五、御楽子団子
関西の忍びである中蔵は首を納めた箱を手に関の西に唯一残る横八華である坂ノ家、その当主信康公のいる大坂の地へと向かっている。
背に付けた傷が痛み足取りは重いが首にかけた六文銭がより重い。
中蔵は初めて信康公の前に膝をついた。
信康が近習である石川が首箱を開け中身を改めた。
「間違いござりませぬ」石川が信康に耳打ちすると信康はにやりと笑った。
「中蔵、面を上げい」
そう言われ中蔵は更に深く頭を下げた。
「許す」そう返され中蔵は顔を上げた。
中蔵は初めて信康を前に面を上げたがそれでも黒山の獣が高貴なる者である横八華と視線を交わすことは許されない。中蔵は信康の足を、膝頭を見ていた。
関の東が坂ノ東、坂東と呼ばれる様に、関の西は関西と言った。
関西には関西の獣がいる。坂ノ家が台頭するに伴いそれに飼われ付き従っていた獣の群れである封魔の力も大きくなり今では封魔忍軍を名乗っている。
封魔は小太郎と大子郎と言う双子を双の棟梁としている。小太郎はその名の通り木々を渡る猿のように小柄で大子郎は樋熊のような巨躯だ。忍軍などと言ってはいるが坂東の黒山を統べた大頭、半蔵が忍びを自称するようになったと聞いてそれを真似しただけだろう。
そして中蔵は野良獣として封魔忍軍の一匹となり信康の為に疾走っているのだ。
「中蔵と申したか」
「へえっ」
「封魔の双子も中々の忍びと褒めておったぞ」
「へへっ・・」中蔵は口角を上げた。
「双子は十中八九は帰らぬと言っておったのだがな、よう戻ったわ。ほれ、獣に餌をくれてやれ」信康がそう言うと傍の石川が両箱から小判を一枚取り出し中蔵の前に放り信康の顔を見返す。
信康が小さく頷くともう一枚放りまた見返す。
そんなことを幾度か繰り返した後に信康が大きく頷くと石川は中蔵に「拾え」と命じた。
中蔵の前に散らばる五枚の小判。中蔵はそれをかき集めるように拾い下卑た笑みを浮かべながら懐へとしまい頭を下げた。
「餌は旨いか」信康が言い中蔵は「とうにも」と返しへへッと笑い銭を納めた懐に手を当てた。
「下がれ!」信康に言われ中蔵は頭を下げてから膝をついたまま後ろへと下がったのちに立ち上がりまた深く頭を下げそこで信康に背を向けた。
「なんじゃ、中蔵よ。背に傷を受けたか」信康が言うと石川が中蔵を見下す顔で言った。
「獣なれば」
「そうよのう、地を這う獣は腹に傷を負うことは無いものか!我ら侍が背から斬られるときは腹を召す時の介錯のみよ。獣は背を斬られ負ってもまだ生きるか。傷代を受けよ。その調子で坂東へ行き義経の首でも取ってこい」信康はそう言って両箱から小判を一枚手に取り中蔵へと投げた。
中蔵は卑屈な笑みを浮かべ放られた一枚の小判を拾い信康の下を後にした。
関西は封魔の忍びである中蔵の正体は坂東忍びの大頭である半蔵だ。
半蔵は坂東の地を離れ関を西に越え天子様の住まう京ノ都をさらに西に越え、すでに二年を越している。
坂ノ家の当主である信康の為に疾走るようになって二年という事だ。
割に合わんわ。
坂東石ノ家の義経は蕎麦代にもならぬ銭を半蔵に寄こしたが、信康公は首一つに六枚の小判を投げてよこす。
割に合わん。
半蔵は深くそう思い首掛けた六文銭に手を触れた。
重い。
義経の首を取ってこいと言われた半蔵は人知れず坂東へと向かった。
森を駆け山を越え日が暮れかけると街道に出て宿場に入り小判の一枚を差しだし一宿一飯を求めた。
宿場の番頭は光り輝く小判に驚き、飯盛り女に鍋に豪華な膳を用意させ歓待したが半蔵は更に一杯の蕎麦を所望した。
飛脚のような小柄な男が一人では食いきれぬような鍋に膳を前に更に蕎麦まで要求して来た。
飯盛り女は膳を並べ鍋を用意し客に出すことはあっても自分の口に入れたことのない山海の珍味を前に当然の欲を持った。
小柄な男が、そろそろかと鍋の蓋を取る。
「雉鍋かいな」
小柄な男は聊か不満げであったが椀に鍋の具を盛っていく。女は部屋に立ち上り拡がる鍋の匂いを嗅ぎ思わず生唾を飲み込んだ。
小柄な男は雉肉で満ちた椀を女の前に置いた。
何のことか分からない女は戸惑い小柄な男を見た。
小柄な男に「食いいな」と言われ女は恐る恐る箸を差す。
「儂はこれでええ」小柄な男は丼を手にし蕎麦を手繰り始めた。
それを見て女も椀に箸を差し雉肉を口にした。雉鍋など初めて口にした。あまりの旨さに思わずハアァ・・と息が漏れた。
「膳も食え」女はまた驚き顔を上げるが小柄な男は「儂はこれがええんや」と箸で丼を叩いた。
小柄な男は雉鍋に豪華な膳を前にしながらも、粗末な蕎麦を満足そうに手繰りながらもう一度言う。「食いいや」
鎧海老の華菜焼、鮑の酒蒸しに水飴を絡めた甘い金時栗など初めて口にしたと女が言う前で半蔵は蕎麦を手繰り汁を啜った。
飯盛り女は箸を止め涙を落とした。
「なんや、食わんかい」
「はい・・有難く・・・」しかし飯盛り女の箸は止まったままだった。
予想は付く。
「子に食わせてやりたいんやろ、持って帰ったらええ」
半蔵はそう言い蕎麦を手繰り終え汁も飲み干した丼を逆さにして見せてから丼に雉鍋を盛り箸を差した。
「うむ、たまには雉鍋もええな」
半蔵は丼に入れた雉肉を平らげ鍋を掻きまた自分の丼を満たすとともに飯盛り女の椀にも雉肉を入れてやった。
「ボンか?嬢か?」
「娘で・・・」
「膳は持って帰ってええ、儂はもう寝る。あんたも今日は嬢と飯食って寝え」
そうとは言われてもにわかには信じがたい。戸惑う女に半蔵は重ねて言う。
「二度も言わすんやない儂は腹いっぱいや、それは嬢にもってけ。儂は寝るさかいさっさと去ね」
飯盛り女はまだ腹を満たしてはいなかっただろうが、櫃の白飯を握り飯にし残った珍味と共に竹皮に包んだ。
そして、夜の慰みをとばかりにすり寄ろうとする飯盛り女を半蔵は拒んだ。
「去ねて!はよ帰ってそれを嬢に食わせたりいな。番頭には良う言うとくさかいな、今日は去ね」
飯盛り女と言う者はその名の通り給仕をするにはするがその本来の仕事は売春である。ここで床を共にしようがしまいが女の実入りが増えるわけではない。客は既に宿代を払っているし、そこに花代も含まれている。
その宿代のいくらかによって番頭が飯は何を出すか女を添えるかを判断する。
だが女が同衾を拒めば客は宿を出る時にそれを番頭に告げるだろう。
だから飯盛り女は実入りの如何に関わらずその身体を花と添えるのだ。
しかし拒まれてはどうしようもない。しかもこの小柄な男は早く子の下へ帰れという。
早くこの竹皮に包んだ御馳走を娘の前に置いてやりたい。
女は畳に額をこすりつけ「ありがとうござります」と言い、更に御馳走を包んだ竹皮を捧げるように翳し「本当に・・」と涙ながらに言い部屋を後にした。
半蔵は陽の上がる前にまだ闇夜の中に宿を出て再び山野を走った。
三日三晩走り抜け四つ目の陽が落ちる頃にまた街道に出て宿場に入り一宿一飯を求めた。
顔まで土埃をかぶり膝まで泥にまみれた旅客が一足の草鞋を求めると番頭は薄汚いとばかりに厩に回れと言ったが土と泥に塗れた男がまるで似つかわしくない黄金に輝く小判を投げ寄こすと態度を一変させた。
すぐに盥と水桶を持った二人の女が甲斐甲斐しく半蔵の足を磨く様に洗い始め、番頭は手を揉みながら湯風呂を用意しますのでと言う。
半蔵は五右衛門風呂に浸かり手拭いで顔を拭いた。半蔵は湯加減を聞きながら薪を足す女に「牡丹鍋を頼むわ」と言い鍋のような五右衛門風呂の中で三日に溜めた土と垢を落としていると湯はすぐに黒く染まった。
部屋に上がると飯盛り女が鍋を用意していた。
半蔵が来るなり鍋の蓋を取り椀に鍋をよそい前に置いた。
そうやな、そう思ってもおかしくないわ。
昔の半蔵ならばここまで鈍くはなかった。
坂東の忍び頭の半蔵であればこの宿をくぐり小判を出した時の番頭の目の輝きでそれと知ったはずだ。
「食い」と女に言う。
戸惑う女にもう一度「食い」と言う。
女は喜んで箸を手に猪肉を箸で摘まんだ。
「待て、箸を置け」女は不満顔をしたが半蔵はまた己の鈍さを痛感した。
「箸を置け。番頭を呼びぃ」
女は何事か分からぬままに立ち部屋を出て番頭を呼びに行った。
胡麻手を擦りながら番頭が来た。
「何か入用ですか」と問う番頭に半蔵は椀に盛られた猪肉を食えと言う。
「いえ、客さまの物であれば」と番頭は固辞するが半蔵は「いいから食えや」と返す。
番頭は箸を手にはしたが椀には差さなかった。
「食えんのか」半蔵は言った。
「牡丹鍋は好きやけどな、附子を具にするんは初めてやな」
半蔵がそう言った途端に番頭は椀と箸を投げつけ叫んだ。同時に襖を蹴破り三人の男が抜き身の刀を手に躍り込んできた。
半蔵は投げつけられた箸の一本を掴むと番頭の目に突き刺し掌で更に押し込み、煮えた鍋を手にかけ二人に投げつけ残りの一人の喉を鍋蓋で潰しその刀を奪うと煮え鍋を浴びて怯む二人を撫で斬った。
番頭は脳髄まで深く刺さった箸を抜こうともがくが箸は目の奥まで深く刺さりその指で掴むことすらできない。
半蔵は畳の上でのた打ち回る番頭の片腕をつかみ持ち上げるとその顎を蹴り抜いた。岩が割れるような音がすると番頭は頸の骨を折り絶命した。手にした刀は喉がつぶれ悶える男の心の臓に突き返してやった。
「愚かモンめ」
半蔵は宿場を出て再び山野を走る。
鈍うなった。
坂東の山々の獣頭であった頃ではこんな無様を食らうことは無かった。
小判を見た番頭の目でそれを察したはずだ。
番頭は半蔵が小判を出した際にその音でまだ数枚は持っていると踏んだのだろう。
だからこそ鍋に附子を仕込みそれを奪い取ろうとしたし、呼ばれ怪しまれたのかと思えば三人の用意をしたのだ。
愚かなのは貧相な飛脚のような小柄な男が坂東を統べる忍びだと見抜けなった番頭ではなく、番頭の邪な想いを見抜けなかった半蔵の方だ。
愚かなのは、無用な殺しをしたと思う半蔵の方だ。
鈍うなった。
山野を駆けながら半蔵は思う。
弱い者は弱い。
以前の半蔵であればどれほど未熟なものを前にしても哀れと思う事もなければ情けをかけることもなく銭の為と斬り捨ててきた。
弱い者は弱いから弱いのだ。
だが今の半蔵は雉鍋に涙を落とす女を哀れと思い、その子に情けを向けた。
義経の、いや大殿のせいや。
半蔵は首に掛けた六文銭に触れた。
重いの。
それは半蔵の首を締め上げ続けている。
半蔵は幸御霊の地へと帰り着き大殿の帰りを待つべく土間に片膝を付いた。
「おお、四ツ蔵殿ではないですか。おひさしゅうなぁ、ご苦労様です」
そこへ顔を出したのは大殿、義経の孫娘である巴だった。
「関西の動向纏まりつつありますれば報告帰参の次第」半蔵は両膝に両の拳を土間に付け深く頭を下げた。
「ほんにご苦労様で。そうじゃ、四ツ蔵殿は甘味はお好きか?御下賜の団子があるのじゃ、しばしな」
下賜の団子?なんやそれは。
巴は当然の疑問を持つ半蔵に構わずに小走りに出て行ってしまった。
下賜言うんは天子様からの下され物や、それが団子なぞと。関の西に居られる天子様から下された団子なぞ腐っとるやろ。
巴はすぐに皿を手に部屋へと戻ってきた。
「四ツ蔵殿、何をしておるのじゃ上がりなされ、まだ大殿は戻られません。火急でなければ土間に膝を付く道理もない。ほら、はよう上がられ」
巴にそう言われ半蔵は戸惑いながらも膝に付いた土を丁寧に払い落としてから巴と畳を同じくした。
そうやな、ここは坂東や。関の西で坂のモンどもを周りにしていたからや。半蔵は二年以上も封魔の一匹として坂ノ家のために疾走っていたが当主である信康公の前に通されたのは先日が初めてだったのだ。
ま、変わっとるのはこっち、石のモンやがな。
巴が畳に付いた半蔵の前に皿を置く。皿には四本の串団子が乗っていた。
「これは御楽子と言う団子だそうな」楽し気な巴が言った。
「みたらし?」
「そうです、これを口にすると泣く子も笑うと言う御楽子団子ですと、手を洗う方ではないですよ。待って!まだですよ、御楽子には濃茶が合うというそうですよ」
巴はまだ食べるなとばかりに半蔵に手を向けてまた部屋から出て行った。
皿に乗った団子を前にお預けを食らった犬のように待つ半蔵であった。
なんや茶色いタレがかかっとる、あんころ餅やないんやなぁ。
んん、ええ匂いや。香ばしい言うか・・・。
巴は鉄瓶を手にすぐに戻ってきた。後ろに盆を手にした女子が付いてきていた。
「ほらリン、こちらは四ツ蔵殿じゃ、覚えておるかえ。関の西から帰ったばかりじゃが」
「はい!じいじと饂飩を食べておった人じゃ!」リンが元気に答える。
「こら!リン。じいじではないです。大殿と言いなされ」
「はい!大殿と鍋を食べておった四ツじいさまです!」リンは背筋を伸ばして自信一杯に応えた。
「これこれ!リンは四ツ蔵様と言うのです!失礼な」嬢とは数年前の坂東平定の宴の時に椀一杯の饂飩を食う間だけやったのに覚えていたんか。半蔵は少し嬉しくなった。
「そうや、様は要らん。四ツじいでええ。な?」
巴はやれやれとばかりに小さく首を振りリンが手にしていた盆から湯呑や茶筒を手に急須の蓋を取り鉄瓶から湯を注いだ。
ほんま石家の連中はやりにくいの。畳を同じくするんは慣れたんやが、横八家の者が茶を淹れるなどと儂をなんやと思っておるんや。
「はい」巴が茶を注いだ湯呑を半蔵の前に置き、次にリンの前に、そして自分の前に置いた。
ぐるりと緑の茶は実に濃そうだった。
「四ツ蔵殿、団子を食べなされ」巴は早く食べろとばかりに皿を半蔵の前に押しやった。
腐っとるわけではなさそうやがな。
半蔵は串を手に団子を頬張った。一見すると醤油のタレだったが実に甘い。濃く深い甘みだ、水飴か?
「水飴に醤油・・・?」
「おお、四ツ蔵殿さすがですね。ささ、濃茶もありますゆえ」
勧められるまま湯呑に手を伸ばした。
合う!深甘い水飴醤油のタレはしつこいくらいやが濃茶がさっぱりさせてくれる。これならいくらでも食えそうや。半蔵は瞬く間に一串を横に置いた。
が、四串は多いの。
「リンにも下され!」少女が膝を一歩進めて言った。
「いや、あかん」半蔵は皿に手をかざした。
「リンも食べたい!母様ー!」
「これはあかんて、な?」まだ子供には分からないだろう、半蔵は巴に助けを求めるような目を向けた。
だが巴はリンを咎めるどころか半蔵に冷たい視線を向けてきた。
「四ツ蔵殿、四串も食す気ですか?一人で?」そう言うと皿に手を伸ばしリンの前に置いてしまった。
リンは嬉しそうに串団子を手にするとすぐに頬張った。
「あまーい!!」リンの顔がほころび巴も一串を手に同じく頬張ると、最後の一串の乗った皿を半蔵の前に返した。
「これは天領地の中秋の細稲の下賜物だそうですよ。モチ米なので団子にしたそうです。それに水飴醤油をかけた御楽子団子。おいしいですか」
「はい!美味しいです!」
「これ、頬にタレが・・・」
そう言って巴がリンの頬を拭ってやった。
「茶も飲みなさい」
「はい!」
親子はあっという間に団子を楽しみ終えた。
半蔵は最後の一串を手にしたまま胸がいっぱいになった。
リンが串を手にしたまま動かぬ半蔵をじっと見つめる。
「いや、あかん!やらんで!」半蔵はバクバクと団子を一気に食い串を横にした。
リンは不満げに口を突き出したが半蔵はホッとした。
こん嬢を見ていると思わず串を分けそうになった。それだけはあかん。
獣を畳に上げるのはまだええ。獣と鍋を同じくするのもまあ良しとしてもな。いや、良くは無いが椀は別にしておるからな。だが串を同じくするのは絶対にあかん。皿を同じくするのすら飼い葉桶に共に首を突っ込むようなもんや、獣の餌皿から餌を分け与えるようなもんや。まだ嬢は自分が横八華やと言う自覚が無い。
だが巴様は・・・。
親子が団子を食べ終えた串を皿に乗せ、半蔵の食った串と並んでいるのを見ると首にかけた六文銭がまた重くなった。
濃茶は御楽子の甘味を洗い流してくれたが、団子をくれなかった四ツじいに対する不満そうな幼子の甘い笑顔は半蔵の心に深く刻み込まれた。




