シーラの葛藤
●天壇 ティアリュートの私室
「くそっ!」
ティアリュートはジャケットを乱暴に脱ぐと、床にたたきつけた。
部屋の隅で待機しているユースティアは真っ青になっている。
肩で荒い息をしたティアリュートは、ベッドの上へ飛び込むように横になる。
クッションのおかげで数回バウンドした後、枕に顔を突っ込んだまま、ティアリュートはピクリとも動こうとしない。
「あ……あの」
「……ごめん」
ユースティアに、ティアリュートはそのままの姿勢で言った。
「そっとしておいて」
●ホーサー邸 庭
「ワシの稽古はシミュレータで毎日味わっておるじゃろう?」
「な……何か、違うんです」
ホーサーのニヤニヤとした笑みから逃れるように、シーラはまっすぐ前を向いた。
「私は、ティアリュート殿に勝ってみたいのです」
「勝ってどうする?」
「勝ってから考えます」
「……まぁ、それもよかろう。じゃが」
ホーサーはニコリと笑った。
「お主の何をどうしたらティアリュートに勝てるというのじゃ?」
「ですから!」
シーラは痺れを切らせたように言った。
「それを知りたいのは私の方です!」
「わからぬか」
「わかりません」
「……無理もないか」
「?」
「お主にゃわかりゃせんよ。何故負けたか。それを知りたければ、全ての負けを受け入れて、それを一つ一つ見つめ直さにゃならん」
「……」
「負けたことは認めるな?」
「模擬戦でなら」
「ふん……子供じみた強がりだな」
ホーサーは手にしていた模擬刀を抜いた。
「安心しろ。模擬戦用の模擬刀じゃから、当たっても死にはしない」
「で、ですけど」
シーラもまた、模造刀を手に、困惑した顔で言った。
「私はメースを」
「メースは肉体の延長線上に過ぎん」
ホーサーは言った。
「そこがわからぬと、誰と戦っても勝てんぞ?」
「……っ」
シーラは答えるように剣を構えた。
「……で?何をどうすれば、あ奴に勝てる?」
ホーサーも剣を構えた。
その構えを見た途端、シーラはハッとした。
構えの中に見た者は、あのティアリュートだった。
ホーサーとティアリュートが重なって見える。
否、目の前に立っているのがホーサーなのかティアリュートなのか。それさえわからなくなる。
さらに、ティアリュートの姿がぼやけ、その姿はメースへと変化していく。
「ふんっ!」
気合いの声と共にシーラめがけて斬り込んできたのは、ホーサーでもティアリュートでもなく、メース“バラライカ”だった。
数十分後。
シーラは大の字になって横たわっていた。
「死ぬところじゃったのぉ」
ホーサーは顎髭を撫でながら他人事のように言った。
「……どうした」
「……弱いな……そう思ったら」
シーラは言った。
「私、何が怖いのかさえわからなくなりました」
「ほう?」
「剣を構えたホーサー様が、ティアリュート様に変わって、それがシミュレーションで見たバラライカに変わった……私はそれを見ました。“それ”を見た途端、私、身体がすくみました」
「……」
「一体、私は何に脅えたんでしょう?ホーサー様?ティアリュート様?それともバラライカ?」
「……よい疑問じゃ」
ホーサーは言った。
「お主は、その身に倒さねばならぬ敵を抱えている」
「……」
「それを倒さぬ限り、お主はいつまで経っても、野獣のままじゃ」
「野獣?私が、野獣だというのですか?」
「さて?、もう日付けが変わる頃じゃ」
「ち、ちょっと待って下さいっ!」
「何じゃ?」
「け、稽古は!」
「んなものぁ、明日でもどうにでもなる。日々の仕事も修行の内。朝の献立は考えてあるんだろうな?」
「そんな!」
シーラは食い下がった。
「面倒くさいのぉ」
ホーサーはあきれ顔で言った。
「まずは、よく見よ」
「えっ?」
「心が葉の一枚に囚われている限り、木を見ることは出来ぬ。木を見ている限りは、今度は森が見えぬ」
何ですか?
それは。
その問いかけより先に、ホーサーは背を向けて去って行った。
それからというもの、朝、朝食を作って掃除洗濯の後、ホーサーに茶を出して、軍施設のシュミレーションでぶちのめされ、昼飯をホーサーに出してから洗濯と掃除、夕飯の買い出し、さらに夕食の後、ホーサーに模擬刀で叩きのめされ、朝までノびる。というのが、シーラの日課となった。
「……」
その夜、大の字にひっくり返ったシーラは、ぼんやりと夜空を見上げていた。
星空に雲が少し。
満月が美しい。
「……」
何でだろう。
シーラはそれを考えていた。
何で、勝てないんだろう。
遠慮している?
まさか!
本気は出している?
本気どころか死に物狂いだ。
それで、何故、一太刀も返すことが出来ない?
私が未熟だから?
それはそうだろうけど……。
違う!
「……」
シーラは目を閉じ、自分に言い聞かせた。
よく考えろ。
お師匠様は、どうやって動く?
あれだけ相手にしていれば、それ位は―――
……あれ?
シーラは、そこで固まった。
この時点で固まってしまった。
「……」
バカだ!
シーラは自分の無能さを骨身に染みて感じ取った。
私は―――大馬鹿だ!
シーラの顔が赤らんだのは、悔しいからじゃない。
恥ずかしい!
その一心からだ。
何も見えていなかった。
何も理解していなかった。
何も見ようとせず、理解しようとせず、ただ、がむしゃらに突っかかる自分しかいなかった!
それに気付いた時、シーラは死ぬほど恥ずかしかった。
野獣
師匠がそう自分を評価したとしても、まだ“褒めすぎ”だ!
何も知らずに、
何も見ずに、
―――思い上がったままで、剣を振るっていた。
こんな恥ずかしいことはない。
勝てるはずがない!
勝ってはいけない!
「……くそっ!」
シーラは立ち上がると、脇に転がっていた模擬刀を振るった。
単なる素振りだが、シーラはとにかく闇雲に振った。
あれほどティアリュート様と立ち会って頂きながらも、ただ盲目的に向かっていっただけ。
エサにつられた獣同然に!
戦法も何もない。
力のみを信奉して、戦えば何とかなると思っていた。
子供だ。
子供以下だ―――
何て、
何て幼く、野蛮だったのだろう。
そんな醜さの中で戦っていたのか―――この私は!
「くそっ!」
思い出せ!
せめて、詫びるなら、恥じるなら思い出せ!
お師匠様の、ティアリュート様の剣を!
どう動いた!?
その太刀筋は!?
……
……
……ダメだ。
見えない。
素振りをする腕を止め、シーラはその場にへたり込んだ。
そっと顔に触れてみる。
眼はついている。
手を見れば、はっきりと指紋まで見える。
なのに―――何も思い出せない。
見えない。
何も―――見えない。
「―――っ!」
声にならない叫びを上げて、シーラは模擬刀を地面に叩き付けた。
ガシャンッ
鈍い音を立て、剣が地面に跳ね返る。
知るかっ!
シーラは癇癪を起こして、その場に大の字にひっくり返った。
小石が背中のあちこちに突き刺さるように痛む。
それさえ、自分をバカにしているようで腹が立つ。
見えないものは見えないっ!
何故、見えないものを見ようとするんだ!
勝って、それでどうしろというんだ!?
私は、何がしたいというのだ!
内心に沸き上がる自分に対する怒りの炎にあぶられているかのような居心地の悪さに、シーラは顔をしかめ、満月を睨み付けた。
こうこうと照らす青白い光でさえ、沸き上がる怒りの炎を嘲っているかのように思えて腹が立つ。
見る。
見る。
それは―――?
そういえば……。
怒りの炎が身体を突き抜け、身体の緊張が緩んだ時、シーラの脳裏に一つの言葉が走り抜けた。
「心が葉の一枚に囚われている限り、木を見ることは出来ぬ。
木を見ている限りは、今度は森が見えぬ」
なら……?
「私は」
むくり。
シーラは起き上がると、自分に問いかけた。
「私は―――何が見ていた?」
シーラは、しばらく考えた後、模擬刀を手に掴んだ。
模擬刀を正眼に構え、目を閉じる。
私は、敵に立ち向かうとき、何を見ていた?
否、ティアリュート様達と対峙した時でいい。
何が見えていた?
違う。
……そう、違うんだ。
あれは―――見えていたとは言わない。
シーラは、その感覚を表現する適切な言葉を知らない。
でも、言葉に出来ない何かを、シーラは確実に感じ取っていた。
満月はまだ自分を笑っている。
でも、もう腹は立たない。
笑うなら笑えばいい。
笑っていられるのも、今のうちだ。
シーラは、模擬刀を一心に振り始めた。




