歌純「.........ち、ちょっとだけ心配だなって。」
携帯を握り締めて、やる気の炎をゴウゴウと燃やす聖神。そんな聖神を背に背負い、道路を大した宛もなく爆走するあたし。
視界の端に映る特に法則性もなくゆらゆらと上がる黒い煙を横目にし、ビョウビョウという風を切る音を聞きながら、あたしはさっきあった出来事を思い出していた。
*****
バスから流れてくる血の量は単なる交通事故にしては多すぎる気がした。
するとその瞬間、全身の血が一瞬凍る様な嫌な予感がした。これまで何か命の危険を伴うような事が起きる前に感じていた感覚と一緒なので、まず間違いなくこのバスの中で何か起きるだろう。
なのであたしは、流れ落ちてくる血を見て今にも吐きそうなのを我慢している聖神を置いて、1人バスに乗り込んだ。
バスに入ってすぐにこのバスを運転していたはずの人間が居ないことに気付いた。バスの運転座席にはベッタリと血が付いてるけどもぬけの殻だった。
何で事故が起きたのか疑問に思ってたけど運転する人間がいないなんて、そりゃあ必然的に事故だって起きるわよね。ここの運転手は一体どこに行ったのかしら。
気を取り直して今度は座席の方へ視線をやると、まだ外は明るい筈なのにまるでお化け屋敷のような雰囲気が漂っていて、思わず昔聖神といった遊園地を思い出した。
聖神ったらあたしにいい所を見せようと思ったのか、怖いのを我慢しすぎて途中で過呼吸になっちゃったのよ。ほんと、聖神は可愛いわ。
おっと、今はそんな事思い出している場合じゃないわね。
「誰か無事な人いるかしら。いるなら返事しなさい。」
出来るだけ奥には行かずに、出入口付近で声を上げる。シンとした車内にあたしの声が響き渡る。暫く返事を待つと、バスの後ろの方からなにやら呻き声が聞こえてきた。
あたしは咄嗟に駆け寄ろうとしたけど、その声に混ざって何か別の音が聞こえるのに気付いて立ち止まる。耳を澄ましてよく音を聞くと、どうやら何かを食べている咀嚼音のようだった。
何でそんな音が聞こえるのか不思議に思い、あたしはその音の発生源であるバスの1番後の座席へと歩いていく。その間にも他の乗客を見ていくが、全員息絶えていた。
普通なら、事故ってるのに呑気に飯なんて食ってるんじゃないわよって怒るかもしれないが、それよりもバスに乗る前に感じた嫌な予感がどんどん膨れ上がっていたのだった。
発生源に近付くにつれて、無意識の内に拳を握り込む。
ゆっくりと進んでいくと、だんだんとその音の全貌が見えてくる。
そしてその全てを見た時、流石のあたしでも思わず息を飲んでしまった。
そこに居たのはバスの運転手の制服を着ている何かが、女性だったと思われる人の顔に自分の顔を当てている所だった。
それはキスとかそう言うのじゃなくて、吸って何かを食べていたのだ。
それを見て思わずその何かの襟首を掴み上げ、あたしが来た方へとぶん投げてしまった。
一瞬やっちゃったと思ったが、その何かが床に落ちる前にあたしは視線を先程の女性に向けた。
女性の顔は目のあたりが血と唾液の様なものでべちゃべちゃに濡れていて、そこには本来あるはずの物が無く、空洞になっていた。
あたしはそっとその女性を椅子に横たえてから振り返り、無様に床に転がっている何かの方へと向かっていった。
あたしが辿り着く頃にはその何かも立ち上がっていて、あの女性の物と思われる血に濡れた顔をこちらに向けていた。その表情は虚ろだったが、目だけはあたしとがっちりあっていた。
そして、その何が声を出す前にあたしはそいつの首を掴み、持ち上げた。
「てめぇ、自分が何をしたのか分かってんのか?」
「ぁ.....あぁ.........。」
「あ?何理由の分かんねぇ寝言くっちゃべってんだよっ!」
言い終わるが早いかそのまま全力フルスイング。
いつもなら弧を描いて飛んでいくのだが、何分天井が低いバスの中なので天井にぶつかると無様に地面にべシャリと落ちた。
「.....ぁあ.........。」
「.........もういい、続きはサツにでも聞いてもらえ。それまでは.....寝てなっ。」
何かを求めるかのようにこちらに手を伸ばすそいつの手を蹴飛ばし、一撃で確実に意識が飛ぶように鳩尾に一発拳を叩き込む。
意識が飛んだかの確認はするだけ無駄だろう。
生存者の確認という目的は最悪の結果で確認出来たので、聖神も待っているだろうしそろそろ外に出ようかと顔を上げた時、バスの入り口近くの座席に立っている人影に気付いた。
あら?全員確認したつもりだったけど、見逃したのかしら?
「ねぇあなた.........。」
その人物に声をかけようとして途中で言葉が途切れる。
「.............これは一体どういう事なの。」
その最初の人物が立ち上がるのが合図かのように次々と立ち上がっていく人達を見て思わず言葉が零れる。
まさか、全員生きていた?そんな馬鹿な。あたしがそんなヘマする筈がない。
1人なら見逃したのかと思ったが、車内に居た全員が立ち上がりあたしを見る。頭から血を流している者や、腕の骨が変な方向に折れている者など。皆様々な致命傷を負っており、一見無さそうであるその者達の共通点は瞳だ。その瞳は生気を感じられない、まるで死者の物だった。
そして、暫く硬直状態が続くと突然近くに居た首の骨が折れて直角に曲がった女性が襲いかかってきた。それを皮切りにバス内に居た全員が襲いかかってくる。
彼らは確かに死んでいる。死んでいるのにこうして生きているかのように動いている。
その異常な事態にバスに乗る前に感じたものと同じ全身の血が凍るような感覚に襲われた。
これは逃げなくては。
そう思い、襲いかかってくる者達を殴り飛ばし入り口へと駆けていこうとして寸前に思いとどまる。
入り口には聖神がいる。聖神にこの訳の分からない奴らを近づけるわけにはいかない。
あたしはその場でUターンをし、左右から襲いかかってくる手を上手く掻い潜り、バスの後部座席へと辿り着くと、邪魔な奴は投げ飛ばし、躊躇なく窓ガラスを突き破りバスから脱出する。
「え?か、歌純さん?!」
地面に着地し、聖神の声が聞こえたのでそちらの方に視線を向けると、若干青ざめた表情の聖神がいた。
「聖神!逃げるわよ!!」
「突然どうしたのですか?中で何かあったのですか?」
「後で説明するから!今は.........って、聖神!後ろ!!」
あたしが視線を突き破ったバスの窓にやってから、聖神の方へ戻すとそこには先程息を引き取った筈のタクシーの運転手がいた。
「運転手さん!生きてたんですか!!」
「そんな訳ないでしょ!!」
思わずといった感じで、その運転手に近付こうとした聖神よりも先に運転手に近付くと遠慮なく顔面に一撃を入れる。
先程とは違い、今は外なので綺麗に放物線を描き運転手が飛んでいく。
「歌純さん何してるんですか?!」
「あいつはもう死んでるのよ!死んでるのに動いているの!!私が見間違えるはずないでしょ!!放っておけば何故だか分からないけどあなたも襲われてたのよ!バスにも似たような奴がいっぱいいたの!こんなところにいたら何されるかわかったもんじゃないわ!!いいから逃げるわよ!!!」
これ以上ここに居ては、あたしはともかく聖神が危険なので、早口でまくし立てると羽のように軽い聖神を肩に担ぎすぐ様その場から離脱する。
途中までバスに居た奴らが追いかけてきていた様だが、いつの間にか撒いていた。
*****
あいつらは何だったのだろうか?
この世界は一体どうなってしまったのだ。
さっきの奴らももう追ってこなくなり、ほっとしたのか色々な考えが頭をよぎる。
思うのは向こうに残してきた緋彩と怜我の事だ。
先程は聖神が心労で倒れないように、問題ない大丈夫だと言ったが、離れている今信頼してはいるが家に居る筈の緋彩と怜我が少し心配だ。
「歌純さん?静かですがどうかしましたか?」
聖神に声を掛けられハッと我に返る。
心配そうにこちらを見つめる聖神に、何も無いと心配をかけないようににこりと笑い首を振る。
「何かあるんですね?どうしました?やはり緋彩さんと怜我くんが心配ですか?」
聖神の的確な指摘に思わず、うぐっと息が詰まる。聖神はエスパーなの?!
まるでこちらの全てを見透かしているような聖神の澄んだ青い瞳に見つめられ観念して、周りの安全を確認した後に走るのをやめ聖神を地面に下ろした。
「.........ち、ちょっとだけ心配だなって。」
恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じる。
あれだけ自信満々といった風に大丈夫だと言ったのに、今更こんな事を思うなんてあたしらしくないから恥ずかしい。
「…………………。」
「な、何よ!なんか文句でもあんの!」
真顔で無言になってしまった聖神に、なんとも言えない気まずさから思わず顔を逸らし強く当たってしまう。
こんな何が起きているのかよく分からない非常事態の時に、なんてあたしは可愛げが無いの。これじゃあ学生時代から全く成長してないじゃない。
内心自分の言動に後悔しつつも、顔には出すこと無く、ちらりとさり気なく聖神の顔色を伺う。聖神は下を向くと口元を隠すように手を持っていき、あたしの態度への怒りからかぷるぷると小刻みに震えていた。
うぅっ、やっぱり怒っているのね。そりゃ、あんな言い方されたらあたしなら言ったそいつを確実にぶっ飛ばすわ。聖神が怒るのは当然の事よ。
怒りに震える聖神に、知らぬ間にあたしの勝気に上がっていた眉はしゅんと下がっていた。
「.........歌純さん?」
「!?なっ、なによっ!!」
「やはり、歌純さんはとっても優しい素敵な女性ですね。あなたと出会う事ができて僕は世界一の幸せ者でしょう」
「.....は?」
優しい笑顔を浮かべた聖神に、てっきり怒られると思っていた私は続く聖神の思ってみなかった言葉に、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
そしてそんなあたしの反応などお構い無しと、ぎゅっとあたしを抱き締める聖神。
「.....は?え??なっ、何してるの?!」
「ふふふ。可愛らしい歌純さんに、つい自然に体が動いてしまいました。」
この流れの何処に可愛いとかいう要素があったのよ!!
全く理解できないわ!
そう心の中で思うが、不覚にも今のあたしの顔は聖神のせいで茹で蛸のように真っ赤で緩みきった表情になってしまっているので、自意識過剰かもしれないがあたしを抱き締めて幸せそうな顔をしている聖神の胸にその顔を隠すように押し付けた。
「.....ごめんなさい。照れ隠しとはいえキツイ言い方しちゃって。」
「全く気にしていませんよ。僕は歌純さんのそういう所もすごく可愛いと思ってしまうんです。こんな僕は気持ち悪いですか?」
「.........気持ち悪い。」
「えっ?!」
余裕を見せる聖神に少し悔しく思ったので、顔を上げて、仕返しとばかりにちょっぴりいじわるを言ってやると途端にニコニコした笑顔が絶望に塗り変わった。
「でもそんな聖神があたしは好きよ。」
「か、歌純さん.........。」
そして間髪入れずに腕にギュッと力を入れ、抱きしめながらそう言うと、感極まったように聖神が抱き締め返してくる。
そして、あたしは数十年ぶりだがもう一度決意する。例え相手がよく分からない怪物だったとしてもあたしの目の黒い内は何があっても、抱きしめてくれるこの暖かい手や大切な宝物たちに絶対に手出しはさせないと。
一人、ぐっと手を握りしめた。




