Φ 2章 Φ
Φ Ⅱ Φ
何処を見渡しても白に包まれた世界。
作為的な無機質で全てが塗り固められており、自然体と呼べる物はまずない。白い平坦な石畳は何処までも続き、同じような建物が規則的に並んでいる。土地の起伏も湧き出る水もなく、あるのはただ似通った居住区と公共施設。薄灰色の空でさえも作為を感じ、静かに沈黙している。一つの土地ならず、この星全体が純白の球体と化していた。
とある銀河に位置する、惑星エスフェラ。直径はおよそ13900キロメートル。自転周期は約36時間であり、公転周期は約12564時間。一年は349日とされている。衛星は存在しないが、同銀河に小型の惑星が三つある。それはキエト、ハーディ、シュティルと呼ばれている。エスフェラは恒星からは比較的離れており、未開発の状態ならば低気温な星だっただろう。だが、それは常に十度前後を保っている。此処は生命が溢れる星というより巨大な創作物であったのだ。何者かの意思が篭った作品であり、計算しつくされた加工品。
この研磨された星は、一つの種族によって統治されていた。
星に住む者達はファダーと言い、この生命体特有の様相をしている。彼等は高度な知性を持ち、秩序だった規制を敷いて進歩的な文明を築いていた。情報の電子化が基本とされ、個体をデータで認識し、通信や移動機器、医療や科学技術、建築、教育など生活における全てが発達し、管理されていた。
ファダーは強い種族意識で結ばれており、全体が宗教共産主義思想であった。皆が同一に宇宙を統べる神アサナトを崇拝している。唯一神は完全無欠である自らの姿を似せてファダーを創ったと言われており、彼等は完璧さを重要視し、酷く欠陥を嫌う。欠けることのない永遠性は彼等の精神基盤であり、存在理由であった。皆は一様に神に祈りを捧げ、社会継続の為に従事する。生活に必要な物は何もかもが保障され、無償で与えられる。
あらゆる混沌が排除された土地にファダーは住んでいた。純白の輝きは全てを覆い尽くし、完全たる秩序を創り出している。風化しない建物。摩耗しない地面。昼夜の区別もなく、気候の変動もない。常に一定の気温。同じ景色を提示し続ける絶対不変の世界。ファダーが知る最古の歴史からそれは変わっていない。彼等はそれを神の御技だと信じており、当たり前と考えていた。星は8000年以上過去から同じ姿を保ち続けていた。
エスフェラの中心地には、ハラムという大聖堂があった。
この空間に一歩足を踏み入れるだけで、荘厳で神聖な間だと言うことが図らずとも感じられる。透明な硝子からは淡い光が入り込み、内部を照らしていた。一点の曇りも欠点もない、純度の高い硝子。両側の壁には精緻なレリーフが刻まれており、神がこの地に舞い降りた経緯を象っている。天井の梁は緩やかなアーチを描き、重厚な柱に続いていた。その両端は完璧なシンメトリーを構成している。床は極限まで磨かれ、永遠と完全を象徴する円を連続させた、滑らかな文様を浮かび上がらせている。中央には信仰する対象が白石で形作られ、祀られていた。神聖なる至高の唯一神アサナト。
礼拝堂内には荘厳な詠唱が響いている。数多くいる声の主達は一様な姿と白い服装をして、床に跪いて神に祈りを捧げていた。朗々と流れる旋律に合わせてファダー達は緩やかに身体を左右に揺らし、一糸乱れぬ曲想を奏でている。統一された聖歌が盛り上がりを見せ、正に旋律が終わりを迎えようとした頃。
正面扉が開き、姿を現した者がいた。
性別は男だろうか。細身で非常に高い等身をしており、扁平な顔立ちと、灰と薄紫を混ぜたような体色をしている。鋭く光る白銀の瞳孔の周りは深い黒。鼻は鼻孔があるのみで唇も殆どない。頭部の両側面は平坦で、聴覚を感じる部分には微細の穴がある。頭頂部から側面に掛けてのみ毛髪があり、後頭部の中心には髪の代わりに一つの瞳があった。その瞳も同様の色に輝き、油断なく細められていた。
身体は五体部分の他に、両腕の後ろの肩口から羽と呼ばれる器官が伸びていた。細長いそれらは膝下くらいまであり、先には手に酷似した部位がある。肩に二つ、肘に二つ、手首に一つの五つの関節と、指が三本あった。羽は物を掴む、キーを打つなど複雑な動きも可能で、前腕と同じように自由に動かすことができた。
狭長な足は踵を浮かせて常に爪先立ちとなっている。その為バネのような柔軟な動きを可能にしており、この種族は常に裸足であった。ゆったりとした硬めの手触りの服を纏い、色はこの周囲の色に相応しい白に統一されていた。羽の動きをスムーズにさせる為、肩を露出させている。胸辺りにきめ細やかな刺繍が銀糸で施されていた。
扁平な顔、薄灰の体色、後頭部にある第三の瞳、細身の体格に九近い等身、両腕の付け根からの羽。
全ては、この惑星に生まれた種族――完璧なファダーである証だった。
その者は優雅な足取りで礼拝者の背後を進み、右手の扉に入っていった。注目する者はいない。彼は音を立てることなく通路を進んでいく。流れる賛歌が、余韻を残しながら途絶えた。最後に祈りの文句を唱え、礼拝を終えた者達は各々の仕事へ向けて帰ってゆく。この世界で遊技をする者はいない。遊ぶという概念がないのだ。彼等は始まりの礼拝をした後に時間通りに職務を果たし、礼拝で日を終える。六時間ほど睡眠を取り、再び祈りの家へ向かう。昼夜の区別がないエスフェラでは、礼拝を一日の区切りとしていた。
始めと終わりの礼拝はそれぞれ三回行われる。日に二回の礼拝は義務であるが、何処で参加しても良いことになっている。彼は既に礼拝を終えていた。仕事の都合でファダーは参拝する時間を替える。それ故、参拝によって仕事が滞ることはない。
それが一生繰り返される。このサイクルは、これからも永遠に変わることがないだろう。
左の扉を開け、彼は長い廊下を歩き続ける。側面には化学合成の銀糸で編まれたレースが飾られている。一定の足取りの末、彼は廊下の中間に位置する扉の前で立ち止まった。そこは大聖堂の中央を向く、極めて神聖な部屋の一つ。その者は落ち着いた声を発した。
「クスーフです。只今戻りました」
「入れ」
返した低い声音は女性だった。クスーフと名乗った男性は「失礼致します」と声を掛けながら、丁寧に扉を開ける。
そこは漂白されたように白い清純な空間だった。壁や調度品には金糸の装飾が成され、右側に嵌め込まれた薄手の硝子からは淡い光が差し込んでいる。
正面に据えられた細緻な椅子に女性が座っていた。面はファダー特有の様相を色濃く表しており、黄金色の眼差しは慈悲深い。たっぷりとした金髪を三つ編みにし、後頭部の瞳を避けて後ろに垂らしている。肩を露出させた白い布地の服は、金糸で飾られている。対の羽がしなやかに伸びていた。何処も欠ける箇所がない完全体。
神の啓示を授かる139代目のイエレアス、ルーヌラ。
イエレアスは神の仲介者を担う最高権力者のことである。古から受け継がれる絶対不変の御言葉を世に伝え、揺るぎない確固たる基盤を保持する役目を持つ。神聖な儀式を行う際は中核を成し、率先して祈りを唱えて神を崇める。イエレアスの意志は神意と言っても過言ではない。民衆はアサナトに最も近しい者として彼女を妄信していた。
立膝をして恭しく頭を垂れた姿に、ルーヌラは静かに問い掛けた。
「私の願いは分かっておろうな」
「はい」
名を呼ばれた者は頭を益々垂れる。ファダーにとっての願いは、唯一つだった。
「世界をあるがままの、完全な姿に戻すことです」
「何故神の望む世が果たされないのだ? イヨルティまで、もう日がない」
完璧は混沌から産まれた者達によって穢されてしまった。17年前にアサナト神の思し召しは達成できる筈だった。だが事態は一変してしまった。忌まわしい者達には逃げ延びられ、目的達成が果たせなかった。それだけではない。その者達が任務遂行の邪魔をし、翻弄してくるのだ。悲願が一向に成就出来ないばかりか、神の名誉が穢れてしまう。
クスーフはゆっくりと言葉を紡いだ。
「我々の行動を〝視て〟いる者が存在していると考えられます。事前に予知をしているか、行動を見据えて指示を与えている。その者が、聖地を脅かしています」
「……となると」
ルーヌラが先を促すと、クスーフは微かに躊躇の色を見せた。この先は憶測に過ぎず、話すのを躊躇っていた言葉だったのだ。しかし、調査が停滞してしまった今、不明瞭な情報でも報告した方が良いと彼は判断した。クスーフは一気に言い放った。
「未知のユドラ使用者かもしれません」
ルーヌラの表情が変わった。ユドラ。知られている力を除き、謎に包まれている能力。混沌から発する異端の能力であり、排斥すべき存在。ルーヌラは椅子から立ち上がり、クスーフを見下ろした。
「ならば、その者を抹殺せよ。この世界は一片の欠陥もあってはならない。式典前には、いいえ、一刻も早く浄化なさい」
神に最も近いと言われている存在は、不完全者の蔑称を呼んだ。
「カーリドを抹殺せよ」
深く一礼をして、エクェスの司令官は退室した。
☩ ☩ ☩
『このまま北へ向かって下さい』
「分かった」
白と灰以外存在しない乾いた街並みを、六名の者達が歩いていた。
左右対称の無味乾燥とした建物が並んでいる。白石に窓をはめ込んだ四角形の建築物。一直線に伸びるくすんだ通路。何処を進んでも殺風景な同じ景色。薄灰色に染まった空からは、僅かな光が辺りに差し込んでいる。
物音と言えば衣擦れの音と微かな話し声だけで、生活音はないに等しい。味気ない景色に溶け込んで、建物と同じような無機質の瞳をしたファダー達が、街を一律の速度で歩いている。それは何処に行っても変わらない、絶対不変の世界。
彼等は区民の速度に合わせて歩行をしていた。一様に身体をすっぽりと覆うことができる外套を纏っている。身体の様相は窺い知れない。
何度かファダーが横切るものの、他者に興味を向けようとしない為、誰もその存在に気付くことはない。これから礼拝の時間になる。一般者は教会へ足を運んでいるのだろう。午後の祈りは三度行われ、そのいずれかは必ず参加しなければならないのだから。
流れに紛れて、彼等は徒歩を続けた。途中、アイコンタクトをして互いを確かめ合う。その者達は一般のファダーとは根本的に違っていた。周囲に悟られないように自然に移動を続け、彼等は教会へ行く波から外れる。もう直ぐで目的地に着く。
先頭を進んでいた者が、微かな声で囁いた。
「状況は?」
『扉の前に警備が四体。室内に――八体います』
返事は横からでは無かった。問い掛けた者の脳内に直接声が響いてきたのだ。慣れた様子でその者は軽く頷く。今度は口に出さず、意識内で問い掛けた。
『不審な点は?』
『問題ありません。ただ、解除をすれば直ぐにエクェスが現れます。気を付けて下さい、ヒラールさん』
『ああ』
ヒラールと呼ばれた者は短い返事をした。
この伝達能力はユドラと呼ばれ、全てのファダーが有する力である。ただし、それは短い言葉に限られる。精々相手の意思や無事を確認する位のものだ。ヒラールも例外には漏れていなかった。しかし、返信者は違う。
その者は彼等の戻るべき場所にいて、言葉の全てを受け取り、伝える。更にそこから状況を〝視て〟指示を出しているのだ。
ヒラールは腰にある物に手を触れた後、道から逸れた。後ろを行く者達も道を外れ、気配のない処に隠れた。辺りを見渡し、ヒラールは外套を取り払って動きやすい格好となった。それに倣うように仲間達も上着を脱ぐ。身体の特徴が露わになる。この状態で姿を見られたら、まずいことになるだろう。
彼等は、完璧なる世界から排斥された者達なのだ。
ヒラールは鋭い視線を辺りに向けながら、簡単に情報を仲間達に告げた。
「外に四、中に八だ」
すると情けない声を上げた者がいた。
「リーダー、そんなにいるんですか?」
声の主はまだ少年だった。釣り目の大きな瞳が怯えたように動き、あからさまに不安そうな面持ちをしている。
「それだけだと思え」
異様に背が低い少年の頭を帽子の上から軽く小突き、ヒラールは進んだ。小道を滑らかな動作で移動し、目的地へ到達する。物陰に身を潜めて様子を窺う。
扉の前には、神の使い特有の着衣を纏った警備の者が立っている。此処から見る限り二体しか見えないが、後二体は死角にいるのだろう。
仲間達も陰から一様に覗く。
「応援を呼ばれるまで、十秒というところですか」
呟いたのはリーダーの隣にいる青年。オッドアイの瞳を細めて分析している。
「恐らくな。ヘテル、それまでに片付けるぞ」
「分かりました」
ヘテルと呼ばれた副リーダーは彼の言葉に頷きを返した。ヒラールは腰に備え付けた白き銃――ヴァッフェを抜き取り、感触を確かめるように一度手の中で回転させた。
そして、跳び出した。
ヒラールは一体の警備の眉間に撃ち込んだ。射撃音は殆どしない。銃口から青白い光が瞬き、不可視のエネルギーは敵を標準通りに貫通した。仲間達が続いて残っている者の急所へ撃つ。
このヴァッフェはプロトンを亜光速まで加速し、発射する銃である。地場により容易に拡散するので飛距離はあまりないが、その代わり破壊力は凄まじく、プロトンが特殊な働きを行って対象物は原子レベルで分解される。貫かれた者は傷を中心として、粒子に変化し空気中に消えていく。その連鎖は銃創を超えて全身に及ぶ。進行が進む前に部位を断ち切らなければ、全身が塵となる。
警備の者は、分解されて空に散って行った。
その数四。周囲に気付かれた様子はない。応援を呼ばれる前に排除できたようだ。
「入るぞ」
扉は厳重にロックされておりID認証を要求してきたが、少し待つと解除された。何事もなかったように横にスライドする。基地にいる仲間が操作したのだ。腰に武器を戻してから、ヒラール達は建物内に滑り込んだ。
内部ではヴァッフェは使えない。機器に直撃してしまった場合、対象物に危険が及ぶかもしれないし、アサナト教の聖軍団エクェスに即座に知られてしまうからだ。エクェスはハラム直属の軍団で、不完全者を抹消する使命を帯びている、最も厄介な相手だ。これからの作業を思うと、ぎりぎりまで察知される訳にはいかなかった。エクェスを呼ばれる前に内部の者を異なる武器で倒すしかない。
一同は辺りに目を凝らした。円形の広い部屋だ。真正面には巨大なコンピュータ端末と画面があり、その周囲には特殊な硝子製の筒が均等な間隔で整列している。筒内は養液で満たされ、胎児が浮かんでいた。
此処はマラークと呼ばれている場所。
科学的に造られた生命育成場で、いわゆるファダーを産み出す施設だった。ファダーは胎生で妊娠期間は9ヶ月。だが、母体で育つ胎児はいない。エスフェラでは適齢期が来た母体から卵子を取り出し、体外受精させて受精卵を硝子管に入れ、教会――ファクルが経営するマラークで育てるのが通例であった。胎児は9ヶ月間養液で満たされた装置に入って成長していく。自発呼吸ができる段階となると容器から出され、誕生となる。
マラークは成長によってⅠからⅢの三段階に分けられている。彼等が向かう部屋は初期のⅠで、どれもまだファダーの形を成していない。産まれるには早期過ぎる未熟児だ。生命達は矮小で未分化な肢体を浮遊させているのみ。個体の成長段階によって部屋が分けられているが、時期によって移されることはない。Ⅰの部屋が三ヶ月経つとⅡに変化し、更にⅢに変わる。そして新たにⅠの胎児が入れられることとなるのだ。
染色体が分裂する初期が三段階の中では最も異常を起こしやすい。中には例外もあり、ⅡやⅢの段階に異常が発覚する場合もある。いずれにせよ欠陥を目視で見つけるのは難しいので、DNA生成の過程で異変があった場合は警報が鳴る。万が一胎児に欠陥が見つかった場合、生命維持を切り活動を終わらせる。こうして不完全は淘汰される。
産まれた胎児は個別IDを与えられて適齢期になるまでファクルで育てられ、アポストルと呼ばれる場で平等の教育を受ける。そこでアサナト神の信仰、社会システム、生死観、将来従事する仕事についてなど、徹底した知識を得た後、十九歳になると自らの勤め先を決める。就職して一年は修練中としてアポストルの共同宿舎から通い、独立したら教会から住まいが与えられる。それからは礼拝と仕事を繰り返す日々が続く。
青年期に数度、マラークから報せが届く。内容は子孫存続の為の生殖細胞の提供。強制的ではないものの、それを当然としているファダー達は無条件でそれを受け入れる。マラーク内部にある施設で簡易な手術が行われ、精細胞や卵細胞が摘出される。過程は公開されていないが、連綿と受け継がれている公的な手段でそれらを受精させ、命を創るのだ。
ファダーの総数はおよそ39億体。ハラムに隣接している大規模なマラークを核にして全体で50000以上の施設があり、一年の出産数は約4600万体である。出産と死亡数は半ば比例しており、この数字は約8000年間ほぼ水平線を保っている。
彼等はファクルと仕事場を行き来して老いていく。そして動けなくなって不全となる前に、最期の時を自分で決める。ファクルと隣り合っているラウフと呼ばれる施設へ行けば、幸福死が授けられるのだ。ファダーは最期まで自らの両親を知らない。家族というシステムを形成せず、必要ともしていなかった。ファダー全体が一つの社会的個体として生活していたのだ。
こうしたことをエスフェラでは当たり前と思われている。
ヒラールは敵を数えた。施設の中には予告された通り、八体の従事者がいた。彼等は各々の職務を淡々とこなしている。異変に感付く者はいない。
『どれだ?』
此処にいない者に問い掛けると、直ぐに答えが返ってきた。
『249です』
了解の意を軽く表し、リーダーは内部に踊り込んだ。務めをする者達は気配を感じ、一斉に扉側を向いた。彼等は武装している一団を認め、黒い目を大きく見開いた。
「……カーリド!」
ヒラールは一気に間合いを詰めて、相手の顎を蹴り上げた。鈍い音が響く。
恐怖に顔を引き攣らせたまま、その者は床に昏倒した。手加減をしていないので、首はあらぬ方向に曲がっていた。向きを変えたヒラールは、次の標的の首筋にレーザナイフを見舞った。確かな手応えを残して敵は倒れ込んだ。
この武器は本来、宇宙船や建築物を製作する時に鉱石や金属の削り出しに使われる道具だ。銀のグリップに透明な刃が付いている。持ち手を上にして握ることで自動的に刃の部分にレーザが発生。先端の微細レンズへ光が絞られて高エネルギーが生まれ、白銀の光を帯びる。高温を発しても取手には影響がないように加工されていて、どんなに硬い物質でも容易く切ることができる。
ヒラールが周りを見渡すと、既に他のターゲットは仲間に倒された後だった。揃って床に伏している。全て息はしていない。どうやら救援を呼ばれる前に処理できたようだった。これで時間が確保できる。
ヒラールは入って来た扉を閉めて、先程の小柄な少年に声を掛けた。
「カマル、任せた」
「りょ、了解です」
カマルは恐る恐る中枢機関に進み、コンピュータの前に坐した。数えきれない程の操作盤が列を成している。カマルは深呼吸をして、キーに指を走らせた。背後の羽も利用して高速に押してゆく。機械的で規則的な音が広がる。画面が次々と変化して天井にも光の線が走り、文字が浮かび上がってくる。カマルは一度手を止め、統率者に話し掛けた。
「ナンバーは何ですか?」
「249だ」
キーを押す行動が再開される。数字の羅列が流れていく。ヒラールは少年の背後に立って、腕を組んで作業を目で追っていた。意識だけは周囲に巡らせて警戒を怠らない。指示者の警告がないので、まだ安全は保証されている筈であった。しばらく作業に没頭していたカマルだったが、つと四つの動きが止まって、背後に立っていたリーダーに再度話し掛けた。振り返らずに後ろの瞳で見つめてくる。
「これを解除したら、ばれますが良いですよね」
「当たり前だ」
瞬間的に返された答え。カマルの瞳は恐々としていたが、手を再び動かした。
やがて軽い音が鳴り、ロック解除の知らせがモニターに現れた。天井の光が一点に集中する。胎児を入れた一つの容器が突出し、せり上がった。取り外しが可能になったのだ。それと同時にコンピュータ画面が赤に変化し、緊急事態を告げる音が辺りに響いた。本来、胎児の装置ごと外されることはない。単体で取り扱われることもないし、産まれるには早期である。異常を伝えるには充分だった。
カマルは幾つかのキーを強く叩き、警報を消した。相手も生温い設計をしている訳ではない。どんなに出し抜こうと高度な技術を持っても、気取らずに行うのは難しい。これで敵側に知られてしまった。
カマルは主張している容器に近付いて行き、大切そうに両の手で掴んだ。思ったより重量があったのか、バランスを崩しかけて慌てて抱き留める。カマルは養液に入っている胎児を、そっと覗き込んだ。まだ数センチ程の大きさで、外見は他の胎児と大差ない。しかし実際には自分達の仲間、カーリド。時間が経てば消されてしまう命。歪な身体を持つ不完全者だ。
カマルが胎児の入った容器を小脇に抱えた時、ヒラールの脳に指示者の声が届いた。
『エクェスがスピラルから現れました』
「早いな」
迅速に行っていても、この惑星にはスピラルという瞬間移動装置がある。
九から十八名程が入れる細長い筒のような形をしており、予め(あらかじ)IDを登録して数分間のスキャンを実行しておけば、IDと行先を打ち込み、生体認証を行うだけで任意の場所にあるスピラルへ瞬時に移動することができる。それはあらゆるところに毛細血管のように張り巡らされており、ファダー達の移動は全てスピラルで行なわれていた。
瞬間移動のシステムは次元を歪めて空間の距離を縮め、対象を分子に一度分解して目標地点へ送る。そしてスキャンデータを元にして再構築させ、移動させる。毎日数億単位でスピラルが利用され、8000年以上が経過しても事故は一度も起こっていない。
一連の流れは理解しているものの、詳しい原理を追われる者達はよく知らない。どのように空間を縮めるのか、どのように分解して構築するのかなど多くの不明瞭な部分がある。嘗て不完全者の間に解明を試みて成功した者がいるが、技術は失われてしまった。
ごく短時間で敵は此方にやって来る。ヒラールは小さく舌打ちを零し、エクェスが現れた地点を指示者に問おうとしたら先を越された。
『――595のスピラル。このまま八区方面に進んで下さい。誘導します』
分かったと返事をし、ヒラールは仲間達の先頭に立って走った。事態を察した同士は何も言わずに付いて行く。カマルは容器が揺れないように懸命に抱えており、彼の肩に仲間が手を添えていた。
『マラークを包囲し始めています。左へ沿って』
ヒラールは扉を開け放ち、置いていた外套を拾った。彼等は全速力で走る。
『右後方から来ます!』
指示者の鋭い声。角を曲がった瞬間、目の端に聖軍団の影が映った。
ヒラールは長衣を投げた。一斉にヴァッフェが照射され、命中した外套は瞬く間に塵となった。ヒラールは反撃をし、光線は相手の左脇腹に当たった。
『三つ先で左。直ぐに右。そのまま直進して下さい』
先導者の言葉を頼りに、道を抜けて規則的に配列された建物の死角に入る。支持に従いながら進んでいくと、右側のスピラルから二体のエクェスが飛び出してきた。相手が撃つより速くヒラールの攻撃が敵を捉える。過ぎ去ろうとした時、また声が響いた。
『左のスピラルから三体!』
再び脅威が装置から出現した。ヒラールは反射的に一体を撃つ。だがヴァッフェは三発の連撃の後に、エネルギーの充填に19秒が必要である。もう一体が引き金を引いたのでヒラールが横に跳躍をすると、不可視の力は足元を掠めた。二撃目を撃たれる前に詰め寄り、羽に握っていたレーザナイフを横薙ぎにする。後頭部の瞳で確認し、右手でヴァッフェを背後へ撃つ。それはカマルに標準を当てていた敵の首に直撃した。
「うわっ!」
発作的に発射された敵の荷電粒子弾が、彼の頭上を通り過ぎる。カマルは半ば腰が引けているものの、懸命に足を動かした。最後尾にいたヘテルが後方から現れた敵に発射する。
ヘテルの脳内に、緊迫した声が響いた。
『上です!』
見上げると、施設の屋根から撃とうとしている者が目視できた。カマルを庇うように立ち、ヘテルは引き金を引いた。光は過たず胸部に命中した。その者は原子となって空中へ溶け込んでいく。
「逃すな! 経路を断て!」
敵の指示が聴覚に入る。徐々に包囲網が狭まっていく。
『正面と左は網を張っています。右を抜けて、645のスピラルを利用して下さい』
「ヘテル、俺が後ろに付く。645だ」
ヒラールは速度を落とし、ヘテルに呼び掛けた。仲間達が追い越していく。副リーダーを先頭、胎児を持つカマルと三名の者を中央にしてヒラールは最後を走った。右側にいたエクェスを消滅させ、彼等は建物の間を縫っていく。指示者の言葉通り、進む先に聖軍団はいない。やがて目標のスピラルが見えてきた。
「あと少しだ!」
眼前まで来ると軽い電子音が鳴り、閉ざされたスピラルの入口が開かれた。容器を抱えたカマルを優先して入れ、彼等は中に入り込んだ。
内部の右側にはIDと目的地を打つ入力装置がある。ヘテルはユドラで基地にいる仲間に呼び掛けた。直ぐさま返事があり、スピラルに変化が起こった。画面が明滅して指示待ちの状態となる。カマルは容器をそっと床に置いて素早く入力した。
スキャンまで148秒と画面に表示される。救出した胎児のスキャンデータがない為、時間が掛かってしまうのだ。読み取りが終わるまでカマルは此処を動けない。
ヘテルと仲間達は装置から出て、周囲を素早く見渡した。敵はいない。導き手によると、本団はまだ離れているらしい。ヒラールは彼等から百歩程離れた、見晴らしの利く場所に立っていた。ヘテルはユドラで秒数を伝える。リーダーは導き手に促された方角を注意しながら頷いた。残り96秒という所で、指示者の声が響いた。
『正面の建物。右の角から二体』
反射的にヒラールはヴァッフェを斜め右へ向けた。動く二つの影へ連撃する。その様子に他の仲間達も警戒を深める。
『右側面、一体』
指示通りの存在へ撃ち込もうとしたが、白壁へ隠れられてしまった。ヒラールは小さく舌打ちを零し、自らも死角に移動した。敵の出方を探ろうと覗いた時、前方からくぐもった悲鳴が聞こえた。エクェスが原子となり散っている。背後の瞳で確認すると、ヘテルが破壊の光を撃ったようだった。仲間達も立て続けに攻撃を行っている。
『あと30秒!』
カマルの呼び掛けに、彼達は一斉にスピラルへ向けて走った。その数十歩後方をヒラールは走る。左の建物の陰からエクェスが現れた。仲間は走りながら神に仕える敵を撃った。相手は倒れたものの、再び追い縋ろうとする者が現れた。ヒラールの背近くを不可視の光が掠める。
『完了!』
仲間達がスピラルへ入った。ヒラールは走りながらヴァッフェを羽へ持ち替え、背後に向けて撃った。確認する間もなく、彼は仲間に叫んだ。
「閉めろっ!」
カマルが目的地の番号を打ち込み、機械を起動させた。承認と明記され、頭上から自動で金属性のシャッターが後下してきた。徐々に閉じゆく扉。
「リーダー!」
カマルの叫びが響く。姿勢を低くし、ヒラールはスピラルに滑り込んだ。
シャッターが完全に降りる。淡い光球が周囲を包み、内装が揺らぎはじめ、特有の浮遊感が生じた。聴覚が軽い高音を捉え、意識が薄らいでいく。仲間達の元へ転送されるのだ。瞳を閉じたヒラールの脳裏に、指示者とは違う弾んだ声が聞こえてきた。
『揃っている?』
カーリド達の姿が消えた。
☩ ☩ ☩
閉鎖的な部屋の中で蹲っている者がいた。
椅子を後ろにずらし、金属製の机に伏せるようにしている。胸の前で両手は固く握られ、微かに震えていた。その者は双眸を閉じ、深い呼吸を繰り返した。弱々しく、苦しそうに途切れ途切れの呼吸を続ける。磨き上げられた銀色の机に顔が反射している。僅かに目を開けると、疲れ切った彫りのある容姿がその者の視界に映った。激しい眩暈に吐き気が込み上げ、強く瞳を閉じる。
凄まじい体調の変動に耐えていると、背後から声が掛った。
「バドル、お疲れ様」
手が伸び、細身の背中を優しくさする。バドルと呼ばれた者はしばらく荒い呼吸をしていたが、やがて面を上げた。
「ありがとう。ルーナ」
弱々しい笑みを浮かべ、目を瞑る優しげな女性を見つめる。まだ彼女の手は背中をさすり続けていた。
「揃っている?」
向こうの扉から明るい声が聞こえてきた。それから軽い音が続く。
無事に仲間達が帰って来たのだ。バドルは起立しようとしたが、眩暈を覚えて座り込んでしまった。その姿勢のまま、彼女を促した。
「先に行って下さい」
ルーナは心配の表情を浮かべたものの、労いの言葉を掛けて扉の先に消えた。瞳は閉じられたままだったが、それを感じさせない毅然とした足取りだった。
バドルは机に額を付けた。額に冷たい感触が広がっていく。割れるような頭痛がする。全身に脱力を感じ、視界がぶれ、高音の耳鳴りがする。激しい動悸に胸が押し潰されたように苦しい。酷い体調だった。
瞳を閉じる。ざわざわと歓声が聞こえる。自分のいるべき場所。辛い思いをしても、守らなければならない世界。例え命が削られるとしても。
ひとしきり安静にしていると、徐々に良くなってきた。軽く首を振り、深呼吸をする。バドルはゆっくりと立ち上がって、隣の部屋へと足を進めた。
スライド式の扉を抜けると広い場所に出た。先程の狭い部屋とは比べ物にならない程の解放感。此処はメインルームだ。やや横長の部屋の中央には光沢を放つ白銀の長机があり、幾つものコンピュータが並んでいる。幅広の画面には複雑な地図と文字列が連なっていた。くすんだ白壁と灰色の床は、何も掛けられたり置かれたりしていない。左右には他の部屋へと通じる扉があった。
左側の扉が開いており、近くに仲間達が集っている。目線を向けると声が掛った。
「バドル。大丈夫か?」
この組織ハイマートを取り持つリーダー、ヒラール。その隣では、副リーダーであるヘテルが心配そうにバドルを見ていた。仲間達の視線が次々に注がれる。
カマルが抱き抱えている容器に浮かぶ、消える運命を背負った小さな命。
見落とされた命もあるだろう。不成功となって喪われた命もあった。だが、この者は一命を取り留めたのだ。
バドルは助かった生命を眩しく見つめ、穏やかに答えた。
「はい。私ができることですから」




