四ツ蔵の半蔵
半蔵が今までに口にしたことが無いほどに旨い牡丹鍋。
あまい脂の猪肉。
それは猪を飼い米を食わすことで出来るらしい。
「猪に米を食わすんか?」
半蔵が驚きを口にすると高田は事も無げに言う。
「稲を刈ってな、中秋を過ぎた頃にもう一度、田に水を張っておくと冬前の刈られ後の穭に細稲を実らすのじゃ。これも米は米じゃがな食うには難いからの、それを猪に食わすと脂が増え実に旨く育つのじゃ」
「はぁ猪に米を食わすんかぁ」
たしかに、この牡丹鍋は今までで一番旨い鍋だった。
味噌ではなく黒蜜を足した醤油鍋だったから。
生姜にたっぷりの太葱が入っていたから。
鶏卵がとろりとした最後の雑炊はこれまで食うた何よりも旨かった。
それがなぜなのか、半蔵はまだ分かっていなかった。
「しっかし元はとは言えな、横八華の高田はんが獣肉を口にしてもええんか」
高田は笑って答えた。
「それは言うな、牡丹鍋じゃ。花を愛でておるのじゃ」
妙な侍や。義経もそうやが。
黒山の獣と同じ鍋を啜る侍が居るとはな。しかもただの侍やない元横八華なんや。
半蔵は石家の侍どもが少し気に入った。
腹を満たすと高田は早速、次の疾走りを半蔵に告げた。
「この猪があと八匹おる。これをの、森上の城を挟む庄和と巌本の城に届けてくれ。それとなくな」
せっかく育てた猪を敵にくれてやるんか。敵に塩を送る言うのは聞いたことはあるが籠城しとる敵に肉を送るんかい。
半蔵は配下の者を呼び二つの城に猪を届けさせた。
猪に薬を嗅がせ大人しくさせておいたり、猪の後ろ足の肉を削いだり城の者が仕掛けたであろう罠にかけ置いたりした。
「半蔵殿は盗んでおいた三つの品と共に森上の城へな、横尾の者として沼平からの使いを装いこう伝えて欲しい」
半蔵は高田に命ぜられたままに沼平から必死にかけてきた使者を装い森上の城へと出向いた。寸鉄すらも身に付けていない半蔵は中ノ条家当主である吾妻の前に通され膝をついた。
「若君和利様、伊勢姫、奥方百瀬様。鶴ヶ家が高徳めに斬られた由にござりまする!」
「バカなことを」
吾妻は鼻で笑いそうとは信じない。鶴ヶ家の現当主である高徳は古の横八華であるという誇りのみを頼りに生きている他には何一つ取り柄のない愚物なのだ。
だがその誇りは中ノ条家も頼りにしているところではある。中ノ条家だけでは北坂東をまとめることは出来なかったであろう。鶴ヶ家と組んだことで、古の横八華を神輿とすることで北坂東の豪族どもを何とかまとめることが出来たのだ。事実、八卦陣を組む八つの城のうち中ノ条家の腹心といえる者が入っているのは北の二城、横尾家と折田家だけだ。
「貴様、我が中ノ条家の者ではないな、何者だ」
「拙者、横尾家の中蔵と申す、あれを!」半蔵はそう言って吾妻の近習に目を向けた。
近習が恐る恐る半蔵が盗みおいた三つの品を吾妻の前に置いた。
吾妻は赤樫の木剣、白柘植の櫛を手に取り細部までよく調べ、黒真珠は特に深く見つめた。
「貴様!なぜこれを!」
「形見と思い、手に取り参った次第!鶴が高徳、石ノ家に下る腹の様子なれば」
「あり得ぬ!」
高徳は愚物も愚物。元横八華と言う家柄のみを頼りに自尊心を芯に生きているような愚者なのだ。それを神輿と担いでやっている我らを切るはずがない。いや切れるはずがないのだ。あの自尊心の塊のような男が石ノ家の下に付くなどあり得ない。仮に北の三越と組んだとしたら?それでも我ら中ノ条家を切る道理が無い。
だがそれをここで口にすることは出来ない。いかにここが中ノ条家の城だとは言っても高徳を愚物だ鶴は神輿だのと罵ればどこからそれが漏れるとも限らない。その心を半蔵が代わりに口にしてやった。
「鶴が高徳、石に敷かれるとも鶴の家名を下げぬを条件に受け入れたものと!」
それは・・ありうる。
鷹ノ家は石ノ家に従う証として名を高田と下げた。あの自尊心のみで生きる高徳ならば鶴の家名一つくれてやれば石ノ家に下るやもしれぬ。
くだらぬ!名など・・・。くだらぬが高徳ならば・・・。
「我が身斬られても構いませぬ!しかし!しかしながら庄和と巌本の城への備えだけは万全に!」半蔵のこの言葉に吾妻の心は更に揺れた。
「庄和と巌本の様子は!?」
はっ!と答え近習の数人が物見へと走った。
近習はすぐにもどり吾妻に耳打ちした。
「まさか…まことか!?」
「しかし、たまたまという事も・・」
「何がたまたまか!籠城に備えとあれほど申し付けておいた!」
「せめて鶴の首を取らねば幽世を渡れぬ!」
吾妻はをすっくと立ちあがり木剣を腰に差し櫛を懐に収め首飾りから黒真珠をもぎ取るとごくりと飲み込んだ。
「出るぞ!鶴の細首を取る!」
「吾妻様!拙者、横尾様に言い伝えますのでしばし!何卒しばしのご辛抱を!」半蔵は最早吾妻が止まらぬのを分かったうえで言った。
「いらぬ!横尾と折田ならば儂の姿を見ればそれと知る!行きたければ行け!」
半蔵は森上の城の上に立ち沼平の城へと突撃する中ノ条家吾妻の軍勢を見て狼煙を上げた。
半蔵の狼煙を見た高田の軍勢も動き出したがそれはゆっくりとしたものだった。
吾妻の言った通り中ノ条家の軍勢に呼応するかのように横尾と折田の両家が城を出て沼平の城へと殺到した。
遅れて残りの八卦陣を組む城からも軍勢が出る。やはり鶴ヶ家の高徳は愚物だった。攻め寄せてくる中ノ条家の軍勢に驚き吾妻の家族の首を斬ってしまったのだ。
沼平の城に攻め寄せる中ノ条家に折田と横尾の軍勢は八卦陣の残りに後ろを襲われる形となったが元横八華の名ばかりの雄、鶴ヶ家とは違い中ノ条家はまさに獅子奮迅の戦いを見せついには沼平の城を落とした。そこで切り落とされた妻と子の首を見た吾妻は弁明しようとする高徳の口が開く前に脳天から唐竹にその身体を割った。
沼平の地はその名の通り血の沼と均された。
どちらも生き残りは少なく、またもはや戦える者はほぼいなかった。
そこに高田の軍勢がやってきたのだ。
鶴を斬ったにもはや道はない。吾妻は自分が図られたことを知ってか知らずかその腹を切った。
高田は三越への備えとして六千の兵を沼平に置き石家の本拠地である幸御霊の地へと戻った。
北坂東で骸となった侍は一万に近くあったろうが高田の兵の損失は実に数人、負傷を含めても多くて十と言うところであろう。
騎乗の半蔵は高田に鞍を並べ聞いた。
「中ノ条は何で返ったんや」
「あの猪は脂が多い。焼くとよく煙が出るのじゃ」
あの時、吾妻は半蔵に鶴ヶ家が石ノ家に下ると告げられてもそれを鵜呑みにする程の愚物ではなかったが庄和と巌本の城から上がる太い炊煙を見て鶴ヶ家裏切りと言う半蔵の言葉を信じてしまったのだ。
沼平からの補給は来るとはいえ籠城戦なのだ、何があるかは分からない。当然の備えとして周囲の城に無駄な浪費は控えるよう厳命していたのだ。北坂東一の戦巧者中ノ条家吾妻の厳命だったはずなのに両城からは祭りのような炊煙が立ち上っていた。
庄和と巌本の城の者たちはそれこそ糧食を節約するためにたまたま獲れた猪を焼いて食ったに過ぎないのだろうが、高田の送った猪は脂が多く白く太い炊煙を立たせた。
吾妻はそれをドス黒い裏切りの狼煙と見てしまったのだ。脂の多い猪を焼く炊煙を攻め寄せ来る狼煙と見てしまったのだ。
「随分とえぐい戦をするんやな」
半蔵は侍のやる戦と言うのはもっと華々しく力と力がぶつかり合うものだと思っていたのだ。
高田はいつものにこやかな顔は見せずに言った。
「お主のおかげじゃな」
幸御霊の城へと帰ると半蔵は一躍、北坂東を落とした立役者となっていた。
高田が必要以上に半蔵の働きぶりを喧伝していたからだ。北坂東が墜ちたことよりも兵の損失が僅か十に抑えたと言うところを称えられ、銚子を片手に半蔵を訪れる侍が絶えなかった。
そこに福須磨の地から石ノ家当主、義経が戻った。
「半蔵!此度の働き聞いておるぞ。家名を与える、四ツ蔵を名乗れ」
義経は皆の前でそう言い半蔵は四ツ蔵の半蔵と成った。
この国で家名を持たないものは天子様と黒山の獣たちだけだ。
天子様は唯一であり他と区別をする必要がないので家名を持たない。天子は天子であることが家名のようなものだからだ。
そして黒山の獣も家名を持たない。黒山の獣は銭次第でどこの家にも付くので家名が意味をなさないのだ。
だから半蔵も「坂東忍びの頭である半蔵」でしかなかった。
だがそんな半蔵に義経は家名を与えた、四ツ蔵と。
義経は大の酒好きだった。
そして人に飲ませるのもまた好きだった。
半蔵が呼ばれるとまず猪口を持たされた。
「さ、飲め!此度の働き聞いておる。お主が坂東を平らげたのじゃ」
義経は上機嫌でそう言って半蔵の猪口に酒を注いだ。
半蔵は猪口を空けたが酒は辛い安酒だった。
「なんじゃ、一人で飲むつもりか」義経が猪口を半蔵に突き出した。
高田は既に「元」横八華だが石ノ家である義経は違う。今もれっきとした横八華なのだ。
それが黒山の獣と酒席を同じくして酒を注げと言ってくる。猪口を満たすのが安酒だからというわけではなく半蔵はどうにも居心地が悪かった。
「何か肴が欲しいんなぁ」居住まいの悪さを誤魔化すかのように半蔵が言うと戸を開け高田が入ってきた。
高田の手には鍋があった。匂いでわかる、あの牡丹鍋だ。
「来たぞ、石ノ家一の奉行の鍋じゃ」そう義経が言い半蔵が聞き返した。
「奉行?」
「鍋奉行じゃ、高田殿は鍋にはうるさいぞ」と義経が言う。
思わず半蔵は笑った。
高田が囲炉裏に鍋をかけつつ返した。
「ん?半蔵・・・いや四ツ蔵殿。あれほど旨そうに食うておったに」
「いや、旨いは旨いんやがな」半蔵が薄く笑いながら言い囲炉裏に掛けられた鍋の蓋に手を伸ばすと高田が手で制した。
「まだ!」
「これ半蔵、奉行に逆らうな」義経が笑いながら言うと半蔵も思わず笑う。
「そうでんな、奉行様には逆らえまへんな」
義経と半蔵が酒を酌み交わす中、高田は気を読む様に鍋を見つめている。
二人がそれを可笑しそうに見つめる中で高田は「ここ!」とばかりに鍋の蓋を取った。
木杓子と椀を手にした高田が牡丹鍋を掬い取り先の椀を義経に、次の椀を半蔵の前に置き、最後に自分の椀を満たし置いた。
「ささ、愛でませ」
まだこれは花や言うんかい。
義経が椀を手にし半蔵も同じくした。
椀の中身は大根に人参、里芋に白菜がたっぷりと盛られていた。三人はすぐに箸を手に椀に差した。
やはり汁の染みた大根は旨い。白菜も茶色く染まりくったりとしていて煮過ぎかと思ったがこれがまた汁が染みて旨かった。
「これ、味噌やんな」鷹崎の地で食うた牡丹鍋は醤油味だったが今日は味噌鍋だった。
「酒には味噌じゃ」奉行が答えた。
確かにそうだった。辛い安酒には味の太い味噌が合う。
逆に白飯は無い。
まあそうやな酒があれば飯は要らんな。
「これ!はよう!」高田が声を上げると一人の女性を頭に幾人かが皿を手に部屋に入ってきた。
「これが無くてはな」
高田は皿の一つを受け取ると深い緑色の菜を鍋に入れまた蓋をした。皿に乗っていたのは春菊だった。高田は鍋を押さえた蓋から手を放さずにいて、鍋がぐらりと一煮立ちするとサっと鍋蓋を取り去り鍋を囲む者達の椀に春菊を掬い取っていった。
囲炉裏は石ノ家と高田家の者達、それに半蔵の六人が囲んでいた。
「白菜は煮るに好いが春菊はいかぬ」
すぐに食えとばかりに奉行が指図し、皆が椀を手に箸を差した。
半蔵は春菊に箸を伸ばし口にした。
旨いわ。確かに白菜は煮えすぎたくらいが旨いが春菊はあかん。
春菊は程よく硬く苦みが残るくらいがええからな。さすが奉行様や。
皿に乗ってきた猪肉はもちろん白菜に蒟蒻、茸が無くなり鍋が汁だけになると鍋奉行が入れたのは白飯ではなく、幸御霊の名物ともいえる実に太い饂飩だった。
また奉行の采配で饂飩が煮え、それを皆にふるまった。
奉行は籠に積まれた鶏卵を差しだした。
「一人一つじゃぞ」
奉行にそう言われ皆が饂飩の入った椀に鶏卵を割り入れた。
「こうな、鶏卵を割り入れよく混ぜること。そうそう、よくな、混ぜて・・これ!箸を差すな!まだ早い!汁を少しかけてからじゃ!」
うん、確かに旨いの。旨いがこれはな・・。
半蔵はフッと笑ったがその意図に気が付かなかったのは当の鍋奉行だけだった。
皆、酷く酔い部屋のそこそこに雑魚に寝始めていた。
半蔵は銚子を手に聞いた。
「将軍様になりたいんでっか」
義経は鼻で笑って答えた。
「儂は将軍には成れぬ」
意外な答えだった。もはや半蔵は義経が将軍に成りたいがために戦火を消すなどと言う世迷い事を言ったとしても手を貸すつもりでいた。
鶴ヶ家が焼け落ち高田は既に配下にいる。残るは関の西にある坂ノ家のみ。坂ノ家を潰せば将軍家となる資格を持つ横八華は石ノ家のみだ。
「ならなんでや」
半蔵がこう思うのは当然だ。
将軍に成るためでないのなら、なぜ戦火を消すなどと言う世迷い事を口にするのか。
「儂にな曾孫がいての、もう六ツじゃ」
「ほう」
「可愛らしい女子じゃ、リンと言う」
「ふん」だからなんだとばかりに半蔵は言った。
そこへ一人の少女が戸を開けて入ってきた。少女は膝をつき頭を下げた。
「しつれいいたします」
「おお、リンどうした」
義経の顔が緩んだ。
「リンな、お腹空いたじゃ。そうしたら母様がじいじのところで分けてもらえというんじゃ」
「おお、リンおいで。饂飩がまだ少し残っておる。じいがよそってやろうかの」
少女は義経の隣にちょこんと座った。
「こちらは」少女が半蔵見て言った。
「これは四ツ蔵殿じゃ」
「よつうらどの」
「いかぬ、リンは四ツ蔵様と言うのじゃ」義経にたしなめられ少女は言い直す。
「よつうらさま」少女の舌足らずな物言いがなんとも可愛らしかった。
「ええ、ええ。四ツじいでええで」
「よつじいさま!」
「さま。は要らんで」
半蔵がそう返すと義経は少しばかり苦い顔をしながらも少女の頭を撫でて饂飩をよそった椀を渡してやった。
少女は差し出された椀を手に箸を差した。
「旨いか」
「うん!おいしい!じいはいつもこんなおいしいものをたべているの」
「いつもではないな、今日は宴のような物じゃ」
確かにそうやな、なんや三味線の音まで聞こえてきたで。
今日は石ノ家が晴れて坂東石ノ家と成った日やもんな。
家中はまさにお祭り騒ぎのようだった。
少女は椀を空にすると「ごちそうさまでした」と入ってきた時と同じに膝をつき頭を下げてから出て行った。
「半蔵、儂は将軍には成れぬ」
それは聞いたとばかりに半蔵は同意の首を下げた。
「儂は、儂はな。リンが政とは関係なく、惚れた男と添い遂げられる世にしたいのじゃ」
義経は少し恥ずかし気に顔を背けて言った。
「はあぁ?あん子が惚れたモンと?」
それに何の意味があるいうんや、そんなことの為にこの国の戦火を消し均す言うんか。
「そうじゃ、おかしいと思うか」
「そりゃあ・・・のう」
「半蔵、儂はなこう思っておる。リンが自分で選んだ婿を見つけることが出来るような世になれば、リンが政の添え物ではなく自分で嫁ぐべき先を選べたのなら世の全ての女子がそうなるのではないか。それが儂が思う鎮火の世じゃ」
半蔵はまだ納得がいかない。
「義経はんが将軍に成れん言うのはなんでや」
「儂は将軍には成れぬが孫娘の巴ならば任せられる。法王は高田にまかせることになるか」
義経は半蔵の問いにはっきりとは答えなかった。
義経は半蔵に銚子を向けた。それ以上言うなと。
「ふん。四ツ蔵言うのは」
半蔵は義経がこれ以上は答えぬという事を悟り話題を変えた。
「そのままじゃ、四ツの蔵を持つ者。今はまだじゃろうがいつか四ツの蔵を満たすがよい」
これもまた分からなかった。
しかし半蔵は今日食ったこれほど旨い鍋は初めてだった。鷹崎の地で高田と面と向かって食うた鍋は確か旨かった。だが今日はより旨い鍋だった。
半蔵は飯を食うという事が楽しいと思ったことが初めてだったのだ。
鍋を囲む。そんなことが飯を旨くするなどという事を知らなかったのだ。
半蔵は知らぬ間に四ツの蔵の一つを満たしていた。




