第37話 会議、そして父との再会
会議室に嵐と共に入ると、真っ先に声を掛けてきたのはメルサ王国の国王だった。もう老年の真っ白な白髪に王冠を乗せたメルサ国王は、優しい笑顔を浮かべて手を差し出した。
「晶国国王、メルサ王国国王のフランツと申す。お目に掛かれて光栄だ。以後お見知りおきを」
「嵐・狼と申します。こちらこそよろしく」
笑顔で握手を交わす二人を見つめていると、ふいにメルサ国王がこちらを見た。
「この方は?」
「この者は余の王妃となるルカ・シュバルツです。皆様へのご挨拶も兼ねて連れて参った」
「ルカです。初めてお目に掛かります。陛下」
突然紹介されて、ぎこちなく挨拶をすると、メルサ国王は少しだけ驚いた表情をした後、笑顔で頷いた。
「なるほど。エクール王国のご令嬢を王妃に選んだというのは本当だったのですね」
メルサ国王と和やかに話している間に、会議室にエクール国王が書記官などを引き連れて入ってくる。
正面の議長席に着くと、咳払いをして視線を集めた。
「全員集まったようなので、始めようか」
エクール国王の言葉に、嵐とルカが席へと誘導される。すでにルカの出席は伝えられていたのか、嵐の隣の椅子に腰を下ろしたルカは、緊張した面持ちでエクール国王を見た。
「まずは晶王よりご挨拶を頂けますかな」
嵐はその言葉に立ち上がると、周囲を見渡してから頭を下げ挨拶をする。
「晶国国王、嵐・狼と申します。五大国の皆様から見たら、結界の内、まったく交易のない謎の国という認識でしょうが、今回は皆様に提案があって、この会議を開催させて頂いた」
「今回、晶王から500年前に交わされた盟約の内容を変更したいと申し入れがあった。盟約は五大国すべてに関わることゆえ、皆にこうして集まってもらった。晶王、どういうことか詳しく話されよ」
「我らはこれまで100年ずつ5人の人質を五大国に要求し受け入れてきたが、それを撤廃したいと思う」
嵐の言葉に室内にざわめきが起こる。その中で嵐が話し続ける。
「500年前、戦乱の中で交わされた盟約で、今ではどういう話し合いがされて人質ということになったのか定かではない。だがすでに戦もなく平和の世である国々にとって、人質などというものは前時代的で残酷な話でしかないだろう」
「だが人質があってこそ、結界の維持を約束したのではないか。その人質を辞めるとして、替わりに我らは何をすれば良いのだ」
エクール国王の言葉に、他の国王たちも同意するように頷く。ルカはその様子を不安な気持ちで見つめる。
「結界は人質があろうがなかろうが維持するということで我が国も方針が固まっている。そこで結界の維持をすべての国に負担してもらいたい」
「結界の維持とは、どういう意味ですかな?」
メルサ国王が冷静な声で質問してくる。嵐はそちらに一度目を向けると、小さく頷く。
「結界には魔晶石という石が必要不可欠なのですが、それを各国に提供して頂きたいのだ」
「魔晶石? 聞いたことがないが……」
「ひび石のことですか?」
エクール国王が首を捻るが、五大国の中で一番小さな領土のヴェレーラ公国の王が声を上げた。まだ30代ほどの若い国王の、はっきりとした声に誰もが怪訝な表情をする。
「ひび石とは、あのもろすぎて加工することもできず、捨て置かれてしまうあれか?」
「そうです。丘の国では“ひび石”という名で何の役にも立たない石だが、結界にはこの石が必要だ。我が国でももちろん産出されるが、徐々に減ってきている。それを各国にお願いしたいのだ」
「人質の代わりに献上品を出せということか?」
エクール国王が厳しい声で嵐に聞いてくる。嵐は静かに首を振る。
「そうではない。ぜひ売って頂きたいと考えている」
「売る!? まさか!?」
「そうだ。我が国はひび石の取引をお願いしている。もちろん、適正な価格での取引ということになるが、どうだろう」
「なんと、貿易とは……」
その場の全員が、予想だにしないことを嵐が言い出し戸惑っている様子だ。
「結界はどの国にとっても必要な存在だ。我が国にその技術があるにしても、その維持はすべての国と手を携えてやっていきたいと考えている。すぐに開けた貿易という訳にも行かないだろうが、これを機にゆくゆくは色々な品をやり取りして行けたらと思っている」
嵐のこの意見は、晶国でもかなり物議を醸した。元々貿易を否定的に考えている者たちも多く、会議は紛糾した。けれど永久に閉ざされたままでいいのかという嵐の言葉に、最後は全会一致でこの案は可決されることになった。
「素晴らしい提案ではないですか。メルサ王国に異論はない」
メルサ国王が席を立ちそう言うと、拍手をする。それに従うように他の国王も立ち上がると手を打った。その様子に、エクール国王は腑に落ちていないような顔をしていたが、ゆっくり席を立つと、渋々という風に頷いた。
「では五大国は、晶王のこの提案を受け入れる。それでよろしいか?」
「異議なし!!」
すべての国王が「異議なし!」と続け、室内は拍手に満ちた。それを嵐は満足げに見渡すと、ルカと目を合わせた。
静かに椅子に座る嵐に、ルカがそっと手を伸ばすとその手を握り締める。
「良かったね、嵐」
「ああ。上手くいって良かった」
小さく声を交わした二人は、微笑み合い頷いた。
会議はこれで解散となった。ルカは結局通訳をすることもなく、ただ見守ることしかできなかったが、それでもそばにいることで、嵐の力に少しでもなれたのなら良かったと胸を撫で下ろした。
これでルカの心配していた大体のことが終わり、ルカはすっかり肩から力が抜けた。
嵐と並んで歩き、来賓室へと向かっていると、正面からドタドタと足音を立てて走ってくる男性がいた。
「ルカ! ルカ! 会いたかったぞ!!」
無遠慮に近付いてきたと思うと、ルカの肩を両手で掴み声を上げる。
「お父様……」
久しぶりに見た父親の表情は喜色満面という様子で、ルカは嫌な予感しかしない。
「まさかお前が晶国の王妃になるとは! でかしたぞ!! なんて親孝行な娘なんだ!!」
無理矢理ルカの手を取ってぶんぶんと振り続ける。
「おお! 晶国の衣装が良く似合っているではないか! 王冠は金か? すばらしい装飾品だな!!」
「お父様、あの……」
「失礼だが、あなたがルカの父君か?」
困っているルカを助けるように父親の手をやんわりと解いた嵐が前に出る。
「お、おお! あなたが晶国の国王であられるか! お目に掛かれて恐悦至極に存じます」
「挨拶が遅れて申し訳ない。ルカとの婚姻のこと、書状で書いた通り、進めたいと思っているが」
「いやぁ、ありがたいお話です。晶国に行くことになった時はどうなることかと思いましたが、本当に良い結果になって、私は間違っていなかったのだと、自分の判断を褒めてやりたいくらいです」
誇らしい顔でそう言うと父親に、ルカは怒りが込み上げてくる。
唇を噛み締め嵐の背後にいたが、どうしても黙っていられず口を開いた。
「……お父様、私がどんな気持ちで晶国に行ったと思っているのですか」
「何を言っている。私が晶国に行くことを許可したから、こうして王妃の座を得られたのではないか」
「お父様はただ自分の保身と出世のために、私を見捨てたのでしょう?」
「な、なんだ、突然……。そんな訳ないだろう? 私はいつでもお前の幸せを願ってだな……」
ルカの言葉に狼狽えながらも、自分は悪くないという態度を変えない父親に、ルカは忘れていた絶望感が広がる。
(どうして私の父はこんな人なんだろう……)
まったく自分に対する愛情を感じない。一欠片だって感じられれば、救われる気がするのに。
悲しみが満ちて声にならない。涙が零れそうになって下を向いたルカの肩を、そっと嵐が抱き寄せた。
「やめてくれ。ルカに酷い言葉を言うのは」
「酷いだなんて、そんな私は父親として」
「あなたがルカの父親だから、失礼のないように挨拶をと思っていたが、どうやら余の思い違いだったようだ」
「どういう意味ですかな?」
嵐は冷酷な表情になると、父親から距離を取る。
「優しく誠実な娘を育てた父親なら、まさしく人格者であろうと思っていたのだが、世の中とはそう上手くできていないらしい」
「な、なんですと!?」
「挨拶は済ませた。これで金輪際、ルカに関わることは許さない」
「な、……な!?」
言い放った嵐の言葉に、父親が目を白黒させて怒りを露わにする。
「ルカはあなたの道具ではない。ルカは晶国の王妃となるが、あなたには何の関わりもないということを言っておく」
「わ、私は、ルカの父親ですぞ!? 王妃の父ということは、国王の父ということになるはずだ!!」
「晶国にあなたを招く気はない。恩賞を出すつもりもない」
嵐がきっぱりと言うと、父親の顔はみるみる内に醜く歪んだ。
「ルカ! なんて親不孝な娘なのだ!! 今まで育ててきた恩を返さぬつもりか!?」
場所を弁えず怒鳴り散らす父親に、ルカは肩をビクリと跳ねさせると、身体を強張らせる。
「やめよ。ルカを傷つけることは余が許さぬ」
「これは親子の話だ! 間に入るのはやめてもらおうか!」
嵐は父親から守るようにルカを抱きしめると、目を細めて父親を睨み付けた。
「子は親の物ではない。ましてやすでにルカは独り立ちをし、王妃になろうとしている。もはやあなたの人生から切り離された存在だ。あなたはルカのお陰でエクール国王から恩賞を頂いたのだろう? それ以上を望むのはあまりにも強欲というものだ」
「強欲だと!?」
「これからは娘に頼らず、己の力で立身出世を目指すのだな」
嵐はそう吐き捨てるように言うと、ルカの肩を抱いたまま歩き出してしまう。
「ら、嵐……」
「振り返るな。もう父親に振り回され、傷付くことはないんだ。ルカには俺がいる」
囁くような優しい嵐の声に、ルカは堪えきれず涙をこぼした。
父親だからと、どんなことがあってもすべてを飲み込んできた。その努力は何の意味もなかった。最後の最後まで父親は変わらなかった。
嵐が庇ってくれたことは嬉しかったけれど、それ以上に空しくて悲しかった。
「うん……」
ルカは頬を流れる涙を拭うと、声にならない声で頷いた。




