第25話 雪家の宴
どうなるのかと不安な気持ちのままで3日を過ごすと、秀が朝から姿を現した。
「おはようございます、王女様」
「ごきげんよう。顔を見せたということは、良い報告があるのでしょうね?」
「もちろんです。父が王女様にお会いしたいということで、宴席をご用意しました。ぜひ我が家にお越し下さい」
エレノアは秀の言葉に少し驚いた顔を見せたが、すぐに笑顔になり頷く。
「王宮を出ていいのかしら」
「それは大丈夫です。許可は取ってありますから。馬車にお乗りください。もちろんルカも一緒に」
部屋の端に立っていたルカに秀は笑い掛ける。ルカは引き攣った顔を向けるだけで何も言えなかったが、エレノアは笑顔で立ち上がった。
「少し時間をちょうだい。ルカも少しくらいは着飾らないと。婚家になるだろう家に行くのだからね」
にんまりと笑ったエレノアはそう言うと、ルカを呼びつけた。
寝室にある衣装箱の前に行くと、エレノアは少し考えてから薄い緑色の着物を手にした。
「ほら、瞳の色と同じ衣装なら少しは映えるでしょ。地味な顔はどうにもならないけど、髪飾りを少し派手にすればどうにかなるかしら」
「エレノア様!」
「口ごたえしないで、黙って着替えなさい。わたくしが服を貸してやるのだから、必ず成果を上げるのよ」
「でも!」
「鈴! ルカの着替えを手伝いなさい。ちょっとは見られるようにね」
有無を言わさず命令するエレノアに、鈴は黙ったまま着物を受け取る。
「鈴」
「秀様が待っているし、行くしかないわ」
小声で鈴にそう言われると、ルカは口を閉じるしかなかった。
秀の家に行ってしまえば取り返しのつかないことになりそうなのに、ルカにはなんの手立てもない。あれから嵐とも会えず、状況は何も変わっていない。
美しく着飾った自分を見ても嬉しくもなんともない。ただ焦る気持ちだけが胸に広がって、なんだか吐いてしまいそうだ。
胸に手を当てると、懐に入れている卵がほんのりと温かく感じる。ルカは卵をそっと取り出すと、ずっと袖に持っていた嵐の手拭いで卵を包んだ。
(嵐……)
返しそびれていた手拭いだったけれど、今はお守りのように感じる。
(私に勇気をちょうだい。嵐……)
ルカは覚悟を決めると、エレノアと共に空を行く馬車に乗り込んだ。
◇◇◇
晶国に来た時以来、水晶宮から出たルカは、馬車の窓から見える景色に少しだけ解放感を感じた。
人気のない静かな王宮は、いつもどこか寂しさを感じた。広い王宮なのに閉塞感もあって、近いはずの大空さえ、酷く遠く感じた。
「たまには外に出るのもいいものね」
「エレノア様、私、本当に結婚なんて無理です」
「まだ言ってるの? 無理とかそういうあなたの意見は聞いていないの。わたくしが命令しているのだから従いなさい」
正面に座るエレノアは機嫌が良かった表情を変え睨み付ける。その顔に怯みながらもルカは言い続ける。
「私の幸せは私が決めます」
「はぁ? 何を言ってるの? 秀殿は晶国の貴族の中でも地位が高い方よ。そんな方の妻になれるのよ。とても幸せなことよ」
「地位で人の幸せは決まりません」
ルカの言葉にエレノアは心底軽蔑するような目をルカに向けた。
「使用人のくせによくもそんな夢みたいなことが言えるわね。いえ、使用人だから言えるのかしら。そう思わないと生きていけないのね。可哀想に」
「エレノア様!」
「秀殿と結婚すればあなたは使用人じゃなくなるのよ。あなたにとって良いこと尽くめじゃない」
「そういうことではないのです!」
どうにか説き伏せられないかと試みるが、エレノアの考えは変えられそうにない。
そうこうしている内に馬車はガタンと音を立てて停止した。
「さぁ、お降り下さい。着きましたよ」
扉を開けて笑顔を見せた秀が手を差し出す。パッと笑顔を見せたエレノアがその手を取り、馬車を降りる。その後を追って馬車を降りたルカは、周囲を見渡すとポカンと口を開けた。
木製の屋敷は驚くべきことに巨大な木の上にあった。美しい色とりどりの布がはためき、磨き上げられた木製の柱には銀の装飾が施されている。
たくさんの侍女や衛兵のような男性たちがルカたちを笑顔で出迎えている。その華やかで賑やかな様子はまるでエクール城のようで、この場所の方がよほど王宮のように感じた。
「ようこそお越し下さいました、エレノア王女様」
美しい侍女たちが頭を下げる。広場にいる者たちは、皆それぞれ遠巻きにエレノアやルカを見て、小声で何かを話している。
「すごく、賑やかなのね」
エレノアもルカと同じ感想なのだろう。多少面食らった表情で秀に言っている。
「そうですか? うちはこれでも使用人は少ない方ですよ。ああ、あの人が私の父です」
秀の視線の先、屋敷の中から姿を現したのは、いかにも武人然とした体格の良い中年男性だった。腰に剣を帯びて足音を踏み鳴らすように大股で近付くと、エレノアの前でざっと膝を突いた。
「ようこそおいで下さいました、エレノア王女」
「あなたが秀殿のお父君ですね」
「はい。範・雪と申します。右軍将軍の命を受けております。ご挨拶が遅れ申し訳ございません」
「いいのです。それよりこの子の紹介をまずはさせて下さいな。ルカ、こちらへ」
後ろで気配を消していたルカだったが、エレノアに呼ばれてしぶしぶ前に出る。
エレノアはにこにこと笑顔でルカを紹介した。
「ルカ・シュバルツです。今はわたくしの侍女をしてくれていますの。才女でとても働き者なのですよ」
「ああ、なるほど。良いお嬢さんのようだ。ではどうぞお二人とも中へ。宴の準備はできておりますぞ」
範はルカを一目見ると、うんうんと大きく頷く。昔ギルバートに紹介された時のように、居心地の悪さを感じたルカは、ぎこちない笑顔を浮かべた。
そのまま室内に通され長い廊下を進む。その間もたくさんの使用人たちが通り過ぎていく。エレノアとの遭遇に色めき立った侍女たちは、笑顔で挨拶をしていった。
「さぁさぁ、ここです。どうぞ」
通された広間には宴席が用意されており、すでに十数人の男性や女性が華やかな出で立ちで着座し、楽しげに話をしている。
エレノアの登場に気付くと、全員がゆったりと立ち上がった。
「我が家に王女がいらっしゃると聞いて、皆一目見たいと押し掛けましてな。身内だけでと思っていたのですが、思いがけず大宴会になってしまいました」
範は「千客万来ですな」と笑いながらエレノアに席を勧める。もちろんエレノアは上座で、ルカは秀の隣に促される。
戸惑いながらも席に座ると、あっという間にエレノアは人に囲まれた。口々に「ご挨拶を」と話し始める。
「皆、そう急くものじゃない。王女もお困りだ」
皆を諫める範だが、エレノアは嬉しそうな笑みを浮かべて立ち上がった。
「皆様、わたくしこそご挨拶が遅れ申し訳ございません。この度、エクール王国より参りました、エレノアでございます。まだまだ不慣れなこともあるとは思いますが、なにとぞよろしくお願い致します」
覚えたばかりだろう言葉を流暢に使い、優雅に挨拶をするエレノアは、いかにも王女の本領発揮という感じだった。
堂々として、それでいて優雅で、威圧感さえ醸し出している。
(こういうところは、さすがよね……)
公の場に慣れているエレノアにとって、挨拶はお手の物だ。決しておどおどしたりすることはない。
それに比べて自分は、晶国に来て初めてと言えるほどのたくさんの人を見て、それだけで戸惑ってしまっている。どこにこれほどいたのだと思うほどに、突然人が現れたように感じる。
「いつまでも陛下がご紹介下さらないのでやきもきしておりましたが、これほどお美しい王女様だとは。水晶宮もこれで少しは華やかになるというもの」
範が楽しげに言うと、周囲も同意の言葉を上げる。エレノアはその様子に満足すると、器を手に持ち掲げた。
「晶国とエクール王国の恒久の和平と安寧を願い、乾杯!」
高らかなエレノアの声に、ルカは慌てて酒の入った器を手に持ち立ち上がる。出席者も全員が立ち上がると、全員が声を揃えて「乾杯!」と続いた。
それから美しい踊り子たちが出てきて音楽に合わせて踊りだす。エクールとは違い自分たちが踊るのではなく、こちらでは女性の踊りを観賞するようだ。
エレノアの前には、ひっきりなしに人が来て挨拶をしている。ルカはこれからどうなってしまうのか気が気ではなく、目の前の豪勢な料理にもまったく手を出さずにいると、隣に座る秀が声を掛けた。
「食べないのかい?」
「あ、いえ……」
「緊張しているのかな?」
「はい……。圧倒されてしまって。こちらに来てずっと静かな王宮で過ごしていたので、なんだか賑やかな場所に戸惑ってしまいます」
「ああ、上は静かだものね」
「上?」
秀の言葉に首を傾げるが、秀はその答えは言わず、違うことを訊ねてきた。
「君は婚姻のことはどう考えているの?」
「私は……、私の一存ではどうにも……」
「主の命令には従う?」
「それは……」
はっきりと答えることができず口ごもる。秀はそんな様子のルカを穏やかに見つめる。
「王女の後ろ盾を得たいという考えは分かるよ。晶国で地盤を固めるなら一番手っ取り早いやり方だしね。まぁ、それを君を差し出してっていうのは、なかなか乱暴な話だとは思うけど」
酒を飲みながら秀は苦笑して肩を竦める。ルカは一度エレノアの方を窺い、こちらに注意が向いていないのを確認してからもう一度秀を見た。
「秀様、秀様もそうお考えなら、私との婚姻なんて望んではいないのでは?」
「うーん、そうでもないよ。私はまぁ、色々女の子たちと楽しくしているけれど、そろそろ身を固めようとは思っていたんだ。君は結構可愛いし、働き者のようだし、父にとって利益もありそうだから、悪くない縁談だとは思うよ」
「そんな……」
秀が断ってくれればどうにかなるのではないかと、一縷の望みを抱いていたルカは悲愴な声を上げる。すると秀は声を上げて笑った。
「そんな顔しないでおくれよ。大丈夫。君と結婚する気はないよ」
「え?」
「嵐に釘を刺されているんだ。君にちょっかい出すなって」
「嵐に?」
秀の言葉にルカはこんな状況でありながらも、嬉しさに顔を綻ばせた。秀とは身分が違うだろうに、そう言ってくれていたことが嬉しい。
「幼馴染って話はしたっけ」
「はい」
「子どもの頃から一緒にいるけど、女の子のことであんなに感情的になる嵐を初めてみたなぁ」
「そうなのですか?」
「うん。今まで浮いた話一つないやつだよ。まぁ仕事が忙しいっていうのもあるけど、あんまり女の子に興味がないやつだったからね」
嵐の話をもっと聞きたいと思い、つい身を乗り出すように秀に身体を向けると、秀は意味深に笑った。
「嵐のことが気になるんだね」
「あ、いえ……」
「照れることないさ。二人が心を通わせているなら、私は応援するよ」
「秀様……」
優しく笑う秀に、ルカも微笑む。少し軟派な雰囲気が苦手だと一瞬感じたけれど、思いの外優しい人なのかもしれない。
「あら、なんだか楽しそうに話しているじゃない、二人とも」
ふいに高い声に顔を上げると、エレノアが楽しそうに近付いてきた。
「範様、ご覧下さいな、二人の並んだ姿を。なかなかにお似合いだと思いませんこと?」
共に来た範は、二人をじろじろと見ると、うんうんと頷いてみせる。
「確かに。浮ついた息子に、そろそろ良い嫁をと思っていたのですが、似合いの二人だ」
「ルカはわたくしの妹も同然の子です。秀様と婚姻を結べば、範様とわたくしにも強い絆が生まれます」
「あぁ、それは願ってもないことだ」
範はもはやエレノアの申し出を受け入れる様子で、ルカは今断らなければ、もはや止めることはできなくなると焦った。
(はっきり断らないと!)
意を決して声を出そうとした瞬間、正面の扉がバタンと音を立てて開いた。
全員の視線が集まる先、扉から入ってきたのは、皇帝その人だった。




