第81話 なんか、前にもこんなことがあったような……。
朝のHRが終わり、俺はジッと彼女——————我部香凜を遠くから見ていた。
誤解を招く前に先に訂正しておくが、別に好意があって彼女を見ていたわけではない。
かといって、昨日の一件から何かが変わったかと気にかけているわけでもない。
……ただ、ちょっとしたお願いをしたいだけなのだ。
だが、こうして何もせずただ黙って様子を窺っているのには理由があった。
「妙に囲まれてんな……」
そう、彼女の周りには無駄に人が群がっているのだ。
話しかけようにも、話しかけられる状況ではない。
というか、公衆の面前で俺が我部に話しかけたら、普通に周りから注目されないか?
いや、されるよな。
そもそもの話、どんな手段を使うにしても我部は俺の呼び出しに応じない気がする。
それは誰の目から見ても明らかな事実だろう。
となると、周りには悟られないように呼び出す方法を考えなければならないわけだが……。
「榊、はダメだろうな。すでにお願いを聞いてもらっているわけだし、俺の一方的なお願いばかり聞いてもらってたら、俺の言葉が嘘になる」
俺の言葉——————対等な協力関係を築きたいという意思表示だ。
その意思表示も、一方的なお願いばかりしてたら当然ただの虚言になる。
それに、榊は我部の本性を暴くために呼び出した共犯だ。
彼女が、もう一度同じやり口の手に引っかかるとは考えにくい。
となると、別の人間を当たった方が一番確実だろう。
さて、その任を誰に託すか……。
そんなことを考えながらボーッと我部の方を見つめていると、真横から不意打ちで声が掛けられた。
「ひーさるんっ! ボーッとしてどうかしたの?」
疲れをまるで知らないような陽気な声色で話しかけてきたのは、桃色のミディアムヘアをふわっと揺らした桜花春だった。
別に、俺にとって彼女のこれは日常だし、別段おかしなところは見当たらない。
……でも、ちょっとだけ探りを入れてみるか。
「ボーッとしてるのはいつものことだから気にするな。それより、何か用事でもあったか?」
「用事……。んー、まあ、用事、かなぁ……」
歯切れ悪く、困ったような表情を浮かべる桜花。
……これは、何かありそうだ。
俺は彼女が言葉を引き出しやすいように、わざと興味がないフリをする。
「話があるなら、それは用事だろ。違うか?」
「まあ、そうなんだけどさ。用事、というよりは……クレームに近いんだよね」
「クレーム?」
「女の子から」
「女子から?」
……はて、花音と桜花、それに我部以外の女子と話をしたことがないからクレームを入れられる心当たりがまるでないのだが?
まさか、存在しているだけでクレーム扱いになるとかか?
だとしたら教育委員会に苛められてると直訴して、俺にクレーム入れる奴ら全員を強制退学にしてやる……という冗談はさておいて、本当に何かを言われる心当たりがない。
眉をひそめる俺に、桜花は視線を逸らしながら気まずそうに言葉を綴る。
「……見ないで欲しいんだって」
「……は? 誰に言われたの? まさか我部?」
「かりりんじゃないよ。ひさるんに変な目で見られてるって他の女の子たちのクレームがアタシのところに回ってきたんだよね。『桜花さんから久山くんに伝えて欲しい』って」
「いや、それは流石に自意識過剰でしょ。だって俺は見てないし興味もない……って、あれ? このやり取り、前にもしなかったっけ?」
「そういえばあったね……」
まるで自分の身に起こっているかのように、桜花は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
俺も今の今まで忘れていたが……え、ってことはさ、もうずっと下見てろってことだよな?
この話のくだりを前にもしたような気がするけどさ、見てもない、興味もない、どうでもいい女子からそんな言いがかりを付けられるならそういう話にしかならないよね???
……よし、教育委員会に連絡すっか。
自分たちだけが被害者だと思うなよ?
この社会の全ては、視点を変えるだけでみんな加害者になってしまうのだ。
俺が〝傷ついた〟と感じれば、言いがかりを付けてきた女子たちはみんな加害者になる。
さて、教育委員会の番号は……。
「ひさるん? スマホ取り出して何するの?」
「何って、教育委員会に連絡すんだよ」
「ちょーい、ちょいちょいちょいちょいちょい!!!」
酷く慌てた様子で、桜花が俺のスマホを取り上げた。
その行動の意味が、俺にはまるで理解できない。
「何すんだよ。イジメを容認してもいいのか?」
「いいわけないよ! でもこれはいくら何でも段階すっ飛ばしすぎじゃない!?」
「もし手遅れになったら、お前は責任取れるのか? 取れないよな?」
「それは……そうだけど……」
言いながら、桜花が俯いてしまう。
……これ以上は、流石に見てられないな。
鼻を鳴らしてから、俺は彼女からスマホを取り返す。
「あっ……」
「心配しなくても大丈夫だ。教育委員会に連絡したりしない」
「そ、そっか……」
目に見えてホッと胸を撫で下ろす桜花。
でも、不思議でならない。
なぜ彼女は、教育委員会への連絡を阻止してきたのだろうか。
この件に無関係なら、別に俺が教育委員会へ連絡しても痛くもかゆくもないはずだ。
むしろ、彼女自らが教育委員会に連絡しても何もおかしくない。
……もしかして、何か関係があるのか?
どちらにせよ、もう少し情報を集める必要がある。
「変な言いがかり付けてくるなら教育委員会に連絡するぞって言ってたよって、クレーム入れてきた女子たちに伝えといてくれ」
「……まあ、流石に上手いこと伝えておくよ」
そう言って、桜花は力なく笑う。
別に俺が良いって言ってるんだから、そのまま伝えればいいのに……。
そんなことを考えていると、何の前触れもなく桜花がパンッと胸辺りで両手を合わせた。
「でもさ! さっきの言い方的にかりりんのことは見てたんだよね?」
「……」
「違う?」
手を合わせたまま、桜花が可愛らしく首を傾げる。
…………さて、なんて言い訳をしてこの場を切り抜けるか。
しかし、自分の口で告げてしまっている以上はなかなかに難しい。
見ていたことを素直に白状するか?
無理無理、絶対に無理。変な誤解されるし、何より俺が恥ずかしくて死ぬ。
なら、我部と昨日色々あって、それで彼女の動向を窺っていたと嘘を吐くか?
ダメだ。もしそれが我部にバレた時、尚更協力なんかしてもらえなくなる。
それだけは、何としてでも避けなければならない。
「ふーん。何も答えないってことは本当にかりりんを見てたんだー」
「……」
「なんで、かりりんを見てたのかな?」
「……」
「何も答えないってことはさ、何かやましいことでもあるの?」
「……」
「何か言わないの?」
「……」
「ふーん」
俺が黙れば黙るほど、桜花の声色が次第に冷たくなっていく。
どうすればいいのかと本気で頭を悩ませていた、まさにその時だった——————
「——————話は聞かせてもらった! 全てこの花音ちゃんにお任せあれ!」
トイレから戻ってきたのであろう。
俺たちの前に、面倒くさい救世主が仁王立ちしていた。
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