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第24話 彼は貫き、彼女は願う

 アイツはいつだって明るくて前向きで、そしてどこまでも真っ直ぐだった。

 前までは私とは全くの正反対な性格だと思ってたけど、意外と似た者同士かもしれなくて。

 そんなアイツの側にいたら不思議と『自分』が『自分』でいられた気がしたから、アイツにだけは弱い私を見せたくなかった。せめて心だけでも強くありたいって思った。

 だって今の私には――こんな無力な私では、アイツのライバルである資格なんてないのだから。




 

 頑張ろう。前に進もう。

 そう思ったところで、誓ったところで、胸に渦巻く恐怖のカタマリが消えるわけでは無く、それに怯えてしまう自分も変わらなく。

 だから鏡華は義母きららが『鶴来君の家にしばらく泊まらない?』と提案してきた時には一も二もなく飛びついた。

 鶴来の側にいれば、また自分の中の恐怖が消えると思ったからだ。

 実際、鶴来の側にいる間は不思議といつもの自分を取り戻せた気がしていた、まだ頑張れるとそう思えた。

 だが時折胸に、心の中にズキリとした痛みの様な疼きを感じる様にもなった。

 その理由は、そして鶴来の側にいると頑張れた理由もすぐに分かった。


『しっかりしろよ、それでも俺のライバルか?鏡夜』


 あの時の夢で鶴来はそう言ってくれた。

 その言葉が見失いかけていた自分自身を思い出させてくれた。

 お前は『竜胆鏡夜』で、『俺のライバル』だと。

 鶴来にとっては『竜胆鏡華』と『竜胆鏡夜』は別人だし、そもそもあれは鏡華自身の夢の言葉だ。

 だがそれでも当然、現実でも鶴来にとって『竜胆鏡夜』はライバルである事を鏡華は知っていた。

 そして鏡華……竜胆鏡夜もまた、心の底では鶴来の事を張り合える、高めあえるライバルだと認めていた。

 だから、鶴来の前では頑張る気力が湧いてきた。

 だからこそ、今の無力な自分が情けなくて胸が痛んだ。

 今の自分は何も出来ない無力な存在だけど、それでもこの心だけは変わらず在りたいと、せめて心だけでも鶴来のライバルに相応しいものでありたい。いつの間にかそう思うようになっていた。

 しかし――。


「何でっ……私は、こんなに……弱いんだ……っ」


 鏡華は一人、部屋の中で涙を流す。


『お前って最近俺の事全然馬鹿にしなくなったよなって思ってさ』


 分かっていた。心のどこかでは気づいていたのに、気づかない振りをしていた。

 たとえ鶴来の前であろうと、自分はもう以前の様には振舞えない。

 海水浴場の一件で自分の心は完全に折られていた。自分はただ、それでもどうにか折れた心を繋ぎ止めようと鶴来に依存していただけだった。

 それを自覚してしまった今、どうしても情けなくて悔しくて悲しくて……それでも恐怖は消えなくて。

 もう鶴来のライバルである『竜胆鏡夜』はどこにもいない。

 ここにいるのは心も体もどうしようも無く非力で無力なか弱い少女、『竜胆鏡華』だけだ。


「私は……私はもう、『鏡夜』じゃないっ…………」


 深い絶望感の中、ただ嘆き続けるしか出来ない鏡華。

 そんな彼女の耳に、突然ガチャリと部屋の扉が開く音が聞こえた。


「ぇ……?」


 不意に鳴ったその音へと鏡華は思わず顔を向けてしまう。

 その先にいたのは――。


「鏡……華……?」

「ぁ……!」





「――嫌っ……見ないで!」


 鏡華の部屋に踏み込んだ鶴来が聞いた、鏡華の第一声がそれだった。

 鶴来と目があった瞬間にそう叫んだ鏡華はあっと言う間に、自身が肩まで羽織っていた毛布を上に引きあげて顔まで隠した。そして全身を包むと毛布越しでも分かる程に、がたがたと震えだした。

 それを目の当たりにした鶴来は覚悟はしていたものの、その分かりやすい拒絶にたじろいでほんの少しの間口を閉ざした……が、すぐに自分のやるべき事を思い出すとまずは一度、鏡華の名前を呼んだ。


「鏡華」


 その呼びかけに答える声は、無い。

 だがそれでも良かった。何故ならもう、鶴来は決心していたからだ。

 今の呼びかけはあくまでも彼の意思表示、馬鹿は馬鹿なりに馬鹿を貫き通すという決心の表れでしかない。

 鏡華がなんと言おうと何も言わなくても関係無い、と言わんばかりにしっかりとした足取りで鶴来は一歩ずつ踏み出して、鏡華との距離を詰めていく。その度に床の軋む音が鳴り、そしてその度に鏡華を包む毛布が大きく震える。

 それでも鶴来は歩みを止めない。果たして彼はすんなりと鏡華の元へとたどり着いた。

 鶴来は毛布に包まる彼女を見下ろして、再びその名前を呼ぶ。


「……鏡華」


 未だ返答は無い。……正確に言えば返答の代わりに毛布が一瞬大きく跳ねていたが。

 その様子を見た鶴来は悟った。

 今の鏡華は何かを抱えているだけでなく、何かに怯えてもいる。

 それが何かは分からない。彼女が先程自分を見た時のあの反応を見る限り、それは自分に関係のある事かもしれない。それでも……いや、だからこそ自分は貫かなければならない。出来る事を出来る限り、全力で。

 再びの決意と共に、鶴来はそっと身を屈める。

 そしておもむろに――。





 毛布越しに鏡華を緩く、抱きしめた。





「っ……!」


 毛布越しに腕へと伝わる感触で、中の鏡華が身を跳ねさせるのが伝わる。だが鶴来に鏡華を離す気は無い。


「いきなりごめんな、でもこうするしか思いつかなかったんだ」


 見ないでと叫び、怯え切った鏡華の表情を見てしまった瞬間から、こうしなければいけないと鶴来は直感していた。

 毛布一枚を隔てて体が触れ合うそんなほぼ零距離からでないと、今の鏡華にはこちらの言葉が届かない。そんな、根拠も無いのに不思議と確信の出来る直感だった。

 鶴来は鏡華を抱きしめながら一つ一つ、ゆっくりと、自分の気持ちが届くように語り掛ける。


「鏡華、聞いて……くれてもいなくても良い、それでも言わないと始まらないから。だから俺は言うよ」


 返答は無い、それでも。


「鏡華、俺はお前の力になりたいんだ。お前が何を抱えて何に怯えているかはまだ分からないけど……もし俺でも背負える物があるのなら、少しでも良い。俺に背負わせて欲しいんだ」


 鶴来の言葉ははたして鏡華に届いているのだろうか。

 もしかしたら毛布の中で耳を塞いでいて聞こえてないかもしれない。

 それでも。


「……いや、背負うなんていうのはおこがましいかな。結局俺なんかじゃ何も出来ないかもしれないけど……それでももし、もしほんの少しでも出来る事があれば何だってする!俺は馬鹿だから頼りないかもしれないけど、でも馬鹿だから何だって全力でやってやる!だから少しでも良い、お前の抱えている物を、お前の思いを俺に教えてくれ、鏡華!」


 それでも鶴来は言い切った、自分の本音を余す事無く言い切った。

 その上で腕の中の、鏡華の反応を待つ。

 鏡華は素直に教えてくれるだろうか、それとも堅く口を閉ざし続けるのだろうか。

 1秒、2秒、3秒……鶴来が喋り終わってからも尚、鏡華の沈黙は続く。

 だが約10秒程の短くも長い静寂の後、鏡華は漸く声を出した。


「……う……」


 だがしかし、その声と言葉から読み取れる意思は鶴来の予想していた拒絶のそれでも無ければ、ましてや了承なんかでも無く――。


「え?今、なんて――」

「――違う!」


 否定。

 その言葉が予想外であり、その言葉が何を意図しているのかも分からなかった鶴来は、ただただ疑問をの言葉を発することしか出来なかった。


「きょう、か?」

「違う、違う、違う……」


 呆然とする鶴来の腕の中で、鏡華はただひたすらに否定の言葉を吐き続ける。

 それが何を、誰を否定しているのか。まだ鶴来には分からない。


「違う、違うんだ!駄目なんだ、それじゃ駄目なの……駄目、それじゃあ……」

「だ、駄目?それってどういう……」

「『私』では駄目なんだ、『私』は弱いから、『私』では隣に立てない……『私』は、『私』は……」


 鏡華が否定しているもの。それは自分自身だった。

 腕の中で自らを否定し続ける鏡華は、これ以上強く抱きしめたら潰れてしまいそうな程に弱弱しくて、鶴来は胸が締め付けられる様な息苦しさを感じてしまう。


(けど、なんだろう)


 だが同時に鶴来は、なんとなくではあるが鏡華から言葉に出来ない何かを感じ取った。

 そして鏡華が抱えている物。自らを否定するに至らしめているであろうそれの正体は未だ検討もつかないが、そこに辿り着くきっかけになるかもしれないと、そしてそれ抜きでもこれは彼女に伝えなければいけない事だろうとも思った。鏡華は、これを知らなければならない。

 だから鶴来は鏡華に話しかけながら、何とか自分の感じたものを伝えられないかと考える。


「そっか……あー、何て言えばいいんだろうな、こういうのって。頑張って、耐えて、もがいたりして……ああそうだ」


 思った事を口に出していたら、その言葉は意外とあっさり思い至った。

 パズルの最後の1ピースがかちりと嵌ったかの様な感覚と共に、鶴来は自身が感じとったものが何なのかを理解した。

 それは鏡華自身が否定したはずのもの。だが鶴来はそれでも、いやだからこそ鏡華にその言葉を伝えた。


「――『強い』んだな。鏡華は」

「……ぇ……?」


 鶴来の言っている事が理解出来ないのだろうか。

 今度は鏡華が呆けた様な声を出したが、鶴来は気にせずありのままに感じたその『強さ』を言葉にしていく。


「こんなに弱弱しくなるまでずっと何かを抱えてて、それでも俺達の前では涙一つ見せずに頑張ってた。そして今だって、ただ怯えてるだけじゃなくて自分の弱さを悔やんでいる。強く在りたいって、諦めたくないって思えてるんだよ、鏡華は。それって凄い事なんじゃないか?」


 鏡華の言葉から感じ取れる事。それは鏡華が否定しているのが『弱い』自分自身だと言う事だ。

 だがそれは、彼女が未だ強く在りたいと思っている証左という事にもなり得ないか。

 腕の中の彼女はあまりにも弱弱しく、しかしそれでもまだ強く在りたいと思えるのなら、それは一種の強さなのだろうと、多分自分はそれを直感的に感じ取っていたのだと、鶴来は今思っていた。

 しかし鏡華は否定し続ける。鶴来が見出した『強さ』は今の彼女には見えていない。


「……駄目だった、それでも私は結局駄目だった!本当は折れていた、あの時からもうずっと……ただ気づかないふりをして、空元気だけで前に進んだ気になって……」


 断片的かつ要領の得ない鏡華の嘆きはその意味こそどこか不明瞭だが、それでも鶴来は「ああやっぱり」と思えた。ただ一つの事、それさえ分かれば十分すぎた。


(そうだ、やっぱそうなんだ)


 鏡華はまだ、前に進みたいと願っている。

 彼女自身は気づいていない様だが、だがまだ彼女は駄目になんかなっていない。

 そう確信した鶴来は鏡華に、彼女の中に残されたその『強さ』に向かって声を送り続ける。 


「駄目じゃない、鏡華の心は確かに一度折れたかもしれない。けどだからって終わってなんかいるわけがない。前に進みたいんだろ?諦めたくないんだろ?だったら簡単じゃないか、諦めたくないなら諦めなきゃいいし前に進みたいなら進もうともがけば良い」

「そんなのっ……そんなの、もう何度だって思った!でも駄目なんだ!怖い、何もかもが怖くてもうどうしようも無いんだ!」

「じゃあまた前に進もうとすれば良い、怖くたって乗り越えようと思えば良い」

「思えない、思えるわけ無い!やめて!もうそんな事言わないで!なんで、何でそんな分かった様な事言うんだ、私に期待するんだ。お願いだから、私をこれ以上惨めにさせないで!」


 鏡華は悲痛な叫び声を上げ、それと同時に嫌、嫌、と首を横に振る様に、彼女を包む毛布が左右に揺れる。

 顔が見えずとも、その動作が、叫びが拒絶の意思を示しているのは、鶴来でも嫌と言うほど理解できる。

 そしてそれをこうして見続けているのは、またそれをさせているのが自分だと言う事実も胸を痛める現実だ。

 だがその感情と共に自分の中でそれとは別の感情が生まれたのを感じて、鶴来は思う。

 また伝えなきゃならない事が増えたな、と。


「……そうだな、俺にはお前の気持ちなんて分からないかもしれない。全部俺が勝手に期待して、勝手に言っている事なのも確かだ」

「じゃあっ……」

「でもしょうがないだろ?だってお前は――俺の、ライバルなんだから」

「え……?」


 再び呆然とした様な声を上げる鏡華に、鶴来は照れくさそうな笑みを浮かべて話しだした。


「って言っても、今決めたんだけどな。俺は頑張るお前の姿が好きだ、お前はいつも何かに一生懸命で、そんなお前の姿を見てると俺も「負けてられない」って思えるからさ。鏡夜のとはまたちょっと違うかもしんないけど……多分、そういうのも『ライバル』って奴なんじゃないかって、俺は思う」


 鶴来がそう言い切ると、直後に目の前の毛布が一瞬小刻みに揺れた。

 中にいる鏡華は、一体何を思ったのだろうか。

 暫くの沈黙の後、鶴来の耳に何か声の様な物が届いた……様な気がした。

 それは鏡華の声だったのだが鶴来からすれば余りにも小さく、か細いもので何を言っているのか分からないどころか、本当に言葉だったのかどうかも怪しいものだった。


「……まだ・・、そう言ってくれるの……?」

「え……?なぁ鏡華、今なんて……?」


 聞き返そうとした鶴来だが、その言葉は鏡華の声にかき消される。

 今度こそ、鶴来の耳にはっきりと聞こえたその声は。


「私は、私も……諦めたくないっ……こんなところで立ち止まりたくない……!」


 絞り出す様に声を上げる鏡華。

 鶴来は何も言わずに、ただ今までよりも少しだけきつく彼女を抱きしめた。

 もう何も言う必要は無いと思ったから。

 もう鏡華は前を向けると、そう思ったから。

 だから今はただ彼女の思いを受け止める為だけに、抱きしめ続ける。


「……ごめん。今の私はまだ弱いから、一人ではまだ立てないから……少しだけ、このままで……」

「お前が言うなら胸くらいは幾らでも貸してやるさ。前にも言っただろ?吐き出したいものがあれば吐き出せば良いんだよ。ちゃんと全部、受け止めるからさ」


 鏡華は黙って、ただ小さく嗚咽を漏らし始める。

 そして小さな嗚咽だったそれは徐々に大きくなり、いつの間にか部屋中に響く泣き声になっていた。






「ん……あれ、ここは……」


 鏡華が目を開けるとそこには知らない天井……では無く、見慣れてはいないがここ数日間で何度も目にした赤金家の、自分の部屋として宛がわれている一室の天井だった。

 どうやら自分はいつの間にか眠っていたらしい。

 身を起こすと、体に被せられていた薄い毛布がはらりと落ちた。


「……そうか、私……」


 眠りに落ちる前の出来事を思い出した鏡華は、いつの間にか日が落ちかけて茜色の光に染まった部屋の中を、泣きはらして真っ赤になった両目で見渡す。

 自分が寝てしまったからか鶴来は既に部屋に居らず、今いるのは自分一人だけだ。

 それを自覚してしまうと、やはり心の底から正体不明の恐怖が湧き上がってくるのを感じる。

 弱い、やはり今の自分はどうしても弱い。


「でも、それでも……」


 心は一度折れている。

 歩き出すには勇気が足りず、立ち上がるには意地が足りない。

 小さい体に細い腕、そして脆い心は『鏡夜』であるにはあまりにも程遠い。

 それでも。


『俺は頑張るお前の姿が好きだ、お前はいつも何かに一生懸命で、そんなお前の姿を見てると俺も「負けてられない」って思えるからさ。鏡夜のとはまたちょっと違うかもしんないけど……多分、そういうのも『ライバル』って奴なんじゃないかって、俺は思う』


 嬉しかった。

 また『ライバル』と言ってもらえた事が、今の弱い自分でもそう在れるという事が。

 だがしかしその言葉を思い返したら、ほんの少しだけ自分の中にもう一つの気持ちが芽生えた事を鏡華は自覚し、そしてその感情に驚いた。


「……ふふっ、まさかまだ『悔しい』だなんて思えるとは。私も大概意地っ張り……って事か」


 今更な事を今更に呟きながら、鏡華は床に寝転がって天井を見上げる。

 そしてなんとなく右腕を上げて、掌を広げて見た。

 小さくて頼りないけど、それが今の自分の手なのだ。


「あー……やっぱり怖い……どうしても、怖いな……」


 怖い、怖い。と呟く鏡華の口元は、しかし何故か薄らと微笑を形作っている。

 それは彼女が今度こそ、『弱い自分』というものを自覚したからに他ならなかった。

 既に心は折れていて、空元気しか出す物がなくて、未だ正体不明の恐怖に怯え続けて、それでも前に進みたいと願っている。そんな自分を鶴来に曝け出した事で漸く自分で自分の事を俯瞰する事も出来た。

 だから怖くても、笑っていられる。


「本当に弱いな、私は。だからもう……逃げない。逃げてたまるか」


 恐怖が渦巻く胸の中、それでも鏡華の意思は種火となり少しずつ燃え始めていた。

 もう『折れない』なんて気負わない。今の自分が本当にすべきは何度折れたって、立ち上がる事。

 一度折れたって終わりじゃない事を知ったから。

 自分は弱い、その自覚がある今ならそうやって腹を括る覚悟が持てるから。

 そして、心が折れてしまっても側にいてくれる『ライバル』がいるから。


「頑張ろう……っていうのも違うか、そんな空元気はもういらない。本当に、必要なのは――」


 鏡華は空に掲げていた掌を握り締めて、拳を作る。

 誰もいない部屋の中、硬く握った拳を見つめて鏡華は決意の言葉を紡いだ。


「待っていてくれ、鶴来。今度こそお前に、追いついてみせるから」


 その小さな手に握ったのは一体なんだったのだろうか。それは、彼女のみが知る……。 

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