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第8話 終わる1日と、そして始まる……

 ジーオン2階の自販機が傍に置いてあるベンチでは、鏡華が頭を抱えて座り込んでいた。

 傍の床には結構な量の袋が置いてある。それらの袋に書かれている店名は、全て服屋に属する店のものだ。

 今の鏡華の服装は自宅を出る前とは違い、半そでのTシャツの上に同じく半そででチェック柄の、生地が薄い上着を羽織って装飾の付いていないシンプルなジーパンを穿き、黒くつばの無い帽子を頭に乗せたボーイッシュなものとなっている。

 それはきららに買ってもらいその場で着用した、新品当然の代物だ。

 ランジェリーショップできららに痴態を見られた鏡華はあの後、お通夜の様なテンションでされるがままにきららに付き合った。

 きららも、隠してあったエロ本を親に見られた男子の数倍は深いであろうな傷心を負った鏡華に追い討ちをかける気は無かったのか、適当に何着か下着を見繕うと早々にランジェリーショップを立ち去り、その足でGオンの中の服屋を何件か回って男物と差異が少なく尚且つ鏡華に合う服を数着、手早く買っていきそして今に至る。

  そんなわけで、サイズにあった真新しい服を身につけしかし沈鬱な雰囲気を纏った彼女の隣に、自販機から買ってきた2本の缶ジュースを持ったきららが苦笑した顔でベンチに腰掛けた。


「だからお姉ちゃん気にしてないってば、女の子だけど男の子だもんね。そういう事に興味持ってもしょうがないわよ、それに正直ほっとしてるのよ?貴方そういう事にも全然興味無さそうにしていたから若干心配してたのよ。部屋漁ってもエロ本の一つも無いし」

「もういっそ殺してくれ……」


 きららの慰めが、逆に痛い。


「馬鹿な事言わないの、ほらこれで機嫌直しなさいな」

「冷たっ……って子供じゃないんだからこんなので……」


 突然頬に伝わった冷たい感触に驚く鏡夜だったが、受け取って見ればそれは有名メーカーの、りんごに簡素な目と口がついたキャラクターのかかれたイラストが特徴的なりんごジュースだった。甘党な鏡華は果実系のジュースも守備範囲に入っており、このジュースもたまに飲むくらいには好みのものである。

 ぼやきながらも拒む理由は無くプルタブを開けて口をつけた鏡華は、伝わる味に何か漠然とした違和感を感じて缶から口を離した。


「ん……?」


 再び口をつけて缶を軽く傾ける。

 口内に流れ落ちる液体を、探る様にじっくりと舌で味わう。


(……あ)


 そして漸く、鏡華はその違和感の正体に気づいた。


「……何か、いつもより美味しい?」


 りんごの甘みと香りが、いつもより若干増している様な。

 口内のものを飲み込み、何か変わったのかと缶をくるくる回してみるが特にいつもと違いは無い。

 そんな鏡華の様子を見たきららは何か閃いたらしく、『もしかして』と前置きをして言った。


「性別が変わったせいで味覚とかも変わったんじゃない?性差によって五感の精度に違いがあるってのはよく聞く話だし」

「それは……有りえるかも」


 三度、缶に口をつけて今度その尻をぐいっと持ち上げると、缶の中身が勢い良く流れてきた。

 鏡華はそれをごくごくと喉を鳴らして飲んでいく。

 舌をなぞるジュースの味は、やっぱりいつもより甘く、口内に広がる香りはいつもより濃い。

 だがそれは不快なものでは無く、むしろいつも飲むそれよりも好みだと言えるものだった。

 しばらくして缶を口から離すと、ぷはっと息を継ぐ音が小さく漏れる。

 その小さな口元に、思わず笑みがこぼれた。


「……なんか、この体になって良かったって今初めて思ったかも知れない」


 『子供じゃないんだから』とは一体何だったのか。あっさりと機嫌を直した鏡華に、遠い目をして何とも微妙な表情をしたきららが言う。


「……さっきそこにさ、アイス売ってたんだけど……一緒に食べる?」

「……ま……まぁ、きららさんが食べたいというなら付き合おうか。別に俺はどっちでもいいんだがな!」

「ああうん、そうね…………昔から思ってたけどこの子意外とちょろい……てか、何か前よりもちょろくなった……?」

「何か言ったか?」

「んーん、別にー……」


 女性は感情が表に出やすいと言うが、それは今の我が子にも当てはまるのだろうか。

 その口ぶりとは裏腹に、男の時は殆ど見せる事の無かった分かりやすいにやけ顔をしている鏡華の今後にきららはなんとなくだが、一抹の不安を感じざるを得なかった。



 

「……脳、肉体、血液、免疫機能、後その他諸々、全てオールグリーンだ。若干免疫機能が常人より劣ってはいるのと少し痩せ過ぎではあるが、とりあえずは完全な健康体と言っても差し支えは無いな。一応DNAも検査しているがそっちの結果はまた後日だな」


 白い壁に、白で統一された調度品。棚には言語問わず医療本が所狭しと並び、一つだけ置かれた机に備えられたスクリーンにはレントゲン写真が貼られている。

 全体的に落ち着いたレイアウトで纏められたその部屋は、もりびと荘の地下に存在するRWG巻波支部の診察室だった。

 そこの机の前に置かれている椅子に腰掛けるのは煤の様に黒ずんだ灰色の髪と女受けしそうな凛々しい顔が特徴の、眼鏡をかけた白衣の男。

 手に持つカルテを眺めながらその中身を語る彼の目の前では、鏡華が神妙な面持ちでもう一つの椅子に座っていた。その後ろにはきららも立っている。

 実は買い物を終えた二人はその後とある用事の為、自宅には帰らずにRWG巻波支部へと寄っていたのだ。


「なるほどねぇ……それってつまりあれよねしん君、言い換えるならこの子は完全な女の子って事よね」

「まぁそういう事だ。くくっ、しかしまぁ……あの糞生意気なガキが、ねぇ……くくくっ」


 きららに『進』と呼ばれた白衣の男は、堪え切らないと言った様子で含み笑いをした。

 彼の本名は『煤達進すすたちしん』。RWG巻波支部の医療部門長、つまりは巻波支部の医療部門のトップである。


 ここで少し話がそれるが一つ説明をしておくと、RWG巻波支部という組織は、支部所長を頂点に強い権限を持つ3つの役職とそれに連なる4つの部門で構成されている。

 まず所長に次ぐ権限を持つ副所長。

 その次に技術部門長と医療部門長が同レベルの権限を持ち、その他の一般職員達は一纏めで一番下に置かれている。

 ちなみに、戦闘部門の人間は任務中のみ現場においてある程度の独自行動が許される、各部門長は所長の許可が要るものの独自の裁量で副部門長を任命する等してある程度の権限を与えられる等、幾つかの理由により一般職員の中でもその権限には多少の上下が存在するがここでは深く語る話ではないので割愛する。

 そして所長以外の強い権限を持つ3人が統括する4つの部門が技術部門、医療部門、事務部門、そして戦闘部門だ。

 戦闘部門と事務部門は副所長が、技術部門は技術部門長が、医療部門は医療部門長がそれぞれ統括している。

 これが巻波支部における大よその組織構成なのだが、一組織としては若干大雑把なものだと思われるかもしれない。

 しかしこれはRWGという組織そのものが現場主義気質である事に由来しそれ故に、総本山である本部は別だが、巻波やその他の支部はフットワークを軽くする為にその構成が本部と比べて大なり小なり簡略化されているのだ。ちなみにその流れで、全ての支部共に組織構成の雛形自体はは大体同じであるものの運営がし易い様、各支部によって細かい構成に若干の違いが存在する。


 と、巻波支部の組織構成についての簡単な説明を終えたところで話を戻そう。

 進が率いる医療部門の主な職務は『医療』と言う単語の示す通り、全職員の肉体精神両面での健康管理と、戦闘部門に所属するブレイカーが任務中に負傷した際の治療だ。

 そして支部内に医療部門なる部門が設置されているからには当然、彼らの職務の為の医療設備やそれ専用の部屋も支部の基地内には配置されている。

 そんな訳で現在、鏡華は巻波支部の設備を用いて謎の女体化による肉体の変調が無いかを――そもそも女体化という時点で変調とかそういう問題をとうに超えているのだがそれは一旦置いといて――検査されていたのだ。

 その結果は先程進が述べていた通りの異常無しオールグリーン。それは鏡華の体が健康体である事を意味するが、逆に言えば肉体に異常が無いという事は、見た目通りの完全な女性体になっているという事でもあった。

 とは言え鏡華としては、今まで散々全裸見たり見られたり胸揉まれたり揉みかけたりした身の上で今更『貴方の体は完全な女性です』と言われても正直『ああやっぱりな』ぐらいにしか思えない。

 むしろ、何故か自分を見て可笑しそうにくつくつと笑う進の態度の方が不快であった為、鏡華は感情をあからさまにして言った。


「よく分からんが、何か良くない事を考えている事だけはよく分かった。相変わらず胡散臭い笑い方ですね」


 年上かつ職場の上司相手だという配慮の一切無い鏡華の言葉に進は肩を竦める。


「いやなに、中身がお前みたいな糞ガキなのがちょっとばかしアレだが良く見れば結構良い女じゃないかと思ってな。まぁもう後4、5年経った方が俺好みになりそうだがまぁ良い。どうだ、俺が直々に夜の特別検査でもやってやろうか?」

「ええもうやーだー!進君ったら子供の前で大胆なんだからぁ!」

「すみません僕ちょっと10歳以上年上の方は範囲外なんできららさんはちょっと……」


 進から今までの飄々とした感じがその一瞬だけ、消えた。


「何よそのマジな断り方は!何貴方自分の事7歳だって言いたいの!?サバ読むにも程があるわよ恥を知りなさい!」

「きららさんはやはりもう少し自分の発言を顧みるべきだと思うんだ。後医療部門長は今すぐ死んでください」


 激昂して全力でブーメランを投げるかの如き発言をするきららを嗜めながらも、進のセクハラ発言に対して毒を吐くのも忘れない鏡華。

 一方毒を吐かれた進の方は、鏡華を見るとつまらなさそうにため息をついた。


「はぁ……人が場を和ませてやろうと小粋なジョークを言ってやったのに、やっぱ糞ガキは見た目可愛くなっても糞ガキだったな」

「そうよね17歳の私が無理だなんてそんなのジョークに決まってるわよね!」

「いやちょっと何言ってるか分からないっすね」

「何なのよもう!激おこよ!」


 若者っぽい単語を使っているのがある種の17歳アピールなのかどうかはともかくとして、きららが先程から進の言葉に割り込んで茶化しているのはもしかして自分を気遣っての行動なのかもしれない。

 それならそれで嬉しくはあるが、しかしだからと言って自爆芸はどうなのだろうかとも若干思ってしまう鏡華だった。


 検査結果を受け取った後、きららは鏡華を連れて診察室の自動ドアを開き廊下に出る。

 巻波支部の階層は地下1階と地下2階に分かれるが、そのどちらもが環状の廊下から、その外周部に作られた幾つもの部屋。それと環中央の巨大な『特殊訓練室』に通じる仕組みとなっており、その為部屋から出ると必ず二手に分かれるようになっていた。

 その例に漏れず二手に分かれていた廊下の右手側を進む二人は、やがてある所で立ち止まる。そこは『第1研究室』と書かれたプレートの張られた扉の前だった。

 支部内の全部屋共通の、縦に長い押しボタン式の開閉スイッチが付いた自動ドアを開いて中に入った二人を待ち受けていたのは、一般的な学校の教室並かそれ以上の広いスペースと、適当な位置に置かれた大量かつ雑多な機械。そしてそこで何やら作業をしていた数名の職員だった。

 その職員の一人、進とはまた趣の違う研究職らしい白衣を着た黒髪の青年が、扉を抜けてきたきららを見て「竜胆主任」と声をかける。

 きららの役職はあくまでも技術部門長であり『主任』と言うのは本来正しく無いのだが、『部門長』は呼びづらいという事で巻波支部の技術部門の間では、呼びやすく何かそれっぽいという理由で技術部門長の事を『主任』と呼ぶ、そんなローカルルールが以前から定着していた。


「もう用事の方は済んだんですか?……って、どちらさま?」


 きららの後ろに見慣れない少女の姿を認めた職員が、首をかしげる。


「ん?鏡ちゃんの妹の鏡ちゃん。それよりも走査機スキャナライザーって今使える?」

「え、ええそりゃあ勿論……って妹の鏡……え?」


 変にややこしい言い方と『鏡ちゃんの妹』の存在を知らなかったせいで困惑する職員を気にも留めず、きららは部屋の奥にある机の上に乗っている白い腕輪を手に取るとそれを鏡華に渡す。その腕輪からは一本のコードが延びており、それは同じ机に乗っていたデスクトップPCに接続されていた。


「はいこれ、着け方は分かるわよね。着けたらすぐ走査スキャンするから、その間は……あったあった」


 そう言って近くにあった椅子を鏡華の傍に持ってくる。


「はい、ここに座ってて」


 そして自分は腕輪と繋がっているPCの前の椅子に腰を下ろした。

 差し出された椅子に座った鏡華が腕輪の継ぎ目についてる留め具を外すと、カチンと音がなって腕輪が開く。

 そのまま鏡華は開いた腕輪の内側を右手首の辺りに添えて再び腕輪を閉じる。それが腕を囲んだことを確認すると留め具で固定し直した。

 腕輪は鏡華の腕には多少緩い様で、腕を振ると連動してふらふらと揺れ動いた。


「それじゃ始めるわよ、楽にしてていいからねー」


 きららの声と共に鏡華が着けた腕輪からピ、ピ、と規則的な電子音が発せられた。

 その腕輪の名は走査機スキャナライザー。装着者の魂と一体化しているセイバーの状態を、文字通り走査スキャンして接続されているPCへの出力を行える機械である。


「んー……ちょっといつもみたいにセイバーを出してみてもらっても良い?」

「分かった……んぐぐ……」


 鏡華は椅子に腰掛けたまま、右手を前に出して何かを握る様に軽く開いて、いつもセイバーを顕現させていた時と同じ様に念じる。

 ……しかし以前と、女になったばかりの時と同じくセイバーは顕現の気配すら見せなかった。


「むぅぁぁぁぁ……!」


 思わず立ち上がり、喉から声を振り絞ってもセイバーが顕現する際の、全身の力が一点に収束する様なあの感覚は微塵も感じられない。

 科学的な雰囲気の部屋にそぐわないポーズをしてそぐわない唸り声を上げる鏡華に、周りの職員達の怪訝な視線が集まっていく。


「あー……もうそのくらいで良いわよ?」

「ええ!?も、もうちょっとだけ!」

「はいはい良いからもう一度座って楽にしててねー」

「うぐ……」


 鏡華の様子と目の前のモニターを見て何か思うところがあったのか、少し眉を顰めて鏡華の奇行を止めるきらら。

 鏡華はそれでも諦めきれずに食い下がったものの、きららに軽くあしらわれてしまい仕方なくしょんぼりした顔で座り直す。

 その後すぐに、走査は終了した。


「うーん……こりゃまた何ていうか……」

「……やはり何かあるのか……?」


 走査が終わった後、しばらくPCのモニターと睨みあっていたきららが微妙な顔で空を仰ぐのを鏡華は不安そうに見つめていた。

 そんな鏡華の様子を見たきららは、困ったように苦笑しながら否定する。


「いやね、どちらかって言うと……何も無いって言ったほうが正しいの……かな?」

「……?どういう事だ……?」

(それはこっちが聞きたいんだけど、ねぇ……)


 自身の曖昧な言葉に疑問の目を向けられたきららは、むしろ自分が頭を抱えたい気持ちになっていたのだがさすがにそんな姿を目の前で不安そうにしている息子もとい娘もとい妹に見せるわけにもいかず、脳内で状況を整理しながらゆっくり話し始めた。


「今回の走査は、貴方の一番新しい走査データと比較しながらやっていたんだけど……両方のデータには誤差程度しか差異が無かったのよ。とりあえず、平常時はね」

「なっ……そんな……」


 鏡華が驚くのも無理は無い。

 しかし当たり前の事ではあるが電子機器の出力結果は入力装置が誤作動を起こさない限り、嘘をつく事が無いのだ。勿論、走査機が誤作動を起こしている可能性も無きにしも非ずだが、常日頃からの点検は怠っていない。

 後でまた点検はしてみるが、故障の可能性はまず無いと見て間違い無いだろうと言う技術部門長としての自負がきららにはあった。

 そして、そんなほぼ100%正確であろうデータを見る限りでは、平常時、つまり楽な体勢で居る時のデータは、最新のものである数週間程前に行った定期健診の際の走査データと殆ど変わらなかった。つまり、問題無しであったのだ。

 とは言え、これだけなら本当に問題の無い様に思えるが、真にきららを悩ませているのは別の所にあった。


「でも本題はこの後なのよ……貴方今、セイバーが自分の『中』にあるの、感じられる?」

「ん……まぁ、いつもと同じ感じ……だな」


 ブレイカーは自らの魂の中に存在するセイバーの存在を、常人には無いある種の感覚を持って意識的に認識する事が出来る。

 鏡華は、自身の体内を探る様に神経を集中させる。すると魂の中にあるであろうセイバーが、男の時と同じ様にそこにあるのを感じられた。


「そりゃそうかー、データだってそうなんだしねぇ……それじゃあさ、ちょっと中の感覚を感じながらちょっとセイバーを出してみてくれる?あ、さっきみたいに力まなくても良いわよ?」

「分かったけど…………やはり出ない。中のセイバーがぴくりともしないんだ……」


 はぁ、と肩を落としてため息をつく鏡華。


「やっぱりねさっき私『何も無い』って言ったけど……貴方がセイバーを出そうと頑張っていた時、反応が平常時と全くって言っていいほど変わらなかったのよ。これがちょっと厄介でね……普通ならそういう時はセイバーそのものや所有者自身の体調なんかに何かしらの不調があるものなのだけど、そんな様子も無いしねぇ……」

「きららさんでも分からないのか……」


 きららの所属する技術部門は主に反転世界関連の研究、技術開発に携わる部門であり、『対ディザイア用』の武装であるセイバーにも当然造詣が深い。

 しかしそんな彼女でも匙を投げる問題が自分には起こっているらしい事に、鏡華はがくりと項垂れた。

 落ち込んだ空気を払拭する様にきららは両の掌を打ち合わせてパンッと音を鳴らすと、表情を明るくして言った。


「ま、とりあえずこっちについてはもうちょっと詳しく調べてみるけど、とりあえずは身体の方もセイバーも即対応が必要って程では無さそうだし、後は所長に顔見せだけして帰りましょっか?」

「あ、ああ……」


 正直今すぐにでも出来る物なら即対応して欲しいのだが、とは言え出来ないというのならば今日のところはしょうがない。なんせ今死ぬわけでも無いのだし、多分。

 内情を知る者では無いとよく分からない会話をする二人に?マークを浮かべながら遠巻きに見守る職員達を置いて、二人は第1研究室を出ていった。





「話は聞いてるよ鏡夜君。今回の件は大変だっただろう、今日はもう帰っていいからゆっくり休むと良い。それと、明日からは『竜胆鏡華』の網膜を、あくまでも職員では無いためにゲストとしてだけどセキュリティに登録しておくから、職員同伴であればいつでも入れるはずだよ」

「はぁ……」

「どうかしたかな?」

「あ、いえ……」


 きららと共に1階の所長室に足を踏み入れた鏡華に対し、淡々と労いの言葉をかけてくれたのはRWG巻波支部所長『中管次なかかんじ』だ。

 女体化した鏡華の体を見るのは初めてであろうはずなのに、これっぽっちも驚く素振りを見せない管次に、鏡華は内心で若干の驚きを覚える。

 管次は4、50程度の齢の見た目に、少し白髪が混じった黒髪と痩せ気味の体躯で、偉い人というよりかはささくれたサラリーマンと言われた方が違和感の無いであろう背格好をしているのだが、その覇気の無い見た目のせいか逆に何を考えているか分かりづらくこれはこれで上に立つ者に向いているのかもしれないなと、鏡華は表情に乏しい目の前の彼を見てふと思った。


「我々としても君の様な優秀な人材を失うのは惜しいし、私としても支部の仲間を放っておけないから、君の身に起こった異常に関してはこちらでも引き続き調査させてもらう。それと、大鎌の男についてもね」

「大鎌……!?所長はあいつの事を何か知っているのですか!?」


 大鎌の男。

 鏡華はその名が出た瞬間、無意識的に一歩前に踏み出して思い切り声を荒げてしまう。

 その様子に、相変わらず何を考えているか読めない曖昧な表情で、所長は言った。


「それについては多少なりとも機密事項が関わってくるから申し訳無いが、今は言えない。まぁ、これ以上長話もしてもなんだし、きらら君。鏡夜君……いや、今は鏡華君というべきかな、彼女を家まで送ってあげなさい。その後はまた話があるから、ブリーフィングルームに行く様に」

「き、機密事項って……」


 納得のいかない様子で更に一歩前に踏み出して問い詰めようとした鏡華の手をきららが握る。


「所長のそういうあっさりしたところ、私嫌いじゃないわ。それじゃ行くわよ鏡ちゃん」

「ちょっちょっときららさん……!」

「はいはーい」


 抵抗する鏡華の手を無理やり引っ張りながらきららは所長室を出るのだった。

 管次の表情は、相変わらず曖昧な物だった。



 その日の夕方、鏡華は自宅で夕飯の用意をしながら所長室での事を思い返し唇を尖らせていた。

 

「なんだよ機密事項って、当人にぐらいは教えてくれたって……」


 男の時から着けていたシンプルなエプロンを着けて、ぐつぐつと煮える鍋の中の味噌汁をかき混ぜながらきららはぶつくさと文句を言うものの、所詮自分は臨時職員つまりはバイト。何か言ってどうにかなる立場では無い事は分かっているし、自分には分からない様な事情が上の人達にあるのも分かっている。

 しかし自分の事のはずなのに蚊帳の外に追い出されているという事実に釈然としないのも確かであり、行き場の無い気持ちばかりが募って彼女は今日何度目か分からないため息をついた。





「いただきます」「いただきまーす」


 リビングの机の上に並べられた今日の夕飯は白米にアジの開き、小松菜の和え物に肉じゃがと味噌汁という、純和風な構成だ。

 竜胆家の食事は基本的に鏡華がいつも作っているが、その腕はそんじょそこらの主婦には負けない程の物だという自負が彼女にはあった。

 肉じゃがの肉を口に放りこみ、その肉の旨みと程よい甘辛さに、今日も上手く出来たなと内心で自分を褒める鏡華だったが、対面に座るきららはおかずを一口食べる度に何故か考える様に首をかしげ、それを何度か繰り返すとやがて得心が行った様にはっとして鏡華に言った。


「鏡ちゃん、ちょっと今日の味変えた?なんか若干いつもより甘めな気がするんだけど」

「ん?いや別に、いつも通り味見をしながらだからそんな変わってはないはず……」


 と、そこまで考えてGオンでジュースを飲んだ時の事を思い出した。

 そういえば自分の味覚が以前と違うなら、料理の味が変わってもおかしくは無いはず。


「まさかこんなところにまで弊害があるなんて……口に合わなかったか?」

「ううん、全然。これはこれで美味しいし」


 若干不安そうに尋ねたものの返答を聞くとほっと一息ついた鏡華に、そういえばと前置きしてきららが話し始める。


「あの最後のやつはごめんね。貴方が会ったのはちょっと厄介というか面倒というか、まぁ色々余計な事が関わってくるからどうしても言えないところが出て来ちゃうのよ」

「大鎌の男の話か?……まぁ、はいそうですかと素直に割り切れはしないけど、だからと言って俺にどうにか出来る問題でも無いんだろう?だったらきららさん達に任せるよ、この身体の事も含めて、さ」


 結局身体の事も大鎌の男の事も悩んだって解決はしないし歯痒いが自分に出来る事も現状では多分無いのだ。

 だったら丸投げになるのが不本意だが、うだうだと文句を言わずとりあえずは上の人達に任せるのが正しいのだろう。それに、そっちの方が精神的にも楽でありがたい。

 夕飯の支度をしながら考えたその結論を、鏡華は自分に言い聞かせる様に口に出して、ずずず……と味噌汁を啜った。

 うん、旨い。


「まっかせなさい!両方とも、こっちの方で出来る限り優先的に調べてみるし、言える事があれば全部教えてあげる。だから鏡ちゃんは安心して待っててね」


 なんて微笑みながら言うものだから、つられてこちらまで笑みが生まれる。

 そう思いながら今度はコップの中の冷えた麦茶に口をつける鏡華にきららは「あ、そうそう」と前置きをして言った。


「その関係で、明日からちょっと急な出張が入っちゃったのよ。いつ帰れるかは分からないけど、多分何週間とかかかりそうなの」

「ふーん」


 一応それなりに偉い立場にある上に、実は非常に優秀な研究者でもあるきららは色々な理由で余所に出張する事がたまにある。

 だからきららの言葉を聞いても、鏡華は特に驚きを見せずに以前より小さくなった口で麦茶をちびちびと飲む。


「それでね、前までならともかく……女の子一人を家においておくのは、ちょっと危ないと思うのよ」

「……ん?」


 心配そうに手を頬に当てるきららに、鏡華は何故か嫌な予感の様なものを一瞬感じて眉を顰める。

 いやいや、気のせいだろう。

 不安を払拭する様にぐいっとお茶を飲み干そうとする鏡華を余所に、きららが言葉を続ける。


「だからね?――貴方のボディーガードとして、明日からしばらく鶴来君に居候してもらう事になったから。ちゃんと仲良くしてね?」


 はしたなくもブゥゥゥゥ!と漫画の様に口からお茶を噴出する鏡華だったが、対するきららはそのリアクションを予想していたのか語り終えると同時に軽く椅子を引いて、茶の射程圏外に逃れるのだった。

【今日の戯言コーナー】

 いつもが大体5千から7千文字程度ですが今回は約1万文字と、当社比1.5倍~2倍近くの文量になっております。

 区切りの良い所が無かったんや……。

 そんなわけで、というわけでもありませんが、次回はいつもよりも若干文章が短めな『番外編』になる予定です。

 お楽しみに――と言う程、盛り上がる回でもありませんが。主人公出ませんし。まぁでもまた暇つぶしにでも読んでいただければ幸いです。

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