一目惚れなんて、脳のバグ
第一話 「一目惚れなんて、脳のバグだと思ってた」
一目惚れなんて、結局は顔だ。
そう言うと、大体の人は「夢がないねぇ」と笑う。
夢がないんじゃない。現実を見てるだけだ。
恋愛映画みたいに、目が合った瞬間に世界が止まるとか、運命を感じるとか、そんなものは脳内麻薬の誤作動でしかない。どうせ数ヶ月後には「価値観が違った」とか言いながら別れる。
だから私は恋愛に期待しない。
——そう、二十六年間、ずっと思っていた。
「……はぁ」
月曜、午前八時四十五分。
通勤ラッシュで圧縮された電車の中、私は吊り革につかまりながら死んだ目でスマホを見ていた。
通知は会社のチャットばかり。
『午前会議10分前倒しできますか?』
『資料の誤字修正お願いします』
『先方から追加依頼です』
うるさい。朝から人間のやることじゃない。
私はスマホを閉じ、窓に映る自分を見る。
黒髪ボブ。化粧は最低限。愛想ゼロ。
会社では「静かな人」で通っている。悪く言えば陰キャだ。
別にコミュ障ではない。ただ、人間関係にHPを使いたくないだけ。
昼休みも一人で食べるし、飲み会も断る。
唯一の趣味は、家で配信サイトを見ながらコンビニスイーツを食べること。
終わってる?
知ってる。
そんなことを考えていた、その時だった。
「……っ」
電車が揺れた。
誰かの肩が軽くぶつかる。
「あ、すみません」
低い声。
私は反射的に顔を上げた。
そして——
「…………は?」
一瞬、理解が止まった。
いや、違う。
脳が処理を拒否した。
目の前にいたのは、背の高い男だった。
黒髪。少し眠そうな目。ラフなネクタイ。たぶん会社員。
別に芸能人みたいな派手さじゃない。
なのに、意味が分からないくらい目を引いた。
なんだこれ。
なんだこれなんだこれ。
心臓が、変な音を立てる。
「……大丈夫ですか?」
男が少し首を傾げる。
その仕草だけで呼吸が止まりそうになった。
いや待って。
待って待って待って。
は?????
私、一目惚れしてる???
いやいやいやいや。
そんなわけない。
バカか。
見た目だけじゃん。
情報ゼロじゃん。
名前も年齢も性格も知らない相手だぞ?
こんなのただ顔が好みなだけだ。脳が勝手に勘違いしてるだけ。落ち着け。冷静になれ。
「……あの」
「っ!? だ、大丈夫です」
声が裏返った。
終わった。
社会人として終わった。
男は少し驚いたあと、小さく笑った。
「ならよかったです」
その笑顔。
その一瞬で、私の脳みそは完全に爆発した。
(無理無理無理無理無理!!)
何この破壊力。
こんなの反則だろ。
少女漫画か?
いや現実だぞ?
現実でそんな笑い方するやついる???
電車が駅に止まる。
男は降車口の方へ向かった。
あ、降りるんだ。
待って。
いや別に待たなくていいけど。
でも待って。
私は意味もなく男の背中を目で追ってしまう。
すると、降り際。
男がふとこちらを振り返った。
目が合った。
その瞬間。
——ニコ、とまた笑われた。
「…………」
扉が閉まる。
男がホームの向こうへ消えていく。
そして残された私は。
「……………………終わった」
吊り革を握ったまま、真顔で呟いた。
人生終わった。
一目惚れなんて見た目だけだって言ってた女が、開始三秒で落ちた。
矛盾にも程がある。
しかも名前すら知らない。
「最悪……」
顔が熱い。
周囲の乗客から見たら、たぶん私は急に赤くなった不審者だったと思う。
私は額を押さえながら、心の中で必死に言い訳した。
違う。
これは恋じゃない。
ただの錯覚。
ホルモン。
吊り橋効果みたいなもの。
満員電車効果。
そう、これは一時的な——
『次は、新宿〜』
「……新宿?」
私は顔を上げた。
あいつ、ここで降りたよね。
……毎日この時間なら、また会う可能性ある?
「…………」
数秒後。
私はスマホで通勤時間の変更方法を調べ始めていた。
——終わってるのは、たぶん最初から私の方だった。
(続く)




