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第十二話 珈琲どりーむ

 会計を済ませ、僕らは文房具店を後にした。そこから歩いて10分ほどの距離に、森さんの言っていた『タリーズコーヒー』はあった。

「わぁ……」

 店内に入ると僕が感じた驚嘆が、声になって漏れてしまっていた。

 新鮮な気持ちだ。そう思って考えると、こういった珈琲の店に入るというのは、初めてだったと気が付いた。憧れがあったわけでも、行きたいと思ったこともないけれど、初めてというのは緊張があるものだ。

 それに――。

 レジの前に短く伸びる列に並びつつ、僕は隣にいる森さんの顔を見た。

「どうしたんですか?」

「い、いや。なんでも……」

 僕は慌てて森さんから目線を外す。

 ――女の子の顔を、見つめて……変態か、僕は。

 自分を戒める。けれど、嗚呼、どうしても駄目だ。意識してしまう。だって僕は、初めて女の子と2人きりで、こんな所にいるのだから。

 自意識過剰は百も承知だけれど、でも意識してしまう。

「そういえば、どうして俺のこと分かったの? 前会った時と大分見た目違う筈なのに」

 意識していることを悟られないようにと、質問を振ってみたが、我ながら馬鹿なことを聞いたものだと反省した。そんなもの、体格で分かったに決まっているのだ。何せ日本人の平均身長は約169cm、2m越えの人間なんてそうそういやしない。

 そう、僕は思ったが、森さんは、

「顔の輪郭と、耳や口、それから鼻の形、あと鎖骨でなんとなく」

 とさらっと答えた。

「え? そんなに細かく見てたの?」

「全然大雑把だと思いますけど?」

 森さんは当たり前だと言わんばかりに答えたが、僕にはとても凄いことに聞こえた。そもそも、1回偶々会った人の顔なんて、記憶に残らないものだ。それとも、あの時、あの短い間にも森さんは僕の顔を観察していたのだろうか? でも、もしそうしていたのだとしたら一体何のメリットがあって?

 そうやって、あれこれと考え事をしていると、僕等の番が周って来て、店員が注文を訊ねてきた。

 そして、僕等は注文をして、それぞれ頼んだものを受け取り、空いていたテーブル席に向かい合わせで腰をかけた。

 ――『キャラメルマキアートLサイズで』とか、ベタな言い間違いをしなかったのは、愚鈍な僕にとっては、上出来だと言えよう。

 僕はキャラメルマキアートを(すす)り、その香ばしい甘さを堪能した。頑張れば僕にも作れないかなと、そんなことを考えながら。

「あの、藤平さん」

「ん? 何?」

「教えてくれませんか? あの、どうして人違いだなんて言ったのか……、そもそも何で変装……」

 その言葉を聞いて、僕はキャラメルマキアートを一端、テーブルに置き、

「何聞いても驚かない?」

 と、森さんに確認を取る。森さんはコクリと頷く。僕は重ねて、

「俺のこと、怖がったりしない?」

 と訊ねる。それにも、森さんは頷く。更に重ねて、

「誰にも言ったりしない?」

 と聞くと、森さんはやはり、無言で頷いた。はぁと、僕は大きく嘆息を漏らす。この事実を改めて口に出して言うのは、どうにも気が引けるのだ。

「……実は、俺、謹慎中なの、学校。んで、用事があって表に出てきたけど、誰か知り合いに見られるとヤバイってわけで、変装までしてるの。ちなみに誤魔化したのもそれが理由ね」

 僕が、事情を説明すると、森さんは口を開けて、呆然としていた。

「……ま、驚くなって言われても、驚くよな。謹慎食らったなんて聞かされたら」

 ――例え、見た目から僕のことをそういう人間だと判断していたとしても。

 僕は心の中でそう続けて、自嘲気味に、笑みを零した。

「いえ、そうじゃなくて」

 しかし、森さんがそれを否定したので、僕は目を見開く。

「どうして分かりやすい嘘を吐くのかなって思って……」

「何を以って嘘だと思ったわけ?」

 森さんの言っていることが、僕には疑問に思えた。

「だって、謹慎になるとしたら、暴力沙汰を起こしたり、法に触れるようなことをしたり……」

 森さんは、それに続いて、躊躇いながら、顔を赤らめて、

「きょ、教室でヤッちゃったり……そういうことをしたってことなんでしょう?」

 と言った。

「ヤッちゃうって……」

 森さんが、とても拙い言葉を出したので、僕は少し恥ずかしくなった。心なしか、顔も熱い。

「発想が貧困だから、例えが思いつかなくて、身近で起こったこと話しただけです!」

 森さんは、自分の言ってしまったことの気恥ずかしさからか、咳払いをし、そして一転して真剣な表情になる。

「森さん?」

「――それはどうでも良いんです。私が言いたいのはただ1つだけ」

 僕の顔を真っ直ぐ見据え、森さんは、言葉を紡ぐ。

「私には、貴方がそんなことをするような人には見えない。それだけです」

 と――。

 僕は目を見開いた。

「だから、藤平さんは嘘を吐いていると思ったんです」

 空言ではない。皮肉ではない。誇張を含んですらいない。

 彼女の微笑からは、本気が伺えた。この人は、あまり知らない筈の僕のことを信じ切っている。僕はそう思った。

「僕が、悪い人じゃあないっていうのはどうして?」

 その根拠を僕は知りたかった。僕が訊ねると、森さんは、黙って僕の顔に手を伸ばしてきた。

 普通こうされた時、人はどんな反応をするのだろう? 手を払う、驚いて頭を引く、およそこんな所だろうか。

 でも、僕はこの時、そのどちらも出来なかった。呆けてしまった、否、見惚(みと)れてしまったのかもしれない。どちらにせよ、彼女の手は、僕の眼鏡のテンプルに掛かり、僕はされるがままに眼鏡を奪われてしまった。

 視界が、霞んだ。霞んで分からなかったけれど、

「優しそうな目をしてます。優しそうな顔をしています」

 そう言った森さんは、きっと笑っていた。――そう思ったのは、彼女の声色がとても優しく心地良かったから。

「それじゃ、駄目ですか?」

 そして、僕の願望。こんなにも嬉しいことを言ってくれているのだから、笑っていたら良いなと思ったから、きっと僕には彼女の笑顔が見えたのだ。優しそうだなんて言われたことがなかったから。笑顔を幻視してしまうほどに、僕は幸福で、どんな言葉を返して良いのか、分からなかった。

 まるで熱に浮かされたかのように、頭がぼうとする。

「あ、の……」

 呂律が回らない。この気持ちをどんな気持ちで表せば良いのか分からない。幾つか言葉を考えて、けれどどれも言うには気恥ずかしくて、

「眼鏡、返してくれない? 俺、それ無いと何も見えないから」

 僕はそんなことしか言えなかった。

「ごめんなさい」

 僕の言った言葉で、森さんは眼鏡を僕に返す。僕の世界に、鮮明さが戻った。すると、僕の目を、というか眼鏡を見つめて、何故か残念そうな顔をしている森さんがいた。

「どうしたの?」

「い、いえ、何でもないです」

 僕が訊ねると、何故か慌てたような様子であった。僕は、そんな森さんのことを不自然に思いながら、じっと顔を眺める。気のせいかと、僕はキャラメルマキアートを喉に流し込んだ。少し生温くなりはじめていたけれど、相も変わらず香ばしい甘みは生きていた。その甘みで僕は漸く落ち着くことが出来、キャラメルマキアートをテーブルに置いて、話始める。

「……うん。俺のことをそんな風に見てくれたのは、その、なんだ、嬉しい」

 嬉しいなんて、そんな単純な言葉ではこの気持ちは表せないのだけれど、でも逆にどんな言葉を与えたら良いのかも分からなかったから、とりあえず嬉しいと僕は言った。

「でも、俺が謹慎を食らったのは、本当なんだよ」

「え?」

「俺が悪いわけではないけれどね」

「どういう意味ですか?」

 僕は、森さんに僕が起こした事について話した。知らない人に、あれこれと自分のことを話すのは不自然なことなのかもしれない。けれど、僕は話すことに対して不思議と、違和感を抱くことは無かった。

 そもそも、本来話すのも嫌な出来事である筈なのに。どうして、あんなことが起こってしまったのか、僕が学校で受けている扱いも含めて、事細かに僕は森さんに話した。

 森さんは神妙な顔付きで、何も言わずに、僕の話をただただ聞いていた。

 そして、僕が話し終えた後も、腕を組んで押し黙っていた。

 一体、森さんは僕のことをどう思っているのだろう。僕の立場を哀れんだのだろうか。それとも、弱虫で情けない奴だと軽蔑したのだろうか。

 2人の間に流れた沈黙が重く、辛く、僕の喉をじわりじわりと締め付けるようだった。

「不思議です」

 沈黙を破ったのは森さんだった。

「何が?」

「藤平さんの何を怖れるのか……。不思議でならない」

 森さんは、真顔のまま、右手の人差し指と中指を頬に付け、薬指と親指で顎を挟むように当てる、変わった仕草をする。――そういえば、前もこの変わった仕草をしていたから、多分森さんが熟考する時の癖なのだろう。

「こんだけデカくて、恐ろしげな見た目で、おまけに声まで怖かったら、普通びびるんじゃあないか? 変な噂もあることだしさ」

 僕は的確な答えをした。だが、

「それにしたって、怖がられ過ぎです。理不尽にも程がある」

 森さんはそう反論した。

「どうにかならないんですか? その、藤平さんに下った処分は」

「翔太郎――俺の友達や、部活の仲間がなんとかしてくれるって言ってたけど、どうなるかは俺にも分からないや」

 僕は、乾いた笑い声と共にそう言った。すると、森さんは、

「藤平さんは、何かしないんですか?」

 と僕に訊ねる。

「自分のことですよね? 人に頼るだけじゃなく、自分で何か出来ることをしようとは思わないんですか?」

 森さんの言っていることは、正論だった。自分のことを自分で。当たり前の話だ。僕だってそうしたい。翔太郎や皆が僕のことで頑張るなんて言ってくれるからこそ、よりそう思ってしまう。

 でも、

「今の俺に出来ることある?」

 現実はこうである。本来僕は自宅謹慎の身。そもそも引きこもりを余儀なくされる人間に出来ることなどありはしない。

 僕はそれを思い、溜息を漏らした。

 森さんは、また『例の仕草』をして、うんうんと唸っている。そして、急に、

「あっ」

 と声を上げた。けれど、森さんは、

「いや、これはない」

 と、首を横に振りながら、独り言のようにそう呟いた。

「何? どうかしたの?」

「……1つ、思い浮かんだんですけど、これ位は流石にもうやってるだろうし」

「別に良いから言ってよ」

 僕は、森さんを促した。すると、森さんは躊躇いながらも、

「菓子折りを持って謝りに行く……」

 と小声で答えた。

「えっと……」

「やってますよね。やりましたよね、そんなこととっくに。分かってます、分かってますから言わなかったことにして」

 文字通り顔を覆っていた。まるで、小学生並の発言を堂々と言ってしまったことに気がついたかのように。けれど、実際は、

「やってないけど」

 ――だった。

「それは……。一応、形だけは、藤平さんが加害者なわけだから謝りに行くのが普通なんじゃ」

「いや、謝りに行ったところで、取り合ってくれないというか、余計に事が大きくなるというか」

 そう言うと森さんは、訝しげに僕の顔を見た。

「――話した通り、俺は皆から怖がられているから。謝ろうとしても、怖がらせてしまって、こっちの気持ちなんて伝わりようがないから」

 僕は、森さんに説明した。謝るという人として出来て当たり前のことを、どうしてやらなかったのか。いや、思いつくことすら出来なかったのかを。

「諦めじゃないの」

 森さんは、僕の言ったことをそう評したが、畢竟するにそういうことである。

 僕はもう『謝ること』に関してそんな感情を抱いているのだ。普通に謝ることくらい出来ればと思ってはいるが、その思いはどんどん小さくなっていっている。僕にそれを許してくれるのは、翔太郎のような極少数の『特殊』だけだと、敗北主義にすら走っている。そして、それで良いんだと、全く思えない情けない自分がいる。

 僕は、それを思い、俯いた。

「……それで良いんですか?」

 僕は自分の耳を少し疑って、顔を上げた。目の前の可憐な人が発しているとは思えない怒気を含んでいる声だった。しかも、彼女は歯軋りさえしている。

「森さん?」

 僕が、恐る恐る彼女の名を唱えると、森さんはテーブルを大きな音が出る程強く殴りつけた。

 他の客達のざわめきが起こる。

「確かに、何も伝わらないかもしれない。怖がられて嫌な思いをしたりだってしますよね」

 しかし、彼女はそれを気に止めることもなく、話し続ける。

「意味だって、無いかもしれないでしょうね。でもやれることあるならやった方が良い筈です」

 そう言った森さんの面魂は――女の子に使う言葉ではないのかもしれないけれど――いとも精悍であった。僕は何も言葉を発することもなく、彼女の顔をじっと見つめ続けた。すると、彼女は、

「ごめんなさい。今の私、とてもうざかったよね?」

 と頭を下げた。

「いや、そんな」

「分かってます。自分でもちょっと、図々しいかなって思ったから」

 自身の言ったことを恥じて、森さんは赤面した。

「迷惑ですよね。あまり貴方のことを知りもしない私にこんなこと言われたって」

 森さんはそう言うけれども、

「全然」

 僕にとっては本当にありがたい言葉であった。神託と呼んでしまっても、誇張はない。

「本当に助かった。この度し難い程の弱虫を叱咤してくれて有難う」

 僕の言葉を受けると、森さんは瞬きを二度し、数瞬間の後に顔を綻ばせた。

「森さん、俺、ちゃんと謝りに行くよ」

 僕はそう言って、キャラメルマキアートを飲み干し、立ち上がると、

「それじゃ、俺、早速菓子折り買いに行くから」

 僕は森さんに別れを告げ、店を出ようとした。しかし、僕は直後にその足を止めた。森さんが僕の服を掴んでいたからだ。

「あの、森さん?」

「す、すいません。藤平さん」

 僕を引き止めた森さんは、どうしてか申し訳なさそうに、顔を逸らしていた。何かを言いたげなのは見て取れるのだけれど、口を真一文字に(つぐ)んだままだった。

「どうしたの?」

 と、僕が口を開くと、大衆の中という状況にいても、感情を露にし、僕に激を飛ばした人と思えないようなか細い声で、あの、そのと繰り返した後、

「もし良かったら、私も着いて行って良いですか?」

 と、僕に訊ねた。

 先ほど、僕の怖れられっぷりを説明したところなのに、どうして僕に着いて来ようとするのか疑問に思いはしたけれど、

「良いよ」

 人に嫌われることが、何よりも嫌いだから――特に森さんに対しては一層その感情を強く感じたから、僕はそう返した。

 恐怖が服を着て歩いてるような大男と、可愛らしい少女という絵面が出来上がることに、『職務質問』へのリスクを覚えながら。


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