第1話 葛城くん、わたし如月さんに勝ちたいです
【Aパート:???視点】
人が……怖い。
冬の廊下。
すれ違う生徒たちは、友達と話したり、プリントを眺めたり。
誰も、こちらを気にしていない。
(今、見られた?)
ちらりと横を見る。
女子生徒が二人、楽しそうに話していた。
(こっち見んな)
……って、見てないか。
背筋を伸ばす。
表情は変えない。歩幅も一定。
いつも通りにしていればいい。
(歩き方、おかしくないよね)
また考えてしまった。
別に、誰も見ていないのに。
(あー、もう)
前から男子が三人歩いてくる。
声が大きい。
(邪魔)
少し端に寄る。
三人はそのまま通り過ぎた。
……ふぅ
何でこっちが避けなきゃいけないんだよ。
まあ、別にいいけど。
(……走ってる方が楽だな)
走っていれば、余計なことを考えなくて済む。
前だけ見ていればいい。
(ホント、みんな、よく普通に歩けるよね)
私は何でもない顔で、廊下を歩き続けた。
***
【Bパート:沙良&葛城】
廊下の窓から、柔らかな日差しが差し込んでいた。
外はまだ寒いけれど、日なたには少しだけ春の気配がある。
「……そういえば、ささみ生活は?」
隣を歩く葛城くんが、思い出したように言った。
「もう終わったってば!」
「いや、また始めてないかと思って」
「葛城くん、意外としつこいよね」
「……心配してるんだけど」
「あはは、ごめんごめん!」
あの一件以来、お母さんにも食事の内容を確認されるようになった。
昨日は普通にカレーを食べただけなのに、妙に喜ばれた。
……信用を取り戻すには、もう少し時間がかかりそう。
私は鞄から練習ノートを取り出した。
先週のタイム。その前の週のタイム。
(……あんまり変わってないなぁ)
「最近、走りの方はどう?」
「うーん。相変わらずかな」
「そっか」
「フォームは少しずつ戻ってきてると思うんだけどね。タイムがなかなか」
ノートを閉じる。
「なんか、ずっと昔の自分を追いかけてる感じ」
中学時代は、走るたびに速くなれた。
今は、何かを修正しても、別の問題が出てくる。
(……難しいなぁ)
葛城くんは少し考えてから言った。
「……誰かと勝負してみるとか?」
「勝負?」
「うん。タイムばっかり気にするより、誰かと本気で競った方が、気持ちも変わるかなって」
「……なるほど!」
「ただの思いつきだけど」
「あはは、知ってるよ」
「……ならいいけど」
勝負か。
確かに、最近は自分の記録ばかり気にしていた。
相手がいれば、今の実力もわかりやすい。
(……そう考えると、悪くないかも)
そのとき、廊下の向こうに一人の女子生徒が見えた。
如月遥。
女子陸上部の、もう一人のエース。
いつも一人で、黙々と練習を続けている。
(……如月さん)
走りに無駄がなくて、安定していて。
自分のフォームを、ちゃんと持っている人。
(……あの人と走ったら)
今の自分が、どこまで通用するのかわかるかもしれない。
「葛城くん!」
「……ん?」
「わたし、如月さんに勝ちたいです!」
「…………は?」
葛城くんが固まった。
「いや、また急に……」
「うん! でも、目標にするなら如月さんがいいと思う!」
「……そっか」
葛城くんは苦笑した。
「まあ、応援するよ」
「ありがとう!」
もう一度、如月さんを見る。
(……よし!)
今、声をかけよう。
一歩、踏み出しかけて――止まった。
(……あ、待って)
勝負するなら、日時と種目を決めないと。
練習の邪魔にもならない方がいい。
それに、如月さんが応じてくれるとは限らない。
「……佐伯さん?」
「あ、ごめん。ちょっと考え事!」
「……そっか」
(……まず、条件を整理してからにしよう)
今日はノートにまとめておこう。
私は葛城くんと並んで歩き出した。
***
【Cパート:???視点】
(……ん?)
視線を感じた。
廊下の向こう。
佐伯沙良が、こちらを見ていた。
隣には男子が一人。
二人で何か話している。
(楽しそう)
いいな。
ああいうの。
……私には無理か。
佐伯さんが、まだこっちを見ている。
(何)
(こっち見んな)
何か用?
言いたいことあるなら言えばいいじゃん。
佐伯さんが一歩踏み出した。
(……え、ちょっと待って)
(来んの?)
反射的に背筋が伸びる。
……止まった。
そのまま男子と歩いていってしまった。
(…………)
(行った)
息を吐く。
何だったんだろう。
用があるなら普通に話しかければいいのに。
……まあ。
(……話しかけられても困るけど)
少しだけ、佐伯さんの背中を目で追った。
(何だったんだよ、ほんと)




