Ep.2 君が『友』と呼んでくれるよう…… (6)
初代王が公式に『死んだ』とされた後に隠棲したという建物は、現在は宿として活用されているそうだ。
ただし、彼の居室があった三階部分は見た通り扉で仕切られていて、限られた数人以外は立ち入る事を禁じているという話だった。
確かに、建物は人が出入りしなくなると、あっという間に朽ちてしまう。
人が生活するために設計された『家』であるなら、尚の事だ。
その保全と、「折角あるのだから有効に活用してしまえ」というマクナガン公爵家らしい考え方により、宿として供する事になったらしい。
宿泊費は流石に、その辺の宿などよりかなり高額に設定されていた。貴族であればさして苦も無く出せる額だが、一般の庶民であったなら相当の覚悟が必要な額である。
その強気とも言える値付けに、エルードは「値段なりのサービスは提供していると自負しているからな」と笑っていた。
確かに、従業員たちは城の使用人にも劣らぬ洗練具合であったし、淹れてもらったお茶も茶菓も文句の付け所が一切なかった。
他国へ招かれた際に、その国一番の高級宿などに宿泊する事は珍しくないが、この宿は私の記憶の中のどの高級宿泊施設よりも『大貴族の邸宅感』がある。
貴族の邸どころか、城に居るのと大差なく過ごせそうですらある。
建物の維持費と、彼ら従業員への給金。
それを捻出するには、宿泊費も高額となるだろう。納得だ。
そしてエルードが言うには、私たちベルクレイン家の人間であれば、いつでも例の三階部分を自由に使用していい事になっているらしい。
その後何度か足を運び、書棚にある書物を眺めたり、机の引き出しの中を見てみたり……と、家探し紛いの事をやってみた。
初代王という人は、とてもまめな人物であったようだ。
彼の日記のようなものが、書棚に収められていた。
それを読むと、彼が『死後』この地でとても穏やかに過ごしていたという事が知れた。
今日は鳥の声がとても賑やかだ、だの、市場へ足を延ばしてみたらとても美味しいリンゴを貰った、だの、庭の木が花をつけた、だの、そういう小さな出来事が、日記には綴られていた。
あと相変わらず、日記の大半は『今日は兄がどうした』『兄がこう言った』『兄が』『兄は』『兄を』だ。……人間、そう簡単に変わったりしないものだな。
初代王の『お兄さん大好き』、やはりちょっと引く思いがあるな……。
そしてそれを全く意に介さない初代公爵も、なんと言うかすごい人だよな……。
けれど何だろう。
これまで全く縁もゆかりもないと思っていたマクナガン公爵領だが、様々な事を知っていく内に、私の中で確実にこの地に対する特別な思いが育っているのを感じる。
それはもしかしたら、『家』というものに対する思慕かもしれない。
エルードが言ってくれたように、ここを『いつか帰る場所』と、そう思い始めているのかもしれない。
まあそれは、私の都合の良い思い込みかもしれないが。
楽な方へ流される前にまず、私は私のやるべき事をせねばならない。
……『やるべき事』が多すぎて、考えるべき事も多すぎて、何から取り崩していったらいいのやら分からないのが現状ではあるが。
* * *
その日もエルードに街中の案内をお願いしていた。
約束の時間より早く宮を出て、広場の周辺を散策していた。
この地は治安が飛びぬけて良い事もあるが、私が街をふらついていても、おかしな輩に絡まれるような事はまずない。どうやら私には、マクナガン公爵家の隠密のような者たちがついているらしい。護衛騎士が言っていた。
「気配をわざと消していないようです。敵意はない、と示すように」
つまりは何だ? 公爵家が私に、護衛を付けてくれているのか?
「恐らくは、そういう事かと。……推測に過ぎませんので、次期公爵様にきちんと確認なされた方がよろしいかと存じます」
うん、そうしよう。
大きな噴水のある中央広場の付近を、のんびりと歩く。
観光客相手の商売をしている店も多いが、住民たちの生活の為の商店の方が圧倒的に多い。『観光』という産業に軸足を置いていない、この土地らしい割合だ。
とはいえ、マクナガン公爵領は観光地としても人気が高いのだが。
観光客に慣れているせいもあり、住民たちはとても人懐こい。
笑顔で接してくれる人々を見ると、自然とその土地に愛着が湧いてくる。
王都の民は、このように笑顔で日々を過ごしているだろうか。
戻ったら、もう少し市井の民の様子をきちんと見てみなければ。
最近は『戻ったら』と、自然に考えられるようになったように思う。
私に何が出来るかは分からないし、『何事か』を為せる自信なども未だ持てずにはいるが。
けれど、『戻ったらああしよう』『戻ったらこうしよう』と思う事柄が、次々と浮かんでくるようになった。
それはきっと、ただ『当たり前』にこの地を保ち続けてくれている、マクナガン公爵家のおかげなのだろう。
私たちの『帰る場所』でありたいと言ってくれた、その一言で何かが楽になった。
辛かったら逃げても良いのだと。そんな事、初めて言われた。困った事があったなら頼ってくれと。
そして彼らは実際、そう言い切ってしまえるだけの力を保持し続けている。
その『力』は、公爵領に暮らす民たちの為のものでもあるのだろうが、私たち王家を支える為のものでもあるのだと。
私を前に、何の気負いもなくそう言い切れる貴族は、果たして他に居るのだろうか。
しかも、何の見返りもなしにだ。
遠い遠い昔に、一組の兄弟が『そうあろう』と胸に抱いた理想を、今の今まで追い、守り続けている。
何と壮大で、馬鹿げていて、眩く美しいものだろう。
そしてそれを当たり前に受け継ぎ守ろうとするエルードの、この地の民たちの、なんと強かで頼もしい事だろう。
その信頼と愛情に応えられるだけの何かが、私にあるだろうか。
……現状では、『ない』と言わざるを得ないが。
「あら、カール様。お散歩ですか?」
件の宿に何度か足を運んでいる為、この辺りの店主たちとは顔なじみになってしまった。
その内の一人、食堂の女将がいつも通りの気さくな声をかけてきた。
「エルードと待ち合わせをしてるんだが、早く着き過ぎてしまったんだ」
「あらまあ」
女将は呆れたように、けれど楽しそうに笑った。
「本当なら、エル坊の方が先に着いてなきゃおかしいでしょうにねえ」
エルードの方が先に着いていなければ……という事は、彼女は私の身分なんかを承知しているという事だろうか。
それとも単に、客人を待たすのはおかしいというだけの話だろうか。
名を教えはしたが、私は自身の身分などに関しては何も言っていない。
……まあ、変装などもしていないから、見る者が見たらすぐに王太子だと丸分かりではあるだろうが。
「私は今、休暇を貰っているから、時間は幾らでもあるんだ。忙しいエルードを付き合わせているのはこちらだ。待つくらい、どうという事もない」
言うと、女将はやはり楽しそうに笑った。
「相手の事情を察して思い遣れるのは良い事でしょうけどね。エル坊には、ダメな事はダメときちんと言ってやらないと伝わりませんよ」
「まるでエルードの母親のような言葉だな」
言うと、女将は笑いつつ肩を竦めてみせた。
「よしてくださいよ。奥様みたいだなんて、そんな、おっかない」
その言葉に、苦笑いしか出なかった。
現マクナガン公爵夫人は、女性ながらに武門の出身だ。
生家が武家なのではない。彼女自身が叩き上げの軍属上がりだ。『騎士』などという行儀の良いものではなく、己の身一つで戦場を渡ってきた猛者だ。
一見してそうとは見えない、嫋やかで笑顔の穏やかな女性であったのだが、「護衛騎士と手合わせをしたい」と鈴を振るような声音で言われ驚いた。
そして手合わせを見て、更に驚いた。
騎士の持つ長剣とは違った形状の短めの剣に、どこに仕込んでいたのかと驚く多数の暗器。そして独特の体術を組み合わせ、騎士を見事に翻弄していた。
手合わせの終了時、肩で息をする騎士と対照的に、衣服にも髪にも一切の乱れなく、とても美しい姿勢でカーテシーを披露していた。
……何と言うか、『マクナガン公爵家らしい』奥方だ。
通常、貴族の婚姻というものは、家同士の利権などに関わってくるものなので、大抵が家格や派閥などを考慮して行われる。
が、マクナガン公爵家は全くそのあたりを考慮しない。
そもそもが国家の中枢に関わりを持たない事を是とする家だ。家格も初代王に押し付けられたものでしかない。国内の他の貴族からもたらされる利も益も、この家にはほぼ無価値だ。
そういう家であるので、歴代の公爵たちの伴侶の名を見ても、「誰だ?」という印象しかない。
現在の公爵夫人に関しても、書類で見たときにそう思った。
……まさか、他国で名の通った武人とは、誰も思うまいよ……。
しかも夫人は、他国の貴族やそれに類するような名家の出身ではない。
大陸のほぼ中央付近に位置する小国の、平均より貧しい家庭の出身だそうだ。
その国は周囲を五つの国家に囲まれていて、常に国境の何処かで諍いが起こっている国である。現在は確か、隣接する一つの国家と戦争中で、二つの国家と係争中で、一つの国家とは停戦調停中だった筈である。
常にそういった状態でありながらも国家としての体裁を維持できているのは、そこが交通の要衝であるからに他ならない。そして、周辺を囲む五つの国家群からしてみたら、都合の良い緩衝地帯でもあるのだ。
なので、五つの国家は互いに牽制しあい、どこか一つがその地を手中に収めるを良しとしない。
私の予想としては、いずれあの国は『中立地帯』として手出し無用の土地となるのでは……と踏んでいる。
そんな国に生まれた夫人は、幼い頃に父を兵として取られ亡くし、母も従軍看護師として帰らぬ人となり、本人曰く「両手の指で足りる程度の年齢の頃には、剣を持つ事が己の生きる道と覚悟を決めた」という壮絶な過去を持つ女性だ。
『戦争』というものに長く縁のない我が国では、想像も及ばない。
大きな怪我を負い戦線を離脱し、これからどうしたら良いかも分からぬまま各地を放浪して、ここに行き着いたのだそうだ。
怪我に良く効くと評判の温泉があるので、そこで少し休憩しよう……と。
それまで自分が置かれていた境遇と全く異なる、戦乱など知らぬ人々の中にあって、一体夫人は何を思っただろうか。
彼女は後に、前マクナガン公爵と出会い、「ウチに嫁に来ないか?」と軽く誘われ、それを承諾し今に至るのだそうだが。
その決断を「全く後悔などはしておりません」と言い切って微笑む夫人を、とても美しいと思った。
潔く背を伸ばし、真っ直ぐに前を見据えるその目を。
『マクナガン公爵家』の者たちは、皆、眩いほどに強いな。
外から嫁いできた夫人にしても、紛れもなくあの家の一員である凛とした強さと、折れぬ芯を持っている。
羨ましく思うが、羨んでいるだけでは始まらない。
私もそうあらねばならない立場の人間なのだから。
決意だけは一人前なのだが、さて、何をどうしたら良いものか。
口だけで行動が伴わないという事は避けたい。
何となく、私にとっての『前』がどちらかは見えてきているのだが、どうしたらそちらへ行けるかの道筋が未だ分からない。
一から十までエルードに教わるのは情けない。が、『思いて学ばざれば則ち殆し』だ。
他者の思想に傾倒しすぎぬように、という、帝王学の講師の言葉が頭を過る。
他に傾倒せぬようにするには、己の『芯』を定めておく必要がある。
芯とはつまり、己の最も譲れぬものだ。核となる自己同一性だ。
……『私』とは、何であろうか。
……ああ、また面倒な問題が出てきたな。
己の芯など、己で定める他ない。
こればかりは、誰かに教えを請うものではない。
私自身で見つけねばならないものだ。
考えた事のなかった問いにばかりぶつかるな……。
それ程までに、私はぼんやりと生きてきたのだろうか。
少々落ち込む思いもあるが、やはりこれらも気付かず通り過ぎるよりは断然良いのだろう。
その後も、顔見知りとなった数人と挨拶程度の会話を交わし、噴水の前まで戻るとエルードが待っていた。
「すまない。待たせてしまっただろうか」
道中で話好きの老人に捕まってしまったから、それで時間を食ってしまった。
「いや、まだ約束の時間前だ。問題ない」
エルードは懐から時計を取り出すと、文字盤を私に見せるように差し出してきた。
確かに、約束していた時間まではまだ間がある。
「とりあえず、軽く何か食べるか」
時刻は丁度、昼食の時間だ。
その申し出を了承し、私は歩き出したエルードを追うのだった。
広場近くにある一般的な大衆食堂で昼食を摂ることになった。
公爵領の物価は、王都に比べると低い。だからといって質が劣るという事は全くなく、公爵領の豊富な作物類のおかげで王都の高級店を凌ぐようなものまである。
『大衆食堂』でこれだ。
これはマクナガン公爵領に人が流れるのも道理だ。
食料だけでなく全体の物価が低いので、家を建てるだとか借りるだとかの料金も王都より格安だ。
王都からほど近い事もあり、王都から公爵領への人口流入は毎年結構な数になる。
まあ、それも尤もだ。
何かを夢見て王都へと来た者が、夢破れて、次の居住地を求めてここへ来る。この地は産業が多彩且つ豊富であるので、働き手は常時大歓迎だ。
一時の食事と暮らせるだけの金を……という目的でここへ来て、そのまま居ついてしまう者が多いそうだ。
この食堂の給仕の青年がそう言っていた。自分もその手合いだった、と。
王都で働くには、俺には学も品も足りなかったんですわ。
そう言って笑っていたが、聞かされた私としては「笑い事ではないな」というのが感想の全てだ。
王都は確かに、求職者に一定以上の学と品位を求めるものが多い。
それらを必要としない職となると、後は肉体労働や汚れ仕事ばかりだ。二極化が進み過ぎて、ここの給仕の青年のような『高くも低くもない』という中間層に適した職が少ない。
ない訳ではなく、極端に少ないだけだ。
そして極端に少ないが故、その席に運よく座れたものは、決して席を立とうとしない。
この二極化が進み過ぎると恐らく、生まれるのは先鋭化し誤った選民思想とそれに伴う差別だ。
そうなる前に、何か手を打たねばならない。
「『楽しく食事を』という顔ではないな」
向かいに座ったエルードに言われ、思わず小さく息をついて苦笑してしまった。
「……すまない。考える事が多すぎて……」
「いや、それは構わないんだが……」
エルードは言葉を切ると、厨房の方を視線だけで見た。
「君が難しい顔をしているものだから、料理長が気が気でなさそうだ」
言われてそちらをちらりと見てみると、大柄な料理長が何やら不安げに背を丸めて、こちらをちらちらと窺っている様子が見て取れた。
……ああ、申し訳ない事をしてしまった。
料理に不備があった訳ではないのだが……。むしろ料理は、文句の付けようもなく美味い。
気が乗らなくても楽しい振りを……など、城に居た頃の日常だというのに。それすら忘れてしまっていたようだ。
いや、今この時が『気が乗らない』という訳ではないのだが。
「……どうも気を抜き過ぎていけないな」
貴族たちの前での失態でなくて助かった。料理長には後で謝っておこう。
「気を抜いても大丈夫だ、と言った筈だが」
「料理長に不必要な心労を課すのは、私も心苦しいんだよ」
「ははは。成程」
笑っていたエルードが、何かに気付いたように軽く片手を挙げた。
その視線は、私の背後の何処かを見ている。
何だろう……と視線を追って振り向いてみると、そこには二人の少女が居た。
エルードの知り合いか?
二人とも、身形と見目の良い少女だ。
きちんと手入れのされた、質の良さそうな衣服を着けている。
どこぞの裕福な商家の娘か、貴族の娘のお忍びだろうか。
いずれにせよ、マクナガン領の者ではなさそうだ。
この土地の少数居る貴族や、王都の下位の貴族などより財を持つ商家の子らなどは、恐ろしい事にぱっと見ではそれと分からない。
皆一様に、その辺りに数多いる平民と同じような身なりをしているからだ。
着飾った衣類は邪魔になる、と言って。
そしてそれは、彼らの親や祖父母なども同様だ。……王都では考えられない現象である。
ただよく見ると所作や言葉遣いなどから、それなりに身分ある者だと知れるが。後は髪や肌が綺麗に手入れされているだとか、そういう細かな部分から推し量るしかない。
あの少女らは何だろうか……と見ていると、片方の少女がエルードに応えるように軽く手を挙げた。
そしてこちらのテーブルに近寄ってくると、私に向かって笑顔で会釈をしてくれた。
ふんわりと柔らかい、とても穏やかな笑顔だ。顔立ちも整っていて、少し垂れ気味の目じりが人懐こい印象だ。
その少女の陰に隠れるように居るもう一人の少女を見て、私は思わず一旦視線を下げた後、もう一度そちらを今度は凝視してしまった。
後にエルードたちに「絵に描いたような、お手本のような二度見だった」と爆笑された。
いや、まさか……。
何で、こんな所に……。
信じられない思いでそちらを見ていると、先頭に立った少女がくすくすと笑いながら、自分を盾にしている少女を前に押し出した。
「もう、アシュリーったら。隠れてないで、ご挨拶くらいなさいな~」
「ちょ……、ファル! 押さないでよ!」
押し出されて前に出てきたのは、信じられない事に私の婚約者であるアシュリー・オーチャード嬢だった。
いや、アシュリー嬢、だよな……?
婚約者ではあるが、私と彼女はそう『親しい』間柄でもない。
それもそうだ。
諸々の政略や派閥の力関係から選抜した相手だ。友好的な関係を築きたいとは思っているが、如何せん糸口も分からない。
ただ、彼女から嫌われているという風もないので、現状「それで良し」としている。
……問題を先送りにしている自覚はある。だが、腹に一物あるような貴族の相手は慣れていても、ご令嬢の相手は慣れていないのだ。
……分かっている。それも言い訳だ。
しかしアシュリー嬢は、いつもと印象が違うな……。
城などで会う時はいつも、長い綺麗な髪を背に垂らし、横は綺麗に編み込み、美しい髪飾りなどを飾っている。
服装も、季節や天気などを考慮したうえで、城に相応しい『上質であるが派手ではないもの』をさらりと着こなしている。
が、今目の前に居る彼女は、髪を高い位置で一つに括っている。平民の少女などがよくやる髪型だ。
一筋の後れ毛もないところが、厳格そうでもあり、活発そうでもある。
服装も、飾り気のないシャツとスカートにジャケットという、貴族というより官吏や事務職の女性のようなものだ。
そして足元はいかにも実用重視のような、柔らかそうな革のブーツ。
淑女然とした『いつもの彼女』と、大幅に違い過ぎる。
少々呆然としながら見ていると、エルードが二人に席を勧めた。
「カール、紹介しよう。彼女は私の婚約者で、ファラルダだ」
その言葉に、エルードの隣に座った少女がにこっと微笑んで、再度会釈をしてくれた。
「ファラルダと申します~。わたくし、礼儀作法などは分からぬ不調法者ですので、何かご無礼がありましたら仰ってくださいませ~」
語尾を伸ばすような、独特なおっとりとした口調で言いつつ、ファラルダ嬢は三度ぺこりと頭を下げてきた。
しかし、『ファラルダ』という名前に馴染みがないな。
そんな名の貴族のご令嬢は居ただろうか。
単にこの国の出自でない、とかだろうか。
……いや待てよ。相手はマクナガン公爵家だ。そもそも貴族のご令嬢でない可能性もある。というか、その可能性の方が順当に高い。
「ファラルダ嬢は、家名などは……?」
訊ねると、ファラルダ嬢はころころと楽し気な笑い声を立てた。
「『レディ』などと、敬称は不要でございますよ~。家名など持たぬ、ただの旅芸人でございますので~」
…………は!?
旅芸人!?
貴族ではないだろうとは思っていたが、予想外過ぎる身分が出てきたぞ……。
別に『旅芸人』という職を下に見るつもりはないが、それにしても予想外な……。……いや待てよ。現公爵夫人の『戦災孤児で元軍属』の方が、女性にしては珍しい境遇だな……。
「旅芸人ということは、この国の出身ではないのだろうか」
ありがとう、公爵夫人。貴女の驚きの出自のおかげで、自分を取り戻す事が出来た。
「はい~。わたくしは物心ついた頃から、旅芸人の一座に居りまして~。親代わりの座長の話では、ここから遠く離れたエディオル公国で、まだ言葉も話せぬ赤子のわたくしを拾った……という事でした~」
本当かどうかは分かりませんけど~、と、あくまで呑気な口調だ。
そう呑気な境遇ではないような気がするのだが……。
ファラルダの話では、彼女を拾ってくれた芸人一座は旅をしながら劇を上演している集団だそうだ。一座の名は私も聞いた事のある、とても有名なものだった。
言葉遣いや所作などがしっかりとしているのは、劇の役で『貴族の令嬢』や『王女』などが多いので、その為に身に付けたものという事だった。
確かに、劇の演目にはそういう役は必須と言っていい程にあるな。
むしろ町娘が主役の劇の方が少ないのではなかろうか。
そんな彼女とエルードの馴れ初めも気になるところではあるが、それ以上に気になるのはアシュリー嬢だ。
彼女であれば、私の居場所を知る事は容易であろうが、それにしても何故こんな所に、そんな恰好で……?
私の知る彼女は、いつも凛とした表情で顔を上げ、意志の強そうな目で真っ直ぐにこちらを見てくるのだが……。
今目の前に居るアシュリー嬢は、少しばつが悪そうな表情で目を伏せ、その瞳は叱られた子が言い訳を探すようにウロウロとあちこちを彷徨っている。
印象が違い過ぎて、本当にアシュリー嬢なのか疑ってしまう。
「あ、あの……っ」
意を決したようにアシュリー嬢が顔を上げた。
一つ小さく深呼吸をする彼女が、次に何を言うかと少し身構えていると――
「ア、アシュリー・オーチャードと申します!」
いかにも重大事というような口調で、真剣な眼差しで、そう言ってきた。
「ああ、うん……。だろうね……」
思わず、間の抜けた返事をしてしまった。
向かいの席で、エルードとファラルダが笑いを堪えている姿が見える。
うん。気持ちは分かる。
私と彼女が婚約者となったのは、もう九年も前だ。
なのに今何故か、初対面のように挨拶をされている。
何だろうか、これは。
アシュリー嬢はというと、また視線を下げ、何か言葉を探している風である。
彼女がこんな風に、言葉に詰まるような様子も初めて見る。
いつもははきはきと、明瞭に淀みなく話すのだけれど。
軽く視線を伏せたまま、「えぇと……、うーん……」などと、意味のない呟きを繰り返している。
彼女は未来の王妃という事で、所作や言葉遣い、発声の仕方、目線の動かし方まで、徹底して教育されている。
私の知る彼女は、それら教育された事柄を全て飲み込み、『国で最も高貴な女性』の立場に恥じぬ振る舞いをしていたが。
今ここに居るのは、必死で次の言葉を探す『ただの少女』だ。
彼女もまた、私同様に『そうあらねばならない』と必死だったのだろうか。
臣の前では、内心はどうあれ、余裕のあるように振舞ってみせろ。
私がそう教わってきたように、彼女もまた、そう教えられただろうから。
そう思うと、未だ「えぇっと……」などと言葉を探しているアシュリー嬢に、これまで感じた事のなかった親近感のようなものを覚えた。
まあでも、考えてみたらそれはそうだ。
王族に生まれ、物心ついた頃から『いずれ王となる』と定まっていた私と違い、彼女はある日突然選ばれ、その座に就かされたのだから。
『王位』というものに野心を抱かぬ者を選んだのだから、必死にでもならねば、『王族らしい振る舞い』など身に付かないだろう。
特に彼女のオーチャード侯爵家は、権力や権威に無頓着な傾向のある家だ。
それらをかさに着て普段から高慢に振舞う……など、全くもって有り得ないような家だ。
そういった家風で育ったご令嬢に、『威厳ある振る舞いを』など、相当な無茶だ。
……という事に、今更気付く私もどうなのだろうな……。
「アシュリー嬢」
呼びかけると、俯いていたアシュリー嬢がぱっと顔を上げた。
淑女らしからぬ動作に、思わず小さく笑ってしまった。
「君は今日は、どうしてここへ?」
「あ、あの……」
言い出しをどもるのも、中々に私の知る彼女らしくない。
「殿下が、こちらで静養されていると聞きまして……」
誰から?と訊ねようとして、やめた。
別に誰から聞いたって、さして問題がある訳ではない。きっと私の両親も、彼女になら事情を話すだろう。進退がかかっているのだから、尚更に。
「お元気にしておられるかと、心配、で……」
語尾にかけ、どんどんと声が小さくなる。
そしてアシュリー嬢は、再び俯いてしまった。
「……差し出がましい真似をいたしまして、申し訳ありません……」
いや、謝られる事はないのだが……。
私が今まで『見えていなかったもの』が、ここにまた一つ見つかったな。
折角の機会なのだ。アシュリー嬢の事も、少しは知る事が出来るだろうか。
そんな風に考える私を、エルードとファラルダは、何やら微笑ましいものを見る目で見ているのだった。




