4 揺らされる心
図書室の入口付近には月ごとに特集しようとしている作品が、可愛らしいポップと共に置かれている。今月の特集は怪談だった。
図書室に入る前にいくつか手に取って書かれている文章を読んでみるが、どれもこれも肝の冷えるような話ばかりだ。図書委員のセンスの高さが窺える。
うーん、居ないと分かっていてもお化けが怖い俺は、今夜は眠れるだろうか。今更ながらに手に取ったことを、後悔しているよ。
さて、閑話休題はここまで。
図書室の中に足を踏み入れると、普通の教室とは違いちゃんとクーラーが効いていて気持ちがよかった。ぶっちゃけ、もうここから動きたくない。
そんな本音が湧き上がってきたが、そういう訳にはいかない。さっさと用を済ませて、近江祭の準備に戻らないといけないのだ。そう、固い覚悟を決意し俺は図書室の奥に向った。
放送では誰が俺を呼んでいるのかは言っていなかった。が、俺にはおおよその見当はついている。その人物とは、この図書館の主ともいえる人物だ。
一番奥の窓のない席を陣取っている人物の前まで俺は歩く。目の前まで来ると俺の存在に気が付いた鮫島綾乃先輩は、長い黒髪をぞんざいに揺らしながら読んでいた本から目を外し、細く切れ長な瞳で俺の顔を見た。
「やあ、松原くん。何をしに来たんだい? 愛の告白かい?」
「違います。あと、何をしに来たって、近江祭の実行委員長である鮫島先輩が呼んだんじゃないんですか?」
「はて、そうだったかな?」
……ふざけやがって!
と今にも爆発しそうな怒りを、奥歯を噛みしめどうにか抑え込む。この人も勇気と同じで中学時代からの付き合いだが、いつもこんな調子なのだ。
「ふふふ、冗談だよ。うん、分かっているとも、えーっと……なんだったかな?」
「やっぱ分かってないんじゃないですかっ⁉」
ついに怒りを抑え込むことが出来ず、怒鳴りつけた。
「こら、図書室では大声を出すな」
「す、すいません」
ぺこり、と周りと鮫島先輩に頭を下げ、顔を上げて再び鮫島先輩の顔を見る。鮫島先輩は、ふむ、と唸りながら、
「ああ、そうだった。君に用とはこれだよ」
机の上に置いていた紙の束を俺に差し出してきた。俺は何故だか受け取ってもいいのかどうか迷ったが、差し出された以上受け取るのが常識だ。俺は差し出されたものを素直に受け取る。
鮫島先輩が読むように促してきたので、受け取った紙の束に目を通した。
「あの鮫島先輩……」
「何かな、松原くん?」
俺は引きつった表情で尋ねる。
「これ近江祭のパンフ作りの資料ですよね。何で俺に手渡すんです?」
ふむ、と唸りながら色白で細長い指を顎に当て答えた。
「適材適所」
「ザックリ言い過ぎです」
「はあ……仕方がない、答えてあげるよ。ウチの学校の出し物のパンフを作ることになっているのだが、その担当が私だ」
はいはい、それは知っていますよ。先月の集会の役決めでそうなりましたからね。
「で?」
続きを促す。
「面倒だ。実に面倒だ。だから、私の従順な僕である君に任せようと思うんだよ」
「あのう……俺はあなたの僕になった覚えはないですよ」
どう記憶を掘り返しても、そんなことはない。契約書にサインした覚えもなければ、謎の精霊と契りを結んだ覚えもない。
「そうかそうだったな。なら、これから僕にするか」
思い立ったが吉日と言うが、相手側にとってはそれが吉日とは限らない。彼女の言葉はまさにそれだった。
「僕にしないで下さい‼」
「こら、声を下げる」
怒鳴りつけたい気分だったが、俺は声のボリュームを落として反論する。
「鮫島先輩の僕にしないで下さいよ。俺は過去現在未来永劫、アナタの僕になるつもりはありません」
「ふむぅ……つまらないな。君は冗談と言うものが分かっていない」
嘆息しながら彼女は呟いた。
――冗談と言うラインを越えてんだよ!
と言ってやりたかったが、俺は無駄だと悟ったので出かかっていた台詞を飲み込んだ。
「まあ、君にパンフ作りは任せる。ああ、配るのは私と先生方がやるから安心してくれ」
「ものすっごい良い所取りですよね」
「気にするな。上司が部下の良い所とるのは、何処の世界でもある」
「マジ、性質わりぃ先輩だ」
溜まりに溜まった反論の言葉をぶつけたいが、先程悟ったので黙っておく。俺は渋々仕事を了承すると、これ以上面倒事を頼まれるといやなので、さっさとその場を離れようと出口に向かおうとした。しかし、振り返った瞬間に、鮫島先輩に呼び止められる。
「ああ、松原くん。そういえば、君も海に行くんだろ?」
「はい? 何のことですか?」
首を傾げ聞き返した。
その反応に、意外感を露わにした鮫島先輩は、眼を瞬かせながら、
「なんだ、意外だな。君に一番に話したと思っていたのに」
「いや、何のことですか?」
本当に訳が分からない。
何のことだろうか?
「松原くん、準備期間中に三連休があるじゃないか」
「ええ、ありますね」
確か……夏休みに入ってすぐだったと思う。あの休みは、近江祭の準備の疲れを癒すために設けられた日だったはずだ。
「そこで、駒村くんにその三連休泊りがけで、海に行こうと言うと誘われたんだよ」
「へーそうなんですか。初耳です」
「そうなのか。いつも一緒にいるから、二人で決めたと思っていたぞ」
あー……今日何回目だろう。
俺は疲れたように息を吐きながら、
「なんで、俺とあいつがハッピーセットみたいになってるんですか? つーか、今日は桃花と修にも同じことを言われましたよ」
「だって、そうだろ。君らが離れて行動しているところをあまり見たことがないぞ」
「ええ、そうですね」
なんだかもう返事がやけくそだった。
なんで、あいつと一緒にされなきゃならんのだ。
「まあ、いいか。で、君は行くのか?」
「行けると思いますか?」
俺は先程受け取った紙の束を、見せつけながら聞き返した。
パンフ作りは簡単そうに見えて、実はかなり時間が掛かるのだ。一つ一つの出し物の取材をして、目立つように編集する。この学校は生徒数から分析したら中堅校だが、他の学校と差別化を図るためにはかなりの時間を要するのだ。鮫島先輩が面倒だと言ったのは、こういう理由がある。
だから、例え学校によって設けられた休みであっても、俺はその休みを使って色々と文を考えなければならないのだ。
しかし、俺の知り合いにはマトモな神経が通った人などいない。
「行けると思う」
「ええ、先輩ならそう言うと思いましたよ」
なあ、いないだろ。
俺は大きく息は吐きながら、
「行きませんよ。鮫島先輩たちだけで楽しんでください」
丁重に断った俺に、鮫島先輩は一瞬視線を横に逸らし、何かを逡巡する。そして、切れ長の眼を再び俺に戻すと、
「君はそれでいいのかい?」
「いいです。行かなくても困ることはないですし、むしろパンフ作りが出来て良いことづくめですよ」
「そうか、それは残念だな……」
顔を俯かせ、残念そうな表情を浮かばせる。が、勘の良い俺は騙されなかった。
鮫島先輩は本気で残念がっているわけではなく、俺が来るように尋問誘導しようとしているのだ。
何のために?
もちろん決まっている。単純に、からかう相手が欲しいのだ。
この人も、悠姫たちと同じで長い付き合いだ。考えていることなど大体読める。
「ああ、残念だ。きっと、駒村くんも悲しむだろうな。いつも一緒にいる君がいないのだから、寂しがるだろう。うん、絶対にそうだ。そして、調子が悪くなって、倒れたりするんだろうな」
こ、言葉攻め。
――叩き込んできやがった!
俺の中の軸が揺れるのを感じた。その揺れは次第に大きくなり、ついにはある方向に倒れた。
「うーん、駒村くんが悲しむだろう。良いのかいそれで?」
「あー、もう分かりましたよ。行きますよ行けば良いんですよね⁉」
「うむ、分かればいい」
鮫島先輩は満足げに頷き、実に人の悪い笑みを浮かばせた。
――ったく、分からせた癖によく言うよ。
まったく。
この人は本当に、酷い人(良い人)だ。
と思いながら、俺はこめかみ辺りを人差し指でさすり、予定の修正を図った。そして、調整が終わると、
「楽しみにしときますね」
そう言い残して俺は、今度こそ図書室を後にした。
振り返る瞬間。鮫島先輩が捻くれたような笑みではなく、珍しく素直な笑みを浮かべていたように見えた。