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第27話 つかの間の休息『思い出してしまった物』

 ずきずきと、頭の中に鈍痛が響く。

 何故か体は言う事を聞かず視界もぼんやりと薄暗い。

 つかの間のまどろみにも近く、しかしそれよりも数段不快な感覚を鶴来は感じていた。


(……あれ、俺今何してたんだっけ……)


 目の前に映るのはコンクリートの地面だけ。

 意識のはっきりとしない頭でとりあえず状況を確認しようと考えて、動かない首を無理矢理動かして僅かに顔を上げると、そこで自分がいつの間にか倒れていたらしい事に気づいた。


(なんで俺……って、あれは……)


 顔を上げた先に映るのは誰かの細く小さい足だった。鶴来は僅かに動く首を上げて半ば無意識に、視線の先にある足からその持ち主の上半身へと視線を向けた。

 見えたのは誰かを守る様に手を広げ、漆黒のポニーテールを凛と靡かせる小柄な少女。

 その全体像を把握した瞬間、動かない肉体の中で意識だけが鮮明に浮上してきた。


(鏡、華……っ!?駄目だ、逃げてくれ……!)


 意識は未だどこかぼやけており現状の理解は追いついていないが、鏡華の対峙しているであろう相手が危険な敵だという事は思い出した。が、今の鶴来は「逃げろ」という一言すら発することも出来ない。


「――大事―――な。―胆――……――、鏡夜・・と―――――?」

(今あいつ、何て言った?鏡……夜?なんでアイツがその名前を……え?)


 どうやら聴覚もおかしくなっているらしく男の声は殆ど聞き取れなかったが、それでも一つだけはっきりと聞こえた単語があった。

 『鏡夜』。鶴来が(勝手にだが)ライバルと認めている男の名前。

 だが何故その名をあの男が知っているのか……と言う鶴来の思考は、しかし次の瞬間目の前に見えた景色のせいで霧散した。

 何故ならば、いつの間にか鶴来の目の前で立っている後姿は鏡華の物では無く、『竜胆鏡夜』のものになっていたからだ。


(鏡夜!?何で……)

「――は――――だ!―体何―――て――!」

(っ……そりゃそう、だよな……)


 鏡華の声が聞こえた瞬間、目の前の鏡夜は跡形も無く消えうせて同じ場所に鏡華が立っていた。

 ……つまるところ、どうやら幻覚を見ていたらしい。

 と、鶴来の目の前で突然鏡華の体が横に飛んだ。まさかあの男に殴られたのか。


(鏡華っ、あ――)


 それとほぼ同時、鶴来の視界が一気に暗くなり意識も急激にぼやけていく。


(くそっ、動けよ俺の体、まだっ……倒れてる、場合じゃ、鏡……華――)






「う……」


 鶴来が次に目を覚ました時、視界に映ったのは清潔感のある真っ白な天井だった。

 見知らぬ天井……という訳でもない、むしろよく知っているそこはRWG巻波支部の病室、その一角だった。4人部屋であるそこは巻波支部では怪我人が出る事自体が少ないせいか、現在ベッドで寝ているのは鶴来一人のみだ。


「あれ、ここは……そうだ、鏡華は!?」

「わっ!な、なんだお前起きるなりいきなり人の名前を呼んで!」


 慌てて起き上がりながら叫ぶと、鏡華の声が鶴来の耳に届いた。

 左を見ればパイプ椅子に座ったまま驚いた表情をしている鏡華が目に入る。


「鏡華……あ、あの男は!それにお前大丈夫だったのか!?」

「安心しろ、ここは巻波支部の病室だ。おかげさまで私も無事だし」


 そういう彼女の頬にはガーゼが1枚張られていた。恐らく鶴来が意識を失う直前に見た、鏡華が大鎌の男に殴られた時のものだろう。だがそれ以外には見たところ外傷は無く無事と言うのは本当の様だった。


「鏡華……良かった、本当に良かった……!」


 感極まった鶴来は、思わずベッドから身を乗り出して鏡華を抱きしめた。

 一方の鏡華は、突然の鶴来の行動に顔を赤くして慌てふためく。


「お、おい馬鹿いきなり何をするんだ!?」

「ごめん、ごめんな……俺が弱いせいで、また危険な目に……!」


 鶴来が体を震わせるのが分かる。

 彼の表情は鏡華からは見えないが、それでもその気持ちは痛いほど伝わってきた。


「……ん、私こそごめん。あの男が危険な事は知っていたのに、何も出来なかったのは私の方だから……」


 何だかしんみりとした雰囲気が二人を包むが、それを打ち破ったのは自動ドアが開く音と、


「あのー……良い雰囲気になってるところ悪いんだけど、ちょっと良いかしらー?」


 微妙にばつの悪そうな感じで二人に呼びかけるきららの声だった。


「はっ!?き、きららさん!これは違うんだ、別にそんなんじゃなくてってお前もいい加減離れろ馬鹿鶴来!」

「あっ、ちょ、うわ!」


 鏡華は慌てて鶴来を押しのけるが、そのせいで彼の体が勢い良くベッドに向かって倒れてベッドが大きく軋みを上げた。


「「…………」」 


 示し合わせたかの様に黙ってあらぬ方向を向いた二人に、きららは呆れた様なため息を一つつくも、放っておいたら何時までも話が進まないと思って口を開いた。


「とりあえず鶴来君は反転世界むこうで頭を思い切りぶつけたって聞いてたから心配したけど、その様子なら大丈夫そうね。知っての通り反転世界の傷は出血も無ければ、現実に戻った時に外傷にもならないけど……まぁそれでもダメージは残るから。何か体に後遺症みたいなのも無い?」

「んー……まぁ特にそういうのは無いみたいっすね。ただまだ頭はちょっとずきずきするかな」

「おっけ。まぁ後は進君に見てもらいなさい。とりあえず私達はもう行くから、鏡ちゃんの用事も済んだし」

「うっす。……ん?鏡華の用事?」

「そうそう、貴方が目を覚ますまで一緒にいるってどうしても聞かなくて――」

「わぁーわぁー!何変なこと言っているんだきららさん!ほら早く行くぞ!」

「はいはい押さないの。それじゃね鶴来君」

「まだ起きたばかりなんだから勝手に何処か行くんじゃないぞ!」


 苦笑するきららを無理矢理部屋の外に押し出しながら、鶴来に向かってそう忠告して鏡華は出て行った。

 その後、誰も居なくなった部屋で鶴来は軽く笑いながら呟く。


「はは、そっか……鏡華、ずっと居てくれたんだな。……体張ったかいは、あったかな。でも……」


 全部受け止める、だなんて格好つけて見せた矢先にこてんぱんに打ちのめされて、鏡華も自分を守ろうとして怪我を負わせてしまった。

 一瞬だけ見えた鏡夜の姿を鶴来は思い出すと、自嘲気味に呟いた。


「……こんなんじゃ、あいつに顔向け出来ないな」


 今すぐにでも体を動かしてこの鬱憤を発散したい気分だが、進が来るまでは一応安静にしていなければならない。鏡華にも念を押されたし。

 ちょうどいい機会だと思った鶴来は、再び目を閉じてベッドに伏せると物思いに耽り始めた。

 あの大鎌を持っていた男は結局何者なんだろうか。鏡華は先程『男を知っていた』と言っていたが、明らかに鏡華を狙ったことと言い、やはり鏡華と何か因縁めいたものがあるのだろう。

 ならば鏡華を守るという事は、今後もあの男やそれと同格以上の脅威に接触するかもしれないと言う事だ。

 もし次にその様な相手と相対した時、自分はどうするのだろう。と、一瞬だけ考えたがその結論は自分でも驚くほどすぐに出た。


(……何があっても鏡華は守りたい。やっぱそれだけは絶対に変わらないな)


 先ほど無事な鏡華の姿を見た時、心の底から自分の無力さを悔やんだがそれ以上になにより、鏡華の無事そのものに心の底から安堵して、そして喜んだ。

 思わず抱き寄せてしまった時の、彼女の感触もその身の暖かさもはっきりとこの両手に残っている。

 自身が一度死の淵へと立たされたせいか、それとも鏡華に死の危険が迫ったせいなのかは分からないが、鶴来は自身が目覚めてから自分の気持ちのどこか曖昧だったとある一部分が今、徐々に確たる名を持つ物へと変わっていくのを自覚し始めていた。





 一方、RWG巻波支部1階のミーティングルーム。

 鶴来のいた病室から出た鏡華はその直後、一緒に出た……というか無理矢理退出させたきららに、本来は大人数で使用するはずのその部屋に何故か連れ込まれていた。しかも二人きりだ。ついでに言えば鍵は内側からかけられている為、他の誰かが入ってくる事は無い。

 きららが「どっこいしょ」と年を感じさせる掛け声と共に適当な椅子に腰掛けるが、鏡華は何故だか落ち着かず、結局はきららの近くの壁に背を預けた。そして一息つくときららに問いただす。


「……なんだって、こんな所に?」

「聞きたい事、あるんでしょ?色々と。もうそろそろこっちの都合で隠しておくわけにもいかないしねって思って」

「それは……!」


 真っ先に思い浮かぶもの、それはRWGが隠していた大鎌の男の事についての話だ。

 突然振って沸いて来たかの様なきららの提案に、鏡華は一目散に食いついた。


「……それなら聞かせてもらうが、まずあの大鎌の男は何者なんだ。翔冶さん達は『ネームレス』って呼んでいたけど……」

「何者……と言われるとちょっと困るのよね。その不明瞭さが隠していた理由の一つでもあるんだけど、RWGでも実際のところ、仮の呼称こそあれアイツの正体も目的も不明なの。精々分かっているのは、ここ1年くらいで姿を見せ始める様になった事。全国に出没してはRWGにちょっかいをかけている事。後……これは鏡ちゃんの言ってくれた話とこっちで独自に調べた情報を基にした憶測からだけど、どうもあいつの目的は何かの『実験』である可能性がある事。そしてそれはもしかしたら数年、十数年以上前から継続していて、あいつは色んな所の裏で糸を引いている可能性がある……ってことくらいかしらね」

「それはもしかして、俺が小さい頃きららさんに助けられたって言う『あの時』の事も……か?」

「かも知れない……まぁ、あくまでも憶測だけど。とは言え何らかの意図があって貴方が狙われているのだとしたら、思い当たる節がそこぐらいしかないのも確かだし……って言う感じ」


 ネームレス。大鎌の男と呼称していた彼の存在についての理解は確かに得られたが、しかし余計によく分からなくなってしまった様な気もする。

 何だか釈然とはしないが、目の前のきららも話してる時の表情がイマイチ曇っていたのでおそらくRWG内でもそういう扱いなのだろうと思い、鏡華はそれ以上の追求を諦めた。

 その代わりについでに聞いておきたかった事を幾つかきららに尋ね始める。


「なるほど……それじゃあ二つ目。海の時のあの少年が出した奇妙な武装の正体はもう判明してるのか?それに今日大鎌の男……ネームレスがディザイアらしき生物を腕から生み出していたが、あれも無関係とは思えないし……」

「目下調査中……だけど、これについても結構昔にRWGが摘発した組織の一つが、何かそんな感じの事をやってたみたいなのよね……これについては近日中に何か情報が分かるかも」

「……もしかしたら、そっちもネームレスが裏で暗躍していた可能性もあるのか」

「かもね」

「……3つ目。反転世界に飛び込んだすぐ後、スマホが圏外になってたんだがあれについては?」

「貴方達がネームレスと接触する前後で貴方達の居た地点を中心に約半径1キロ程に、反転世界と現実世界の両方に特殊な妨害ジャミングが施されていたわ。そのせいで通信どころかスマホ内の発信機による位置の特定すら出来なかったし美羽達とも連絡が取れなかったんだけど……ま、予め何かあったらすぐ鏡ちゃん達を探すように彼女達に言っておいたのが功を奏したわね。運良く……て言っていいのか微妙だけど、赤金家の方でも圏外になってたみたいで、それに気づいた美羽達がすぐに貴方達を探してくれたってわけ」

「恐ろしい技術力だな……まぁ、よくよく考えたらの体をこんな事にしたのもアイツだと思うし、それを鑑みれば荒唐無稽な技術力を持っていてもおかしくは無いわけか」

「……んー?鏡ちゃん、今……」

「ん?」

「あー、うん気にしないで。それで、もうこのくらいかしら?聞きたい事は」

「まぁ、そうだな……何というか、分かった事以上に分からない事が増えてしまったというか……」

「ま、でもさすがに直接襲われたとあればいよいよ動き出してる証拠だし、これから情報が集まっていけば良いけど……。ああそうだ、ちょっと鏡ちゃんに渡しとくものがあるのよ。ハイこれ」

「これは……腕輪?」


 きららが服のポケットから取り出したそれはシンプルな形状をした、白色の腕輪だった。

 それは本当にシンプルで何のギミックも仕込まれていなさそうなものだったが、よく見てみれば一箇所だけ、何やら用途不明な小さい緑色の水晶体が嵌っている。


「まぁ、何ていうか……お守り?うちって反転世界の技術を扱う都合状、『魂』や『心』についてもある程度精通してるわけだけど……まぁその技術を使ってちょっとした精神安定用の道具を作ってみたってわけ。鏡ちゃんも鏡ちゃんで最近色々参ってたでしょ?それはつけてるだけで若干だけど精神を落ち着かせる事が出来るから。あ、後簡易的にだけど貴方の精神状態と体調バイタリティの測定も兼用してるから、出来る限り肌身離さず付けていてね?その体も何があるか分からないから出来る限りデータを取っておく必要もあるし」

(最近何か忙しそうだなとは思ってたけど、こんなものを作ってたのか……)


 無論それだけでは無いだろうが、しかし自分の為に時間を割いてもらっていたのは事実だろう。鏡華は礼を述べながらきららから腕輪を受け取って右腕に嵌める。


「ありがとう、それじゃあ使わせてもらうよ」


 きららは鏡華が腕輪を嵌めるのを見届けると、何処かいたずらっぽい口調でそっと耳元で囁いた。


「それと、もし何か辛い事があったらこれに祈りなさい。ちょっとは力になれるかもしれないから」

「は、はぁ……」


 その曖昧な物言いに、おまじないみたいな物なのかなと内心首を傾げる鏡華だったが、直後にきららが言った一言のせいでその疑問は吹き飛んでしまった。


「あ、そうそうそれと今日からは、またちょっと別の所に泊まってもらう事になるから」

「……え?」





「宿泊室……巻波支部ってこんなところがあったのか」


 きららに連れられた鏡華は、巻波支部地下2階の一角にある『宿泊室』と書かれたネームプレートが付いた扉の前に来ていた。

 巻波支部の事を自分の興味のある部屋以外についてはあまり知らなかった鏡華は、少し驚いた表情で目の前の扉を見つめた。

 その横できららが部屋の説明を始める。


「まぁあんま使う事は無いんだけど、たまーに徹夜してやるような案件とかがある時に使ったりするかしらね。予め申請は居るけど、テレビやネット環境も整備されてるしトイレ風呂も完備でベッドは結構ふかふか。カプセルホテルなんかよりはよっぽど快適よ?」

「はぁ……何というか、まぁ仕方ないよな」

「まー体の良い軟禁みたいなもんだからねぇ。許可が取れなきゃ外出も禁止だし……とは言え相手が本格的に動き始めた以上、鏡ちゃんは今後も狙われる可能性が高いわけだからより安全なところに置いておくべきなわけで。せめて安全が確保されるまで、しばらく我慢してね?」


 自分の置かれた状況は、どうやら結構切迫してきているらしい。

 しかし今の体でネームレスなんかと出くわすのは、弱気な発言ではあるが正直勘弁したいのでこれはこれでありがたいのかな。と鏡華は思ったのだった。







 その日の夜。まだ就寝には若干早い時間だが、宿泊室みたいな個室では家事の一つもする事が無く早いうちから暇になってしまった為、鏡華は風呂に入った後、シンプルなパジャマ姿で巻波支部の宿泊室できららが言っていた通り感触の良いベッドに寝転ぶと、目を瞑って一人考え事に耽りだした。


『支え、支えか……成程、随分その男が大事なんだな。竜胆鏡華……いや、『鏡夜』と呼ぶべきか?』


 それは鏡華と対峙した時にネームレスが言い放った一説だ。鏡華はずっと心の中でその言葉に引っかかりを感じていた。


(あの男は私を……鏡夜の事を知っていて、この体についても間違い無く関与している。……が、支えとはなんだ?あれは鶴来の事を指しているのか?)


 脳内で、誰に向かってでもなく投げかけられたその疑問に答える者は、勿論誰も居なかった。そもそも今宿泊室には鏡華以外誰も居ない。それも当然と言えば当然なのだが、しかし一抹の寂しさを感じた鏡華は何と無く、思考を口に出してみることにした。


「……やはりまだ、色々と分からないな。でもあいつはあの戦闘の時、自分の事を『研究者』と言っていた。それに『実験』という言葉も……そういえばきららさんも言っていたな。あいつは何かしらの実験を行っている可能性がある……だったら実験体は私、なんだろうな……」


 不安げな顔を枕に埋める、こちらもやたらふかふかで気持ち良かった。


「……落ち着かないな」


 声を出そうが寂しさは紛れなかった。だが部屋の隅で震えていた時に比べれば随分とマシになったとも思う。

 きららのくれた腕輪のおかげなのか、それとも……。


「……鶴来、本当に大丈夫だろうか……」


 彼は意外にも元気そうだったが、それでも目の前で倒れた姿を見ていた為にどうしても心配になる。


「……でも、とりあえずは無事そうで良かった」


 枕に顔を埋めたまま、ふふっと軽く笑う鏡華。寂しさが、若干紛れた様な気がした。

 そうしてしばらく枕の気持ち良さを堪能した後、鏡華は部屋の電気を消して、また誰にでも無く一言呟いた。


「……おやすみ」




 鏡華はいつの間にか、暗闇の中に佇んでいた。

 何も見えないのに既視感、と言うのも変な話だったがしかし何処かで見た事のある気がするこの景色。だがそれがどこでだったかは思い出せなかった。

 いつまで暗闇の中に佇んでいたのだろうか。いつの間にか鏡華の目の前には一人の男が立っていた。


「お前は……私、か?」


 目の前の男は、かつての自分……竜胆鏡夜の姿をしていた。


「おぉ、今度・・はちゃんと分かったか」

(今度?)


 自分の姿をしているというのに男の言っている意味が今一理解出来ない。それどころか、今の自分が何故こんなところにいるのかさえよく分からないし、何故かそれを知ろうとも思えなかった。


「……何を言っているんだ」

「まぁ、仕方ないか。それよりも今日はお前に伝えなきゃいけない事があって来たんだ」

「伝えたいこと?」

「そう……こいつが、だけどな」


 男の、竜胆鏡夜の姿が霞む様に消えた……かと思えば、同じ場所に現れたのは鏡華のよく知る別の男。


「え……?」


 鏡華の目の前には今、赤金鶴来が立っていた。俯いておりその表情はよく見えない。


「……嘘、ついてたんだな。鏡夜・・


 その声は、何処か虚ろで生気が感じられない。鶴来の同じ声のはずなのに、何処か決定的な部分で違いを感じる声だ。

 だが鏡華にとって、それ以上の問題が今そこにはあった。


「え?……なんで、鏡夜・・って……」


 愕然とする鏡華だが、彼女なんていないかの様に鶴来は喋り続ける。


「信じてたのに。ライバルだって、思っていたのに」

「待ってくれ、これは――」

「俺を騙して、馬鹿な奴だってずっと嘲笑っていたんだろ」

「私は、そんな……そんなつもりじゃ、なくて……」


 鶴来が顔を上げた。しかし漸く鏡華の視界に映った彼の瞳は、かつて見た事の無い程に冷たいもので――。


「――嘘つき」





「違う、私は――!」


 叫びながらベッドから起き上がった鏡華は、そこで自分が今まで夢を見ていた事に気づいた。


「ゆ……め……?」


 頬には冷たく不快な汗が伝い、心臓の鼓動がばくばくと鳴り響く。

 辺りを見渡せば部屋は電気を消したせいで薄暗く、唯一ベッドの側に置いてあるデジタル式の時計だけが『2:51』の文字を明るく照らしていた。


『嘘つき』


 夢の中で見た、背筋が凍る様な冷たい瞳。

 この体で居るのがすっかり当たり前になってしまっていたせいなのか、それとも恐怖に苛まれていたせいだったのか。本来忘れるべきではなかった事実を、あの悪夢は鏡華に思い出させた。


(私は鶴来に、嘘をついている……)


 本来の自分は『竜胆鏡夜』で、しかし今の自分は『竜胆鏡華』として生活せざるをえなくて、いつしか心までかつての『竜胆鏡夜』とは程遠くなってしまったけど……それでも、どこまでいっても『竜胆鏡華』と言うのはその場しのぎでかつて自分がでっち上げた架空の存在でしかなく、自分はあくまでも『竜胆鏡夜』だった人間なのだ。


 鶴来は『竜胆鏡夜』に会う事を望んでいた。そして『竜胆鏡華』を大切に思ってくれている事も知っている。

 だが実際は、もう『竜胆鏡夜』に会えるかは未だ分からず、そして『竜胆鏡華』と言う人間はそもそも存在すらしない。

 もしこの事実を鶴来が知ってしまったならば、彼はどう思うだろうか。


『嘘つき』

「ひっ……」


 思い返すだけで体が竦む。

 あの時の冷たい瞳が、夢のはずなのに気持ち悪いくらいにリアルな感情を感じさせる視線と声が、未だ脳裏にこびりつく。

 怖かった。海で襲われた時よりも、自分の中の恐怖に支配されていた時よりも、ネームレスに襲われた時よりも。

 もし本当にあんな事を言われたら、今の自分では――。


「……お見舞い、行かなくちゃいけないのに……」


 鶴来はまだしばらく入院中だ。彼に助けてもらっている身として見舞うのは当然の事。

 だが……今日は、鶴来の顔を見るのが怖かった。

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