第9話 どんな場所でも子犬は可愛い
さすがにエレノアも疲れたのか、文句も言わずベッドに入るとすぐに眠ってしまった。やっと仕事が終わったルカは、鈴に勧められて自分も風呂に入った。
大きな木桶の中にたっぷりと湯が張ってあって、驚くほど温かいし、ずっと冷めないのが不思議だった。
(想像していたより普通かも……)
エレノアのように蛮族とまではいかないが、エクール王国よりはきっと洗練はされていないとルカも思っていた。
結界によって閉ざされた国だし、独自の文化が古く残って、500年前からそれほど進歩していない生活を送っているかもと心配していた。
けれど来てみると、水晶宮は華美な装飾などはないが、素朴な美しさがあるし、魔法によってエクールよりも生活に関して便利なことがたくさんあった。
長く住んでいけるかはまだ分からないが、今のところは良い感触だ。
「鈴も嵐も優しそうだし、良かった……」
それが何よりルカの嬉しい点だった。同じ使用人として働く人が気の合いそうな人たちでほっとした。
そして鈴とエレノアの世話をしていて気付いたのだが、自分はもしかしたら働くこと、身体を動かすことが性に合っているのかもしれない。
エレノアの機嫌を取ることだけを気にしながら、興味もない会話を続ける。お茶をして散歩をして、ただそれだけで毎日が終わっていく日々は苦痛で仕方なかった。一日の終わりに自分がやっていることが酷く空しく感じることもよくあった。
けれど今、妙に充実した気持ちが心を満たしている。皇帝陛下との謁見もどうにか上手くいって、エレノアの機嫌も窺いつつ、お世話もそれなりによくやったと思う。
ずっと絶望して落ち込んでいたけれど、いつの間にか気持ちは前向きになっている。
「うん……、頑張れそう……」
ルカは小さく呟くと、両手をぐっと握り締めた。
◇◇◇
次の日の朝、鈴と共に起床すると鈴に手伝ってもらい晶国の侍女の衣装に着替えた。ドレスと違い布を重ね合わせて着る服で、ボタンやピンで留めることはなく、帯や細い紐を結んで着ている。
なかなか複雑な衣装だが、美しい刺繍のされた布を、ルカはとても気に入った。
「ルカは刺繍はできる?」
「ええ。エクールの女性は皆刺繍が手習いであるわ。模様は全然違うけど」
「なら良かった。模様は教えるから大丈夫よ。服の他にも手拭いとか、襟布とか、たくさん縫うものがあるから、結構大変よ」
「そうなんだ」
腰の帯を結んでくれると、鈴は「はい、出来上がり」と腰をポンと叩いた。
姿見の前でじっと自分の姿を見つめる。薄い水色の晶国の衣装はとても美しいが、ルカは少し首を捻る。
「なんか違和感あるわ」
「すぐに慣れるわ。似合ってるから大丈夫よ。さ、エレノア様を起こしに行きましょ。着付けを教えるから覚えてね」
「了解」
歩き始めると、ドレスよりもずっと動きやすいことに気付く。ドレスの裾を摘み上げて歩く面倒くささがないことに気を良くすると、まだ寝ているであろうエレノアの寝室に向かった。
「おはようございます、エレノア様」
寝台の上から垂れている布を開くと、ぎろりとエレノアが目を開け睨んでくる。それをニコリと笑顔で返す。
「今日はよく晴れて気持ちの良い朝ですよ」
エレノアがけだる気に起き上がるので、鈴がすかさず水の張ったタライを差し出す。
「顔と手をお洗い下さい。目が覚めますよ」
ルカはその間に帳を飾り紐でまとめていく。テーブルに衣装箱を広げて、エレノアの着る服と装飾品を出した。
「ドレスじゃないの?」
ルカの広げた衣装を見てエレノアが眉を顰める。
「もう晶国に来た訳ですし、ずっとドレスという訳には……」
「ふん……。それは、誰が用意した服なの?」
「皇帝陛下ですよ」
「そう……、それならいいわ」
鈴が答えるとエレノアは納得したのか、それきり文句を言うことはなかった。それからエレノアに着付けをしながら、鈴に服の名称や着付けのコツを聞いていく。
ドレスのコルセットのようなものはないが、腰には長く華やかな腰帯を結ぶ。高貴な女性の腰帯は帯の先に飾り石が付いており、シャラシャラと美しい音が鳴る。
そして最後にその帯に大きな宝玉の付いた飾り紐を結んだ。
「綺麗な石ね」
「守護石です。魔物避けですね」
エレノアが不思議そうに石を手に取る。赤色の石は白濁としており、エクールではあまり見たことのない宝石だ。
ルカも腰帯に石を付けているが、エレノアよりもずっと小さく違う色だ。
「髪飾りはどうなさいますか? こちらで用意したもので良いですか?」
「国から持ってきたパールの飾りがあるでしょ。あれにして」
「分かりました」
鈴には分からないだろうからと、髪を整えるのは任せて、髪飾りを探しに行く。
先に出しておいた宝石箱の中にはパールのものは見つからず、まだ荷解きの済んでいない大きな旅行鞄を開けてみるが、それらしいものが見つからない。
「鈴、エレノア様の荷物ってこれで全部よね?」
「あ! そうだわ。あんまり量があるんで、まだ運び込んでないのがあるんだった」
「なにしてるの! ルカ、すぐに取りに行って!」
「は、はい! 鈴、どこにあるの?」
「星露宮の外に出て右に行くと空き部屋があるの。そこに全部あるわ」
「分かったわ」
ルカは慌てて部屋を横切ると外廊下へ出た。静かな廊下には誰ひとりいない。
「えーと、右よね」
エレノアの機嫌が悪くならない内に戻らなくてはと早足で歩きだす。早朝の廊下はひんやりとしている。外廊下には壁もなく、柱で屋根を支えているだけなので、すべて風を通してしまう。
(不思議な作りの建物よね)
山の上という利点はあるにしろ、どうにも無防備な気がする。エクール城は500年平和が続いているが、それでも敵の侵入を防ぐために、堅牢な造りになっている。
(これじゃ矢をいかけられたら隠れる場所がないわね)
それとも自分が見えないだけで、魔法の防御があるのだろうか。
ルカがそんなことを色々と考えて歩いていると、ふと外廊下から続く小さな中庭が見えた。温かな日差しが降り注ぐ庭には、一本だけ木が生えており、後は低木がいくつかあるだけだ。
そこに犬がたくさんいた。
「あら」
大きな体格の犬や子犬らしい小さな子もいる。思わず足を止めたルカは、すぐに庭に近付いた。
数を数えてみると6匹いる。だがそれよりもその犬たちに翼と角があることに気付き驚く。
(魔物!?)
明らかにくっついて日向ぼっこをしているであろう6匹は、穏やかな様子で地面に伏せている。子犬の2匹だけが、ころころと転がるように遊んでいて、あとの4匹は目を閉じているようだった。
(か、可愛い……!!)
その姿から絶対魔物なのだろうが、どうにもルカは我慢ができなかった。
こそこそとよく観察できるところまで近付く。
輪の中心にいるのは黒い大きな犬だった。面長の顔はどこか気品さえ漂い、翼も大きく角はねじれて一度ぐるりと輪を作ると後ろへ突き出している。
他にもふさふさの赤毛の小型犬や、茶色の子もいる。種類は皆違うが、どの子も翼と角があるので同じ種族なのかもしれない。
ことさら可愛い子犬たちがじゃれ合いながらこちらに転がってくる。小さな翼は毛に埋もれていて、もはやただの子犬のようだ。その可愛らしさについつい身を乗り出してしまうと、子犬たちが「ワン!」と高い鳴き声を上げた。
その途端、全員がピクリと反応し顔を上げる。唸り声を出す子犬たちに慌ててルカが声を掛けた。
「ごめんね! 日向ぼっこの邪魔して」
子犬たちが警戒しながらも、徐々に近付いてくる。その丸々とした身体に誘惑されつつ、手を出すのを我慢する。
「私、昨日からここに住むことになったルカっていうの。よろしくね」
たぶんこの子たちの中心にいる黒い大きな犬が主だろうとその子に向かって声を掛けると、黒い犬は静かな目でこちらを真っ直ぐ見つめる。
魔物ならば危険かもしれないが、直感的にこの子たちは大丈夫だろうと感じて、ルカは笑顔を向ける。
その笑顔にか、子犬たちがとてとてと触れられる位置まで近付いてきてくれた。触れる前にもう一度だけ黒い犬を見るが、何も反応はない。それを確認すると、ルカはそっと子犬の背中を撫でた。
「ふわふわ……。可愛い……」
思った通り、ふわふわの毛並みにルカは笑みを深くする。もう一匹も撫でてもらいたいのか、短い足をばたつかせてこちらの手にパンチをしてくる。
ルカがもう一匹も撫でてあげると、ふいに黒い犬が立ち上がった。すると他の3匹も立ち上がる。低く「ワン!」と一度だけ鳴くと、子犬たちが慌ててルカから離れる。
「もう行っちゃうの? またね!」
去ろうとする後ろ姿に、名残惜しくルカがそう声を掛けると、一度だけ黒い犬が振り返る。それからゆっくりと歩き、廊下の先に消えた。
姿が見えなくなった後もルカは余韻に浸っていたのだが、ハッとして立ち上がった。
「いけない! エレノア様の髪飾り!」
すっかり用事を忘れてしまっていたことを思い出し、ルカは慌てて立ち上がり小走りに走り出した。