第41話 エレノアの反撃
エクール王国の懐かしい謁見の大広間に足を踏み入れた時、エレノアの足は震えていた。
居並ぶ貴族たちの視線を痛いほど感じる。自分はどう思われているのだろうか。
惨めで恥ずかしい気持ちでいっぱいだったが、それでもエレノアは精一杯の勇気を振り絞って父の前に進み出た。
「エレノア・エクール。ただ今帰りました」
声が震えないように、それだけを注意しながら優雅にカーテシーをした。
身体に沁みついた所作は、しばらくしていなくても完璧だった。腰を折って頭を下げるなんて、そんなおかしな挨拶は自分には合わない。
久しぶりに着たドレスもまた、晶国の着物などよりよっぽどしっくりきた。
「エレノア!」
小さく名前を呼ばれ視線を向けると、母である王妃が駆け寄ってくる。泣きそうな顔でエレノアを一瞬抱き締めると、「行きましょ」と言って手を引いた。
謁見の大広間からそのまま王族しか入れない扉に入ると、王妃がパッと掴んでいた手を離した。
「お母様……、わたくし……」
「エレノア、なぜ帰ってきたの」
「え……」
冷えた目を向けて王妃は大きな溜め息を吐く。
「こんなことは前代未聞だわ。王女が出戻りなんて」
「わたくしはまだ結婚していません!」
「同じことよ! 国民には王妃になると言って出て行ったのよ? なんて言い訳をすればいいの!」
苛立ちをぶつけられて、エレノアは唇を噛み締める。
分かっていたことだ。決して両親が自分が帰ってくることを喜んでいないことを。
エレノアは目に力を込めると、王妃と距離を取る。
「申し訳ありません、お母様」
「……いいわ。当面あなたは部屋で謹慎していなさい。あなたの処遇は陛下と話し合って決めるから」
王妃は静かな声でそう言うと、踵を返しさっさとその場を去って行った。
エレノアはその背中を見つめ、小さく溜め息を吐く。それから人目を気にしながら自室に戻り、一人きりになるとようやく一息つけた。
懐かしい煌びやかな自分の部屋は、旅立つ前と何も変わらない。片付けていなかったのか、それとも連絡を受けて急遽元に戻したかは分からないが、とにかくまったく変わらない自分の部屋を見ると、やっと少しだけ帰ってきて良かったと思えた。
「やっぱりこうでなくちゃ……」
呟きながら部屋をゆっくりと回る。特別に作らせた壁の柱は金で、高いところに天使の彫刻を彫らせてある。猫足の調度類には、すべて金の縁取りがされて、美しい曲線を描いている。大きな鏡はピカピカに磨かれて常に自分の姿を見ることができる。
天蓋付きのベッドも、少し前に新調させた青い生地が美しいソファセットも、何もかもがエレノアの趣味で埋め尽くされている。
その中をドレスで歩くと、気持ちが落ち着いてくる。
(このままルカの思い通りにはさせない……)
ゆっくりとソファに座り考え出す。
(こんな屈辱をわたくしに与えておいて、幸せになるなんて許さない……)
久しぶりに見たルカは、晶国の重厚な衣装に身を包み、まるで王妃かのように嵐の隣に当たり前のように立っていた。
口では妃にはならないなどと言っていたくせに、やはり王妃の座が欲しかったのだ。
あれほど厚顔無恥な者を自分は知らない。それを見抜けなかった自分が悔しい。
「考えるのよ……」
自分に言い聞かせるようにエレノアは呟くと、胸の中に狂おしいほど渦巻く憎しみに耐えるように奥歯を噛み締めた。
◇◇◇
それからエレノアは自室に籠って、できるだけ自分の噂が消えるのを待った。宮廷は色々な噂話が飛び交うので、一つの話題で盛り上がるのも長くて1ヶ月ほどだ。その内また面白い話が出て、それまで話されていた話題など、どこかに消えてしまう。
そうしてエレノアの話題が出ることがなくなると、謹慎を解かれた。
「父上、ひび石についての研究が随分進んでいるようですね」
家族全員の夕食にやっと出ていいと言われたエレノアが静かに食事をしていると、兄である王太子が口を開いた。
「ああ。ボナール教授が中心になって進めていたが、やっとひび石がどういう作用をするか判明したそうだ」
「こちらではただ捨てられる石が、まさか魔法を含む魔晶石だったとは驚きです」
「そうだな。だがこれで我が国の魔法の研究が一歩進んだ。晶国に感謝しなくてはな。今回の件がなければ、ひび石が見直されることはなかっただろう」
二人の話に割って入ることは父の不興を買うので今までしてこなかったエレノアだったが、今日は違った。
持っていたナイフとフォークを置くと、父に視線を送る。
「お父様、そのひび石によって結界を破ることは可能なのでしょうか」
「なんだ、エレノア。突然」
「結界を作ることができるのなら、破ることも可能なのでは?」
多少驚いた顔をした父は、それでも真剣な目のエレノアを見て何かを感じたのか話を続けた。
「それは、もちろん可能だ。ボナール教授によれば、ひび石は結界の継ぎ目を繋いでいる役目があるそうだ。晶国の者たちが結界を行き来できるのは、そのひび石を使用しているのではないかと言っていた」
父の言葉に目を見開いたエレノアは、ゆっくりと口の端を上げて笑う。
「それは素晴らしいことです。ならば、お父様にご提案がございます」
「提案? なんだ?」
「晶国に軍を送るのです」
「軍? 何を言っているんだ?」
意味が分からなかったのだろう、父も兄も母も困惑げな顔をこちらに向けている。
エレノアは胸を張り、はっきりと告げた。
「晶国に、戦争を仕掛けるのです」
「戦争だと!?」
「な、何を突然言っているの? エレノア!」
「エレノア! 冗談でもそんなことを言うものじゃない!」
3人はまったく同じような反応を見せる。けれどそれは想定内だ。エレノアは立ち上がると、父を見据える。
「冗談でも世迷言でもありませんわ。これはエクールにとって千載一遇のチャンスだと思うのです」
「なんだと?」
「わたくしが晶国で何もせず帰ってきたとお思いですか?」
「エレノア、あなた……」
「晶国はエクールにとって魅力的な土地です。森も豊かで、手つかずの土地がそれこそ広大にある。結界が破れるとなれば、これを逃す手はありません」
力説するエレノアに兄のフランシスが眉根を寄せる。食事の手を完全に止めると、ナプキンで口を拭った。
「エレノア、お前何を言っているんだ。五大国の協定を知らないのか? 500年平和であったのは、戦争を互いに起こさないことが協定にあったからこそだ。今更それを反故にできる訳がないだろう」
「お兄様、それは『五大国』の協定です。晶国は含まれておりません」
エレノアの言葉にフランシスがハッとした表情を見せる。
「お父様、晶国はわずか5万人程度の、国とも呼べぬ小さな一族なのです」
「5万だと?」
「はい。それも全員が主城である水晶宮に住んでいます。全員が魔法を使えますが、5万人の内、戦える者は1万人もおりません」
「お前、それを晶国で調べたというのか?」
「ええ」
驚いた様子の父にエレノアは静かに頷く。
ルカが王妃に決まった後、エレノアはずっと晶国のことを調べていた。いつか何かの役に立つと信じて、色々なことを頭に入れていたのだ。
「水晶宮は山の中腹にあり少し攻めにくいとは思いますが、そこさえ落としてしまえば晶国はもはや手に入れたも同然です。そこまでの道のりもわたくしの頭に入っております」
「だ、だが、晶国は魔物を操っていたじゃないか。あれと戦うなど……」
「お兄様はご自身も騎士でありながら、我が国の魔法騎士の実力を信じていないのですか?」
「そ、そんなことはないが……」
「エレノア、だが戦争などそう簡単にできるものでは……」
「お父様、エクールに限らず五大国は今、木材の不足に常に困窮しています。人が増え町が大きくなればなるほど、土地を広げ木を切り建材や燃料にしてきました。それでも足りず輸入に頼っている。人の住める土地も年々なくなっています。晶国を奪うことができればあの広大な森がすべて我が国のものになるのですよ? 木も土地も、すべてが一瞬で解決する。それに晶国の領土がエクールのものになれば、その広さは五大国一になります。現在最も広い領土を持つメルサ王国を軽く上回ることができる。これはお父様にとっては願ってもないことなのでは?」
今まで考えていたことを、説得力を込めて力説すると、父の目が変わったことに気付いた。
顎に手を添え、何度も頷く。
「確かにエレノアの言う通りだ……。我が国にとって魅力的な話だ」
「父上! エレノアの話などに」
「お前は黙っていろ。エレノア、晶国の話をもっと詳しく聞かせてくれるか?」
「もちろんですわ、お父様」
父が初めて自分の話を真剣に聞いてくれたことに嬉しくなり、エレノアは笑顔で答えると一度席に座り直した。
改めて父を見ると、今度は静かな声で話し出した。
「晶国の水晶宮には名前の通り、水晶があるのです。背の高さ以上もある水晶が床を突き破って、色々なところにまるで生えているかのように存在しています」
「なんと不思議な……」
「その水晶は五大国にはないもので、やはり何かしらの魔法が備わっているとか。その他にもわたくしの知らない宝石や玉石をたくさん見ました。これらを交易材料にすれば、新たな財源の確保になります」
「父上! 確かに晶国は魅力的な土地です。ですが山の中腹にある城をどう攻めるというのです? 森には危ない魔物がたくさん潜んでいるかもしれないのですよ? そこまで辿り着くまでにどれほど兵力を失うか」
フランシスがどうにか会話に割って入ってくる。そちらを睨み付けてエレノアはふんと鼻を鳴らす。
「どれだけ弱気なのです、お兄様。魔物などすべて倒せばいいだけです。今までだって魔物討伐はしてきたでしょう? それと同じです。それにもし晶国の兵士とぶつかることができれば、あの羽の生えた馬を奪えばよいのです。あれは見た限り馬と同じで、決して狂暴な魔物ではありませんでした。操るのはそう難しくありませんわ」
「エレノア! 魔物を甘く見てはだめだ!」
「フランシス、今回はエレノアの言うことが正しい。我が国の兵士は常に鍛錬し、あらゆる有事に備えてきた。魔物討伐だとて、失敗したことはないだろう?」
「それはそうですが……」
父の言葉にフランシスは俯く。それを見てほくそ笑んだエレノアは、さらに畳みかけた。
「結界から水晶宮までは徒歩で向かったとしても、せいぜい10日の道のりです。騎馬ならばさらに歩みは早いでしょうし、馬の魔物に乗れば、数時間で到着できます」
「10日以内か……」
本格的に考え始めた父にエレノアは笑みを深くする。
「500年の間、平和ぼけした五大国に、お父様がどれほど軍略に長け、歴代の王よりも優れているかを知らしめる良い機会になります」
これがとどめの一撃だった。
父の目に確かに何かが宿ったのが分かる。エレノアは満足げに笑うと、ワインに手を伸ばした。
(見てらっしゃい、ルカ。あなたの幸せを、今度はわたくしが奪ってあげる。せいぜい今の内に王妃生活を楽しんでおくがいいわ)
飲み慣れたワインの味を堪能しながら、エレノアは自分が受けた屈辱の何倍もの屈辱を、ルカに与える日が来るのを楽しみに待つことにした。




