶ちません」
それもそうだ。
良質な武具を欲するのは、何も善良な者たちだけではない。むしろ、それを良からぬ事に使用しようとする者の方が多いくらいだろう。
「私設騎士団や自警団なども編成しておりますが、それでも安全とは言い難い土地です」
「オーチャード侯爵家は、良くやっていると思うけれどね」
「……有難いお言葉でございます」
いや、本当にそう思うのだが。
良質な武具を求めて良からぬ連中がやって来る事はあるだろうが、そういった連中が根城にしているのはオーチャード侯爵領ではないのだ。
何故なら、オーチャード侯爵領は、そういった不法者を一切容赦しないからだ。
旅人が護身用の剣を一振り買い求めるくらいなら、誰も何も気にしない。けれど、明らかにおかしな量の注文などは、購入者の身分や目的などをきっちり調査する。
他の貴族家からの大量注文などは、日付・数量・購入に来た者の身分等まで、きっちりと国に報告してくれる。
おかげで、『武具』という人の命を奪う道具を売っているにも関わらず、オーチャード侯爵家には悪い噂などは一切ない。
「治安は悪くない方……とはいえ、マクナガン公爵領と比べたら『悪い』と言わざるを得ません」
「まあそれは……、うん」
ここと比べたら、王都もかなり治安が悪い部類になってしまう。
王都には城をはじめとした国の主要機関が軒を連ねている。それらを警護する為に、王立騎士団の騎士たちが多数配置されている。それでも尚、マクナガン公爵領に比べてしまうと、『治安が悪い』と言う他ないのが現状だ。
本当に、ここに来てからこっち、『戻ってからやるべき事』が増える一方だ。
「実は幼い頃、兄が一度、誘拐されかけまして……」
「え!?」
侯爵子息が!? そんな話、聞いた事がないぞ!?
「……外聞がよろしくないので、公にはしておりませんが。幸い、未遂で済みましたし……」
成程、そういう事か。
「ですが一度そのような事がありますと、やはり両親が少々治安などに不安を抱いてしまいまして……」
「それはそうだろうな」
我が子が攫われかけるなど、親からしたら恐怖でしかないだろう。それが貴族であれ、平民であれだ。
「はい。そこで父が、領内の治安を回復するまでは、兄とわたくしは領地を離れた方が良いだろう、と。王都にある邸でも良かったのでしょうけれど、どうせなら自然が豊かな場所で、人々と触れ合って過ごして欲しい……と」
その願いも分からなくはない。
王都は開発が進んでいるので、『自然豊か』とは言い難いし、気軽に外出なども難しいだろう。
「父がマクナガン公爵にお願いしまして、領都に家を一軒お借りしたのです。そこで、母と兄と三人で二年ほど過ごしました」
「成程……」
確かに、ここはとても治安も良いし、自然も多い。
人同士の繋がりが密であるので、『子供が一人で出かけている』という状態であっても、誰かしらがそれを気にかけていてくれる。
それらは風土的な習慣でもあるだろうから、他の土地で簡単に真似が出来るようなものではない。『他人の子を気に掛ける』という、自身の利害の外にある行為だ。それを日常的に『当然』として行うのは、他者がそうあるようにと強制して出来るものでもなかろう。
「マクナガン公爵がわたくしたちの遊び相手に……と、エルを寄越して下さいまして。兄とわたくしにとってエルは、幼馴染というようなものなのでございます」
「……それは知らなかった」
アシュリー嬢がこの地に縁があった事も知らなかったし、エルードと幼馴染だったとは……。
「……特に、お話しするような機会もございませんでしたので、カール様が知らぬのも当然かと」
当然……だろうか。
婚約者となってから九年もあったのに? ……私は本当に、この『アシュリー・オーチャード』という女性の事を、何も知らないのではないだろうか。
「……アシュリー嬢」
呼びかけた私に、アシュリー嬢が「はい」と返事をする。
「その頃の君の思い出話なんかを、いずれ聞かせてもらえないだろうか」
「は……?」
僅かばかりの驚きを含んだ声に、アシュリー嬢を振り向いてみれば、彼女は声そのままの驚いたような表情をしていた。
いつも凛々しくキリっとしている彼女にしては珍しい、ぽかんと間の抜けたような顔だ。その表情が何だか新鮮で、酷く可愛らしく見えた。
「この地での出来事はきっと、私には思いもよらない楽しい事が多そうだからね。是非、聞いてみたいと思って」
「では、あの……」
アシュリー嬢はぽかんとした顔から一転、今度ははにかむような笑顔になった。
「わたくしにも、カール様のこの地での楽しいお話を聞かせてくださいますか……?」
「いいよ。……楽しいかどうかは、保証しかねるけれどね」
「それはわたくしも同様でございます」
ふふっと楽し気に笑うアシュリー嬢が、何だかとても可愛らしく思えてしまい、私は慌てて視線を前方へ向けるのだった。
何処へ向かっているのかと思ったら、例の祭りの日にも登った小高い山だった。
ここはこの辺りでは『黒パン山』と呼ばれているそうだ。なだらかな半円形のシルエットが、黒パンにそっくりだから……という理由らしい。
因みに、国の地図に記載されている名称は異なっている。……きっとそんな事は、この地の人々にとってはどうでもいい事なのだろう。
黒パン山はピクニックコースとして人気がある。
子供や老人でも登るのにそう苦労しない標高と、整備された登山道がある事がその理由だ。……ここへ来たばかりの私には、中々のハードワークだったのだが。地元の子らは、この山を『駆け上がる』事を遊びの一つにしている。……何と逞しい事か。
前方を行くエルードとファラルダは、足取りがとても軽い。ファラルダに至っては、歩き辛そうな踵の高い靴だというのに、軽く跳ねるようなステップを踏むような足取りだ。
この登山は、アシュリー嬢には酷なのでは?
そう思い、アシュリー嬢を振り向いた。
「登れそうかな?」
訊ねると、アシュリー嬢はにこっと笑った。
「大丈夫です。……子供の頃以来ですが、道は良く覚えておりますので」
その頼もしい返答に、私はまた視線を前方に戻した。
「そうか……。君も幼い頃は、この山を駆け上ったりしたのかな?」
「……途中でへばってしまい、兄にもエルにも置いて行かれましたけれど」
少し情けない声で言う彼女に、思わず笑ってしまった。
女の子には、確かに厳しかろう。しかも、貴族家のご令嬢だ。本来、山を駆け上る事などする筈のない存在だ。
アシュリー嬢はその頃の事を思い出したのだろう。くすくすと楽し気な小さな笑い声を立てている。
「二人に置いて行かれ、泣きそうになりながら歩いておりますと、様々な人が声をかけて下さるのです。頑張れ、と言って飴を握らせて下さったり。後で兄とエルを叱っといてやろうか、と言って下さったり。中には、『さっき上の方で、お兄ちゃんが派手にすっ転んでたよ』なんて教えて下さる方も居たりして」
確かにこの地の大人たちなら、泣き出しそうな顔をしながらも頑張って歩く女の子など、放っておける筈がないだろう。
……何せ、道に迷って途方に暮れる私と従者に、「お? どうした?」と気さくに声をかけてくれる人が数分間で何人も現れるくらいなのだ。
「すれ違う沢山の人たちが皆、頑張れ、もうちょっとだよ、と励まして下さって。……この山は、いつも二人に置いて行かれる場所ではあるのですが、わたくしには楽しい思い出でもあるのです」
「今日も置いて行かれているけれどね」
気付けば、既に前方にエルードとファラルダの姿がない。……健脚と言うより、気遣いがない。
私の言葉に、アシュリー嬢がふふっと笑った。
「いつも置いて行かれるわたくしに、アマリアおば様……公爵夫人がこう仰って下さいました」
アマリアとは、エルードの母である公爵夫人の名だ。『おば様』などと呼ぶ程に親しかったのか……。あの戦女神と。
「他人の速さに合わせる必要なんてないのよ。貴女は貴女でいいの……と」
きっと、アシュリー嬢にとって、とても大切な言葉なのだろう。ゆっくりと噛み締めるよう、一音一音大切そうに発音すると、彼女はまた小さく笑った。
「あの阿呆の子たちのように駆け上ろうが、休みながらのんびり登ろうが、辿り着くのはおんなじ山頂よ。諦めないで登り切る事の出来る貴女は、とても素敵だわ、と。……その言葉に、とても励まされたものです」
確かに、夫人の言う通りだ。
そしてきっとそれは、登山だけではなく、様々な事柄に於いてもそう言えるのではなかろうか。
急ごうが、自分の速さでゆっくり行こうが、辿り着く場所は同じ……か。
「ですのでカール様」
呼びかけられ、私はまたアシュリー嬢を振り向いた。
アシュリー嬢は私に微笑むと、足を止め、周囲をぐるっと見回した。
「わたくしたちは、わたくしたちの速度で、のんびりと登山を楽しみませんか?」
「……うん。そうだね。そうしよう」
頷いた私に、アシュリー嬢はやはり嬉しそうに微笑むのだった。
のんびりと登山を楽しむ内、いつの間にか、私の一歩後ろを歩いていたアシュリー嬢は、自然と私の隣に並んでいた。
これまでに見た事のない表情を沢山見せてくれる彼女に、私も気付けば取り繕ったものではない対応をしていた。
後から思い返して青褪め、アシュリー嬢に謝罪をする事になるのだが、彼女には呆れたように笑われてしまった。「謝られるどころか、わたくしは嬉しかったのですよ?」と、諭すように言われたものだ。
……まあそれは本当に後の話で、この時の私には、自分が「城で淑女と相対した時には絶対にしないであろう対応」をしていたという自覚は全くない。彼女の幼い頃の何気ない失敗談を、思わず声を立てて笑ってしまったりもしたのだが。彼女が気を悪くしていないと言うのならば、それは何よりだ。
そうして他愛のない話をしながら歩く中で、『アシュリー・オーチャード』という一人の女性の事を少しは知れたのではないかと思う。
彼女が美しい花を好む事は知っていた。けれど私は、その『理由』までもは知らなかった。ただ普通に、「女性は一般的に美しいものを好む」という固定観念に当て嵌めてしまっていた。
「どのような些少な事物であれ、それら全てには恐らく『理由』はあるものですわ」
くすくすと笑いながら言われ、全くその通りだな……と少々情けなく思ったものだ。
「ではレディ。貴女が美しい花を好む『理由』を、この愚かな私にお教え願えないだろうか」
少々ふざけて言うと、アシュリー嬢は楽し気に笑いながら「よろしくてよ」とふざけた返事をしてくれた。
アシュリー嬢とは、こうした冗談にも付き合ってくれるのだな。知らなかったし、知る事が出来て良かった。
「わたくしが花に……と申しますか、植物に興味を持ったのは、王城の大庭園を見て以来の事です」
「大庭園の、薔薇だろうか」
城の大庭園には、多種多様な薔薇が植えられている。それらは花をつける時期が微妙に異なり、温暖な季節であれば、庭には常に何種かの薔薇が花を付けている。
その光景は壮観であり、腕の良い庭師たちの実直な働きにより、非常に麗しいものでもある。
我が城の代名詞のようなものにもなっているので、他国からの賓客などには、必ず一度は庭を披露するのが習わしだ。
「わたくしが大庭園に初めて足を踏み入れましたのは、カール様にお目通りした日でございました」
だろうね。
幼い女児が城へ来る用事などないし、来たとして大庭園へと行く用事は更になかろう。
「あの日も沢山の薔薇が美しく咲き誇っていて、幼いわたくしは『綺麗なお花がいっぱいだわ』と嬉しくなったのです」
「来客に喜んで貰えるならば、庭師たちも本望だろう」
「ええ、恐らくは」
私の言葉に微笑んで頷くと、アシュリー嬢は今度は少し苦笑するように笑った。
「ですがわたくしは、そこに咲く薔薇に『種類』がある事を、数年の後にまで気付いておりませんでした」
……うん?
「どういう意味だろうか……?」
種類がある事に気付かない? あれだけ、品種も色も多種多様にあるというのに?
「幼いわたくしには、『薔薇は全て薔薇』でしかなかったのです。色の違うものも、花弁の形の違うものも、『全部薔薇』」
「ああ……」
成程、そういう意味か。
確かに、幼子には難しかろう。
世界には薔薇だけでも数百種はある。そして大庭園には、その内の百種程度が植えられているのだ。
だが、そういった事情も知識を得てから理解するもので、知識のない幼子には『全部薔薇』でしかないのも不思議ではない。
「ある日、王妃陛下と大庭園を散策いたしまして。その際に陛下がわたくしにお訊ねになられたのです。『貴女はどの薔薇が好きかしら?』と」
アシュリー嬢はその頃を思い出しているのだろう。何処か少し遠くを見て、くすくすと笑っている。
「どの……と言われましても、わたくしには『全て同じ薔薇』にしか見えておりません。精々、こっちは赤で、あっちは黄色……と、色の違いが分かる程度です。ですので、正直にそう申し上げました」
「陛下は何とお答えに?」
「陛下は遠くで作業をしていた庭師をお呼びになられ、わたくしに簡単に薔薇の種類のお話をして下さいました。色だけでなく、お花の形も違っているでしょう? と」
それもけれど、幼子には難しいのではなかろうか……。いや、アシュリー嬢のように聡明であれば、そう難しい話でもないのか……?
「全て同じ薔薇に見えるかもしれないけれど、良ぉく見たら全て『顔』が違うのよ、と。……人間と同じよ、と」
「……成程」
それも、『王妃教育』の一つか。
大庭園の薔薇は確かに、『全部薔薇』だ。
ぱっと見て分かる色の違いはあれど、それぞれ品種が違い、それ故に個性も違っていると気づく為には、きちんと観察しなければならない。
「きちんと一人一人を見て、『個性』を判断し理解しろ……という事か」
「陛下の仰りたかった事は、恐らくカール様の仰った通りかと。ですがわたくしは、そこから植物に興味を持ったのです」
「それは……何と言うか、素直、だな……」
「……裏の読めぬ浅慮な幼子と、呆れて下さって構いません……」
「いや……。子供らしくて、良いのではないかな」
むしろ、喩え話を字面通りに捉えるなど、可愛らしいエピソードなのではないだろうか。
「陛下のあの時の薔薇のお話は喩えだったのだな……と気付いたのは、それから数年の後でした……」
情けない表情で俯いてしまったアシュリー嬢が可愛らしくて、私はまた笑ってしまった。
そんな私にアシュリー嬢は「もう! 笑わないでくださいませ!」と、少しだけ膨れっ面をしてみせるのだった。
アシュリー嬢も私にとっては、『庭園の薔薇』だったのだろう。
彼女の名は知っている。身分も、見目も理解している。……けれど、『彼女自身の個性』というものは、分かっていなかった。
そして人間には植物と違い、『それぞれの意思』というものがある。
私はもっと、アシュリー嬢と対話をしなければならないな、と感じていた。
これまでの九年間での空虚な交流ではなく。互いに何を思い、考え、感じてきたのかを。
『アシュリー・オーチャード』という一人の人間の事を、もっと知らねばならない。
「アシュリー嬢」
呼びかけた私に、アシュリー嬢が「はい?」と返事をした。軽く小首を傾げるような仕草で、少しきょとんとした表情で。
そんな仕草も表情も、これまで知らなかったものだ。
「もし良ければ、これからもこうして、気負わず気取らず話が出来ると嬉しいのだが……。どうだろうか」
彼女は何と答えるだろうかと僅かに身構えていると、アシュリー嬢はふわりと穏やかに微笑んだ。
「カール様がお望みであるならば、喜んで」
それに礼を言った私に、彼女は「お礼を言われるような事は、特に何も」と笑ってくれたのだった。
余りにも終わらんので、もう出来次第投稿する事にしました。
あとお報せなのですが、『公爵令嬢は我が道を場当たり的に行く』書籍の発売日が決定しております。
4月12日予定です。
まだ予約も始まっていないので、予約が開始されましたら活動報告に詳しい情報を載せようかな……と考えております。
まあ、ツイッターでは色々呟いてはいるんですが。興味がある方は覗いてみてください。
そんなこんなで、もうちょっとカールくんのグダグダにお付き合い下さると嬉しいです。
書籍が出るまでには終わらせてぇなぁ! と思っています。……思ってるだけです。
そして例によって、誤字報告、お待ちいたしております。
頑張れ、野生の校正さんたち。私はそれを元に、ワンクリックで誤字を直すのみよ。フハハハハ……。
ではまた、次が出来上がったらお会いしましょう。




