第二十二話 三宿学園七不思議?・前編
「終わったか、陽?」
「……ああ」
紫色のメッシュをかき上げて、いつもより低い声で呟かれた言葉に、茘枝は恋人の明らかな不機嫌を聞き取った。軽音楽部の練習はどうやら上手くいっていないようだ。慰めに差し出した手は一度拒まれた後、いらいらと先に進んでいった後姿に取られた。微かに声をたてて笑うと、今度は繕った不機嫌さでくるりと振り返る。
「おい」
「何か?」
「何か?じゃねぇ。大体何でここまで来たんだよ?」
「もちろん、一緒に帰ろうと思って」
「部活の時はいつも別々だろうが」
「別に今日ぐらいいいだろう?」
「三日間連続ぐらいの間違いじゃねぇのか?」
茘枝は少し緩めた口元をふいにそっぽへ向ける。灯りを奪われた廊下の暗闇が、彼の表情を飲み込んだ。掻き消えた微笑は手を繋いだままの陽に乗り移った。
「なるほどな、そういうことか」
「そういうことって?」
「お前、絶対あれのせいだろ。颯に聞いた噂、三宿学園七不思議の復活ってやつ」
「……た、戯けたことを」
今や、茘枝は首元まで真っ暗な中に突っ込んでいた。そんな光景に陽のいたずらっぽい笑みはますます意地悪く広がっていく。
「じゃあ、一人で音楽室にでも行ってみるか?女の霊が出るっていう」
「音楽室に用などない。用などないから行く必要もない」
「ただ行くだけならオレは待っててやってもいいぜ?」
「……う、うるさいっ!早く帰るぞ」
「おっ、早く帰ってオレのホラー映画鑑賞にでも付き合ってくれる訳?」
「そんな暇はない!」
「ったく、今更何言ってんだか。素直に怖いって言えばかわいいのによ」
いつもより少し急ぎ気味に歩く陽の後を、小さく駆けて追っていく茘枝。二人の靴音と話し声が、まだそこだけ明るい二階の廊下奥に消え、見回りに来た森先生が電気のスイッチを消した後、そこには暗い陰鬱な沈黙が横たわっていた。昼間の活気などは微塵も感じられない。全ての生き物の存在と活動を否定するだけの沈黙だ。それを破る者が、月も高く昇ってからふいに訪れる。ただし、その破り方は、決して静寂の掟には逆らわず……
***
三宿学園高等部七不思議
1、放課後、一人で北校舎の階段を下りていると、誰もいないのに足音がする。人影が横を通り過ぎていくこともある。
2、放課後、一人で図書室から出ようとすると、後ろから本のページをめくっている音がする。その際決して振り返ってはいけない。振り返ると永遠にこの世に戻ってこられない。
3、夜中十二時に西校舎二階のトイレの真ん中の鏡をのぞくと、死ぬ間際の自分の顔が見られる。
4、美術室の「農民の結婚式」の絵からは時々声がする。
5、三宿学園の女教師の中には必ず一人一生結婚できない先生がいる。
6、放課後の音楽室にはピアノを弾く女性の霊が現れる。
7、旧図書館にはそこで事故で亡くなった少年が出る。図書館が閉鎖になったのはそのため。
「七不思議?」
聞きなれない単語を繰り返し、クリスは怪訝そうに首を傾げた。とある朝のホームルーム前のことだった。
「そっ。だから、今言ったやつだって。一時期はおさまってたんだけど、最近また復活したらしいぜ。学園中噂になってるぞ。遅れてるなぁ、エーリアル」
「……だって噂に耳を傾けてる暇なんてないもん」
「そういやそうだったな。お疲れ、実行委員」
「そりゃどうも」
クリスは頬杖をつきながら溜息をつく。今も内装に使う材料のおおまかな値段を調べているところだったのだ。それが、落合が仕入れてきたおかしな噂話のせいでめちゃくちゃだ。青いビニールテープの値段が189円だか176円だかさっぱり分からなくなってきた。だが、意外にも、来夏と菜月は熱心に話を聞いている。ノアは相変わらずにこにこして、話に興味があるんだかないんだか分からない。クリスは手を動かしつつも、一応は話を聞いておくことにした。
「しかし、ありがちだよな。北校舎の階段だとか、音楽室のピアノとか。大体放課後とか真夜中じゃ確かめようがねぇっつーの。まっ、五番目とかはあまり他の学校じゃ聞かねぇけど。あれだけはもう立証できてるよな。み……」
「落合、その後に『ち』と『る』が続いたら張り倒す」
「嫌だな、みちるちゃん。ちょっと自意識過剰になってるんじゃねぇの?『ち』と『る』の後に『ちゃん』も付くぜ」
レポートを提出するよう催促に来たのだろう。いつの間にか背後に忍び寄っていた鳥居先生にそう言い放つと、落合は席から飛び離れ、超特急で廊下の方へと駆け出した。先生は風だけをクリスたちの元へ残してその後を追っていく。クリスのメモが数枚ひらひらと宙に舞った。菜月は蝶を捕らえるように素早くそれらを捕まえた。
「ありがと、酒本」
「どういたしまして。でもさ、落合はありがちって言ってたけど、珍しいのもあるよね。『農民の葬式』がどうたらとか」
「『農民の結婚式』だ。七不思議だからって不吉にするな。確かブリューゲルの絵だったよな、石崎?」
クリスは考える間もなく条件反射的にこくんと頷いた。
「うん。ウィーン美術史美術館にあるやつだね。俺も昔叔母さんにつられて見に行ったよ。この絵ってさ、一見楽しそうな絵に見えるけど……」
「声ってさ、どんな声がするのかね?『呪ってやる』とかかな?」
クリスの言葉に、菜月がわざとらしく張り上げた声をかぶせた。
「見えるけど……」
「さあな。何だって大して変わりはねぇだろ。どうせ誰かが言いふらした悪い冗談だし」
今回は珍しく来夏も菜月に乗った。
「見え……」
「えー。そんな変な話普通思いつかないって。やっぱり本物だからこんな話が流れるんじゃないの?」
菜月は大きな丸い目をぱちぱちさせながら尋ねる。クリスと来夏は顔を見合わせ、同時にまさかと首を振った。
「絵が動くとかしゃべるとかその類の話はありがちじゃねぇか。うちの学校にはたまたまモナリザがなかっただけの話で」
「そ、そうだよ。幽霊なんている訳ないんだから。ねっ、有瀬?」
「でも、父はよく子供の頃にあった怖い話とかしてくれましたよ。小さい頃は霊感があって、幽霊と会話できたとか。天狗と運動会したとか。あっ、あと、本物の猫又を目撃したそうです」
クリスの唐突な振りにきょとんとして首を傾げ、そのまま語りだしたノアに、三人の動きは思わず固まった。始業時間五分前の鐘が鳴る。廊下は先ほどより騒がしさを増している。鳥居先生と落合の戦いは、まだ決着がつかないのか。
「……やっぱり理事長って変な人なんだね」
かの親にしてこの子あり。クリスが呟くと、ノアは笑顔で「はい」と頷いた。
「でも、クリス様、何で今更七不思議は蘇ったんでしょうね?」
***
昼休みの生徒会室にはやたらと張り詰めた空気が立ち込めていた。慎は腕を組んで眉間に皺を刻み、颯は口元に指を当て、なにやら考え込んでいる様子だ。茘枝はこの件には一切関わりたくないといった風にティースプーンばかりいじっているし、陽だけがなんともなさそうに生ぬるいコーラの空瓶を投げて遊んでいる。やがて、慎は閉じていた目を開けて、たった一言だけ言葉を紡いだ。
「非科学的だ」
「そりゃそうだ」
陽が口笛を吹きながら、のんきそうに相槌を打つ。
「ちっ、七不思議なんてものがこの学園にあってたまるか!どこのバカが言いふらし始めた作り話だ。そんなバカがこの学園にいたことだけでも恥なのに、どうして文化祭の準備がそいつのせいでうまく運ばない事態が起きてやがる?!」
「不覚だよね。まあ、僕たちの責任じゃないけど。でも、しょうがないよ。花木先生まで『見た』って言い始めたんだもん。あの先生が嘘をつくとは思えないし」
事の次第はこうである。慎、颯が所属する3年A組と、茘枝、陽が所属する3年B組は、クラスの出し物として合同でお化け屋敷を作ることになった。お化け屋敷のテーマは、二十年ほど前この学園で流行っていた「三宿学園七不思議」であり、生徒たちがそれぞれ調査を進めていたのが、その途中でおかしなことが起こり始めた。しばらく全く確認されなかった七不思議の怪現象を、実際に見たという生徒が現れ始めたのだ。最初はお化け屋敷を盛り上げるための噂話だと思われていたが、見た、聞いた、という生徒は増え続け、ついに先日、3年A組の担任、花木先生まで幽霊を目撃したと言い出したのだ。生徒会役員たちのクラスメートはすっかり怯え、これは呪いだ、祟りだと、お化け屋敷の準備に手をつけられなくなってる、という訳である。
「『見た』って何を見たんだ?」
慎をなだめて溜息をつく颯に陽がふと尋ねる。あぁ、と颯は話し始めた。
「音楽室から出てくる女性。今日のホームルームで離してくれたんだ。遠くからしか見えなかったらしいけど、何でも脚が透けて……」
「わ、私のいるところでその話はするな!」
「えっ、茘枝、どうかしたの?」
「心臓の具合がよくないんだとよ。ここ三日、いや、四日間か。あっ、おい」
これ以上は耐え切れないように生徒会室を出て行った茘枝を、陽は立ち上がって追っていった。颯がとめるのも聞こえていない。まさに瞬間的な出来事であった。本当は恋人を追いかける名目で仕事をさぼりたいだけなのではないか、との考えが颯の頭を掠める。こんなに忙しい時期だというのに。しかし、慎の怒りの矛先は、まだ非科学的な噂話の方へと向かっていた。颯は慎に向かい直る。
「それでどうするの、慎?七不思議がただの噂話ってことを証明しないと、みんな続きに取り掛かってくれそうにないよ」
慎の青い目がぎろりと颯を睨んだ。
「俺にそんなくだらねぇことをやれと?山積みになった仕事を放っておいてか?」
颯は肩をすくめた。お手上げだ。自分の手ではどうにもならないし、慎の額の青筋は当分消えそうにない。とりあえずコーヒーのお代わりでも淹れておいてあげよう。いや、カフェインは精神的によくないだろうか。しかし、自分が先ほど指摘したことは事実であるし、誰かしらにその仕事をやってもらわなければならない。活発な議論を脳内で繰り返す内に、颯の中でぱっと一つの案がひらめいた。名案といえるかどうかは分からない。だが、提案してみる価値はあるだろう。颯はミルクでいつもの二倍に薄めたコーヒーを手に振り返った。
「ねぇ、慎、あの子なら喜んでこの仕事をやってくれそうに思うけど……」
「と、いうことで、俺が選ばれたんで、手伝ってくださいね!」
「何で、俺たちが……」
放課後の中庭に集められたのは、クリス、ノア、菜月、来夏、落合、真央のいつものメンバーである。集合をかけたのはもちろんこのメンバーには欠かせないもう一人の存在、涌水明音だ。生徒会の依頼(依頼というよりは命令に近いが)は慎様の依頼、慎様が俺に依頼してくるということは、俺を信頼してくださっている証拠と、すっかり張り切っているのである。だからこそ、クリスたちには慌しいなか召集をかけられた理由が分からない。真央がすぐに聞いた。
「ねぇ、何で僕たちまでそんなことやらなきゃいけないの?大体七不思議の話なんて、初めて聞いたんだけど……一年生の間ではそんな話題になってなかったじゃないか」
「俺は慎様の会話を聞いて知ってたぜ!まっ、自慢はいいとして、俺、喜んで依頼を引き受けたんだけど、本当は幽霊とか苦手でさ。だから、手伝ってもらおうと思って」
「……明音君、帰っていい?」
「あっ、ちょっと、駄目っすよ、石崎先輩!」
せっかく今日は実行委員の仕事がないというのに。家路を一歩踏み出したクリスを、急いで明音が止める。
「おい、涌水、俺たちもそこまで暇じゃねぇんだぞ」
落合の言葉に、明音は分かってますとばかりに何度も頷いた。
「分かってます!お礼は必ずしますから!中野君の盗撮写真でいいっすか?」
「俺、どちらかというと最近佐藤君の方が気になってんだけど」
「分かりました!任せてください!」
「おいおい……」
付きたてた親指を合わせる明音と落合に、来夏は呆れたように呟いた。本人はもう逃げられないと覚悟を決めているようだったが。クリスと来夏は交わした目線で諦めを共有した。何やら楽しそうなのは、ノアと菜月だ。真央は七不思議の言葉に、早くも不吉な予感を抱いているようだった。
「まっ、とりあえず七不思議が全部嘘ってことを暴けばいいんだろう?だったらさっさと終わらせようよ。まずはどれからいくの?」
クリスの言葉に、明音は嬉しそうに飛び跳ねて、ポケットからチェック表を取り出してみせた。
「そうっすね。じゃあ、まずは目撃談が一番多い一番目の不思議からいきましょう!」
七不思議
1、放課後、一人で北校舎の階段を下りていると、誰もいないのに足音がする。人影が横を通り過ぎていくこともある。
高等部は、学園の敷地内にある三つの校舎の中で最も小さな建物だ。三つの校舎というのはつまり、初等部、中等部、高等部の校舎のことである。幼稚園と大学の建物はクリスの部屋からも見下ろせる町の中にあり、落合が幼少期に通っていたのもそこであったし、薫もそちらの大学に通いながら高等部で講師を勤めているとの話であった。高等部の校舎が一番小さい所以は、中等部入学から卒業までにかけて大幅に人数が減ることと関係がある。学園の授業には付いていけないと悟りだした生徒たちが、次々とやめていくのが大体中学二年生辺りか。高等部からの新入生も一応募集してはいるが、ごくわずかな人数に限られる。クリスと真央が良い例で、二人とも絵と歌という特殊な技能があったから入学することができた。後は来夏のような秀才か、明音のような熱心な努力家に限られる。
話を戻すと、そういう訳で、高等部には余分な教室が必要ないために、北から南に向かってまっすぐ引かれたI字型をしている。そこに格技棟が加わって、左側が小さなH型といったところだ。北階段はちょうどIの字の上辺にあり、日当たりが悪く、使用して便利な教室が美術室や調理室というマイナーな教室のせいか、生徒も教師もあまり好んで利用しない。いかにも幽霊が住み着きそうな場所であることは確かだ。もちろん、幽霊が存在すると仮定すればの話だが。
「ここっすね。えっと、一番最近の話だと、一昨日の放課後、この階段を一人で歩いていた三年生の生徒が背後から足音を聞いたと。振り返ってみても誰もいないため、七不思議の話を思い出して走り出すと、足音も速くなり、気が付くと隣に男ような影が並んでいた、だそうです」
明音が颯から手に入れたらしいレポートを読み上げると、一同は黙りこくって、陰気な階段を眺めた。今一同がいるのは四階である。ここから降りればその幽霊とご対面できるかもしれない。
「そういや、大河内が室井もここで人影を見てすっころんだっつってたな。やっぱ何かいるんじゃねぇの?」
「それを確かめるためにきたんっすよ、落合先輩。じゃあ、じゃんけんで負けた人が実験するってことでいいっすか?」
「何言ってるんだよ。君が依頼された仕事なんだから君がやりなって」
「だから、言ったじゃないっすか。俺、ほんと、幽霊とが駄目なんっすよ!」
クリスの言葉に、明音は勘弁してくれといった風に突き出した両手を振った。クリスは思わず溜息をつく。唐突にノアが言った。
「僕がやります」
「えっ?」
クリスは思わずノアを顧みる。他にもノアを見つめた者はあったが、ノアはクリスだけむかって微笑んでみせた。
「有瀬が?」
「えぇ。もし、足音が聞こえたら、父に自慢することができますし」
「でも……」
「大丈夫ですよ、クリス様。じゃあ、行ってきます」
クリスの止める声も聞かず、ノアは普段の彼からは予想できない速度で、踊り場の更に下まで降りていってしまった。クリスが不吉な予感にとらわれるなか、菜月は「次は僕がやろう」と意気込み、真央は来夏に引っ付いて叱られていた。
数分後、俄かにこちらへと昇ってくる足音が聞こえ始め、ノアがとてとてと階段をのぼってきた。ノアの色の薄い頬が今だけきらきらと赤くほてっているのを見た時、クリスは別の意味で悪い予感があたったのだと気が付いた。
「本当ですよ、クリス様!確かに足音が聞こえました!人影は見えませんでしたけど、足音がすぐ後ろを追ってきて、いくら振り返っても誰もいませんでした!すごい、七不思議って本当だったんですね!」
「おい、マジかよ?」
「ほんと、それ?」
落合と菜月の興奮したような顔を見る間もなく、クリスは眩暈に襲われていた。
「えぇ、試してみてください。本当に聞こえましたから」
落合と菜月もそれぞれ続いて降りていき、両目を輝かせて戻ってきて、同様の結果をもたらした。菜月はついに人影を見たと言い出した。壁にもたれかかるクリスに、来夏が尋ねた。
「おい、石崎、どう思う?」
「酒本と落合はともかく、有瀬が嘘をつくとは思えないけど……」
「俺も同感だ」
「……僕もです」
明音は散々怖がっていたくせに、今はすっかり依頼内容を忘れ、飛び跳ねながら報告書の記入欄に赤ペンで丸印をつけた。
「じゃあ、次行きますよ!」
2、放課後、一人で図書室から出ようとすると、後ろから本のページをめくっている音がする。その際決して振り返ってはいけない。振り返ると永遠にこの世に戻ってこられない。
「ちょうど誰もいねぇみたいだぞ。えっちゃんもいねぇな。試すなら今だぜ」
落合が図書館の扉から顔を突っ込み、様子をうかがって報告した。えっちゃんというのは生徒から恐れられている怪物司書、市原悦子女史のことを指すらしい。こちらの階段の目撃談、というか体験談は、一つ目の話とくらべるとずっと落ちるのであったが、その理由はどうも、振り返ったらこの世に戻ってこられないという洒落にならない話が付随するせいらしい。それでも、ある生徒がここでページをめくる音を聞いたと触れ込みまわって以来、図書館の利用客はめっきり減っているとのことだった。クリスたちは円になって作戦を練り始めた。
「ここは普通に中に入って普通に出て行くしかないんじゃないんですか?いいですよ。僕が行きます」
言い出したのは真央だった。先ほどのクリスと同じ要領で青ざめた来夏が、急いでその肩を掴んで引き止める。
「おい、やめとけって」
「あっ、来夏先輩心配してくれてるんですか?」
「バカ言え。んな訳ねぇだろうが」
来夏のすげない反応に、真央はがっかりしたように肩を落としたが、すぐに持ち直した。
「まあ、実を言えばちょっと怖いけど、さっきの先輩たち見てたら、案外平気かもしれないなって。絶対に振り返ったりはしませんから安心してくださいね、先輩。僕、先輩に会えなくなるのは嫌ですし……」
「前言撤回だ。やっぱりお前が行け。万が一ページをめくる音がしたら振り返ってもいいぞ」
「えっ?」
言うなり来夏は真央を図書室に押し込むと、ぱたんと扉を閉ざしてしまった。一同は唖然として彼を眺めたが、来夏は特に後悔するような素振りは見せなかった。ただ、時々心配しているような素振りは見せた。やがて、扉が開いた時、来夏は誰よりも早く反応したが、彼の目に入ったものといえば、真央がしくしくと泣く姿であった。
「おい、どうした?!」
取り乱し方が尋常じゃないな、と、クリスはぼんやりと思った。何か恐ろしい目に遭ったらしい真央の方がはるかに落ち着いている。真央は泣きながら、ぽつりぽつりと出来事を話した。
「先週返す予定の本……か、返すの忘れてて……市原先生にこってりしぼられて……死ぬかと思って……」
来夏は真央の肩をゆする手を止めた。
真央が「ごめんなさい!」を連呼し、クリスたちが首を傾げて何も言えずにいる中、明音は首をかしげながら、チェック欄に×を書き加えたのであった。




