表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラッダイト・プロトコル  作者: 神楽坂らせん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/11

第十一話 火を継ぐ

# 第十一話 火を継ぐ


 連載の初回原稿を送信した夜、澪は送信済みフォルダを三回開いた。

 いままで続いていた喧噪が、送信済みの一行に圧縮されている気がした。


 文芸誌「群青線」に送ったファイル名は、味気ない。


 `gsen_column_01_masakura.docx`


 それでも、カーソルの点滅を他人へ渡した実感だけは、ずっと手に残った。画面の向こうへ差し出したのは意見ではなく、観察と記述だと決めたはずなのに、送信ボタンはいつだって小さな告白に似る。


 朝六時半、窓の外で回収車がガラス瓶を鳴らす。

 澪は湯を沸かし、紅茶を薄めに淹れ、机に戻った。


 連載の二回目を書く前に、もう一つ書かなければならないものがある。


 自分の長編。


 タイトルはまだ仮のままだった。


 「ラベルの街区(仮)」


 仮題のまま三週間が過ぎて、ようやく澪は題名を外した。題名を外すと、本文は少しだけ呼吸を始める。制度の説明から入るのをやめ、最初の一行を、ひとりの読者が本を開く音に変えた。


 その日、彼女は制作ノートを別ウィンドウで公開した。入力ログ、改稿履歴、補助ツールの使用箇所、削除した段落。隠せるものは隠せる。けれど、隠さないと決めた。


 公開ボタンの前で、三輪からメッセージが届く。


 《深呼吸してから押してください。あと、押したら寝てください》


 澪は笑って、深呼吸して、押して、寝なかった。


 公開三時間後、タイムラインは二つに割れた。


 《ここまで開示する必要ある?》

 《ここまで開示するなら読む》


 四時間後には、別の第三の言葉が混じる。


 《開示は開示として、本文がいい》


 澪はその一行をスクリーンショットして、フォルダ名「救急箱」に入れた。


 昼過ぎ、笹原から電話が来る。


「公開、見た。よくやった」


「誉められると思わなかった」


「誉めてない。弁護士としては冷や汗。読者としては、いい」


 笹原は紙をめくる音を立てた。


「それと、和解条項の最終文言、通った。ラベル未記載のみを理由とする排除禁止は維持。表示フォーマットは年次見直し」


「じゃあ、制度は動き続ける」


「動き続ける。壊れる前提で、直しながら」


 通話の最後、笹原は少しだけ声を落とした。


「あなたの本、法廷資料にしないでね。あれは本として読ませて」


 午後、澪は久しぶりに湾岸スタジオへ行った。告知には「公開討論」としか書かれていない。観客席は満席ではないが、空席があること自体が前より健全に見えた。


 登壇者一覧の最後に、久世連の名がある。


 開演十分前、控室の廊下で久世とすれ違った。


 黒いジャケット、白いシャツ、ネクタイなし。代表の制服みたいだった濃色スーツは着ていない。


「来ると思ってなかった」久世が言う。


「観客として来た。今日は」


「怖くない?」


「怖いよ。でも、怖い場所に椅子があるうちは座れる」


 久世は短く笑って、すぐ真顔に戻る。


「今日、辞める」


「代表を?」


「ああ。PLの」


 澪は頷くだけにした。慰めも祝福も、たぶん違う。


 本番の照明が上がる。司会が会場を見回し、定型の挨拶を読み上げる。


「本日の主題は『制度の次に残るもの』です」


 久世は最初の発言で、原稿を閉じたまま言った。


「私は今日をもって、PL代表を退きます」


 客席がざわめく。スマホがいっせいに持ち上がる。


「運動は必要でした。いまも必要な部分はある。ただ、私は運動を守るために言葉を強くしすぎた。強くした言葉に、私自身が従わされるようになった」


 間を置いて、続ける。


「これからは、代表としてではなく、書き手として、討論の席に戻ります」


 その日の配信説明欄には、告知が一行だけ追記された。


 《来月より、久世連名義で短編連作を公開予定》


 拍手はまばらで、長く続かなかった。けれどブーイングも大きくはならない。誰もが「次の反応」を迷っている時間が、会場にゆっくり広がった。


 討論後半、観客席から質問が飛ぶ。


「ラベル制度で、結局なにが変わったんですか」


 司会に指名され、澪はマイクを受け取った。


「劇的には変わっていません。いまも乱用はあるし、断定もある」


 会場が静かになる。


「でも、ひとつだけ戻ってきたものがある。作品を読んでから怒る人、作品を読んでから好きだと言う人、その順番です」


 帰り道、澪の端末には感想が流れ続けた。連載の読者、長編の読者、討論の視聴者。肯定と否定が同じ速度で混じる。


 《開示が重い》

 《開示が助かる》

 《議論は置いておいて、あの第六章で泣いた》


 泣いた、という一語が、通知欄の中で静かに光った。


 数日後、長編の単行本化が決まり、発売日は秋に設定された。


 装丁会議で編集者が提案した帯文は、どれも強すぎた。


 《AI時代の文学宣言》

 《純度論争の決定版》


「どっちも嫌です」澪は言った。


「じゃあ、何がいいですか」


 澪は少し考えて、答える。


「『読む前に判断しないための小説』で」


 編集者は笑い、メモに丸をつけた。


 発売当日、神保町の書店棚には、確かにラベルが混在していた。


 人間執筆。

 共同生成。

 不明(制作情報非開示)。

 補助利用あり。


 澪の本には、ラベルが二つ付いている。


 《人間執筆》

 《補助利用あり(校正・要約)》


 棚の前で、老夫婦が背表紙を見比べている。隣ではスーツ姿の会社員が、ラベルを見ずに目次だけで選んでいる。制服姿の学生は、試し読みの最初の段落で立ち止まったまま動かない。


 ラベルはある。

 でも、手が伸びる瞬間を決めるのは、やっぱり文章の最初の温度だった。


 夜、発売記念の小さなトーク会が開かれた。会場は三十席。半分は埋まり、半分は空いていた。ちょうどいいと澪は思う。


 最後の質疑で、ひとりの中学生が手を挙げた。


「結局、いい作品って、どうやって決まるんですか」


 澪はマイクを握ったまま、少し黙った。


 簡単な答えはたぶん、嘘になる。


「私もまだ、毎回わからないです」


 会場に小さな笑いが起きる。


「でも、これだけは言える。価値は、汗の量だけでは決まらない。道具の種類だけでも決まらない。誰かの生き方を、ほんの少しでも動かしたかどうかで決まる」


 中学生は頷き、ノートに何かを書きつけた。


 季節が一度巡るころ、澪は机に座り、連載の最終回に一文を追加した。


 《制度は、正しさを完成させるためではなく、間違いを修正し続けるためにある。》


 保存して、画面を閉じる。


 窓の外では、終電の音が遠くで短く鳴った。


 端末に通知が入る。


 差出人は久世。


 《次の討論会、一般参加で申し込みました。名前は本名で。》


 澪は返信欄を開き、短く打つ。


 《席、取っておきます。》


 送信。


 机の上の本を閉じる。


 明日の棚にも、きっとラベルは並ぶ。

 それでも読者は、最初の一行で迷い、選び、時々まちがえる。


 その繰り返しに火を渡していくことだけが、いまの自分の仕事だと、澪は思った。


〈了〉



人間執筆証明ヒューマン・ライツ


本作は人間によって執筆されました。

(ただし、この証明自体がAIによって生成された可能性は否定できない。)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ