1 転校生①「じゃあ、まだホヤホヤさんですねっ」
「ブルーベリーの小が一つ、コケモモの小が一つ」
モニターに表示された注文票と商品、配送伝票を確認、と。
小瓶二個用の透明ケースを組み立てる。ジャムの小瓶を入れて直方体のケースの蓋をしたらお店のロゴ入りシールを貼る。それを段ボールの小箱に入れて、周りに繭玉のような緩衝材を詰めこむ。箱を閉じてテープで封をして、配送伝票を貼る。
注文票の出荷担当者の欄に「悠生」と自分の名前を入力して、完了ボタンをクリック。
よし、今日の分はこれで終わりだ。
「社長、終わったよ。」
発送する箱を「出庫」と貼り紙をしたスペースに置く。今日の出荷分は8箱か。
「おう、ごくろうさん」
奥のデスクでモニターを眺めながら「社長」が答える。仕事中なのか趣味の時間なのかはわからない。
営業の藤田さんは外回りから直帰、事務の美佐枝さんは遅めの夏休み。
社員はその二人しかいないから「アド・シモダ」のオフィスには「社長」の下田生真と「アルバイト」の下田悠生、二人しかいない。
ここは俺の家で、親父の会社の事務所が併設されている。
「事務所では社長と呼べ」と親父が言うから従ってやってるが、事務所と自宅の境界線を跨げば、父と息子に戻る。
「親父、夕飯何時にする?」
「ん、8時でいい。」
「あいよ。」
母親はいない。金がないわけじゃないんだから家政婦くらい雇ってくれてもいいのに。
というか、再婚相手をまじめに探せよ、親父。
夏休み中はどうせ暇だからいいけど、高校の授業が始まるとまた慌ただしくなる。
台所で鍋に水を入れ、削り節と昆布を放りこむ。煮干しは頭をもぎりながら五匹。
俺も俺で、出汁なんて顆粒のものを使えばいいのに、つい手間をかけてしまう。
鍋はそのままにして米を研ぐ。研ぎ終わったらこれもそのまま水に浸けておく。
時計を見ると時刻は19時2分。
靴を履いて外に出る。8月半ばでも、このあたりは標高が高くて夕方になると過ごしやすい。
家の前は旧中山道。沓掛宿と追分宿の間、江戸時代は「間の宿」として栄えたというが、今はただの住宅地だ。ところどころに雰囲気のある古民家が残っていて、情緒があると言えなくもない。
かの有名別荘地、軽井沢と同じ町内にあるにも関わらず、静かな町だ。
日が沈んだばかりの薄暗い坂道を下っていく。駅前にも商店はない。郵便局があるだけ。
色褪せた鼠色の看板に白文字で「信濃追分駅」と書かれている。ローカル私鉄「しなの鉄道」の駅だ。
駅前に着くと、ちょうど小諸行きの電車が発車していくところだった。
小さな駅舎から何人かの乗客が出てくる。その数人を追い抜くように、白いブラウスに紺のスカート、肩からスポーツバッグを掛けたショートカットの女子中学生が駆け出してきた。妹の美悠だ。
「ただいまー!」
美悠は隣の中軽井沢駅の近くにある中学校に通っている。三つ年下の中学二年生。
部活帰りだというのに元気なやつだ。まじめに練習してんのか?
振り向いて、今来た道を戻ろうとすると、
「お兄ちゃん、待って。」
後ろから美悠に呼び止められた。
振り返ると、美悠は駅のほうを見ながら足を止めていた。
「困ってる人がいた。ちょっと様子見てきていい?」
いや、ほっとけよ、と言う間も与えず、美悠は駅のほうに戻っていった。
見ると、駅舎の中に女性が二人いて、何か話している。
「あの、どうしたんですか?」
美悠が声を掛けながら二人に近づいていく。
ったく、しょうがねえな。こういう時、無人駅というのは不便だ。
後を追って駅に近づくと、美悠が俺のほうを振り返って手招きしている。
観光客だろうか。都会的な雰囲気の女性が二人。俺と同年代に見えるから十代半ばだろう。
「実は、少し散歩をしようとホテルを出たら帰り道がわからなくなってしまって…」
一人が俺のほうに会釈をしながら話しかけてくる。
茶色がかった巻き髪が肩にかかって、前髪は細い眉のところで几帳面に切り揃えられている。
すらりとした長身で黄色い花を散らしたワンピースがよく似合う。
どこぞのお嬢様という感じ。俺より少し年上かな、たぶん。
「あ、私は違うんです、あの…」
もう一人は黒髪。華奢で小さな少女だ。大人しげな澄んだ声で小さく言った。
白地にオレンジ色の細かいボーダーのTシャツにタイトなデニム。普段着のようだ。
「こちらの方が道に迷われていて、駅に行けばわかるかもとおっしゃったので。」
やや長めの前髪の下で、大きな瞳が困惑している。深い茶褐色の瞳は鳶色というのだろうか。
「そうなんです、連れてきていただいたのですけど、軽井沢駅ではなくて。」
花柄ワンピースの女性はそれが癖なのか、少し甘えるような口調だ。困り果てているのだろう。
「それにちょっとお散歩するだけと思っていたので、お財布もスマホもホテルに置いたままなんです。」
なるほど。だいたい呑みこめた。
「ホテルの名前はわかりますか?」
「はい、ラグジュビラ軽井沢です。」
お金持ち御用達のホテルだ。やっぱりね。
「それならここから歩いてすぐですよ。もう暗いので途中まで送ります。」
二人ともホッとした表情になった。
「ごめんなさい、私、引っ越してきたばかりで、お役に立てなくて。」
「こちらこそ、お手間をお掛けしてごめんなさいね。ありがとうございました。」
そんなやり取りの後ろで、美悠がドヤ顔をしている。まあ、お手柄だったな。
「では行きましょうか、10分ほどですよ。」
俺は花柄ワンピースの彼女と、妹の美悠を連れ立って歩き出した。
「あっ、私もついて行っていいですか?この辺のことを知りたいので。」
普段着の少女もぴょこぴょことした足取りでついてきた。
「ここは駅が信濃追分なんですが軽井沢町なので、ホテルなどは『軽井沢』を名前に付けるんですよね。それでけっこう迷う方もいるみたいです。」
「まあ、そうなんですか。」
親父によると、信濃追分の駅名を「西軽井沢」と改称する案も以前はあったという。
「ときどき駅のところで道を聞かれますね。」
「あやうくこの方にお金をお借りして電車に乗ってしまうところでした。」
軽井沢駅まで行ってしまうと、この時間は電車の本数が少ないから、戻るのに時間がかかりそうだ。
そうなる前に事情を聞くことができてよかった、と思うことにしよう。
しばらく歩くと、ラグジュビラの入口の煌びやかな灯りが見えてくる。
「あそこがそうです。あ、どなたか探しに出て来られているのではないですか?」
「あっ、母です。本当に助かりました。ありがとうございました。」
「いいえ、ではここで失礼します。」
家族のもとに駆け出していく後ろ姿を見送って、俺はUターン。
「ありがとうございました。私も助かりました。」
ああ、もう一人、黒髪少女がいたんだった。彼女はお礼を言ってから一度振り返って、今来た道を確認している。
「えっと、あなたのお宅はどちらですか?」
引っ越して来たばかりというし、さすがに暗い夜道に放り出すわけにもいかない。
「あの、国道を越えたところです。」
「じゃあ、国道までは一緒に行きましょう。」
歩き出すと、美悠がその子に話しかける。
「最近引っ越してきたんですか?」
「はい、おととい…」
「えっ、おととい?じゃあ、まだホヤホヤさんですねっ」
ホヤホヤって。それ新婚さんとかに使う言葉じゃないか?
「うふ、そうですね、ホヤホヤの新住人です。あ、私、やぎみこと、っていいます。八つの木に三つの琴で八木三琴です。」
「私は下田美悠、こっちは兄の悠生です。よろしくお願いします。」
こっちって言うな。指も差すな。
「八木さん、高校生ですか?」
「はい、二学期から御代田高校に転入します。」
「あ、じゃあ、お兄ちゃんと一緒だ!何年生ですか?」
「二年です。」
おや、年下だとばかり思ってた。
「お兄ちゃんも二年ですよ。同級生になるかもですねっ」
「そうなんですか、下田さん、よろしくお願いします。」
三琴が俺の背中にお辞儀する。俺は気配で感じただけだが。会話に参加するのは気が引けて、しかし無視するわけにもいかないので、少し体を向けて頭を下げた。
「どこから引っ越してきたんですか?東京ですか?」
「いえ、東京の隣の、神奈川県からです。藤沢っていうところで、横浜の少し向こうですね。」
「もしかして海の近くですか?江ノ島に行った時、通った気がする!」
「そうですね、家から海岸まで自転車で行けるくらいの距離でしたね。」
「へえ、すごーい!」
海なし県の県民は海への憧れが強いからねえ。別にすごいわけじゃないと思うけれども。
「どうしてこんな田舎に引っ越してきたんですか?」
こら、美悠。さすがに俺は振り返った。
「美悠、そういう立ち入ったことを聞くな。ごめんね、八木さん。」
「えっ、いえ、大丈夫です…。」
「ごめんなさい。じゃあ、質問を変えて、ご兄弟はいるんですか?」
それも立ち入ってると思うけど?
「いいえ、兄弟はいないんです。」
「そうですかあ、八木さん可愛いから、可愛い弟君がいないかって期待したのにー」
図々しいのは知ってたけど、美悠のやつ、ずいぶん人懐こいな。
そういえば、夕飯の支度が途中だったのを思い出した。親父に遅くなることを連絡しておくか。
俺は尻のポケットからスマホを取り出した。




