グリュックシュヴァイン 第一話
●東京 葉月市近衛軍開発局ラボ
その頃―――
「何がどうなったか。教えてもらえますか?」
苦い顔をする美奈代達の前で、紅葉が憮然とした顔を崩さずにいた。
背後では、D-SEEDと“死乃天使”が並んで整備を受けている。
すでに北米に到着して、作戦に従事していなければならないというのに、どうして未だに東京から出られないのか?
東京から出られない。
この表現は適切ではない。
美奈代達に言わせれば、この2騎が東京まで生きて戻れた事自体が、奇跡に近いのだ。
この2騎を、予期しないトラブルが襲ったのは、太平洋上の国際日付変更線を越えた直後だった。
月の光さえない真っ暗闇の中、MCが日付変更線を超えたことを宣言した途端、騎体に搭載されている複数のシステムが、同時に機能を停止した。
魔晶石のエネルギーパイパス管理システム、航行システムのすべてと、一部のデータリンクシステムが完全に沈黙。
GPSどころか高度や速度までわからない中、MC達はシステムの再起動を何度も試みたがムダだった。 せめてもの救いは、夜間でも周囲を昼間の如く画像処理する暗視光学システムが無事だったことだけ。
航行システムがダウンしたことを認めた美奈代は、普段禁止されている緊急宣言を告げる信号弾を打ち上げるよう、牧野中尉に命じた。
“我を助けよ”
国際法で認められている緊急信号が空中で炸裂した。
前方を飛行するTACに救難を要請したくても、通信が出来ない。
すぐ間近を飛行する2騎の間で通信することさえ出来ない中、信号弾だけが頼りだったのだが、夜間、先行するTACに、一発目は気付いてもらえなかった。
二発目を打ち上げる前に、美奈代がやったことは、ビームライフルをTACのぎりぎり間近に叩き込むこと。
ビームライフルの飛来に驚いたTACが一度、こちらへ機位を巡らせた所で美奈代は信号弾を打ち上げた。
通信が出来ないことをわかってもらうのに苦労したが、最後はメサイアの頭部ライトを使ったモールス変換通信が牧野中尉とTACの機長の間で行われ、TACを盲導犬の代わりとして東京に戻ることに成功した。
もし、TACがもう少し離れていたら、あるいは天候が悪化していたら、美奈代達には 戻る術がなかった。
“九死に一生シリーズに出演できる”と祷子が言っていたが、まさにそんな所だ。
美奈代は、つくづく自分の不運と悪運を嘆くしかなかった。
「だから!」
紅葉は怒り心頭という顔で怒鳴った。
「プログラムコードのミス!白石のバカが担当した場所で、ほんの数行の書き込みミスがあっただけで、ああなっちゃったのよ!」
「そんな!」
美奈代はあきれ顔で言った。
「たった数行でしょう?数行で、あんな派手な事態が本当に起きるんですか?」
「米軍の最新鋭戦闘機6機が未だに行方不明って言われてる件、知ってる?」
「何ですか?それは」
「ハワイからフィリピンに向かっていた米軍のF-22の編隊が日付変更線を超えたって報告を最後に消息を絶って、未だにどこに沈んでいるかさえわからない。
米空軍がはじき出した原因は今回のそれと同じ。
搭載していたプログラムのミス。
実験結果で航行システムがダウンして、燃料の供給が停止して墜落させた。たった数行のミスが原因で米軍が被った被害は10億ドルに達するわ」
「……」
「10億ドルもあれば」
10億ドルがどれ程の金額なのかわからない美奈代は返答さえ出来ないが、祷子はうーん。と腕組みしながら言った。
「駅で天玉そばが何杯食べられるかしら」
「少なくとも、姫さんが数年、好き勝手に食べられることは補償してあげる」
紅葉は言った。
「プログラムの再点検には最低1日かかる。それまで我慢して」
「何言ってるんです!」
美奈代は声を荒げた。
「待っていられると思いますか!?」
「他のプログラムにミスが戦闘中に顕在化したら死ぬわよ!?」
「っ!」
「私はね!」紅葉はずいっと前に出た。
「あんた達を死なせるためにメサイア作ってるんじゃない!騎体なんて壊れてもいいから、生きて帰って欲しいから、完璧目指してんの!いい加減なもの作ってるつもりなんてないんだから!」
結局、かんかんになって自分の部屋へ引き上げた紅葉を見送った美奈代達だが、別に何か出来るわけではない。
北米での戦況がわかる訳でもない。
ただ、待機しろと命じられれば、それに従うしかないのだ。
美奈代にとって、それは結構辛いことだった。
「みんな……大丈夫かな」
「心配ないですよ」
祷子はおっとりとした声で言った。
その視線の先には、白と紫で塗装されたD-SEEDと、白と濃紺で塗装された姉妹騎、“死乃天使”が並んで立っている。
照明に照らし出されたその光景は、ちょっとした見物だと、美奈代は思う。
「皆さん、強いんですから」
「……そうね」
手すりにもたれかかりながら、美奈代はぼやいた。
「後でみんなに何て言われるかしら」
「それは考えたくないですね」
祷子は苦笑しながら頷いた。
「でも」
「?」
「モノは考えようですよ?組み付けが間に合わないからって、北米戦線へ送られるのが見送られていた“例のアレ”を持っていけるんですから」
「ったく!」
ドアを乱暴に閉めた紅葉は、顔を怒りに歪めたまま、部屋の照明をつけた。
“おかえり!紅葉ちゃん!”
そう書かれた横断幕が張られて、部屋の照明と連動した玩具達が思い思いのファンファーレを演奏し始める。
北米から戻ってこれた時。どうせ誰からも褒めてももらえないし、出迎えてももらえないことを知っている紅葉が、自分で用意していたことだ。
考えてみれば、あまりに悲しいが、今の紅葉にとってはもうどうでもいいことだ。
プログラムの監修責任は紅葉にある。
わずかなプログラムのミスでさえ見逃さない自負がめちゃくちゃに壊されたことが、あまりに腹立たしい。
怒りの矛先は自分に向けられている。
その怒りを、どうしていいのかわからない。
とにかく、やり場のない怒りを抑えたいのに、晴らす先さえわからない。
とりあえず。
冷蔵庫に残っていた缶ジュースを一気に飲み干すと、紅葉は腹に決めた。
明日一日、和泉大尉をイジメまくろう。
泣こうがわめこうが、最悪、洗脳すればいいことだ。
美奈代の泣き顔を想像しただけで少し、気分が落ち着いた。
「どうやら私って」
パソコンの電源を入れた。
「真性のSって奴かしら?」
本来、その特殊な立場と生い立ちから、紅葉はプライベートなメールのやりとりをする友達がいない。
こんな時に、親しい友人から励ましメールが来るなんて、あるはずがない。
自分と同じくらいの女の子が熱心にメールを打つ姿を町中で幾度となく見かけている。
その度に不思議に思う。
あの子達は、どんなメールを打ってるんだろう。
メサイアの機動データ?
装甲厚とジェネレータ出力の相関関係?
……多分、違うだろう。
きっと、自分にはわからないことが書かれているんだ。
そんなことを思うことを、紅葉は別に悲しいとさえ思わない。
「……あれ?」
メールが2通、届いていた。
送信者は一緒。
お元気ですか?
データ送ります!
そんなタイトルが並んでいる。
このアドレスを知っている者は大抵が同じ“見通者”仲間だけ。
アドレスに見覚えがあった。
マラネリ王国の少年王からだった。
紅葉にとって一番メールのやりとりがある相手。
結構、メル友といってもいいだろうと、紅葉は思っている。
「……まぁ」
クスッと紅葉は小さく笑った。
「コイツも友達と言えなくはないか……な?」
紅葉ちゃんへ
お元気ですか?
そろそろ、そうめんが恋しい季節になりましたがいかがお過ごしですか?
マラネリ王国製のダシ汁で食べるそうめんは絶品ですよ?
ぜひ、今度の夏休みに遊びに来てください。
交通費は良心的価格でマラネリ王立航空にお支払い下さい。
「誰があんな航空会社利用するか」
紅葉は、引き出しからチョコレートを取り出すと口に放り込んだ。
「航空燃料に魚油使うような危険な航空会社は御免ですよ~だ。ん?」
それとは別ですけど、新型メサイアを作りました。
データ添付しますから、見てください。
北米戦線へ送ります。
「また作ったの?フランスからアズールの開発頼まれたの知ってるけど、……もうかって仕方ないわね。この子はホントに」
紅葉はマウスを動かすと、添付されていたデータを開いた。
「……これ……デュミナス!?」
ギョッとなった紅葉は手にしていたチョコを床に落とした事にも気付かない。
視線が、データに釘付けになる。
「スペックが……前のと違う。エンジンを強化したのね?冷却系と一緒に……こんな仕組みがあったなんて……あの子、やっぱりホンモノだわ」
何より紅葉が気を取られたのは、その武装だ。
「エルプス・ハルバード・システム?」
そう。デュミナスが赤兎を真っ二つにしたあの兵器だ。
「エルプス原理の応用を兵器に転用することは教えてあげたけど……データ上では十分ね。冷却系や動力との兼ね合いも十分、配慮されているし……さすが」
しばらく、データを見ていた紅葉は、ふとメール本文にまだ続きがあることに気付いた。
ドイツに売却する騎体ですけど、パイロットは誰だと思いますか?
ごめんなさい。
時間がありません。武官が呼び出しに来ました。メールが途絶えるのはヤツの責任です。銃殺刑にしておきます。
続きは明日。
「?」
新着メールが来た。
独軍のパイロット達がマネリラ王国から出発しました。
北米戦線での健闘を祈ります。
パイロットは添付されている通り、狼二人です。
「……狼?」
紅葉は、添付されている写真を開いた。
●鈴谷 食堂
米軍に大きな動きがなく、艦内待機を命じられている涼達は、夕食後の時間、食堂でたむろしていた。
別に目立つことをしているわけではない。ただ、女の子らしい雑談にふける程度。時間が来ればすぐに動く。
かつての都築達のバカ騒ぎが引き起こした一連の問題を、涼達も身に染みて反省しているのだ。
艦内は極めて平和。
そんな中。
コーヒーを飲みながら珍しく雑談に参加しているのは、美夜だ。
日本から持ってきた本を読み尽くして退屈している。
本か雑誌があれば貸してくれと頼みに来たのだという。
月城大尉が自室から持ってきたのは、経済学の本や雑誌。その他、大人向けの固い本が中心だが、数冊、普通の女性向け雑誌が混じっていた。
ゴシップ記事が並ぶ中、女性士官達の目を奪ったのは、ある特集記事だ。
「ウェディングドレスの特集……いいですねぇ」
美晴はうっとりとした声をあげた。
「やっぱり、女の子として憧れますよねぇ」
涼も小さく頷いた。
「柏中尉は胸ありますから、こういう大きく胸が開いたタイプが似合いそうですねぇ」
「ははっ……うち、実家がお寺だから打掛なんですよね」
「えーっ!?もったいない!いいじゃないですか!」
「仏様の前でドレスってちょっと……ねぇ」
「ち、ちょっと想像が……」
「平野艦長は、ご結婚された時は?ドレスですか?」
「両方着た」
美夜も記事から目を離さずに頷いた。
「艦長は似合ったでしょうね」
寧々が目を潤ませながら言った。
「ドレスはどんなタイプだったんですか?」
「プリンセスラインの……こういうタイプだな」
「似合いそう!」
美晴達が一斉に声を合わせた。
「これ着て式に臨んだけど……」
美夜は苦笑しながらコーヒーに口を付けた。
「真理……二宮中佐の殺気だった目には参ったわ」
「教官……そんなに?」
「結婚しますって葉書送ったら、ご出席のごの字を二本線で消すのはともかく、大きく“裏切り者っ!”って書いてあったし、結婚式のお祝いの品だって送られてきたのは」
「送られてきたのは?」
「鏡に包丁に白いハンカチ。しかも偶数」
ちなみに、全て結婚式のお祝いとしてタブー扱いされている代物だ。
「結婚式には来てくれたけど、第一種礼装で来るし、結婚式の記念写真なんて顔は笑っていても、目が全然笑っていないの」
「艦長?写真、ないんですか?」
芳が興味津々という顔で訊ねた。
「見てみたいです。艦長のドレス姿と一緒で」
言いかけて、芳はふと、横に座る月城大尉の顔を見た。
「次は、大尉ですね」
「馬鹿な」
月城大尉はポーカーフェースを崩さずに言った。
「私は結婚なんてしない」
「でも、着たいですよね?こういうの」
「興味ない」
「絶対似合いそうですよぉ」
芳は残念そうに言った。
「その器量なら、結婚相手なんて引く手数多なのに」
「馬鹿なことを」
月城はコーヒーカップに口をつけた。
「私は仕事に生きる」
「?」
涼は、芳の意味ありげな視線に気付いた。
芳の指が雑誌の端を突く。
あっ。
涼は、芳が何を言いたいのかわかった。
ウェディングドレスの特集ページの端は小さく折られていた。
「私、見てみたいです」
涼は言った。
「月城大尉の花嫁衣装」
「打掛だろうとドレスだろうと、なんだって着こなしそうですよねぇ」
芳が合いの手を出す。
「新郎、絶対、幸せ者ですよね」
「いいなぁ……」
部下に好き放題言われた月城大尉は、頬の辺りを赤くしながら言った。
「馬鹿なことを。結婚なんて……」
「そう言ってる方が、意外と速いんですよね。経験的に」
「私にはわからん」
月城は、コーヒーを飲み干すと、席を立った。
「艦長。日報をまとめますので、これで失礼します」
「そうか……そんな時間か」
月城の後ろ姿を見送った美夜は、小さくぼやいた。
「本当に、月城大尉を見ていると、彼女を思い出す」
「彼女?」
「アレキサンドリアの七英雄の一人」
「アレキサンドリアの七英雄って」
寧々がはっとなって言った。
「たしか、二宮中佐も!」
「そう」
美夜は頷いた。
「ドイツから2人、英国から2人、フランスから1人、日本から二宮中佐と瀬音少佐がね」
「雲霞の如き妖魔達からアレキサンドリアを守り抜いた奇跡の戦い。戦死率95%のあの戦いを最後まで生き残った英雄!」
「貴様達からすればそうなんだろうが……」
美夜は苦笑した。
「七人のうち、たった二人の女性。実はその二人が、男を巡って殺し合う仲だったなんて、想像も出来ないだろうな」
「クシャンッ!」
コクピットから降りる所だったブリュンヒルデ・クラッチマー中尉は、突然のくしゃみに、リフトから落ちる一歩手前で踏みとどまった。
「びっくりしました……」
「グッシャンッ!」
「な、何!?何の音ですか!?」
ハンガーに響いた音に驚いた部下が数名、駆け寄ってきた。
「中佐!?」
「心配するな」
二宮は鼻をすすりながら言った。
「ちょっと、くしゃみが」
「あれ、くしゃみだったんですか!?」
「うるさい……テッシュ、持ってきてくれ」
「はいっ!」
「“鳳龍改”では不安だな……」
場所は内親王護衛隊専用のハンガー。
見上げた先にあるのは、“鳳龍改”。
「高速強襲型はいいが……パワーが足りていない。装甲も不足している。こんなんで北米戦線に行きたいなんて殿下が言い出した日には、目も当てられないぞ?」
「中佐」
近づいてきたのは、麗菜殿下専属MCの遠野少尉だった。
「麗菜殿下がお召しです」
自室で謹慎処分になっている麗菜が、外部と接触する方法となれば、麗菜の同性の恋人と、周囲からほぼ公認されている遠野少尉に頼むしかない。
仕えてきた期間が長い分、二宮は、麗菜が何を言い出すのかすぐに知れた。
「わかった。美凪、殿下の謹慎はあと何日だ?」
「あと4日です」
「皇后陛下を通じて、あと1週間、何としても伸ばしていただくように進言しろ。理由は……“鳳龍改”で北米送りは不安が強いとしておけ。あの戦域に火炎放射装置が使えない騎を投入するのは自殺行為だ」
「了解って……北米送りですか?」
「ああ」
二宮は頷いた。
「殿下は絶対、北米に行きたいとダダこね始めるに違いない。それを未然に止めるのが、宮仕えの基本だ」
「はぁ……」
「最悪」
二宮は、きっ。と、厳しい目をして言った。
「明日から殿下の騎を緊急整備するよう、整備部へ通達しろ。理由は殿下の安全のため程度でいい」
「A点検ではないですね?」
「当然だ」二宮は頷いた。
「徹底的に、それこそビス1本までバラせ。組み立てに1ヶ月もかかれは御の字だ」
「はい」




