鈴谷、北米戦線へ
●“鈴谷”ブリーフィングルーム
「東南アジア戦線はほぼ一段落ついた」
月城が涼達の前で世界情勢について説明していた。
「中華帝国軍はベトナム国境線まで後退。ベトナムは欧州軍のものとなった」
「質問」
手を挙げたのは寧々だ。
「これまで頑強に抵抗していた中華帝国軍が、どうして短期間のうちに崩壊したのですか?」
「良い質問だ」
月城は少し嬉しそうに頷いた。その笑顔を見て、涼はなんだか月城は保母さんに向いているんじゃないかなと、そんなことを思った。
「実際の所、理由は二つある。一つは記録的長雨と嵐という天災による防衛線の崩壊、それと、前線兵士の志気の問題だ」
「しかし」
寧々は首を傾げた。
「中華帝国軍兵士は幼少の頃から、皇帝に対する忠誠を叩き込まれ、その兵士となることを栄誉としていると聞き及んでいます。事実、これまでの戦闘における中華帝国軍兵士は勇猛果敢をもって連合軍より恐れられ、或いは戦闘報告において惜しみない賛辞を受けています」
「中華帝国軍のスポークスマンにでも転職するか?鬼龍院中尉」
「小敵たりとも侮らす大敵たりとも懼れす己か武職を尽さむこそ誠の大勇にはあれ」
寧々は即答し、徒っぽく小首を傾げて見せた。
その仕草が、
―――違いますか?
そう、訊ねていた。
「……買いかぶっているところはあると思うがな。それにしても」
言葉の出所が出所なので、月城もそれ以上は大きく出なかった。
「その利発さは、あのバカの嫁にはもったいないぞ」
「……っ」
不意に、寧々の顔が赤くなった。
「違いますよ隊長」
からかうように、美晴が言った。
「そういうバカな夫をマトモにするのが、妻のツトメですよ。ツ・ト・メ」
その視線は、何故か横にいる山崎に向けられていた。
山崎が照れ笑いを浮かべた。
「……鬼龍院中尉は適任だと?」
「これ以上の適任者を、都築少尉が捕まえられると思いますか?」
「……いず……無理か」
「お言葉ですが!」
涼が顔を真っ赤にして立ち上がった。
「和泉大尉は私のモノです!」
「……そ、そうか」
「大尉?それは、気迫に負けたのですか?発言に引いたんですか?」という宗像の問いかけに、
「それは……」
少し考えて、月城は言った。
「和泉大尉の性癖だな。きっと」
月城は黒板に置かれていたチョークを握るなり、抜く手も見せずに投げつけた。
フギャァッ!?
尻尾を踏まれた猫のような悲鳴がブリーフィングルームに響き渡り、パイプ椅子が豪快にひっくり返った。
「―――お目覚めか?鵜来」
「は、はいっ!」
額をチョークの粉で真っ白にした有珠が立ち上がって直立不動の姿勢になった。
「おはようございますっ!」
「……まだ寝ているのか?」
「な、なんでそんなこと言うんですか!?」
「後ろだバカ者っ!」
「―――へ?」
有珠は、その声で初めて自分が月城に背を向けていることに気付いた。
「椅子に座れ。2時間後には再訓練だ。私から一本とるまでは寝かさないぞ」
「ううっ……」
「あの……大尉?」
「平野少尉、どうした?」
「一本抜くまで寝かさないって……そういう意味ですか?」
「どういう意味だ。っていうか、一本抜くって何だ」
「さすが内親王護衛隊総隊長とお見それしただけで」
「なんだかひっかかる物言いだが―――話を戻す。中華帝国軍の件だ」
自分を見る視線が少し変わった違和感を感じつつ、月城は続けた。
「先程、鬼龍院中尉が言った通り、連中のプライドは、国軍としてのそれではない。
皇帝の兵としてのそれだ。
現状、皇帝を名乗っているのは載賢だが、それを額面通りに受け止める者は内外にほとんどいない」
再び、チョークが飛んだ。
「終いにゃ、空気椅子させるぞ!?わかってるのか!鵜来!」
「……あ、あのぉ。月城大尉」山崎が言った。
「鵜来少尉、目を回してますけど」
結局、山崎が鵜来少尉を医務室に運ぶのを見送ってから、月城は続けた。
「載賢とかいう、皇帝のアホ息子のために死ねと言われても、志気があがるはずがない。
広州軍区・南京軍区はクーデターより先に戦力のほとんどが、西姫が擁する成都軍区に向かって移動している。
理由はわかるか?宗像中尉」
「西姫を慕って、兵士が動いた?」
「その通りだ。西姫こそが次期皇帝だと国民ですら知っている。
つまり、皇帝を名乗る、皇帝の息子達に正統性がないことを知っている。
東南アジア戦線崩壊の志気的な原因はここに求めることが出来る。
東南アジアに展開している部隊は、紫禁城にいる載賢の部隊ではない。南京軍区あたりの部隊だ。皇帝としての正統性も証明できない、ただ、皇帝の息子だけが皇位の根拠みたいなヤツに戦えと言われては、北米で戦う連中並みの頑強さを求めること自体が無理だ」
「お話が少し矛盾しているようにも思えるのですが」
芳が訊ねた。
「それじゃ、北米で中華帝国軍があそこまで頑強に戦うのは、なんのためですか?載賢だって、皇帝って名乗っても正統性がないんでしょう?」
「中華帝国軍にとって、アメリカ軍は敵だ。徹底して憎むことを叩き込まれた挙げ句、その敵の本拠を叩く戦に赴く」
月城は、楽しげに芳を見た。
「平野少尉?貴様ならどう思う?」
「皇帝云々関係なし。本能的な行為に近いというわけですか」
「簡単に言えばそういうことだ。誰に命じられる必要はない。武器さえ与えられれば勝手にやる。そういう仕事だ」
「……それで我々は」
宗像は言った。
「正統性が疑わしいにしても、それなりの志気は維持している連中相手にするために、北米へ?」
「その通り。明日夜明けと同時に、“鈴谷”は機関重連駆動に入る。速度が60ノットまで出るからな。現地到着予定はかなり早まるぞ」
「ち、ちょっと待ってください」
「ん?」
「何ですか、その重連駆動って」
「“鈴谷”が、アフリカで失われた“伊吹”の機関をそのまま搭載しているのは知っているだろう」
「で、ですけど、あれって対空砲や主砲の補助動力源に回されているんじゃ……」
「使わなければいいだけだ。出力をFGFジェネレーターに回す。普通なら理論的に無理に等しいマネも、これなら出来る」
「何ですか?それ」
●夜 “鈴谷”艦内通路
「まぁ、黙って見ていろったって……」
自動販売機のある区画まで移動中、涼がぼやいた。
「見てるしかないじゃない」
「まぁまぁ」
芳が笑って言った。
「あの平野艦長のフネだもん。いろいろあるよ」
「……時速108キロ」
うーん。
涼は自販機の前に立つと考え込んでしまった。
「速いのか遅いのか」
「それにしてもさぁ」
芳はウププッと不気味な笑い声をあげた。
「月城大尉って、内親王護衛隊の中では珍しくノーマルって聞いていたけど、やっぱり例外じゃなかったんだねぇ」
「鵜来少尉は食べられたか」
「そう!一本抜かせるまで寝かさないって、そういう意味ですよね!?宗像中尉!」
ぶっ!?
自販機の周りは兵員達の休憩スペースになっており、夜勤シフトを前にした整備兵達があちこちでたむろしている。
芳の突然の言葉に、何人もの整備兵が飲み物を噴き出していた。
「こら、芳っ!」
「だってぇ!」
芳は普段、声が低いのに興奮するとやたらよく通る高い声になる。
艦内通路のかなり先まで、確実に芳の声は響いているに違いない。
「あんなマジメそうな人が、何も知らないって顔の鵜来少尉相手に毎晩でしょ!?そうじゃなかったら、鵜来少尉が、あんなくたばりそうになるはずないじゃん!」
「あんた、終いにゃ殴るわよ!?グーで!」
「やっぱさぁ!」
興奮したらしい芳がさらに大声で言った。
そこで初めて気付いた。
芳が手にしてるのは、ジュースではない。
缶チューハイだ。
“鈴谷”をはじめ、近衛軍の飛行艦は週一回、決められた場所で飲酒が許可される。
部隊長級をのぞく乗組員の飲酒許可場所は、酒が手に入る自販機周辺と決まっている。
涼は腕時計の日付を見ると、飲酒許可の日だった。
普段は売り切れランプのついている酒類が全て販売可になっている。
新しいもの、珍しいもの大好きな芳だ。好奇心につられて飲んだんだろう。
「あ、あんた、あれほど買う時は注意書き見ろって!」
「あのロケットおっぱいは、そういう努力の賜かねぇ!?」
「あんた、酔っぱらってるでしょ!?知らないからね!?」
「おっぱいミサイルバーンっていってさ!止められたら「そんなに好きならもう一つあげるわよ!!」とかいいながらもう一発発射!月城大尉、いい必殺技もってるなぁ!」
「ちょっ!?」
芳が完全に酔っぱらっているのはわかる。
宗像達に助けを求めようとしたが、全員が気まずそうな顔をして、こちらから離れようとしている。
ここで声をかけても、“私達他人です”宣言されて終わりだとはっきりわかる。
しかも、ツカツカと軍靴の音も高らかに小走りにこちらへ近づきつつあるのは―――
「ねぇ!?聞いてるの?涼ってば!」
「わ、私、他人だから」と、涼はそっぽをむいた。
「冷たいなぁ!」
芳は缶チューハイを飲み干すと涼に絡んできた。
「ねぇ?あのロケットおっぱいは、絶対、揉んで揉んで揉みまくった結果だよね!オトコかなぁって思ってたけど、あんなカタブツがオトコ狂いなわけないし、まさかと思っていたけどやっぱり女とはねぇ!びっくりしたよね?ね!涼ってば!」
「ひ、人違いです」
「なんだよぉ!有珠ちゃんが、あのロケットおっぱいに調教されてたのがそんなに悔しいのぉ!?」
「だからっ!」
ガンッ!
―――遂に来たっ!
涼は、その鈍い音に思わず首をすくめてしまった。
次には罵声と悲鳴が上がるだろう。
立ち会いたい事態じゃない。
だが―――
「きゃっ!?」
何故か、妙に色っぽい声があがった。
「へっ?」
驚いて後ろを振り向いて、
「―――なっ!?」
涼は目が点になった。
「な、ななななっ!?」
見ると、芳が月城の胸をわしづかみにしているところだった。
「離せ少尉っ!」
赤面した月城が、胸を押さえながら後ずさった。
「ちょっ!?」
カンッ
「?」
涼は足下に当たったのが潰れた缶チューハイの空き缶だと気付いた。
「琉球武術、子供の頃からやってた私相手に、格闘戦は無理ですよぉ大尉ぃ」
ヒック。
芳はしゃっくりすると、手をワキワキと、妙に淫靡に動かしながら言った。
「それにしても大尉ぃ。やっぱり大きいですねぇ。おっぱい!」
周りでは酒盛りしていたはずの整備兵達が凍り付いた様子でこちらをずっと見ていた。
「黙れっ!」
その整備兵の視線に我慢できなかったんだろう。
顔を真っ赤にした月城が怒鳴る。
「貴様、同性でもセクハラは成立するんだぞ!?」
「ホントのことですよぉ。いいなぁ……」
「このっ!」
月城の平手が飛ぶ瞬間。
涼にはどうなったかわからない。月城の平手が、芳の顔を捉えるより先に、芳の顔が月城の胸の中に埋もれていた。
つまり、抱きついたのだ。
「うわぁ……ふわっふわ。涼のとはやっぱり違うなぁ」
顔を胸に埋めたままほおずりする芳。その感触が我慢できないのか、
「や、やめろと言ったろう!?」
何とか芳を引きはがそうとするが、芳はまるで剥がれようとしない。
「どうやったらこんなに大きくなるんですかぁ!?教えてくださぁい!」
「知るか!」
月城は怒鳴った。
怒鳴るところまでは納得できる。
納得できないのは、その発言だ。
「私が、どれだけ寄せたり上げたり、苦労していると思ってるんだ!パッドまで入れて!」
「それ、上げ底なんですか!?っていうか、大尉!?もしかして酔っぱらっているんですか!?」
「私はまだシラフだ!」
「鵜来少尉のワカメ酒とかぁ」
「あれは飲む方だ!って何言わせるかぁっ!」
「あの……大尉!」
あれ、上げ底だったのか。
パット入りだったか。
あげてるんだ。
寄せてるらしいぜ。
整備兵達のつぶやきが耳に入り、さすがにいたたまれなくなった涼は、後ろから羽交い締めにして離れない芳を引きはがそうとした。
しかし、それより速く動いた者がいた。
芳騎のMC、川崎美由紀少尉だ。
どこにいたのか。不意に涼の横に立つと、片手で涼を制するなり、抜く手も見せずに、芳めがけて何かを突き出した。
ZUN!
そんな音がして、芳の体が数センチ宙に浮いた。
すると―――
ズルズルズル……
芳は、何故か力無く床に崩れ落ちていった。
「ひ、平野少尉?」
唖然とする月城の前で、少ししゃがんだ美由紀が、芳の体の一部―――丁度お尻―――に突き刺さっていた何かを抜いた。
警棒だと、すぐにわかった。
「あまりおいたが過ぎると、痛い目見るって言っておきましたわね?平野少尉?」
フフッ。
その冷たい笑みは、周囲の温度を確実に低くした。
「―――って、聞いてます?平野少尉」
●翌日 “鈴谷”ブリーフィングルーム
夜明けと同時に、“鈴谷”は前代未聞の機関重連駆動を開始した。
通常、巡航20ノット程度の“鈴谷”が二倍の50ノットを遙にこえ、飛行艦の理論値60ノットまで超えたと聞かされた。
飛行機の巡航速度が500ノット近くだから、それに比べればかなり遅いとはいえ、この船旅がかなり短くなりそうだと、皆が実感するのには十分すぎた。
そんな中、メサイア部隊の自主定例ミーティングが始まった。
何故か、月城の姿がなかった。
「自主訓練?」
「そうだ」
医務室から出てきた有珠に、宗像は言った。
「月城大尉は本日から少しの間、休むとのことだ。我々は今朝からは自主訓練に入る。プログラムはこれから決める」
「はぁ」
何が何だかわからない有珠は、救いを求めるように周りを見回した。
何故か、皆が気の毒というか、触れたくない。という顔をしていた。
「いろいろ、整備兵が大尉のことを好き放題言うだろうが、無視しろ。お前も女で、しかもM系ならわかるだろうから」
「わ、私、そんなんじゃないんですけど」
「そうか?大尉のペットとでも呼ぶか?」
「違いますっ!」
「それから平野は」
「聞いて下さいっ!」
「未成年飲酒及び上官侮辱、同性に対するセクハラ……とにかく、簡易軍事裁判の判決が出るまでの謹慎、それと二日酔いとケガの治療といろいろあるため、しばらく任務に出てこれない」
「あの子、ケガ、したんですか?」
「ああ」
それこそ気の毒。と言わんばかりに、宗像は遠い目をした。
「―――痔、だそうだ」




