第39話 婚礼前の幸せな日々
晶国へ帰ってきたルカに待っていたのは、王妃としての勉強だった。
まずは晶国の習わしや常識、それから歴史も頭に入れておかなくてはならず、机の上には常に本が積まれている状態で、暇さえあれば本を開く毎日が続いている。
黒雷尾の世話は本当に王妃の仕事で、掃除などはしないが、黒雷尾たちが住む『上殿』に毎日出向き、交流をするというのが日課だった。まだ王妃になっていないルカだったが、全丞相が『すでに王妃の内定は受けているので、できることからやり始めましょう』と、王妃の仕事をやり始めていた。
「おはようございます、ルカ様」
ルカが目を開けると、帳を開けて藤真が顔を出した。
「おはようございます、ルカ様。清めの水でございます。どうぞ」
そう言って隣に顔を出したのも、まったく同じ顔で、ルカは二人を交互に見る。
「右が藤真?」
「はずれでございます、ルカ様。わたくしは菖真でございます」
「ええ? またはずれ? 絶対今日は合ってると思ったのに」
藤真と菖真は笑いながら、ルカの世話を続ける。藤真と菖真は双子で、まったく同じ顔をしている。エレノアに仕えていた菖真がこちらに来て、二人並んだ時は驚いたものだ。
「何度も言っておりますが、右目の下にほくろがあるのが藤真で、左目の下にほくろがあるのがわたくしです」
「その違いは、二人ともお化粧してるから、ものすっごく分かりづらいのよ」
顔を洗ってそう言うと、二人は顔を向き合わせて肩を竦める。
そのまま着付けをしてもらうと、軽い朝食を食べて部屋を出た。
まだ朝早い時間だが、すでに廊下には兵士や女官たちが忙しそうに行き来している。
「おはよう、ルカ」
「おはよう、鈴。どこに行ってたの?」
「華露様のところよ。今日は上に戻ってきてるの」
廊下の先から小走りで駆け寄る鈴に話し掛けると、そのまま歩きだす。
鈴は大抵そばにいるが、ルカの世話は同じ人間である女官たちがこなしていて、どちらかというと話し相手というか、護衛のような役割になった。
ただし厳密にずっとそばにいるということでもなく、華露や思羅に呼ばれればそちらに行ってしまうこともある。そんな時は、大抵黒雷尾の誰かしらが代わりにルカのそばにいた。
「華露様、しばらく上にいなかったけど、どこに行っていたの?」
「東の森よ。玲様の管轄なんだけど、ちょっと気になることがあるからって、華露様を呼んでいたの」
「気になることって、魔物?」
「うん。でも大丈夫だったみたい。さっき嵐に報告していたわ」
「そう、良かった」
黒雷尾は剣雷山とこの森の警護の主翼を担っている。櫂と思羅は基本嵐の守護を、華露、玲、才は一族の配下を使って森の見回りを常にしている。もちろん兵士たちも警護はしているが、人間には入れない森の奥や渓谷などは、黒雷尾の力があってこそ毎日監視できている。黒雷尾がいてこそ、水晶宮は平和でいられるのだ。
「お祈りが終わったら、今日は学院だっけ?」
「ええ、子どもたちが今日は何か発表をするらしいわ」
「わぁ、楽しみだね」
以前嵐が晶国の王妃は働き者でなくてはならないと言っていたのが、今になって身に沁みて分かった。
王妃の毎日はとても忙しい。朝のお祈りから始まって、水晶宮の中にある学院に顔を出し、子どもたちと交流したり、教授たちと教育に関して話し合ったりする。それが終わると、今度は丞相や官吏たちと、水晶宮で働く者たちの待遇などの改善を話し合う。
昼を挟んで、今度は貴族たちの上奏まではいかない悩み事や困り事を聞く。それが終われば、それらを書面にして国王に提出する。これは毎日なので、その日の内にやり切ってしまわないと、また次の日のものが溜まってしまう。
ルカの場合、この合間に勉強や魔法の訓練もある。とにかく寝るまでやることが詰まっていて、優雅にお茶をしている時間など今のところまったくない。
「おはようございます、ルカ様」
「おはようございます、導師。今日は良いお天気ですね」
「そうでございますな。さ、瑞鳥をこちらに。お祈りを始めましょう」
頭の飾りの上がすっかり定位置となった瑞鳥のクルルは、穏やかに笑みを浮かべる導師に、パタパタと翼を動かし飛び移る。
生まれた時よりも随分身体が大きくなったクルルだが、まだまだ手の平に乗るほどの大きさで、可愛い姿は子どもたちに大人気だ。
こうして膝を突いて祈りを始めたルカの、忙しい一日が今日も始まった。
◇◇◇
「今日の午後は謁見はなしでございますよ」
「え、そうだっけ?」
昼食が終わり、少しだけ休憩していると、菖真がお膳を下げながら言ってきた。
「やっぱり忘れていらっしゃる。今日の午後は、婚礼の衣装を合わせるので、少しゆっくりできますよと昨日伝えたではありませんか」
「あ、そっか……」
そういえば昨日、ものすごく眠い中で言われたような気がする。
「良かったわね、ルカ」
「はぁ、じゃあ、今日は少しのんびりできるのかぁ」
机の上のクルルに水晶を食べさせながら鈴に言われ、ルカは笑顔で頷く。
息抜きできるのも嬉しいが、衣装合わせというのがとても楽しみだ。
お茶を飲みながら、久しぶりに鈴と他愛無い話をしていると、少しして来客があった。
「失礼致します。婚礼のお衣装をお持ち致しました」
藤真が扉を開けると、なぜかそこに嵐が立っていた。
「陛下!」
「え? 嵐?」
驚いた藤真の声に首を巡らせると、確かに女官の前に嵐がいて、そのまま室内に入ってくる。
「お邪魔するよ」
「どうしたの? こんな時間に」
この時間、嵐はまだまだ政務を行っていて、こちらに来ることなどなかったのでルカはとても驚いた。
隣の席に座った嵐は、にこにこと笑いながらルカの手を握る。
「婚礼の衣装合わせだと聞いて、様子を見に来たんだ」
女官たちが婚礼衣装を広げ衣桁に掛けていくのを嵐が見て、ルカもそちらに視線を移す。
広げられた衣装は深紅に染まっており、金糸で鳥の刺繍が施されている。今までの中でもっとも重厚で、見るからに重そうだ。
「すごい衣装ね。とっても綺麗……」
「瑞鳥の柄にさせてみたんだ。クルルもいるし」
「え、嵐が選んでくれたの?」
「うん。気に入らないようなら、他にもあるから遠慮なく言ってくれ」
「そんな! これで十分、いえ、十分以上よ! ホントに素敵……。触っていい?」
「もちろん」
ルカは立ち上がると、婚礼衣装のそばに寄る。そっと手を触れさせてみると、滑るような肌触りが気持ちいい。
「お袖を通しましょう。寸法を合わせますので」
菖真に促されてその場で婚礼衣装に袖を通してみる。ずっしりと重みが肩に掛かる。長い袖も重く、手を上げるのも一苦労だ。
「うん、綺麗だ」
「嵐ったら……」
真っ直ぐに見つめてくる嵐の言葉に、ルカは恥ずかしくなって頬を赤く染める。
ずっと忙しくしていて婚礼の儀式のことはあまり考えていなかった。儀式というだけあって、エクールでいう結婚式とはだいぶ違うだろうし、浮かれるようなことではないような気がしていた。
それがこんな時間を過ごせて、まるで普通に結婚する夫婦のようで、とても嬉しい。
(私、本当に嵐と結婚するのね……)
王妃としての仕事をすでに始めてしまっているからか、結婚するという実感が湧いていなかった自分に気付く。
真っ白のウェディングドレスに憧れはあったが、このずっしりと重い婚礼の衣装はそれ以上に嬉しかった。
「少し足を踏ん張って下さいませ」
そう言われて何かと思うと、背後から帯を結ばれる。その帯が驚くことに宝石でできていた。
「うわっ! なにこれ? 全部宝石!?」
「そうです。布に薄く削いだ宝石を縫い付けているのです。婚礼の日のみに着用される特別な帯でございます。身に着けるのは婚礼の儀式の中でも、短い時間だけですので頑張って下さい」
さすがのルカも驚き帯を見下ろす。キラキラと光を乱反射させる帯は、どれほどの価値があるのか想像もできない。
「あとは王冠と首飾りと耳飾りだな。総重量はどのくらいだったかなぁ?」
「まぁ、他人事ね」
「だって俺はいつもとそれほど変わらない格好なんだ。ちょっと派手なくらいでさ」
「そうなの?」
藤真に目を向けると、笑顔で頷く。
「私ばっかりこんなに大変なの?」
「そりゃ仕方ないさ。婚礼の儀式なんて、どれだけ王妃を着飾らせるかしか考えていないんだから」
「ルカ、当日は私が転ばないように支えてあげるから大丈夫よ!」
鈴の言葉に困ったように笑ったルカは、やっと帯を解いてもらえて、大きく息を吐く。
深紅の衣装も袖から腕を引き抜くと、身体が酷く軽く感じる。これだけで疲れてしまったルカは、よろよろとイスに座った。
「わぁ、これは大変だわ……」
「よーし、これから婚礼まで、俺と身体鍛えるか!」
「もう、嵐!」
茶化す嵐にルカが怒ってみせると、嵐は楽しげに声を上げて笑う。
この後、嵐とお茶を飲み、髪型を決めたり、装飾品を決めたりと楽しい時間を過ごした。嵐もくつろいだ様子で襟を緩めて、しまいには長椅子に横になってしまった。
「嵐、横になってたら眠ってしまうわ」
「んー……」
目を閉じて生返事をする嵐が、隣に座るルカの膝の上に頭を乗せる。
完全に寝ようとしている姿に、政務はいいのだろうかと心配になってくる。藤真たちはもう隣の部屋に引っ込んでしまっていて、今は部屋に二人きりだ。
「ルカ」
「なに?」
寝ているのかと思い自分も少しうとうとしていたルカは、ふいに名前を呼ばれてハッと目を開ける。
下を向くと、見上げてくる嵐と目が合った。
「邪魔者たちがいなくなったな」
にやりと笑った嵐に、ルカは苦笑しながら頷く。
嵐の手が上がって、ルカの頬を優しく触れるので、誘われるように腰を折っていく。
そのままそっとキスをして顔を離すと、嬉しそうな嵐の顔が間近にあった。
「やっと結婚できるな」
「そうね。やっとね」
「でも、その前に仕事をしてくれよ」
突然割って入った低い声に、慌てて顔を上げたルカは、扉に背を預けて腕を組む秀と目が合い、耳まで真っ赤になった。
「み、み、見て!?」
「夫婦仲が良いのはとても良いと思うけど、政務から逃げるのはどうかと思うぞ」
「秀……、勝手にルカの部屋に入るなよ。王妃の部屋だぞ」
「まだ王妃じゃないだろ」
ゆっくりと起き上がった嵐の顔は、あからさまに不機嫌だったが、秀はまったく気にしていない風だ。
「嵐、仕事放ってきちゃったの?」
「う……、いや……」
ばつが悪い顔をした嵐は、渋々立ち上がり、一度腕を上げて大きく伸びをする。
「全に言われて来たのか?」
「君の首に紐を付けて引っ張ってこられるのは、私しかいないと丞相は思ってるからね」
「なんだそれ」
「お邪魔して申し訳ないね」
「そんな。政務の方が大事に決まっています」
秀にそう言いながら、ルカも立ち上がる。そうして嵐の乱れた襟を正してあげていると、そっと額にキスされた。
秀がいる前で少し恥ずかしく思ったルカは、眉根を寄せて嵐を見上げるが、嵐は嬉しそうに笑ったままだ。
「お熱いことで。私も妻を娶ろうかなぁ」
「余計なこと言ってないで、行くぞ」
「はいはい」
ぼやくように言った秀の言葉を一蹴して嵐は大股で歩きだす。ルカも見送りのために庭まで出ると、すでに藤真たちが並んで頭を下げていた。
「皆、ルカの世話をよろしく頼むぞ」
「かしこまりました」
それだけ言うと、嵐は秀を連れて颯爽と去って行った。
「さ、皆でお茶にしましょうか」
ルカがそう提案すると、鈴が「賛成!」と明るい声を上げた。
◇◇◇
――その数日後、いつものように朝食を食べていたルカの部屋に鈴が血相を変えて飛び込んで来た。
「ルカ! 大変よ!!」
「ど、どうしたの? そんなに急いで」
「エクールが! エクールが結界を越えて攻めてきた!!」
荒い呼吸のまま叫んだ鈴の言葉に、ルカは声もなく目を見開いた。




