第36話 エクール王国への帰郷
それから2ヶ月の間、ルカはこれまで生きてきた中で、一番穏やかで幸せな時間を過ごした。
臣下たちとも交流を深め、ルカが王妃となることが受け入れられていることを、やっとルカ自身信じることができるようになった。
黒雷尾たちの世話も続け、今ではすっかり懐いてくれて、嵐に嫉妬されることがあるくらいだ。
嵐とはたくさんの話をして、より一層愛が深まった。立場をとても気にしていたルカだったが、二人でいる時間が増えれば増えるほど、その不安は消えていった。
「ああ、綺麗にしてきたな」
すでに翅馬の前で待っていた嵐が、こちらに気付いて笑顔を向ける。
ルカは今までで一番重厚な着物を着ていて、ゆっくりとしか歩くことができない。頭には金でできた鳥の冠を付けていて、歩くたびに両脇から垂れる飾りが、シャラシャラと音を立てて揺れる。
「頭が重いわ」
「仕方ないさ。俺だってこんな動きにくい恰好は嫌いだ」
嵐はそう言うと大振りの長い袖を開いて見せる。嵐もルカと同じように分厚い着物と金の王冠を付けている。王冠はルカのものとは違い、真ん中を貫くように長い簪が刺さっている。腰には剣も携えていて、とても威厳のある格好だ。
「それにしても随分人がいるけど、まさかここにいる全員が行くの?」
広場を見渡すと、50人以上はいるだろう。ルカは勝手に少人数で行くと思っていたので、その人数に面食らった。
「こんな機会ないからって、皆行きたがってさ。どんどん数が増えちゃったんだ」
「へえ……」
兵士や女官の他に丞相の姿や、文官の姿もたくさんあって、皆いそいそと出立の準備をしている。
だがその中にエレノアの姿が見えず、ルカは不安に思った。
「嵐、エレノア様は?」
「もう馬車に乗ってるよ」
「帰国のことは何か言ってた?」
「『分かりました』って、素直に頷いてた。ルカの話を聞いてたから、少しはごねられるかと思ってたけど、告知してからもずっと静かに過ごしてたよ。やっぱり祖国に戻るのが嬉しいんじゃないか?」
「そう……」
エレノアにとってやはり晶国は居心地の良くない場所だったのかもしれない。何よりもプライドを傷つけられることを嫌うエレノアが、祖国に出戻ることを選んだというなら、相当な覚悟だろう。
(でもこれでエレノア様は少し成長できるかも……)
失敗などしたことのなかったエレノアの初めての挫折だ。これを乗り越えられれば、王女としての気構えが変わるんじゃないかとルカは思った。
「さ、そろそろ出よう。ぐずぐずしてるともっと人数が増えてしまいそうだよ」
「そうね」
嵐の言葉にルカは笑顔で頷くと、自分のために用意された豪奢な馬車に乗り込んだ。
◇◇◇
数台の馬車と、翅馬に跨り飛翔する兵士たち。その一団の合間を、櫂と思羅が大きな翼を広げて縫うように飛んでいる。その光景を馬車の窓から見てルカは目を輝やかせた。
鬱蒼とする緑の森と山の雄大な景色を背景に、空を行く一行。それはまるで絵画のように美しかった。
飛ぶスピードは相当なもので、晶国に着た時よりもずっと早く森の端へ到着すると、驚いたことに停止することもなく一行は結界を抜けた。
そうしてエクール王国の領内へと入り、そのままの勢いで王城のある城下町まで来ると、そこに多くの人々が待ち構えているのが見えた。
「わぁ! たくさんの人がいる!」
一緒に馬車に乗っていた鈴が目を見開いて眼下を見る。上空からでも城下町の道という道に人が溢れているのが見て取れる。
たぶん晶国から王女が帰ってくると噂になって、出迎えるために皆外にいるのだろう。風に乗って歓声も聞こえる。
「小さな家がたくさん! あれに皆住んでいるの?」
「そうよ。水晶宮と違って、皆それぞれ家があるのよ」
「すごい! 可愛い家!」
鈴は興奮を抑えきれない様子で声を上げる。ルカはその隣で、感慨深く街並みを見下ろす。
(まさかこんな形で帰ってくるなんて、思ってもみなかったな……)
もう二度とここには戻ってこられないと覚悟していた。だから素直に嬉しさを感じる。けれど遠目に見えだした王城を見て、これからどういうことになるのかという不安の方が上回った。
(何事もなければいいけど……)
自分の心配はすべて杞憂に終わる。そうであって欲しいと、祈るような気持ちでルカは王城を見つめた。
馬車が王城の広場に到着すると、嵐が扉を開けて手を差し出してくれる。その手に掴まり馬車を出ると、王城を見上げた。
「どうだい? 久しぶりの故郷は」
「なんだかすごく懐かしいわ」
視線を巡らせれば、エクール王国の騎士たちが驚いた目をこちらに向けている。まさか空を飛んで来るとは思っていなかったのだろう。出迎えのために外に出てきていた貴族たちも、興味津々にこちらを見ている。
晶国の者たちがそれぞれ馬車や翅馬から降りている中に、エレノアの姿を見つけた。ドレス姿で王城を見上げている。
(エレノア様……)
背筋をピンと伸ばした毅然とした姿は、決して自分を恥じているようには見えない。
声を掛けようかどうしようかと悩んでいると、案内のための着飾った騎士が誘導を始める。
「陛下、謁見の間へ案内して頂けるようですよ」
「そうか。エレノア王女、こちらへ」
全の言葉に頷いた嵐がエレノアに声を掛ける。それに反応したエレノアがこちらに歩いてくる。
「あの、エレノア様……」
目の前に来たエレノアにルカが声を掛けようと口を開いたが、エレノアはルカに目を合わせることもなく王城へ向かって進んでしまう。
「ルカ、行こう」
「あ、うん……」
嵐に促されて、ルカは胸に中にもやもやしたものを残したまま仕方なく歩き始める。
王城の中に入ると、本当に懐かしい気持ちでいっぱいになった。煌びやかな廊下を歩き、たくさんの貴族たちの前を通り過ぎ、謁見の間へと進む。何度も歩いたその廊下を、ドレスではなく、晶国の着物を着て歩いているのが不思議だった。
謁見の間へ入ると、たくさんの貴族で溢れ返っていた。きっと一目でも晶国の国王を見ようと、押し掛けたのだろう。
「ようこそ参った、晶国の方々」
エクール国王が座っていた玉座から立ち上がると声を掛けて来る。嵐はその前に進み出ると、頭を下げた。
「ご挨拶申し上げる、エクール国王。余は晶国国王、嵐と申す。お見知りおきを」
「まさか国王自らお越しになるとは思わず、驚きましたぞ」
エクール国王が差し出す手を握り返して、嵐が答える。
「書状の通り、エレノア王女をお返しする。短い間ではあったが、人質として責務を全うしたことを伝えておく」
「おお、そうかそうか」
成り行きを見守っていたルカは、ふいにエレノアが前に出たのに気付いた。衆目が集まる中、エレノアは壇上の下まで来ると、優雅にカーテシーをする。
「エレノア・エクール、ただ今帰りました」
「エレノア! よく無事で帰った!」
嬉しそうなエクール国王は大きく頷く。広間にざわめきが広がる中、王妃がエレノアに近付くと、そのままエレノアを連れて広間を出て行ってしまった。
「王女の帰郷をありがたく思う。二度と会えぬと覚悟しておったゆえ。だがどういうことですかな。確か王女は王妃となる予定では? 書状にルカ・シュバルツを王妃にすると書いてあったが、何かの間違いでは?」
「いや、間違いではない。ルカ」
「は、はい!」
名を呼ばれて、慌てて返事をすると、国王は驚いてルカを凝視した。
「まさか、そなたが?」
「お久しぶりにございます、国王陛下。ルカ・シュバルツにございます」
この格好でカーテシーをする訳にもいかず、晶国の挨拶として腰を深く折ると、さきほどよりもずっと大きなざわめきが起こった。
こんな格好をしていれば、まさかエクールの者だとは思わないだろう。
エクール国王は目を疑うとばかり、怪訝な顔をすると嵐に向き直った。
「まさか本当に? あれは下級貴族の娘ですぞ?」
「こちらの貴族の階級は、我が国には関係ないこと」
「だが侍女として働いていた者を……」
「ルカは王妃としての資質を持っている素晴らしい女性だ」
「まさか……、王女がその娘より劣っていたということか?」
ふいに低い声でエクール国王が言ってきて、嵐は穏やかな笑みを浮かべて首を振る。
「そうではない。エレノア王女がこの国では素晴らしい王女であることは理解している。我が国の王妃にはルカが適任であったというだけのこと。我が国は五大国とはだいぶ文化や考え方が違うゆえ苦労も多い。それを加味してルカを選んだのだ」
「そ、そうか……。確かに衣服もまったく違うようであるし、王女が苦労するのは忍びない……」
嵐の言葉に納得したのか微妙な表情で頷いたエクール国王は、咳払いをすると話を変えた。
「すでに五大国の代表は集まっておる。盟約の変更の会議はすぐにでも始められるが、どうだろう。休憩を入れようか?」
「いや。それほど疲れてはいないので、すぐに始めてもらって構わない」
「分かった。では、すぐに始めるとしよう」
これで謁見は終了だった。国王が退出し、ルカは大きく息を吐く。
(良かった……。何事もなく終わった……)
もしかしたらエレノアがエクール国王に何か訴えるかもと思ったが、そんなこともなく謁見は終わった。
これで大きな一山を越えたと安堵していると、嵐が壇上から降りてきた。
「すぐに会議だ」
「うん」
「ルカも行くんだよ」
「え!?」
全たちと共に待っているつもりだったルカは、驚いて嵐を見た。嵐は当たり前だという顔で、ルカの手を取る。
「大陸語があんまり得意じゃないの知ってるだろ? 通訳として来てよ。あとは単純にそばにいてくれると心強い」
「嵐……」
まさか母国でも通訳をするとは思わなかったが、嵐の言い分に少し嬉しくなってルカは笑いながら頷く。
「いいわ。一緒に行きましょ」
「よし、そうこなくちゃ」
嵐はそう言うと、ルカの手を繋いだまま会議室へと歩きだした。




