SCHOOL OF LOCKED4
一階での撮影を少し見て、本当は部室での作業を再開するつもりで、二人で部室へ向かった。シュンは通り道、二階の階段のすぐ隣にある男子トイレに寄って、ユカリは一人で部室の扉を開けた。するとそこにはなぜか、竹田がいたのだ。
恐ろしい形相と、血走った目、荒い息遣い。荒事には一切関わったことのない箱入りの令嬢が身の危険を感じるには、十分すぎた。恐ろしくなって、当然、すぐに部室から逃げようとする。しかし、恐怖に足が竦んだユカリに、竹田は掴みかかったのだ。
そこからは、必死だった。
咄嗟に、手の届く場所にあった花瓶を掴んだ。力加減なんて少しも考えずに、振り下ろした。たった数秒間のことだった。
手に付いた血や床を少し拭いて、慌てて部室を出ると、ちょうどシュンが戻ってくるところだった。今思えば、この時にすぐにシュンに言って、外に連絡するなり救急車を呼ぶなりしていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。けれど、思わずシュンをそこから遠ざけてしまったのだ。
忘れ物だとか適当に理由をつけて、二人で連れ立って三階の教室へ向かった。シュンは訝しげな顔を見せたが、なにも聞かずにいてくれた。それからは本当にずっと教室にいたが、いつシュンが部室に戻ろうと言い出すか気が気じゃなくて、なにを話していたかはほとんど覚えていない。
それが、ユカリの告白だった。
竹田教諭の死亡に、殺意は絡んでいなかったのだ。それどころか、深窓の令嬢を絵に描いたようなユカリが、抵抗する必要に駆られたくらいだ。彼女がカーディガンを捲った細い両腕には、手の形をした真っ赤な痣が、未だくっきりと残っていた。シュンが一番痛そうに、目を逸らす。
立証されるかはともかくとして、正当防衛は十分に主張できるだろう。殺人事件ではなかったのだ。シュンはやるせなく頭を抱えているが、その事実に彼らは、安堵の表情を浮かべた。
かのように、思えた。
コウキが、小さく声をあげる。
「……ナオ?」
彼の隣で、ナオが顔を真っ青にして、震えていた。声を出すこともままならない口を、開く。
「ごめん、なさい」
これ以上はないというほど俯いて、その言葉を繰り返し、繰り返し。
「あ、……ごめんなさい、僕……、ごめんなさい……!」
「ナオ! どうしたの、」
そして、さらなる衝撃が、なんの容赦もなく、襲いかかる。
「竹田先生を……最初に殴ったの、僕なんです……!!」
なんの反応もできなかった。
シュンが開き直って逆上した時より、ユカリが泣きそうな顔で自分の罪を打ち明けた時より。もしかしたら、竹田の死体を見つけた時ですら、こんなには戸惑わなかったかもしれない。
「ナオ……なに言ってんの」
「本当なんです、僕が殴ったんです! ……僕、先生に、襲われそうになって……!」
ナオのその言葉に、ヨリコは息を呑んだ。
正直に言って、竹田樹に関しては、ある程度予想もしていた言葉だったのだ。生徒を“そういう目”で見ているという噂は、前々からあった。ヨリコの肩が大きく揺れたのは、そういうことなのだろう。容姿の整った女子生徒ならば大抵、彼から多少なりともそういう誘いを受けたことがある、というのは、ある意味公然の事実とさえ言えた。噂の域を出ていると言い切れず、証拠が残るようなこともしないために、他の教師の耳には入らなかったが。
しかし意外すぎたのは、それがナオの口から出た、という事実だ。
なにしろ西寺ナオは、男子生徒なのだ。
「どういうこと……? 竹田って、男子にもそんな……!?」
コウキが、信じられない、という顔で、呆然と呟く。
いつもほとんど表情を変えないマサトでさえも、顔を歪めている。
シュンはもう、言葉も出ない様子で、ただ真っ青な顔をしている。
「僕だってそんなこと、思ってもみなくて……。でも、脅されて、裏口入学って言いふらすって、もうどうしたらいいか」
「ちょ、ちょっとナオ、落ち着いて。話は聞くから、ゆっくり。な?」
おろおろと頭を抱えるナオに、ナツが慌てて声をかける。言い聞かせるように優しく言うと、徐々に落ち着きを取り戻して、俯いて大きく息を吐く。「すいません」と小さく言って頷くと、ナツは口を開いた。きっと、ナオだけに話させていたら、また取り乱してしまうと考えたのだろう。
「ナオ、部室にはいつ行ったんだ?」
「休憩時間です。トイレに行ったあと、姿見を使いたくて……ちょうど、先輩たちが降りて行くのが見えて」
「先輩たちって……シュン先輩と、ユカリ先輩? 撮影を見に降りて来た時か……」
ナオは頷いて、「……部室に行ったら、先生がいたんです」と、続ける。竹田は、シュンとユカリが部室を出た隙に、すかさず入り込んだのだ。
撮影中の映研部は各自がバラバラに行動することが多い。待ち伏せていれば、誰かが一人で部室に来ることも十分にあり得る。
誰でもよかったのだろう。ナオの話で、竹田の無節操さは暴露されている。女子生徒であるユカリやヨリコか、もしくは、男子生徒でも線の細く力の弱そうなナオを狙っていたのかもしれない。
生活指導員として映研部の夜遅くまでの部活動を取り締まる上でも、弱味を握っておきたかったに違いない。問題児たちの時間外の部活動をやめさせることができれば、教師たちからの株は上がる。適当な部屋に連れ込んで、服を脱がせて写真でも撮れば、思春期の少年少女にとってはそれだけで大きな弱味になる。
「僕、最初はそんな、……そんなことになると思ってなくて。また怒られるかなって思って、もう帰りますから見逃してくださいって、言ったんです。でも……僕の格好、見て、」
「もういいよ、ナオくん……」
真っ青な泣き顔で、ヨリコが呻き声にも近い泣き声を上げる。そんな状態のヨリコにも、肩を震わせるナオにも、かける言葉は見つからない。
ナオの姿は確かに、男にしておくのは勿体ないと言ってよかった。毛先だけがゆるくカールした、黒髪のロングヘア――ユカリの髪型にそっくりのかつらを被って、紺のセーラー服に、ハーフ丈のキュロットパンツ。今回の映画の主役は女の子で、それがこの映画での、彼の衣装だったのだ。
あえて女主人公を男子生徒が演じるという、一種の試みのつもりだった。しかしそれを見た竹田は、無理にナオに迫ってきた。当然抵抗したナオに、『言うことを聞かなければ、西寺ナオは裏口入学だと噂を流す』と言って。
「もう、こうするしか、なかったんです……!」
竹田が後ろを向いた一瞬の隙をついて、そばにあった花瓶に手を伸ばした。中身を床に引っくり返して、一切の手加減をせずに、殴り付けた。
必死だったのだ。
床などに飛び散った血は、手近な布巾で拭った。それを聞いて、ユカリが声を上げる。
「え……じゃあ、あの布巾って」
ナツは、マサトの肩を叩いて、すぐに部屋を出ようとした。シュンが、俺も行く、と、後に続く。数分もしないうちに、手に赤茶と白の布を持って、戻って来た。
「ユカリ先輩、血糊つきの小道具だと思ったんですね。今回撮ってるの、ホラーだったから……」
「全部あいつの血だったんだよ。ほら、変色してきてる」
ほら、とシュンは言ったが、血のついたその布巾をわざわざ見たがる者はいなかった。部室へ向かった三人の他は、コウキが一瞬ちらりと視線をやったくらいだ。
布巾についた血痕は、確かに酸化して、茶色っぽく色が変わりかけていた。しかしよく見れば、一部の血痕は茶色く乾きかけているのに対して、まだ黒ずんだ赤を保っているものが、その上に重なるように付着している。それは、出血した時間のズレを物語っていた。
「ユカリ先輩が会った竹田先生は、すでにナオが殴ってた。花瓶の中身も、もう床にぶちまけられてたんじゃないですか」
「えっと……よく覚えてない……」
「気が動転してて気付かなかったんですかね……でも、布巾が少し水で濡れてるんです」
ユカリは「え?」と視線を上げたあと、すぐにそれを泳がせて、「あぁ……」と声を出した。
「そう……だ、血を、踏んでしまって。足跡を、消そうとして」
「それで、床を拭いたら、布巾が濡れたんですね。じゃあやっぱり、その時にはもう……」
竹田の髪は、暗い赤だ。その上ナオが殴ったのは後頭部だったために、気付かなかったのだろう。女子生徒であるユカリなら、竹田と二人になった瞬間に警戒しはじめていて、ろくに相手の顔を見ていなくもおかしくない。飛び散った血痕はナオが拭いてあったのだから、なおさらだ。
「じゃあ、竹田先生が、ユカリ先輩にいきなり襲いかかったのは」
コウキが、ぽつりと呟く。
やけに冷静な口調だった。放心状態にも近い。
「ナオが、とどめを刺しに来たって、思ったからじゃ」
長い黒髪。毛先にかかったゆるいカール。
大きな目と、白い肌。
すでに出血で朦朧としていた竹田が見間違えるには、それだけ似ていれば十分だ。
脅すつもりだった生徒から思わぬ隙を突かれ、重い花瓶で殴られて。なんとか死なずにすんだと思ったのに、また戻ってきた。竹田の反撃は、必死だった。ユカリの袖の下に残る痣が、それを物語っている。竹田は、少なくともユカリに対しては、殺すつもりで向かってきていた。
「僕と間違われて……?」
「……っおい、下手したら、ユカリが殺されてたかもしれねぇのかよ」
シュンの低い声に、ナオはびくりと肩を震わせる。「、じゃあっ……」と、縋るように先輩たちの顔を見る。
「ユカリ先輩は、正当防衛になりますよね?」
「ねぇ、ナオくんは……? ナオくんは、殴ったけど殺してないんだよ? 傷害じゃないの?」
泣き腫らしたヨリコの鼻声に、確信を持って頷ける者はない。どれだけ竹田が人間として最低だったとしても、殺してしまったのは事実なのだ。酌量の余地はあるだろうが、それ自体は消せることでは決してない。
「…………あの。ちょっと、いいですか」
と、その時、マサトが、言葉を挟んだ。普段通りの冷静で抑揚のない話し方だが、わずかに眉が潜められている。
「竹田先生の死は、不慮のものだったとして。……じゃあ、校舎の封鎖は、誰が?」
そうだ。映研部の中に竹田を殺した人物がいるのではないか、ということがこんなに問題になったのも、外に出ることができなくなったせいだった。助けも呼べない、出られない、入っても来れない。つまり、もしかしたらこの中に犯人がいるのかもしれない。この異様な状況下でそんな考えに支配されたために、まるで殺人犯探しのようなことをする羽目になったのだ。
この二つの出来事に関しては、二つの可能性しかないと、ナツは言った。つまり、竹田を殺したのと校舎封鎖は同一人物によるものか、別人によるのか、ということだ。
この点に関して真っ先に言ったのは、シュンだった。
「ユカリとナオにわざわざ出入り口塞ぐ理由はねぇだろ。もし俺なら誰でも出入りできるようにしとくし、少なくとも自分だけでも外に出る」
「そうですよね。その方が自分が疑われずに済む。……ナツ先輩が中庭から戻ったのって」
6時55分、と、ナツが答える。それは、ナオが竹田を殴ってマサトたちのところへ戻ってきた時刻でもあった。
思えば竹田の死体を発見した時、真っ先に部室を飛び出したのはヨリコと、ナオだった。ユカリもすぐに外に出ている。自分が殺したと思った死体を、見たくなかったのだろうか。
「ヨリコがトイレに行った時には、もう他の生徒は皆帰ってたみたいだって、言ってたよな」
「あ、うん……東側に向かう時に中庭をちらっと見たけど、真っ暗だったし誰も」
「それが、確か……7時20分」
先程聞いたそれぞれの行動と、時間を、頭の中で組み合わせていく。制作側のナツとマサトには、部活の時はなにかと時計を見る癖が身に付いているようで、時間はほぼ正確と言ってよかった。
玄関の鍵は、外からしか開閉できないようになっている。
渡り廊下のシャッターのスイッチは校舎内ではなく廊下の方にあるが、それほど離れた場所にあるわけでもないので、操作してから北校舎へ戻ることも可能だ。もちろんそのまま廊下に残れば、西校舎か東校舎の玄関から外に出られる。
この北校舎で、内側から鍵が開けられるのは、裏口の扉と、窓だ。だがすでに試したように、鍵が開いているのに扉も窓も開けることはできない。恐らく、外側になにか細工をしてあるのだろう。棒のようなものでもつっかいにしておけばいいのだから、簡単なことだ。
「てことは……玄関と裏口は、外から閉めなきゃいけないってことですよ。シャッターは中からでも閉められる。裏口はほとんど使われないし、窓も今の時期はほとんど開けないから、あらかじめ細工しておけるとして……」
玄関とシャッター、どちらが先に閉められたのかが、当面の問題点だった。
映研部以外の人間の仕業ならば、シャッターが先に閉められたはずなのだ。渡り廊下に出てシャッターを降ろし、玄関から外に出て、鍵をかける。二枚目のシャッターは、片側を降ろしたあとでも、玄関を閉めたあとでもいい。
玄関を閉めてからもう片側のシャッターを降ろしたのなら、校舎に残った映研部員にもできそうかもしれないが、なにしろ悠綺高校の敷地は、とにかく広い。先に考えたように、ヨリコが同じ階のトイレへ行って戻ってくるのだって、10分もかかっているのだ。庭を、玄関の施錠をしてから通り、しかも東西の校舎を通して渡り廊下から出入りするなんてことになれば、十数分は姿が見えなくなるはずだ。そうなればさっきの竹田殺しの時点で疑われているはずだが、長い時間姿がなかったナオとユカリには、皮肉なことに、竹田を殴ったというアリバイがあった。
つまり、どちらか一方でもシャッターが先に閉められていれば、校舎封鎖は映研部以外の人間によるもの。部室には基本的に部員以外の立ち入ることを禁じられているため、その人物が竹田の死を知っていたとも思えない。竹田のこととは無関係と考えていいだろう。そして自然と、最後に北校舎を出た人物が怪しいということになる。今は全くわからないが、ここから出られれば特定もできるだろう。
しかし、その線は、現実的に問題があった。
「なぁ、俺が一階で窓割ろうとしてた時、二階には音は聞こえなかったんだよな?」
「えぇ……全く」
「ならシャッターを降ろす音も、二階には聞こえねぇかもしんねぇな……。でも、一階にいれば、まず間違いなく聞こえる」
「そうですね……あ、でも、今日はずっと東側の渡り廊下の方で撮ってたので、西側のシャッターの音なら聞こえないかも」
「だからどうだっつーんだよ」
投げやりに言うシュンの言いたいことは、誰もがわかった。例え西側のシャッターを映研部に気付かれずに降ろせたとして、東側のシャッターは、彼らがいなくなってからでなくては降ろせない。その時点で閉じ込めることは、不可能なのだ。
「わかってんだろ……時間から考えても、無理だって」
主語のない物言いが、責め立てているようだった。
シュンは、ナオとユカリに関しては除外して言っているつもりだが、それでもあんなことが暴かれた後では、シュンの迫力は二人を怯えさせるだけだ。それを落ち着かせようとしてなのかなんなのか、マサトだけは、相変わらず普段の調子を崩さない。
「7時20分ですか」
「あぁ。ヨリコが見たのが正しかったら、それまでにはもう、俺らは閉じ込められてたってことになんだろ」
「7時ちょっと前には、全員で玄関前で落ち合ってます。僕が中庭から戻ったのが6時55分だし、それまでマサトは15分くらいそこにいたし」
「なにより、撮影が終わるまで、東側のシャッターは開いてた」
そこで撮影していて、もしシャッターが降りれば、気づかないはずがない。撮影が終わった後もコウキが10分ほどそこで電話しているし、それまでは、この北校舎は封鎖されてはいなかったのだ。
そして、彼らが唯一全員で一階からいなくなった時。それは、竹田の死体を発見した瞬間だった。それから5分も経たずに、ヨリコとナオが外へ連絡しようと一階中を走っているのだ。
部室に竹田の死体があることを犯人が知らなかったにせよ、撮影を切り上げたのだから、すぐに帰り支度をして降りてくると考えるのが普通だ。玄関と西側渡り廊下封鎖の慎重さに対して、計画がずさんすぎる。
「まず不可能、と言っていいでしょうね」
ナツが告げたその言葉に、息を飲んだのは、ナオとユカリだった。それはつまり、映研部員の中に、校舎を封鎖した人物がいる、ということだからだ。
脅しや襲撃に抵抗したら相手を死なせてしまって、なぜか外には出られなくて、ただでさえもう神経が参っている。もういい加減外に出て、出頭するなりなんなりして楽になりたい、というのが、正直なところだろう。
それなのに、気の知れた仲間の中に、こんなふうに自分たちを閉じ込めた犯人がいるなんて、考えたくもなかった。ユカリに至っては、すぐにでも失神してしまいそうな真っ青な顔をしている。
「どうするよ? また容疑者に逆戻りだよ、俺ら」
シュンが、意地悪く口角を引き上げて笑った。当然のことながら、シュンが出入り口を封鎖した可能性だって十分にある。だが、すでに散々疑ってみせたシュンに、再びあからさまに疑いの目を向けるのは、どうも気が引ける。
「でも」
ヨリコが、小さく声を上げた。
「どうしてこんなことするのかな……?」
「……さぁ。それは、本人に聞くのが手っ取り早いんじゃないですか」
状況を見透かしたようなマサトの物言いに、全員がびくりを肩を強張らせる。それに気付いて、マサトがその顔を見回した。
「あぁ、すいません。俺にも、犯人がわかってるわけじゃないです」
「お前が犯人じゃない限りな?」
「それは、ナオとユカリ先輩以外の全員に言えることなので。今はやめときましょうよ」
ここへきてマサトとシュンには、心なしか余裕が出てきている気さえする。それは殺人の謎が解明されたからなのか、自分が出入り口を封鎖した犯人だからなのか、もしくはそうではないからなのか、全くわからない。




