第25話 その黒は突然に
昏く深い闇の中、二つの影が蠢いていた。
片方の影が音を……いや、声を発した。それは成人男性特有の、低く重い声だった。
「……9、No.10の進行状況はどうなっている?」
その問いにもう一つの影が、ぞんざいに答えを返す。
「それが意外としぶとくてなぁ……どうやら面倒な支えが存在するみたいだ」
その声は先程の声と違いまだ若々しかったが、こちらも男性とおぼわしき声の低さは感じられる。
返答を受けた方の影は、僅かな間考え込む様に沈黙してから再び言葉を発した。
「支え……成る程、だったら俺が行こう。そろそろ遊びたくなってきた……」
「アンタ直々にか……ま、いいんじゃねぇか。まだあいつらに俺の正体を知られるのは少々まずいしな」
「決まりだな。……さて、それでは実験を進めるとしよう……はは、ははは……」
傍から聞けばどこか虚無感すら覚える、感情の感じられない乾いた笑いが闇の中に響き渡る。
もし何も知らない人間がそれを聞いたら連想するのは幽鬼かはたまた死神か。
だが兎に角不吉を予感させるであろうものなのは、間違いなかった……。
「……こう言っちゃあなんだけどさ、結局お前は何を怖がってるんだ?」
「はぁ……それが分かれば苦労しないに決まってるだろ、この馬鹿」
「まーたすぐそう言う……ま、その減らず口が戻ってきたって事はちょっとはマシになったのかな」
鶴来が鏡華の抱えている物の一部を知った、その次の日の昼下がり。
鏡華の心に巣くう恐怖を克服させる為に鶴来が思いついたのは、『とりあえず一緒に悩んでみる事』だった。
鏡華には突っぱねられるかなーとも考えたが、思い切ってそれを提案すると鏡華は意外にもあっさり了承。
そして今、二人は赤金家のリビングで鶴来の提案通りに悩んでいた。内容は『鏡華の恐怖の原因』についてだ。原因が分かれば解決策も見つかるかも知れない、とは鏡華自身の言である。
「あー……その、最初のきっかけは海の時の、なんつうか……」
「別に、無駄な配慮は必要無い。最初にあの恐怖を感じたのは、確かに海で襲われた時だった。……が、正直襲われた事そのものに対しては今思い出しても怖気立つものではあるが、別にそこまで引きずる様な物でも無いと自分としては思っている。最終的に体は無事だったしな」
「うーん……つまり鏡華はあの時からずっと『得体の知れない何か』を怖がっているって事か?」
「ん……どうだろうな。言葉のニュアンスとしては若干の齟齬があるかもしれない。どちらかと言うと『恐怖と言う感情がふとした瞬間に湧き上がってくる』という感じ……とでも言えば良いんだろうか」
「つまり『何かを怖がってる』って言うよりかは『なんとなく怖い』みたいな?」
「……まぁ、ざっくりと言えばな」
鏡華の返答に、鶴来は再びうーん……と腕を組んで唸りだした。
そんな鶴来を見た鏡華は何が可笑しいのかふふっ、と小さく声を出しながら軽く微笑みを見せる。
当然、目の前の鶴来はその声に気づいて顔を上げた。
「ど、どうした?また何か一人で抱えてんのか?」
恐らく昨日までの無理に気丈に振舞っていた時の鏡華を思い出したのだろう。驚きと心配が交じった表情をした鶴来に、鏡華は「いや、違うんだ」と軽い雰囲気で前置きしてから言った。
「誰かとこうして話してるだけで、ここまで自分を客観視できるものなのかと思ってな。あれだけ一人で悩んでいたのが不思議なくらいだ」
そう言ってまた笑った鏡華の笑みは肩の力が抜けた様な自然な物で、それを見た鶴来も安心感から自然と笑みが浮かんだ。
「……そっか、少しでもお前の気持ちが楽になったなら俺もこうやって悩んでるかいがあるよ。……て言っても俺はそれこそ一緒に悩んでやるくらいしか出来てないんだけど、結局まだ何も思いついてないし。あー……もうちょっと頭の良い奴ならなんか思いついたりすんのかなぁ」
「……でも多分、お前だからこうしていられるのかも……な」
その呟きはとても小さな物で、それは当然鶴来の耳にもはっきりとした言葉としては届かない。
勿論、鏡華もその言葉を伝えるつもりは無かったので問題は無いのだが。
「え?今なんか言ったか?」
「……別に、お前は馬鹿だから元々大して期待していないって言っただけだ。ほら悔しかったら精々私の為に悩むが良い」
案の定鶴来が聞き返すも、鏡華は勿論しれっと嘘を吐いた。しかも微妙に上から目線で。
「こ、こいつちょっと調子戻ったからってな……こうなったらあっさり解決して驚かせてやる!って言ってもなぁ……正直『よく分からない』って事が分かっただけじゃ中々……あ」
「どうした?」
「いや……何ていうかなぁ、しょうも無いことを思いついちゃっただけだから別に気にしないでくれ」
鶴来はそう言って頬を掻き少し恥ずかしそうな素振りを見せたが、鏡華は少し考え込むと真面目な顔で返答を返した。
「ん……だがな、こういうのは別に解決策を直接導き出さなければいけないわけでは無い。むしろ些細な事でも言ってみる事こそが大事なんだ。そういう所にこそ解決の糸口が見つかるものだからな」
「はー、そういう物か……それなら言ってみるけど、鏡華自身が何に怯えているわけでも無いのに何故か怖いって思っちゃうって言うのはもしかしたら、誰かにそう思う様に仕向けられているんじゃないか、みたいな……」
「ほう……」
真剣に話を聞く鏡華だが、鶴来からしてみれば冗談みたいな事をそういう姿勢で聞かれると逆に照れくさい。
「こ、こんな話そんな真面目に聞かなくて良いんだぞ!大して根拠無いし……ただ『なんとなく怖い』よりもそっちの方が自然かなーって思っただけで……例えば催眠術とかーって本当に何言ってるんだ俺……」
「成程……いや、存外面白い着眼点かもしれないな」
「な、なんだよ……だからしょうもないって言ったじゃんか」
「誤解するな。別に馬鹿にしているわけじゃなくて、どちらかと言えば感心しているんだ。しかしお前は普段は馬鹿なのに、時たま妙に鋭くなるな……」
「だからさっきから一言多いんだって。ったく、本当に感心してんのかよ……」
「本当だとも。……まぁ、催眠術は無いと思うがな」
「やっぱ感心してないだろお前!」
そんなこんなでその後も二人してうんうんと悩み続けるが、結局分かったのは『やっぱりよく分からない』という事だけだった。
「……これ以上は考えてもしょうがないな。原因についてはとりあえず置いておこう」
「そうだなぁ。それじゃあ今度は恐怖を克服する方法でも考えてみるか、というか実はこれについては俺、一つ考えてきたんだ」
「……そう言われると逆に碌でも無い予感がするが、先程言ったことの手前、話だけは聞いてやろう」
鏡華がじと目で鶴来に冷たい視線を向けるも、鶴来はそんな事を意にも介さず自信満々といった様相で己のアイデアを語りだした。
「なんだか分からない恐怖でも恐怖は恐怖。つまり別の恐怖に慣れれば良い、というわけでホラー映画見ようぜ!…………なんだよその呆れた様な目!」
「聞かなければ良かったなぁと」
「さっきあんな事言った癖に!……それとも何か、実はホラーが苦手とかか?」
「なっ……そんなわけ無いだろ!……その、今はどうか分からないが。こんな状態だし……」
今の鏡華は自分自身でも把握が出来ない程に心が脆くなっている。
故に幾ら意地っ張りとはいえどうしても躊躇ってしまう鏡華の姿に、鶴来の良心がちくりと痛んだ。
「うっ……自分から言ってなんだけど、そうだよな。今の状態で下手に怖い物見せるのはさすがにな……やっぱやめとくか」
が、鏡華はやはり鏡華だったらしい。
先程まで躊躇いの表情を見せていたはずだったのに、鶴来が止めた後になって何故か急に真面目な顔つきに変わる。
「……そう言われると、逆に見なければいけない気になってくるな。よし、私がホラー映画なんぞ苦手では無い事を証明するのも兼ねて一度借りてみるか」
「い、意地っ張りだなぁ……」
「何か言ったか?」
「えっ、いやなんでも!それじゃ行くか!」
という訳で二人は今、徒歩で約15分程行った先にあるレンタルビデオ店に向けて歩いている最中だった。
特筆することのない住宅街。あまり人気は無い道を、二人は喋りながら進んでいく。
「それにしても、お前も何だかんだで結構調子戻ってきてないか?」
「……いや、前よりかは気持ちも落ち着いてきてはいるが、それでも一人の時とかはやはりどうしても、な」
「一人の時、か……そういえばさっきも人に話したら楽になったって言ってたけど、誰かといれば落ち着くって事なのかな」
「いや、それも……」
「それも?」
「あっ……な、なんでもない!先行くぞ!」
「あっ、ちょっと待てって!教えてくれても良いだろ、もしかしたら解決に繋がるかもしんないんだし!」
(それでも恥ずかしくて言えるわけ無いだろ!『お前と一緒にいるから落ち着いていられる』だなんて!)
ついポロリと漏らしそうになってしまった本音を飲み込んでズンズンと、大股で先を急ぐ鏡華。
だが恥ずかしさに気を取られていた鏡華は、突然曲がり角からぬっと飛び出してくる人影に気づかなかった。
「おい鏡華、前!」
「え?わっ――!」
いち早く気づいた鶴来が声を上げるも、鏡華は気づくのが遅れてドンッと思い切りぶつかってしまい、反動によりその場で尻餅をついてしまう。
「たっ……すっ、すいま……せ…………」
咄嗟に謝ろうと慌ててその場で立ち上がり顔を上げた鏡華だったが、その姿を見た瞬間、彼女は絶句してしまった。
「っ――!」
鏡華の首は随分と上向きになっていた、男の背がやたら高かったからだ。
しかし高く見上げても結局目は合わなかった、男の白髪で目が隠れていたからだ。
だが目を逸らす事は出来なかった。その男とは切っても切れない因縁があったからだ。
その男の名は知らなかった。
それでも鏡華は、その男を知っていた。
「なん、で……大鎌の……おと、こ……!?」
鏡華の視界の先にいたその男はいつかの昔と変わらない、架空のファンタジーに出てきそうな魔法使いのローブにも似た形状の、フード付きの真っ黒なコートを羽織って鏡華の目の前に立っていた。
鏡華は今の状況の全てを忘れて、ただ呆然と目を見開く事しか出来ない。
しかしすぐに鶴来の声が聞こえた事により、何とか幾らかの正気は取り戻した。
「大丈夫か鏡華!」
鶴来からしてみれば、ただただ目の前で鏡華が見知らぬ人間にぶつかったというだけにしか映らないだろう。
だが鏡華はその男の危険性を、文字通り身を持って知っていた。故に正気を取り戻した鏡華が最初に取った行動は、不用意に近づいてきた鶴来に対して切羽詰った声で静止を呼びかける事だった。
鏡華は後ろに振り向きながら口を大きく開いて叫ぶ。
「来るなっ、鶴来!こいつは――」
だが鏡華の視界が鶴来を見つけたとほぼ同時、ひゅんっ、と鏡華の耳が風を切る音を捉えた。
次の瞬間、鏡華の視界からは鶴来が消えてその代わりに、何かを……そう、人でも蹴り飛ばした時の様に軽く右足を上げて前に突き出した男の姿があった。
直後にドサッ!と人が地面に叩きつけられる音が聞こえる。
「なっ――鶴来ぃ!」
音の発生源は大鎌の男から数メートル離れた地点。咄嗟にその方へと向けば鶴来が仰向けで倒れていた。
しかし鶴来には興味無しといった感じでそれ以上は目もくれずに、大鎌の男はその長身痩躯を軽く揺らしながら今度は鏡華に近づいてきた。揺れながら歩いてくる姿も黒尽くめのコートも目を隠す程に長い白髪も、全て不気味で得体が知れない。
「な、何故お前がここに……もっ……目的はなんだ!」
震える声で懸命に威嚇する鏡華だが、その足は震えてその場に張り付いた様に動けない。
本当ならば蹴り飛ばされた鶴来の下に一刻も早く駆けよって、そのまま二人で逃げるべきなのに。
(くそっ!何でこんな時に私の足は動かないんだ!怖いとかそんなの、思っている場合じゃないのにっ……!)
足が竦んで動かないのは目の前の男に恐怖しているせいなのか、それともいつもの訳の分からない恐怖のせいなのか。それともどちらともなのか。
動けない為にに恐怖と敵意の入り混じった表情で睨みつける事しか出来ない鏡華の側までゆっくりと、そして悠々とやってきた男は鏡華の首に右手を伸ばすと、無造作に鷲掴みにした。
「がっ……!」
人の重さなんて感じないかの様に、男は鏡華を軽々と持ち上げる。恐らく鏡華の首程度、この男なら今すぐにでも折れるだろう。
それは鏡華の恐怖を煽るのには十分過ぎた。
(あっ、くぅ……くそっ……!)
そしてそれ以上に何も出来ない自分が悔しかった。
痛みと恐怖からか涙で視界が歪んでしまう。
だがすぐ後に鶴来の声が後ろから聞こえた。
「待てよ……誰だか知らねぇけど、鏡華から手を……離せっ!」
先程のダメージから回復したらしく、威勢良く叫びながら鶴来は大鎌の男に飛びかかろうとした。
だが大鎌の男は鏡華の首を掴んだまま空いた左腕を空へ振りかざすと、漆黒の何かをその手に呼び出し握り締めて即座に振り下ろした。
「なっ、くそ!」
男がセイバーを持っていた事に驚きながらも、鶴来も咄嗟に相棒であるクリアレッドの大剣型セイバーを呼び出してその刀身でガードを行った。
しかし鶴来が反動で後ろで仰け反ってしまったせいで互いの距離が開く。
よろける鶴来の眼前では、鶴来と対照的に反動による硬直が一切無かった男が、漆黒の大鎌型セイバーを一振りして反転世界への裂け目を作り出していた。
鶴来が動き出す前に男は鏡華を連れ去って反転世界へと入っていく。
「この……今度こそは逃がさねぇ!待ちやがれ!」
海の時の様に、鏡華を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
鶴来も急いで走り出すと、男の開いた裂け目に勢い良く飛び込んだ。




