第32話 説得
煌びやかな美しい装飾の部屋になかば無理矢理通されたエレノアは、部屋を見渡したまま立ち尽くした。
(なんなの……、なんなのよ、この茶番は……)
混乱する頭で、今までのすべてを思い出そうと考える。
(皇帝が魔物で、使用人が本物の国王!? そんな馬鹿なことがある!?)
自分が皇帝だと思っていたあの麗しい皇帝が魔物だなんて信じたくない。今まで出会ったすべての男性の中で、もっとも自分に相応しい相手が魔物だったなんて、笑い話にもならない。
「王女様、どうなさいましたか?」
穏やかに話し掛けてきたのは、この部屋に有無を言わさず連れてきた侍女だ。
自分よりだいぶ年上の落ち着いた女性は、にこりと笑ったまままったく表情が崩れない。
「王女様のお世話を命じられました、女官の菖真と申します。よろしくお願い致します」
「ええ……」
「今日はお疲れでしょうから、すぐに夕餉に致しましょうか?」
「そうね……。ここにいる子は全員侍女なの?」
部屋を整えている女性はパッと見ただけで6人はいる。庭にも男性やらもっと若い女の子が働いているのを見た。
「はい。王女様に不便があってはならないという陛下からのご配慮です。少ないようでしたらすぐに増やしますので、ご遠慮なくお申し出下さいませ」
「陛下って……、嵐・狼よね?」
「もちろんでございます。さぁ、まずはお茶を入れましょう」
まだ信じたくなくて訊ねるが、菖真はあっさりと頷き、部下だろう女性に目配せする。
隙のない言動と所作で、この人物が侍女の中でも上等な類なのはよく分かる。今まで住んでいた場所での待遇とは雲泥の差で、これが本来の自分が受けるべき待遇なのだと理解する。
「……ルカは? ルカはどこにいるの?」
「ルカ様は違う宮におられます」
「あの子はわたくしの使用人よ!? すぐに呼んできて!」
苛ついて声を荒げるが、菖真は微動だにせず微笑む。
「ルカ様は王女様と同じ来賓待遇となっております。それぞれに侍女がお世話をしておりますのでご安心を」
「ご安心って……、そういうことを言ってるんじゃないわよ!」
「さ、お茶をどうぞ。落ち着きますよ」
笑顔で差し出される花の浮くお茶を見て、エレノアはそれ以上何も言えなくなり、開いていた口を閉じた。
待遇はこれでいい。色々文句はあるが、部屋も侍女の数も問題はない。それよりももっと考えなくてはならないことがある。
(ルカが王妃になんて認める訳にいかない……)
まさか嵐が国王などとは夢にも思わなかったので、あの二人が仲良くなることをどうとも思っていなかった。
使用人同士、空しく心を慰めているのだと、冷めた目で見ていた。
(まさかルカは嵐が国王って知っていたんじゃ……)
一瞬そう思ったが、ルカは本当に驚いているようだった。自分と同じように衝撃を受けているように見えた。
それならば、ルカは何も知らないで、偶然国王と心を通わせたというのか。
「おとぎ話じゃあるまいし……」
エレノアが最も嫌いな夢物語の一つだ。身分の低い娘が王子と結婚する。そんなことがある訳ない。身分は絶対で、覆せるものではない。
王妃になるにはそれ相応の教養と、それに見合った地位が必要だ。そうでなければ体面が保たれない。
出自の卑しい王妃など、国民にも貴族たちにも侮られるだけだ。それは国の威信にも関わり、本人にとってもただ針の筵だ。
(ルカは分かっていない……)
今はきっと浮かれているだろう。ギルバートの時もそうだった。自分から奪った男性との幸せな結婚を夢見て、それこそ夢心地でいるに違いない。
「分からせなければ……」
エレノアは憎らしいルカの顔を思い浮かべ、膝の上に乗せた手を握り締めた。
◇◇◇
次の日の夜、歓迎の宴が開かれることになった。
エレノアは今までで一番美しい着物を着て宴席に向かった。ぞろぞろと侍女を従わせて歩くのは久しぶりで、少しだけ気分がいい。本来の自分に戻ったようで、自然に口の端が上がる。
けれどすぐにその良い気分は掻き消えた。廊下の先にルカが姿を現したのだ。
ルカはこちらに気が付くと、サッと表情を強張らせる。
「あら、随分綺麗な格好をさせてもらったのね」
「エレノア様、これは、その……」
口ごもるルカにわざと笑みを浮かべて詰め寄る。
「使用人がいくら着飾っても、卑しい心は隠しきれないわよ」
「王女様、おやめ下さい」
「鈴、お前は下がっていなさい」
ルカとの間に割って入ろうとする鈴を睨み付ける。鈴はまったく引く様子を見せなかったが、ルカが鈴の名前を呼んだ。
「鈴、いいわ」
「でも……」
「同じ使用人同士で仲良くやっているみたいね」
「エレノア様、お世話に行けず申し訳ありません」
「自分の仕事も忘れて良いご身分ね」
ルカの姿を上から下まで見て、エレノアは内心では腹が立って仕方なかった。明らかに自分と同じ、いやそれ以上の美しい衣装を身に着けている。装飾品もルカにはまったく似合わないほど豪華なものだ。
「……あなた分かっているわよね」
「私は」
「王妃になるってどういうことか」
静かな声でそう言うと、開いていた口がゆっくりと閉じられる。
「ただ好きだからって王妃になれる訳じゃないのよ」
ルカのことだから愛し合っていればどうにかなるとか、馬鹿げたことを考えているに違いない。
低俗な者たちは皆そうだ。気持ちがあればなんでも乗り越えられるとすぐに口にする。
「わたくしは王女として、いずれどこかの国の王族に嫁ぐため、それ相応の教育を受けて来たわ。祖国の恥にならないように、国王の顔に泥を塗らないように。どう振る舞えばいいか、生まれた時からずっと厳しく教えられてきた。それがあなたに分かる?」
反論できないのであろうルカは、押し黙ったまま俯いた。
「王妃の責務は大きいわ。あの魔物たちは奉仕だなんだと言っていたけど、本質はそこじゃない。王妃は国王に並び立ち、国民を導いていくため、誰よりも強い威厳を示さなければならない。ただ優しいだけの王妃なんてなんの役にも立たないわ」
エレノアは優雅に扇を広げ、ルカの回りを歩きながら話し続ける。
「わたくしが王妃になればエクール王国と晶国の絆は深くなる。両国にきっと利益を生むわ。でもあなたが王妃になって何か変わる? 良くなるどころか悪くなるのではなくて?」
「わ、悪くなる……」
「そうよ。王女のわたくしを差し置いて王妃の座を奪い取るなんて前代未聞よ。エクールならば大罪でしょう。このことをお父様が知れば激怒なされるわ。あなたの家族だってただじゃすまないでしょうね」
「そ、そんな……」
動揺するルカの顔を見てエレノアはほくそ笑む。
「両国の不和はあなたが作るのよ。きっと大変なことになるわ」
「私、どうしたら……」
エレノアはルカの両腕を掴むと、ぐっと顔を近付け真っ直ぐに目を見つめた。
「あなたにできることはただ一つよ。国王からの求婚を断りなさい」
「え……?」
「あなたが頷かなければすべて丸く収まるのよ」
「それは……」
頷かないルカにエレノアは畳みかける。
「今この時も嵐……、陛下はあなたを擁護して苦しい立場になっているはずよ。使用人の王妃など誰も認めはしないのだから。これで陛下が臣下からの信頼を失ってしまったらどうするの?」
ルカが一層項垂れ、両手を握り締める。その様子にエレノアはこっそりと笑みを作ると、優しく背中を撫で下ろした。
「陛下を苦しめたくはないでしょう? まさかそれを望んでいるの?」
優しく問うと、ルカは言葉もなく首を強く振る。
「そうよね。ならあなたが引くしかないわ。いい? 断るの。そうすれば陛下は救われるわ」
悲しげな目をしたルカがエレノアを見つめる。
「悲しいわね。でも仕方ないことなの。分かるわね?」
「はい……」
ついに頷いたルカにエレノアは満足し、小さく頷くと、「行きましょ」と促して大広間へと歩きだした。




